第17話 職歴16社目(タクシードライバー(隔日勤務)(正社員)。勤務期間6か月)
次やる仕事はタクシーしかないと思っていた。前の貿易事務の会社で一緒に働いていたデブ先輩がコロナの影響で貿易事務の仕事には就けず、止む終えず今は倉庫で肉体労働をしている話を聞いていた。デブ先輩は36歳。彼より6歳年上の42歳の私が貿易事務の仕事を探した所で決まるわけないだろう。あっさり諦めた。かと言って営業の仕事は合わない。肉体労働もしたくない。雨に濡れる仕事はトラウマがあるから無理。そうなるとタクシーしか思い当たらなかった。
あるタクシー会社の求人を発見した。そこには、「楽に働いても年収500万円。ガッツリやれば600万円可能と記載されていた。これしかないと思った。昨年の年収が555万円だったので、この給与水準を落としたくなかった。
早速面接に呼ばれた。とても昭和チックなレトロな雰囲気の建物だった。専務取締役の優しそうなおじさん一名と面接を対面で行った。志望動機やら、何故タクシー業界に来ようと思ったのかを聞かれた。
「はじめはこれまでの経験を生かせる英語を使用した貿易事務のお仕事を探しておりましたが、このコロナ不況で求人自体がなく、貿易事務の仕事に就くことは諦めました。そこで何をしようか考えた所、御社の求人を拝見し、去年の年収のレベルを維持できそうな事。また車の運転が好きな事もあり、応募させて頂きました」と答えた。
面接が始まって10分後くらいに専務から「採用します」と言われた。
びっくりした。こんな早く内定が出るものなのか。タクシー人生が始まった。
私は隔日勤務として雇用された。隔日勤務とは一日で二日分を働いて、次の日は非番となる。それを3回繰り返し公休が一日ないし二日貰える。月に12乗務。朝は8時までに制服に着替え点呼と呼ばれるアルコールチェック、運行管理者との軽いミーティングをする。そして車の清掃、点検、メーターの数値を日報に書き写して8時30分ごろに出庫する。そして休憩は3時間与えられる。会社に帰庫するのは20時間後の翌朝の3時くらいの生活である。そこから着替えて始発を待って家に帰る。今思えばかなりハードな生活である。
私の家から会社までバイクと電車を使用して片道1時間45分はかかる。交通費は自己負担。年間40万円弱かかる。しかし、年収500万円稼げるなら、そのくらいの負担は痛くもかゆくもなかった。それにしても年季の入った事務所だ。
3階建ての建物で壁のあちらこちらにヒビやら青みのかかったコケが生えている。1階は整備工場。整備士は2名で行っている。その他に洗車場、駐車場、トイレ、喫煙所、休憩所がある。休憩室で入社初日はお弁当を食べたが、これまでの長年に渡り降り積もった埃、タバコの匂いなどが合わさったような悪臭が漂っていたので、これ以降この部屋に入る事はなくなった。
2階は営業所。運行管理者が何名もいて、お客様からの電話応対をしていた。タクシーに無線で配車をしていた。3階はロッカーと仮眠室がある。足を踏むたびに床がギシギシ鳴った。仮眠している人も、いちいちその音で目を覚まされる。仮眠室は硬そうな簡易ベッドが20台ほど敷き詰められていた。各ベッドの上には、誰が使ったか分からない掛け布団が無造作に置いてあった。病院だか刑務所だかにいるようだった。
タクシードライバーとしてお客様を乗せるためには、普通第二種運転免許を取得せねばならない。当然私は持っていない。私はタクシー会社の養成制度を利用して入社したので、自動車学校で普通第二種普通免許を取得する費用は会社が負担する事になっていた。もし会社を辞めてもこの費用は会社からは請求しないと専務と確認をしていたので安心をして入社をした。
20年前、学生の頃に普通第一種免許を取得して以来の自動車学校。学科の授業や運転の実技試験、仮免、卒検など、どれも懐かしいと思いながら順調に免許の方は取得できた。
問題なのは地理試験だ。私の営業所は関東の鶴目に所在していたので、縦浜地区、縦須賀地区、山崎地区の地理試験をタクシーセンターで受けて合格しなければならなかった。この試験が難関で何回も落ちる人がいる。私はタクシー会社から地理試験が難しいので入社した日にすでに問題集を渡されていて事前に勉強をしていた。私が試験を受けた日も受験生30人中、半分の人は不合格だった。私は見事一発で合格した。他の知らない者同士で合格した喜びを分かち合った。彼らは今でもタクシードライバーを続けているだろうか。
順調に地理試験に一発で合格して、第二種免許も取得し、晴れて先輩社員による同乗研修に進んだ。近くの道路、代表的な幹線道路、国道、主にお客様を乗せる事になる駅での待機ルール、交通ルール、待機場、地名、よくお客様が降りるマンション名や、施設の場所などを自分が運転しながら教えてくれる。助手席には先輩社員が乗り、私の運転テクニックを見られる。
