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目を閉じているあいだはとても長い時間に感じられたけど、終わってしまえば、一瞬のできごとのようだった。いて座が「目を開けていいよ」と言ったので、そっと目を開けた。

視界いっぱいにただ真っ暗闇が広がっているので、ソウタはぽかんとした。星空に行く夢が覚めて、深夜の布団の中で部屋の天井を見上げているだけなんじゃないか、と思ったくらいには真っ暗だった。ところが、だんだん目が慣れてきて、辺りを見渡す余裕ができたころには、周囲がすべて満天の星空であることに気付いた。すべて、というのは本当に見える景色すべてということだ。水平線をまっすぐに見つめても(星空に水平線なんてないのだけど)、思い切り見上げても、おそるおそる見下ろしても、振り返っても、ほんとうの暗闇とたくさんの光がある。足元になにもないのに、ソウタはまっすぐ立っている。もしかしたら、立っているような態勢で浮かんでいるのかもしれない。でも、空中や水中のような感覚ではない、ただ立ち尽くしたまま、その周囲はすべて、本当にすべて星空である。その星空は、窓から見上げる夜空よりずっと濃い暗闇に、大小さまざまな瞬く光の粒が散りばめられている。

 ソウタは戸惑って、とにかくきょろきょろ落ち着かなかった。ふいに、いて座と目が合うと、彼は嬉しいような気恥ずかしいような顔をしていた。

「いや、ケイスケも、きみみたいにずっときょろきょろして落ち着かなかったんだよ。地球の子が星空に来たら、みんなそうなるのか」

 いて座はソウタの視線に気付いて、言い訳するように言った。ソウタはそわそわしたまま、

「こんな景色、地球の誰も見たことないし、よくわかんないし、それはだって、落ち着かないよ」

と答えた。たとえ夢の中でも、みたことのない景色に出会うとドキドキする。

「なんだか嬉しいな。ソウタ、ようこそ星空へ」いて座は、胸に手を置いて、うやうやしく一礼した。「我々星座一同はきみを丁重に扱うだろう。なにせ、お客様自体が珍しいからね」

 ソウタはいて座にお辞儀を返しながら、いて座はこんな景色に慣れているんだなと思った。それから、ケイスケくんもこの景色にびっくりしたんだな、宇宙船に乗っているひとも驚くような景色なら、ぼくはもっと驚いても仕方ないな、と。

「じゃあ、ケイスケに会いに行こうか。ふたご座のところでセレモニーの準備をしているんだ」

 ふたご座に向かって、ソウタはいて座の隣を歩きはじめた。交互に前に出される足のその下もすべて星空で、果てがあるのかもわからない。まるで満天の星空を歪みなく写しとった湖の上を歩いているようだった。実際は、足音もなく、足の裏に水や地面を感じることもなく、水面に波紋が広がることも、自分の影が映るようなこともない。見下ろせば、ただただ星空が広がっている。自分の足の裏より下に空があることに、生まれてはじめての違和感がある。小さい頃に遊びに行ったレジャーランドで、ふつうより深いプールをのぞいたときのことが思い出された。深いところになるほど、薄暗くなり、潜っている人たちが小さく見えた。少しのあいだ眺めただけの景色なのに、なんだかよく覚えている。

 変なことを思い出す、変な夢だなと思った。でも、変だけど、不思議だけど、嫌じゃない。

ソウタは、この夢の景色をいつまでも覚えていたいと思った。

いて座が前方に向かって大きく手を振った。その先には二つの光があり、だんだんこちらに近づいている。よく目を凝らすと、その光たちは、ふたつのいきものの姿であることがわかった。ひとつは、ライオン。もうひとつは、魚だった。どちらもいて座のように、からだの内側から光が滲んでいて、暗闇の中でも目立っていた。

 戻ったよ、といて座が言った。ライオンと魚はおかえり、おかえり!と言いながら、ふたりの周りを楽しげにとびまわった。

「きみが地球の子?」

「しらない匂いがする!」

「地球からここまで遠かったでしょ」

「ケイスケとちょっと似てるかも!」

 魚とライオンは、ソウタの全身を見て、嗅いで、口々にしゃべった。ソウタ突然のことに驚いて、ぽかんとしてしまった。

「おまえたち、落ち着いて」

いて座がいさめると、二匹はわくわくと輝くまなざしのまま、ふたりの前に居直った。ぶんぶん揺れているライオンのしっぽの先が、ろうそくのように淡く灯っている。

「ソウタ、こちらがうお座としし座。私の仲間だ。ふたりとも、こちらはソウタ、地球から招待したケイスケの友人だ。お客さんだから、失礼のないように」

 いて座の声で我に返ったソウタは、慌てて一礼した。うお座としし座はよろしく、ようこそ!と言いながら、ばらまいたスーパーボールみたいに四方にぴょんぴょん跳ねた。ソウタより体の大きなしし座がそのままじゃれついてきたので、ソウタはしりもちをついた。

