蕾の花を売る花屋
* * *
その日、遅くなってしまったためにフーシアは帰ったものの、次の日にはまた店にやってきて、花の手入れを手伝ってくれた。商品であるものの、手入れを怠ってしまっていたのだ。一人では簡単には終わらない作業だったが、フーシアの手伝いもあって、夕方には、店はかつての鮮やかさを取り戻し始めていた。
フーシアはその後も店を手伝うようになった。花の世話の仕方を学んでいく。接客も行うこともあった。私はその分の給料を出そうと言ったものの「お花の世話の仕方を教えてもらっているわけだから」と、彼女は受け取らなかった。
だから私は、フーシアに蕾の花をあげるようになった。
蕾の花を包む時、彼女はとても嬉しそうに眺めていた。蕾の花を持ち帰って、家で何か言われないのか、と尋ねたこともあったが「家族にはばれないようにしている」と答えてくれた。
「お部屋にこっそり飾ってね。いつ花開くのかなって、眺めるのよ。寝る前にも見て、起きた時にも見るの。それで、そのときにぱっと咲いていると、すごく嬉しくなるの」
客のいない店内。彼女は窓に映った自分の姿を見つめる。手を伸ばしたのは、自分の蕾。薄いピンク色の蕾は、彼女に初めて出会ったときよりもはっきりと色付き、膨らみも大きくなっていた。纏う香りも、日に日に鮮烈になってきていた。
「その後、私も鏡の前に立ってね……自分の蕾がどうなっているのか見るの。普通のお花は『花憑き』の花に比べたら小さいけど、頭に持ってきたりして……咲いたらこんな風になるのかなって、考えるの」
そしてフーシアが店を手伝うようになって、一ヶ月が過ぎた頃だっただろうか。
いつも来ていたはずの彼女が、その日、来なかった。
代わりに手紙一通が、店に届けられた。フーシアの家の使いだと名乗る、身なりの良さそうな男が店に入ってきて、封筒を差し出してきた。
フーシアの開花と、葬式の報せだった。
その夜、私は店を早めに閉めた。報せにあった葬儀場へ向かう。
私はフーシアに会わなくてはいけなかった。
葬儀場には、想像していたよりも人がいた。フーシアに面識のある人間、というよりも、フーシアの家と関係のある人間達だろう、薄々感じてはいたが、やはり彼女は、いいところのお嬢様だったらしい。
「『白昼光』の店主さんですね」
泣きながら声をかけてきた女は、フーシアの母親だった。
「葬式にはあなたを呼んでって、遺言に書いてあったんです……きっと、すごくお世話になったのね」
こちらに、と、式場の奥へ案内される。周囲の人間の視線を、私は感じていた。
「あれは花屋の店主らしい」
「花屋ですって、ちょっと気味が悪いわ」
「呼んじゃっていいの?」
花屋だから。その店主だから。たったそれだけで、人々はざわめく。それほどに「花」というのは人々にとって悪しきものだった。
けれども、私とフーシアにとっては、もう意味の違うものだった。
――最奥の台座には、フーシアの遺影が置かれていた。
その前の鉢植えにあるのは、薄いピンク色の花。渦を巻くような花弁が解れて、優しく開いている。
慎ましやかに、しかし絢爛に、その花は咲いていた。
フーシアが咲いていた。香りにもはや懐かしさを覚える。
もう彼女は何も言わない。あんなにもお喋りだったのに。そして笑わない。それだけで、流れゆく時間を輝かせてくれたのに。
フーシアは花になってしまった。
――思い出したように、胸が何かに締め付けられる。喉の奥に、焼けるような傷みがあった。視界が歪む。
だが、フーシアは美しく可憐でありながらも、凛としてそこに佇んでいたのだ。
――私もいつかこんな風に咲けたのなら。
いまの彼女は、どんな花よりも、間違いなく美しかった。
だから、涙を流しながらも、私は笑顔を向けた。
「――綺麗に咲いたね」
* * *
「あの花屋らしいよ。いかれた店主がいるっていうのは」
午前の光の中、雑踏の中から声が聞こえる。
「気持ち悪いねぇ……」
「あの店に行くと、開花が早まるって話だよ」
「あんなの、ほったらかしにしていいわけ?」
ひそひそと話し合う人々からの視線を感じる。何も言わない人間からの視線も、私はひしひしと感じていた。
