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 少し歩くと、遠くからでもそれとわかる光のシルエットが見えたので、ソウタはほっとした。いて座は人で、うお座は大魚で、しし座はライオンだったけれど、てんびん座はとても大きな天秤だった。てんびん座に触れられるくらいまで近づいて、ソウタはその大きさに驚いた。まず、吊られている水晶の皿は、片方だけで学校の教室ほどの大きさだった。その上に一本の水晶の柱が横向きに浮かんでおり、その両端から数本の白い光の線が降りて、柱と皿を繋いでいる。皿と皿のあいだには距離があって、そのぶん柱も長い。そして、てんびん座も全体から淡く光を零しているため、星空の暗闇のなかにあっても、存在感がとてもあるのだった。城門みたいだな、とソウタは思った。

水晶の皿の片方だけ、エメラルドを融かしたような透けた緑色が差している。ソウタが緑色の部分に手のひらを添わせると、なんとなくひんやりとして、指の隙間から緑と白の淡い光が滲んだ。

「こんばんは」

 声が降ってきたので真上を見上げると、だれかが天秤の柱に座っている。目が合ったと思ったら、彼女は柱の上から、ソウタの目の前にふわり、と降り立った。

「見ない顔ね。かといって、燃える星の子でもなさそう。そうでしょ?」

彼女はソウタの全身をさっと一瞥して、言った。高貴な雰囲気をまとった妙齢の女性で、ほかの星座のように全身が身体の内側から発光している。

「見たところ惑星の子かしら。もしかして、あなた、生まれたばかり?」

「えっと、17歳です」

「やっぱり。ずいぶん幼い子ね、どこの子?」

「地球です。ソウタっていいます」

「遠いところから来たのね。わたくしは、カシオペア座。普段は北の空にいるの」

 ソウタの頭の中に、Wの形に配置された点と線が思い浮かんだ。それから、北斗七星のひしゃく型と、北極星も。

「あなたも、地球からわたくしのことを見つめているひとりかしら」

 カシオペア座はひとの頭の中が見えるのかと思って、ソウタは驚いた。それが顔に出ていたようで、カシオペア座は思わず噴き出した。

「図星?あなた、とてもわかりやすい子ね」

ソウタは自分の顔が熱くなるのを感じた。それを取り繕うように「どうしてぼくが見てるってわかったんですか?」と早口気味に訊ねた。カシオペア座はソウタを見つめたまま答えた。

「わかるのよ、まなざしって。まっすぐ飛んでくるの。星空の光が遠い地球のあなたに届くように、地球から放たれた精一杯のまなざしも星空に届いてるのよ」

「ほんとうに?ビームみたい」

「ほんとうよ。わたくしたちとあなたたちは、互いに光を送りあっているのよ。そんなつもりなくてもね」

 カシオペア座は絵画のように微笑んだ。ソウタは戸惑ったが、カシオペア座の言葉に魅かれてもいた。これまで自分が眺めるだけで一方的と思われていた自分と星空の関係が、互いに行き交うものになることが嬉しかった。

「ま、わたくしはどの星座よりも多くのまなざしを受け取ってきたから、こんな話もできるわけね。なんてったって、わたくしはとても美しいのだから」

 カシオペア座はそう言って、これまででいちばんの笑みを咲かせた。場を和ませるための冗談として言ったわけでもなさそうで、ソウタはカシオペア座の堂々とした態度に圧倒された。彼女といい、オリオン座といい、星座には堂々として自信のあるひとが多いのかなと思った。そして、そのふるまいに嫌な感じはひとつもなかった。

「ところで、あなたはどうして星空に来たの?地球なんてずっと遠くじゃない」

 ソウタが経緯を話すあいだ、カシオペア座は真剣なようすで、ソウタの目を見つめていた。

「そう、迷子なのね。年端もいかない惑星の子が軌道を外れるなんて、心細かったでしょう。大丈夫よ、ここにはてんびん座も、わたくしもいるわ」

 カシオペア座はソウタの目を見たまま微笑んだ。頼もしい笑顔をするひとだ。

「しばらく待っていましょう。わたくし、てんびん座に座って眺める景色が大好きなの」

カシオペア座はソウタの手を引いて、水晶の柱に腰かけた。カシオペア座は、良い景色でしょ、とうっとりした。

地球で見上げた星空と、星空で見渡す星空は、同じものを見ているはずなのに全然ちがって、ソウタにはどれがどの星なのか見当もつかない。カシオペア座に訊くと、すぐに星の名前やどの星座の一部か教えてくれた。あれがスピカ、向こうがしし座、と彼女の指がなめらかに指していく。

「待っていたら、誰か来るのかな」

「来るわ。わたくしとてんびん座を信じなさい」

「てんびん座も?」

「もちろん」

「てんびん座はなにも喋らないんだね」

「……そうかしら。地球の子にはそう見えるのね」

てんびん座は喋るでも音を鳴らすでも、光を強く放つでもなく、ただ静かにそこにあった。かみのけ座はけっこう喋ったのに。もしかしたらてんびん座もなにか発しているのかもしれないけど、自分にわからないだけなのかもしれない。