同期がいた。自分より10歳若い男性の本並さん。彼とは同乗研修の初日が一緒になった。しかし朝、出社してこない。そして、やっと現れた。顔が青ざめていて死にそうな顔をしている。「緊張してお腹を壊して下痢とゲロをしてました。すみませんが、仮眠室で寝てていいですか?」と言って、彼は一日そこで休んだ。
その後も彼はよく体調不良で休むようになり、間もなくして辞めた。後で聞いた話では、現在は都内で立派にタクシードライバーとして働いているらしい。
その後にまた新人が入ってきた。私より5歳若い男性の中田さん。結婚して子供が3人いる。彼は前職がラーメン屋さんで働いていたので、ラーメン好きの私とすぐに意気投合した。
彼が運転する車に私も乗り込み一緒に同乗研修を受けて、ある時、羽生田空港に行った。久々に間近で見る飛行機に私は高揚した。仕事をしながら観光気分を味わえる。少し楽しくなった。同乗研修は10日間。1日1万円の日当が出る。その後は先輩同乗のもと、実際にお客様を乗せる研修が待っている。これが3日間くらい。先輩が助手席に座り指導をする。時にはフォローをしてくれる。まずは、先輩社員の見本を見て感じをつかむ。先輩社員は鶴目駅の西口のタクシーロータリーに入った。自分達の順番を待つ。だんだんと自分たちの番が近づいてくる。私は自分が運転をしていないのにドキドキした。そしてついに自分たちの番。50代くらいの主婦らしき女性が乗り込んだ。買い物帰りだろうか。手には荷物をたくさん抱えていた。アンクシャスマンションまでと行き先を言った。全く聞いた事のないマンション名だ。どこにそんなマンションがあるんだと思った。
その瞬間、先輩社員が変わった。
「ご乗車ありがとうございます!アンクシャスマンションですね!かしこまりました!」と一気にテンションが変わり、道に迷うことなく目的地に一直線で辿り着きお客様を降ろした。
私は凄いと思った。プロだと感じた。
午後からはいよいよ私の出番である。土地勘の全くない所で、全く分からない目的地を言われるに違いない。これほどの不安はない。
私は研修の時の比較的何度も通っていて少し道に慣れていた鶴目駅の東口ロータリーからお客様を乗せることに決めた。緊張した。どんな人が乗ってくるのだろう。どんな目的地を指定してくるのだろう。そんな事を考えながら、一台一台前のタクシーが何処かに消えていく。自分の番が刻一刻と近づいてくる。そして先頭のタクシーが出ていき、とうとう自分の番になった。ちらちら行き交う人を見る。誰だ?私の車に乗ってくるのは。そして駅の方からゆっくりとこちらに向かってくる1人の女性がいた。60代くらいか。確実にタクシーに乗ろうとしているのが分かった。そして私のタクシーの前で止まった。私は運転席の足元にあるお客様ドアの開閉レバーを操作してドアを開けた。
「こんにちは!ご乗車ありがとうございます!」と力強く声を張った。「どちらまで行かれますか?」と聞いたが、全く聞いたことのないマンション名を言われた。私はフリーズした。先輩社員に目で助けを求めた。先輩はすかさず助けてくれた。
「申し訳ありません。研修中なもので。その場所でしたら私が分かりますのでお任せください」と助けてくれた。
私は急いで車を発進させ、あとは先輩の言われるままに車を動かした。
「そこ右。次の信号を左。しばらく直進。坂を上りきった所の正面のマンションまで行って」というふうに。とにかく私の頭の中は真っ白だった。ワイシャツは汗でビショビショだった。
初日でうまくいくはずがない。テンパるのは当然なのだ。それは同じ経験をしてきた先輩社員もよく知っていた。落ち込んだ様子の私を見て先輩社員は励ましてくれた。
「お客様が道を教えてくれるから焦らなくていいんだよ。自然に道も覚えてくるようになるから」。
とうとう独り立ちする日がやってきた。私は出庫する前に、自分の車の前で中田さんに写真を撮ってもらった。
通常お客様を乗せての添乗研修は3日くらいだが、私は自信がなかったので10日間に延ばしてもらっていた。
最初は独り立ちと言っても昼間勤務のみである。そしてだんだん慣れしていき、夜の勤務もやるようになる。隔日勤務の初日は長かった。休憩3時間あるが、立体駐車場で運転席をリクライニングさせ熟睡していたのを覚えている。朝、日が昇る頃に勤務を終えて始発で帰るのだが、降りる駅を何度も寝過ごした。家に帰って寝ても疲れが取れなかった。
独り立ちして1か月ぐらいすると、だんだんとペースをつかめるようになり道にも慣れてきた。お客様にも慣れる事が出来た。車内で談笑する余裕も出てきた。自分の中で稼げる道とかお客様が手を上げる通りや、配車が着やすい場所なども分かるようになってきた。
