第三話 あなたには届かない
ただ一人、「私」を見てくれる人よ
「あの子、美人よね」
街中を歩いていると、声が聞こえる。
「ほんと、すっごく美人」
あたしはわざと足音を響かせるようにして、先に進む。煉瓦を叩くヒールの音が気持ちよかった。残念ながら、女学院から支給された靴のヒールは高くない。おまけにワンピース型の制服だって、スカート部分の丈が長く、もう少し短ければよかったな、と思うこともある。けれどもそれを着こなすからこそ、同じ制服を着た女子の中で、あたしはより輝くことができるのだった。
自信があった。今日も見えてきた学院校舎に、微笑む。
「――でも『花憑き』なんだね、あの子」
ああ、水を差すような言葉が。
「ノイって子でしょ、女学院で一番の美人っていう……性格はよくないって聞いたことあるよ」
つまらない言葉。
けれどもあたしは、笑顔を曇らせない。
教室について、席に座る。余裕を持った登校ではなかったけれども、遅刻ぎりぎりというほどでもない。隣の席には、すでにクラスメイト何人かが集まって、何か盛り上がっていた。
「おはようみんな、何の話してるの?」
「あ、ああ、ノイ、おはよう……」
みんなは学院近くの服屋のチラシを囲んでいた。チラシには、新しいデザイナーが作ったという服が描かれている……。
「イマイチね?」
あたしは眉を寄せた。本音だった、ぱっとしない。あたしには多分、似合わない。
クラスメイト達はぎょっとしたような顔をする。あたしはみんなに言ったつもりはないのに、まるで彼女達は、自分に言われたかのような様子で、互いを見つめ合う。やがて一人が「あはは、そうだね」と立ち上がって、続いてみんなが教室から出て行く。
「普通あんなこと言う?」
「ノイって美人だから、何言ってもいいって思ってるのよ」
「なんか……嫌な感じだよね、一緒にいて気分良くないっていうか」
「もったいないよね、美人なのに……性格が変な上に……『花憑き』なんだよ?」
――全部聞こえてるんだけどなぁ?
あたしが頬杖をつけば、頭にある白い蕾が揺れた。
「文句があれば、ちゃんと言えばいいのにね?」
足を組んで、長い金髪を指で絡め取って遊ぶ。と。
「――ノイ。足引っ込めてください。誰かが躓いたら、どうするの」
「――あんたははっきりもの言うのよねぇ」
あたしのその言葉に、周囲の何人かがぎくりとしたのを感じた――別に、あたしが何かしたわけではないのに。そもそも、これまでに何かした覚えもないのに。
でもみんな、あたしの言葉にいちいちビクビクするのだ。
――いま注意してきた一人を除いて。
「迷惑だから注意してるんですよ」
あたしにそう言ってきた彼女は、表情を一つも動かさなかった。
「目敏いわねぇ」
「あとノイ……あなた、香水つけてます? 禁止されてますよ」
「香水? 香水なんてつけてないわよ?」
嘘吐け、と、どこかから聞こえた。絶対つけてるわよ。
しかしあたしの前の彼女は。
「……ということは、その蕾からですかね。聞いたことあります、『花憑き』の蕾には、香りを強く発するものもあると……それなら、仕方がないですね」
彼女の、肩の上できっちり切りそろえた黒髪。ひどく硬い印象がある……毎日手入れしてるのかな、と時々あたしは考える。そうでもしないと、維持できないと思う。実際のところは知らないけれども、実は見た目にかなり気を使っているタイプなのかもしれない。制服だって、しわや汚れの一つ、見あたらない。
ただセンスはない。彼女の眼鏡は、少し野暮ったい。その向こうにある瞳は鋭く見えて、けれどもいつも、どこか遠くを見ているように感じられる。
眼鏡を外せば、多少は柔らかく見えるのではないか、と思う。おしゃれをすれば、絶対にかわいい。
性格だって、彼女、ヴァネッサは悪くはない。
「そういえば去年、こうやって足を伸ばしてたら『足が長いアピールしてるのよ』って、その時のクラス長に陰口叩かれたこともあったけなぁ……邪魔だったなら、あんたみたいに言えばいいのにね?」
「どうでもいいですけど、とにかく引っ込めてください」
はいはい、とあたしはヴァネッサに従う。それとヴァネッサは、人差し指一本を立てた。
「それからですね。ノイ、記録帳の提出が遅れています、早く提出してください。あれは学院だけじゃなくて場合によっては『機会仕掛けの竜』も見るものなんです」
「あー、はいはい、お花の記録ノートねぇ」
すっかり忘れていた。蕾の記録ノート。ノーヴェ女学院に通う『花憑き』ならば、蕾の記録をつけなくてはいけない……その記録を通して、先生は生徒の様子を観察し、また場合によっては『花憑き』の研究機関である『機会仕掛けの竜』も確認する。過去に何回か提出を怠ったことがあるものの、これが結構怒られるのだ。
「今日中に出すわ、だから待ってて」
「……あなたは嘘を吐かないから、待ちますよ」
ヴァネッサのその言い方に、あたしはつい吹き出してしまう。
「ヴァネッサってさぁ……ほーんと、真面目よねぇ」
「……クラス長ですから」
彼女は少しも笑わなかった。淡々とそう返して、背を向ければ次の仕事へ向かう。
そんな彼女へ向けるみんなの視線は、先程まで私に向けられていたものと、少し近いような気がした。
相手にすると面倒だから、疲れるから、距離を置いている。
――つまんないの。
あたしは微笑んでいた。そして記録ノートを取り出し、まさに宿題を忘れた生徒のようにせっせと取り組み始めた。
放課後までには終わらせる。ヴァネッサはああ言ってくれたのだから、待たせるわけにはいかなかった。
ヴァネッサは、つまんなくはなかったから。
――四年生の頃の思い出だ。日の光が眩しい朝だったものの、夜の余韻を残した冷たい風が蕾を撫でていったのを、憶えている。
ノートにペンを走らせる中、頭の中でヴァネッサを着せ替え人形にして遊んでいた。そう言えばさっきクラスメイトが持っていたチラシ……あたしには似合わない服だけど、ヴァネッサなら、ああいった服がきっと似合う。
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