居心地はよくないものの、私は気にするそぶりを見せず、荷物を詰めた紙袋を抱えて歩き続ける。食材やほか生活に必要なものを詰めた紙袋は重く、歩いているうちにずり落ちてきてしまう。身体を弾ませるようにして抱え直す。と、頬に違和を感じた――どうやら今の弾みで、頬に貼っていた湿布が貼がれたらしい。
通りすがり、服屋のショーウィンドウで自分の顔を見れば、左頬には中途半端に湿布が貼り付いていた。見えた頬は濁ったような色を帯びて腫れている。痕になるだろうか、と思わず立ち止まると、ガラスの向こう、自分達を睨んでいると勘違いしたのだろう、服屋の人間達が店の奥へ引っ込んでいった。
随分と嫌われ者になった。
ようやく店に戻り、カウンターに荷物を置く。人の気配を感じて振り返れば、窓の外で、誰かが頭を引っ込めるのが見えた……見ているだけか、悪戯しようとしているのか。またガラスを割られるのだけは勘弁して欲しいと思う。
――フーシアの葬式での「失言」が、街中に広がってしまった。
花が咲いたら『花憑き』は死ぬ。そうであるのに、咲いた花を見て「綺麗だ」と褒める人間がどこにいる。もしも亡くなった『花憑き』の身内が聞いたのなら、殴りかかるほどの失言だろう。
実際に私はフーシアの母親に殴られ、式場を追い出された。
そして失言は噂となって街に広まり、今日に至る。
これまでにガラスを割られたり、妙な張り紙をされたりすることがあったが、私は気にせず店を続けていた。もとより花屋というのは、不吉がられるものであるから、心は慣れていた。
ただ困ったことに、やはり客足が減った気がする。無理もないかもしれない。
店を畳むつもりはないが、このままでは少し危ういかもしれない――そんなことを、ぼんやり思う。手はいつも通り、花の手入れをしていた。手入れをしなくては、花は美しさを保てないから。
花を愛した人がいた。だから、店を畳みたくはなかった。
――からん、とドアベルが鳴る。
久しぶりの客かと、私ははっとして顔を上げる。いや、また嫌がらせの類かもしれない――。
「……あの」
店に入ってきたのは、十代前半頃だろう、少女だった。ノーヴェ女学院の制服を着ている。
「……お花を、ください。綺麗なものを」
――彼女の頭には、黄色に色づき始めたばかりらしい、蕾があった。
「……黄色の花はこちらに。これはどうです? いい具合に枯れますよ」
すぐに私は彼女を黄色の花へ案内した。咲ききった一輪を勧める。
すると彼女は。
「……あの、ええと……もっと、その、瑞々しいのって……ありますか?」
自分の頭にある、まだ膨らみの足りない蕾に、触れる。
――その仕草は、ロジエやフーシアを思い出させた。
「いっ、祈りのためじゃなくて……観賞のための……が、欲しいんです」
彼女の裏返った声に、私は瞬きをしてしまう。聞き間違いではなかった。彼女は落ち着きなく瞳を震わせながら繰り返す。
「祈り、じゃなくて、眺めるための、お花がほしいんです……売って、もらえますか?」
「……どうして?」
「……こ、ここの店主さんは、咲いたお花を見て……綺麗って、言ったんですよ、ね? だから……えっと、その……」
彼女の言葉はひどくたどたどしく、普通の人間だったのなら、何を言いたいのか、わからなかったかもしれない。
けれども、私にはわかった。
「……君は、花が好き?」
「……」
青ざめていた彼女の顔が、不意に赤くなる。
確信した私は尋ねてみる。
「蕾の状態の花も、売れるけど?」
その瞬間、彼女は大きく目を見開いた。きらきらと輝いている。
――間もなくして、私は黄色の蕾の花一輪を、彼女に包んだ。
「きっと、綺麗に咲く花だよ」
人々は知らない。『花憑き』の花が何であるか。
それは彼女達の一部であること。だから愛する者達がいること。
「――ありがとうございます!」
花を愛する一人の少女は、大切そうにその蕾の花を抱きしめた。
――その日から、この店について、別の噂が流れ始めた。
花を愛する者はこの店に行け。きっと、願いを叶えてもらえるから。
【第二話 終】
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