「ここはいいところだよ!楽しんでいってね!」

しし座はソウタと目を合わせて、嬉しそうに言った。とても近くにあったので、しし座の瞳から瞬く光がこぼれるのがよく見えた。

いて座が大丈夫か、とあわてて駆け寄ってきた。

「すまない。お客さんがめずらしくて浮かれているんだ」

いて座は少し呆れたように言った。しし座がごめんね!とニコニコしながら言うと、うお座がその周りをすいすい泳ぎはじめた。

「ただでさえお客さんはめずらしいのに、今夜はふたりも、それも遠い地球から来てくれたからね。そのうえ、そのうちのひとりはぼくたちのあたらしい仲間になるんだもの。みんな嬉しくて浮かれちゃうよ」

 うお座は、両手で抱えるくらいの大きな魚の姿で、プリズムのように七色を現わすうろこに覆われていて、尾ひれがとても立派だった。

「私たちはふたご座のところに行くところだったんだ。うお座、しし座、またあとで」

 いて座に軽々と腕を引かれて、ソウタは立ち上がった。いて座は力持ちだ、とソウタは思った。うお座としし座は、

「またあとでね、良い夜を!」

「いってらっしゃい!すてきな夜を!」

と口々に言って、ふたりを見送った。



うお座としし座はこれから北極星に向かうそうだ。そこがセレモニーの会場になるのだと、いて座が教えてくれた。

星空には音もなく風もない。歩いているあいだ、標識や看板に出会うこともないし、そもそも道らしい道がない。どの方向を見ても、果てのない真っ暗に無数の光が点っているばかりだった。なのに、どの方向にどの星があるのか、いて座にはわかっているらしい。

さっきうお座としし座が迎えてくれたときのように、いくつかの光がふたりのもとに近づいてきた。

「おとめ座、かみのけ座、こんばんは」いて座がそう言って手を振った。

「こんばんは、いて座。幼い彗星と一緒なんてめずらしいこと」

近づいてきた光は、髪の長い女性の姿をしていた。

「彗星の子どもじゃないよ、彼はソウタといって、地球の子だ」

いて座がそう言うと、彼女はパッと目を見開いて、ソウタといて座を交互に見た。

「地球?そんな遠くからどうして?」

「あたらしい星がセレモニーに招待したんだ。ソウタ、こちらはおとめ座とかみのけ座」

おとめ座はワンピースのような服の裾を軽く持ち上げ、バレリーナのように挨拶した。ソウタもはじめまして、とお辞儀した。おとめ座の頭から伸びる髪の毛が、流水にさらした織物のようにたなびいたと思ったら、

「こんばんは、ソウタくん。今夜は楽しんで」

と、おとめ座よりいくぶんか低い声で喋った。

……髪の毛が喋った?ソウタは思わずいて座の表情をたしかめた。いて座は、平然とした表情で見つめ返してきた。ソウタはもう一度おとめ座の頭を見た。おとめ座はソウタより背が低いので、おとめ座のつむじを見下ろすかっこうになる。

「驚いているね」とおとめ座の髪の毛は言った。「私はかみのけ座というんだ。地球からは私は見えないかな?」

 ソウタは、かみのけ座がおとめ座のちょっと上に位置する星座だということを思い出した。ケイスケが星座早見表を見ながら教えてくれたことのひとつだ。

「見えるよ、ぼくも地球で見たことある。でも……かみのけ座はおとめ座の髪の毛なの?」

思い浮かんだことをそのまま口にした。おとめ座はにっこり笑って、「ちがうけど、一緒に出かけることもあるの」と言った。

「これからどこかへ行くのかい」

かみのけ座がそう訊くと、ふたご座のところに行くんだといて座が答えた。

「そうか、では私たちは先に、北の空に行くよ。ソウタくん、良き夜を」

「またあとでね、おふたりとも良い夜を」

かみのけ座とおとめ座は、ほほえみを残して去っていった。なめらかな線を描くようなおとめ座の足取りにあわせて、かみのけ座の豊かな髪の毛が揺れていた。

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