「さて、わたくしはそろそろ行くわ」

 しばらくして、突然カシオペア座がそう言ったので、ソウタは驚いた。

「誰も来てないよ」

「来るわよ。大丈夫、てんびん座を信じて。わたくしもてんびん座を信じるわ」

良い夜を、と言って、カシオペア座はそのままどこかに去ってしまった。



 カシオペア座の光の残像が消えないうちに、「ソウタ」と呼ばれた。少し離れたところで、ケイスケくんがひらひら手を振っていた。ソウタはケイスケのもとに駆けだした。勢いよくケイスケに抱きつくと、ケイスケは二、三歩よろめいて、ソウタの背中をぽんと叩いた。

「ケイスケくん!やっと会えた!」

さっきまでのこころもとなさはどこかに消えてしまった。いまはケイスケに会えたことが嬉しくて、ソウタの声は今夜いち弾んだ。

「ソウタ、ありがとうね、こんな遠くまで来てくれて」

「ううん、ここすごく面白いし、ケイスケくんに会えるの、何年ぶり?嬉しいよ!」

「前会ったときはソウタ中学生やったよね?あれからこんな背伸びてるの、映像通信だけやったらぜんぜんわからんなあ」

ケイスケはソウタの頭に片手を置いて、もう片方の手を自分の頭に置いて、手の高さの違いでふたりの身長差を確かめた。

「ほら、なんやったらソウタの方がちょっと大きいもんな」

「178センチだった前はかったとき」

「ああ、僕176やからやっぱりソウタの方が大きなってるわ」

やっぱ高校生って伸びるよなあ、前はこんなやったのに。と、ケイスケは自分の頭に置いていた片手を肩のあたりまで下げた。

「ケイスケくん、ずっとどこ行ってたの?」

「南十字星見てきた。大きかったな、遠くから眺めただけやけど」

「わあ、いいなあ」

「おおきい十字が光ってて、光ってるというか燃えてて、星になってないうちはまだ近づかん方がええって、さそり座が言うから」

ケイスケくんが振り向いた先には、大きなサソリがいた。ソウタたちより体が大きくて、赤い光をまとうサソリは、全身を軽く上下させて、会釈するか頷くかした。

「ずっとさそり座が案内してくれてん」

さそり座の胴体の中心は鮮やかに赤く光り、鋭い針は二番目に明るかった。きっと、アンタレスとシャウラの輝きだ。

「さそり座、この子はソウタ、僕の大事な友だち」

ケイスケくんの言葉に、ソウタは口角が上がりそうで、でもなんとなくむずむずして、頬が熱くなってきたので、さそり座にはじめましてと一礼する勢いでごまかした。さそり座は両手のはさみを胴体の前で重ねて、会釈をした。

「そういえば、さそり座はこのへんで用事があるんやろ?」

ケイスケくんがそう言うと、さそり座は、ああ、と低くくぐもった声を出した。

「もう、済んだ」

さそり座は、とてもゆっくり喋った。ひとつひとつの音を慎重に並べていくようだった。そして、必要なことを述べたら、無駄口は一切きかなかった。

「ソウタ!」

大きな声がまっすぐに飛んできて、いて座もこちらにまっすぐに走ってきた。いて座自身が射られた矢のようだった。いて座はソウタの両肩に手を置いて、ソウタの目をまっすぐに見つめた。

「よかった見つけた。大丈夫だったか」

「うん、なんだかよくわからないけど、急に迷子になっちゃった」

いて座はよかった、よかった、とソウタの肩をぽんと叩いた。

「ふたご座が血相変えてたよ、ソウタに彗星の子どもがぶつかって飛んでいっちゃったって。それでみんなで探そうとしてたら、てんびん座が呼んでくれたんだ」

 ソウタは思わずてんびん座を見た。てんびん座は、喋ることも、特別に光ることもなかったはずなのに。ソウタが辿りついてから今に至るまで、てんびん座は何も変わらず、淡い光を湛えて、そこにあるだけだった。てんびん座を信じて、と言い残した声を思い出した。

「カシオペア座もここで一緒に待ってくれたよ」

「カシオペア座が?あとで礼を伝えないとな。てんびん座も本当にありがとう」

 いて座はてんびん座に向かって言った。てんびん座は静かなままだった。

「ケイスケとさそり座はどうしてここに?」

「南の空から戻るところで、さそり座がここらへんで用事があるからって」

「さそり座もてんびん座に呼ばれたのか。それはいいけど、知らないうちにどこかに行くからふたご座が心配していたよ」

さそり座は、少し申し訳なさそうに、サソリだけど、肩をすくめた。

「さあ、北の空に向かおう。早くふたご座に会わせたいし、セレモニーがまもなく始まるよ」

いて座の言葉に、ソウタとケイスケは顔を見合わせた。

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