余命◆日、開花まで◆日
* * *
夜が近付く中、私はただ静かに、身を縮めて歩いていた。
もうこの街に来てから五年。ここでの生活には慣れたはずだけども、今日の夜に染まりゆく空は、そして街の様子は、なんだか妙に思えた。いつも通りに見えて、そうではない気がしてしまう。居心地が悪い。
深く溜息を吐いて、ちらりと振り返る――ノーヴェ女学院は他の建物よりも大きいから、はっきりと見える。まるでついてきているみたいだ。
『ルビーさん、あなた、五年生になった自覚はあるんですか?』
先生の言葉を思い出し、また溜息が出てしまう。
ついに私は、五年生になってしまった。年齢も十五歳になり、もう子供とは言えない。
一年後には、この制服を脱がなくてはいけない。大人にならなくてはいけない。いつかこうなるとはわかっていたものの、いざそうなって自覚すると、居心地が悪くなる。ここは『花』の街ノーヴェなのに。
でも、大人になったとして、卒業したとして、その後。
頭の蕾に命を蝕まれる『花憑き』は。
「……みんな、花になるのに」
幸い、呟きは誰にも聞かれなかった。もし聞かれていたら、怒り出す人もいるかもしれなかった。不謹慎だ、と。
夕方はすっかり身を潜めてしまった。街は夜特有の活気を帯び始める。つと近くのカフェテラスを見れば、頭に桃色の蕾を持った女の人が働いていた。歳は間違いなく私より上。お客さんと話す様子は楽しそうに見えた。
――あの人は、ああいう仕事がしたかったのかな。
歳は二十歳前後。蕾もよく膨らんでいて、もうじき咲きそうに見える。
眩しいその色に、私はどこか、寒気を覚えた。
――花が咲くことなんて、考えなかったのかな。
もしかするとあの人は――明日、もういないかもしれない。
そんな風に思えて。
……『花憑き』にある時間は、運が良くない限り、二十五歳までが限界だと言われている。
『ルビーさん、あなたには、なりたいものや、やりたいことはないのですか?』
また先生の言葉を思い出してしまう。今日の個人面談。卒業を一年後に控えているのだ、先生に進路を聞かれてしまった。
私はうまく答えられなかった。それらしい「なりたいもの」や「やりたいこと」は特にない。
何故なら、私の頭には、血のように赤く色付いた蕾があるから。
何を目指したところで、長生きはできない。この蕾が開花した時、私は死ぬのだから。
……でも、それらしい進路を決めなくてはいけない。私は再び歩き出す。歩き続けなくてはいけない。
――ノーヴェ女学院は『花憑き』であれば無条件で入学を許可してくれる。将来のない『花憑き』だけど、その命を尊重しているためだ。そして『花憑き』が人々にできることをさせるためでもある。
『せめて、何かしらの社会貢献をしてほしいのですよ』
言葉を詰まらせたままの私に、先生はほかの『花憑き』の進路について話してくれたものの、私にはぴんとこなかった。人と関わる仕事、自分の限界に挑戦するような仕事、はたまた『花憑き』の治療研究のための貢献……どれもが違う。
『えっと……考えてきます』
私はそれだけしか答えられなかった。
寮を目指して歩く中、風が頭の蕾を撫でていく。開花するにはまだ膨らみが足りない、赤く染まった短命の象徴。死神とも呼ばれるそれ。
奇しくも、私の名前「ルビー」にあった色に染まった。
――それが、嬉しかった。
私が咲かせるのは、この深紅の花なのだと。
私はこの深紅の花になるのだと。
「――ああ、今日はどこの娘さんだい?」
進む中、声が聞こえてきた。漆黒の行列が見えてくる。迫る夜の闇に溶け込むかのような黒を纏った人々。街灯に照らされて、亡霊のように見える。
葬式だ。先頭を歩く中年の女が抱えているのは、喪の黒色を吹き飛ばすかのような、鮮やかな橙色の花の鉢植え。葬列の人々のことを知らない様子で、大輪を咲かせている。
『花憑き』の弔い。
しずしずと葬列が向かうのは、街の外。『花墓所庭園』。
『花憑き』が死に、残された花は、そこに植えられる。
「今日は、南の劇場で女優をしていた娘さんだって」
「十八歳だったそうよ……なんて短い命なんでしょう」
街の人々が、葬列を見守っていた。彼女のファンだったのだろう人々も、悲しみにくれていた。薄暗い中、涙が光る。
それでも、眩しいばかりの橙色を湛えた花は。大輪になった『彼女』は。
――どうしてか、皆に手を振っているように見えた。
舞台の上に立ち、スポットライトに照らされ、愛らしくも凛として。
あの人も、あの花畑に行く。美しい楽園へ行く。その一部になる。
――いいなぁ。
私は決して声に出さなかった。まだ蕾である自分の花に触れる。温かい。
私もいつか、美しく咲き誇ることができる。
――でも、と手を下ろす。
ずきり、と、眩しい橙色が胸に刺さる。
だってあの橙色の花を頭に戴いていた人は――いなくなったのだから。
『ねえルビー。見て。昨日よりも黄色になってると思わない?』
ルームメイトの顔が脳裏を過る。よく膨らんだ、黄色の蕾を戴いた彼女。
ベラ。この街に来たばかりの私に、手を差し伸べてくれた人。
――ベラは間違いなく、私より先に咲く。
あの花畑で、同じように開花を願った彼女は、もういつ咲いてもおかしくない状態だった。
咲いたらきっと綺麗なんだろうと、私は考える。微笑むベラに、黄色の大輪。きっと天使のようだと。
ところが、どうしてか、彼女の姿を思い浮かべると、胸の中で何かが渦巻く。
――そう願うことは、親友に「死んでほしい」と願っているのも同じことである気がして。
咲くことは素晴らしいことだと、あの出会いの時に、互いに口にしたはずだった。
いまでも私は、咲くことを楽しみにはしている。ベラの開花だって待ち遠しい。
きっと、美しい。そのはずだから。
でも。
無意識に、スカートの裾をぎゅっと握っていた。
――きっと先に咲くベラは、一人で先に、楽園に行ってしまう。
――私はまだ、咲けないのに。
――一緒に花畑の花になりたいのに、お別れをしなくてはいけない。
いつから、こんな不安が蔓のように巻きつき始めたのだろうか。
自分の蕾が色付いてからか、それともベラの蕾が大きくなり始めてからか。
――開花したのなら、ベラは、私のそばからいなくなってしまう。
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