Good Night

杉本蓮

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 指定されたURLをクリックしてしばらく待つと、真っ暗な窓が現れる。もう少し待つと、窓がぱっと明るくなって、相手の上半身が写る。ケイスケはいつもどおり、オレンジ色のTシャツを着ていた。そのTシャツは国際宇宙センター公式グッズで、胸元にロゴがプリントされているものだ。ケイスケはどこを見るでもなく、ただぼんやり画面に向かっている。

ソウタが「聞こえる?」と呼びかけると、少しして「お」と反応が返ってくる。地球と宇宙船を繋ぐ通信は、もうほとんどラグが生まれなくなっているそうだ。にもかかわらず、やり取りに一瞬の間があくのはケイスケがかなりマイペースなひとだからだ。

「ケイスケくん、久しぶり」

「おー、2カ月ぶりー。ソウタのところ、いま何時?」

「いまは、夜の8時」

「そうか、夜か」

「うん。晴れてて、星、よく見えるよ」

「いまは何が見える?」

「いまは、オリオン座とか、」

「ええなあオリオン座、僕も見たい」

「宇宙船から見れないの?」

「見えんこともないけど、地球から見えるようには見えんな」

ソウタは、宇宙から見たオリオン座を想像した。巨大な砂時計をかたちづくる強烈な光たち、三連星の並びと、ベテルギウスの輝きに目が眩む。

「宇宙から見たオリオン座を知ってるのはケイスケくんだけだよ」

「僕だけちゃうよ、ほかの船員も見てるんやから」

「いいなあ宇宙船のクルー。ぼくも近くでオリオン座見たい」

 ソウタが口をとがらせるのを見て、ケイスケは、ふふ、と笑った。ケイスケが笑うと、もともと困り気味なケイスケの眉がさらに八の字に傾く。ソウタはケイスケが笑うとつられて笑ってしまうし、なんだかほっとする。

「ソウタの高校、もう冬休み?」

「うん」

「ええね。夜更かしし放題」

「ケイスケくんも夜更かししてるでしょ」

「クルーはそれぞれ寝る時間が決まってるのよ。それに、宇宙はずっと夜みたいなもんやし……」

「ずっと真っ暗だから?」

「周りがずっと星空やからね」

ビデオ電話での話はいつも、地球の日常のことから、ケイスケが過ごしている宇宙船での日常のことに移っていく。地球で暮らすソウタにとって、ケイスケの話はすべて非日常で刺激的でわくわくする。もっと聞きたい、もっと、と思ったときには終わりの時刻がやってくる。

「ソウタはそろそろ寝る時間やね」

「えー、まだ大丈夫だよ」

「若者はたくさん寝なさい」

「ケイスケくんも若者じゃん」

「僕はまだええのよ、消灯時間まだ先やから」

「次は再来月かあ」次の映像電話は二か月後、来年だ。一か月でも遠いのに、二か月なんて、遥か彼方だ。

「冬休みの宿題頑張って~」

「ケイスケくんもお仕事頑張ってね。ぼく、けっこうちゃんと見てるからね、宇宙センターのSNSとか船内配信とか」

「おお、わかった。ちゃんとかっこつけるわ」

「よし、ちゃんと見とくからね」

「ふふ。元気でな、ソウタ」

「うん。ケイスケくんもね」

「ん。おやすみ~」

「おやすみ!」

ケイスケは片手をひらひら振って、あっさり通信を切る。

ソウタは椅子にもたれて、終わっちゃったなあと思った。楽しかったな、とも。二か月後は冬が終わる頃だから、その頃には、宇宙船の窓からはどんな星座がみえるのだろう。ソウタは二か月後に話すことをめぐらせて、楽しみで仕方なくなった。このままわくわくしたままだと眠れなくなるので、部屋の電気を消して窓から夜空を見上げた。空にはオリオン座が昇っていた。星を見上げていると、ただただ星の光や星座の形を確かめるのに夢中になって、余計なことを何も考えられなくなって、落ち着いてくる。オリオン座にあたまの中をすべて預けてぼーっとしていると、自然に眠たくなるのだ。

頃合いをみて、ソウタは布団に潜り込んだ。目を閉じると、まぶたの裏にオリオン座が昇っていて、眠るまで黙って見守ってくれている。



 その夜の遅くに目が覚めてしまったのは、寒かったからでも、トイレに行きたかったからでも、お腹が空いたからでもない。ただ、ふっと目が覚めた。もう一度寝付こうとしたけど、目を閉じてもうまくいきそうになかった。夢を見ていたわけでもないのに。これはソウタにとってめずらしいことだった。仕方がないので、横になったままぼーっとすることにした。

部屋の真暗さに目が慣れてくると、カーテンが少し開いていることに気付いた。寝る前にオリオン座を眺めていた窓から、外の薄明りが差し込んでいる。月が出ているんだっけ。さっきまで眠っていた目には、少しの明かりでも眩しく感じられた。ソウタは布団から出て、カーテンをしっかり閉じることにした。

布団の外は寒さがひたひたと満ちていて、冷えた空気が寝巻きの中に入りこんでくる。ソウタは急いで窓辺に寄り、カーテンに手をかけたとき、ごく自然に夜空を見上げた。オリオン座は、眠る前とは違うところに佇んでいる。けっこう動いてる、いま何時だろう。そう考えているあいだも寒さがスエットに沁みこんでくるので、急いでカーテンを閉めようとした。

「こんばんは」

しっかりした声ではっきりと聞こえたので、ソウタは思わず窓の外を見てしまった。そこには、窓ガラスに映った寝巻き姿のソウタ、ではないひとの姿があった。そのひとは、夜の中に佇んでいるのに、表情や服装がやけにはっきり見てとれる。そのひとの身体の内側から光がにじみ出ているような、そのひとの身体だけが照明に照らされているような、不思議な質感だった。

「地球も良い夜だね。きみが、ソウタ?」

名前を呼ばれたことにも驚いたけど、そんなことよりもっと驚いたのは、そのひとの身体が宙に浮いていると気付いたときだった。そのひとの身体は、地面に両足の裏をつけてまっすぐ立っているときと同じ姿勢を保っていた。ただ、そのひとの足元に地面がないだけだ。屋根に立っているのかとも思ったけど、この窓の下に屋根なんてない。

 軽く気が遠くなったらしい。宙に浮いたそのひとが近づいていることに、ソウタは気付かなかった。

「大丈夫?起きてる?」

 窓ガラス一枚を挟んだだけの距離で、そのひとは意識を確かめるように、ソウタの目の前で片手を振ってみせた。ソウタは窓辺から部屋の反対側まで、壁に打ちつけたテニスボールみたいに逃げた。

「あー、ごめんごめんごめんそんなつもりなかった」

そのひとはそう言って、窓をためらいなく開けた。寝る前に鍵はちゃんとかけたつもりだったけど、それは思い違いだろうか。それに、ごめんと言ったそばからいきなり窓を開けるのはどうなんだ。ソウタは驚き、慄きながら、心のはしっこがイラっとしたのを感じた。

そのひとは、窓枠に腕を置いて、こう言った。

「驚かせて申し訳ない。ケイスケに頼まれて来たんだけど、きみがソウタで合ってる?」

「……ケイスケくん?」

「そう、ケイスケ。オレンジの服着て、のんびりしたかんじの、眉がいつもちょっと困ったようになってる地球の子」

ソウタの目の前に、画面の向こうで変わらずぽやんと佇んでいる彼の姿が一瞬思い浮かんで消えた。

「ケイスケくんは、たぶん、ぼくの友だちのことだと、思う」

「きみがソウタかな?」

「そうです、たぶん。あなたの言うケイスケが、ぼくの知ってるケイスケくんなら」

「そうか。おそらく間違いないはずだ。会えて嬉しいよ、ソウタ」

「誰?」

「ああ、名乗りもせずに、失礼」

そのひとが軽く頭を下げたあと、こちらをまっすぐに見たので、身体だけではなくて、目も発光していることがわかった。

「私は、いて座、というものだ。星空でケイスケを拾った縁で、きみに会いに来た」

両目から淡く漏れる光のせいで、長いまつ毛がやけにはっきり見える。

「この度、きみの友人ケイスケは、あたらしい星として私たちの仲間になることになった。それで、今夜は彼のためのセレモニーが星空で開かれるのだけど、ケイスケが、ソウタを呼びたいと言っているんだ」

 さっきからなんとなく思っていたことではあるけど、これは夢なのだろう。だって、星になるとか、なんか、マンガみたいだし。あと、人が浮いてるし、目が光っているし。人というか、いて座、星座だけど。今日はケイスケくんと話したから、ケイスケくんの名前が夢の中に出てきたんだな。そうか、そうだ、きっとそうだね。

ソウタはなんでもないことのように、いて座に返事をする。

「そうなんだ。ケイスケくんが呼んでくれてるんだ」

「そう。地球の子を星空に招待するのはめったにないことだから、今回は特別さ」

「へー。星空って、あれ?」

ソウタが窓の外を指すと、いて座はソウタの指先から伸びる線をちら、と追って、そうだね、と頷いた。

「どうやって星空に行くの」

「私が連れていくよ」いて座は、ソウタに向かって両手を差し出した。「私がいいと言うまで手を離してはいけないよ」

夢だし、と思って、ソウタは迷わなかった。そろそろと窓際に近づいて、いて座の両手に、そっと自分の両手を置いた。いて座はソウタの手を握って、彼の目をまっすぐに見た。表情は穏やかなのに、まなざしから射貫かれるようなエネルギーが溢れている。

「目を閉じて。私がいいと言うまで目を開けてはいけないよ」

 いて座の言ったとおり、目を閉じる。冬の夜の冷気と、想像よりずっと暖かい、いて座の手のひらだけを感じている。

「それでは行こう」

風が吹くわけでも、冷気が増すわけでも暑くなるわけでもなかった。音もしなかった。ただ、まぶたの向こうで、光が強くなったり弱くなったり暗闇になったりした。両手はいて座が握っていて、その熱だけはずっと変わらなかった。

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