私は営業所を朝出庫すると、まずゴマ通りに入る。まっすぐ向かうと鉄橋が見えてくる。その手前で右に曲がると、中出し通りに入る。そこをまっすぐ行くと、本番通りにぶつかる。ここで配車を受けたり、駅に向かう人や病院に行く人がよく手を上げてくれた。
同じお客様を2回乗せたこともある。その方は足が不自由で車椅子だった。車椅子から降りて車にゆっくり乗りこみ、私が車椅子をトランクに入れるが、大きくてはみ出してしまう。ゴム紐をトランクに引っ掛けて車椅子が落ちないようにガードするが、トランクの蓋が開いたままガタガタ音を立てながら走っていた。落ちないか不安になりチラチラバックミラーを見て運転したものだ。
お昼までは鶴目駅東口につけビジネスマン客を狙う。近くのコンテナふ頭まで行ってくれると3000円コースだ。これは美味しかった。そのあとの売り上げが楽になる。一日40000円の売り上げを超えると、自分への配当のパーセンテージが変わる。ノルマはないが、みんなこの4万円を超えることが一つのステータスとなっていた。
お昼の時間は病院が休みという事もあり、駅で待っていても流れなくなるので昼食を取っていた。大体、立体駐車場のあるスーパーに行くことが多かった。1日20時間勤務で運転をする。体力温存のため昼寝をしていた。昼寝から起きると午後は西口を攻めていた。
我々の会社しか入れない病院があった。そこは2台まで待機することが許される。そこで待機していればすぐに配車や病院から帰るお客様が乗られるので売り上げアップには必須の待機場であった。そこを狙って向かうのだが、当然他のドライバーも同じ事を考える。待機場で待っている車が1台だから入れると思って向かうが、その途中で別の車が入り満杯になり、せっかく病院まで来たのに引き返す事になる事もしばしばだった。これが時間の無駄だった。だったら駅で待っていた方が確実にお客様を乗せる事が出来た。そこで、病院に着いて満杯になってしまった時は、病院の近くの施設の駐車場で待機して待つ事にした。
言わば待機場に入るための待機場である。しかし、これもまた先輩ドライバーもすでに知っていて、この施設の待機場でも他のドライバーに遭遇する事がしばしばあった。そうすると先に入って待っていた先輩を先に行かせないといけない。お客様をなかなか乗せられない事に苛立つようになっていった。お客様を乗せられないという事は売上が上がらない。それは自分の給料にも直結する問題だ。私はだんだんと他のドライバーが憎くなってきた。
そして誰よりも早く待機場に着きたいと思うようになり、車の運転も荒くなっていった。
配車アプリも同じである。
配車アプリで依頼が来ても、私の車より先にお客様の近くを通る車がいれば、お客様は私への依頼をキャンセルして、別の近くの車に乗ってしまう。私はそれが怖かったので、キャンセルされないように、猛スピードでお客様が待っている場所まで向かったし、無理な所でUターンしたり、スピード超過など危ない運転をするようになっていった。
そんなある日事故を起こした。物損事故である。幸い自分を含めて怪我人はいなかった。
この日も配車アプリでお客様から呼ばれキャンセルされないように焦ってお客様が待っている場所まで急行していた。夜の暗い道だった。普段誰も通らない狭い道に入ろうと左折した時だった。車の左側面を角に立っていたポールにぶつけてしまい、ドアを凹ませてしまった。私は気づいた。やばいと思った。しかし、ここで帰るとまた売り上げが減ると思った。知らん顔をして誰もこの傷に気付かないことを祈ってそのまま勤務を続けた。しかし、明るい所で改めて車を見ると明らかに凹んでいる。これはバレる。事後報告では怒られると思った。私は営業を切り上げて営業所に戻り経緯を話した。運行管理者にめちゃくちゃ怒られた。事故を起こした事はしょうがないと。問題なのは事故を起こしてそのままその後お客様を乗せた事は、つまり事故車でお客様を乗せた事になる。また、ポールの持ち主からしてみれば当て逃げ犯人になる可能性がある。本当なら警察を呼び実況見分をしないといけない。
始末書と事故報告書を書いた。その日の乗務は切り上げて帰った。
先輩ドライバーの中に苦手な人がいた。毎日こちらに近寄ってきては「今日はいくら売り上げてきたの~?」と聞いてくる。
私が「3万円です」と答えると、
「そんな売り上げじゃどうするの~?生活できないじゃん。おれみたいに6万円は稼がないと」という風にいつも自分の売り上げをひけらかすのだった。彼の風貌から私と同期の中田さんは彼の事を宇宙人と呼んでいた。
私が事故を起こした後も宇宙人は嫌味を言ってくる。
「今日の売り上げは~?今日は事故ってないの~?」と言ってくる。
同期の中田さんは本当にありがたい存在だった。
お互いの連絡先を交換して、ちょくちょくお互いの状況を報告し合っていた。
「今、西口ですけど全く流れていないですよ」とか。
「今、東口は車5台しかいません。今がチャンスですよ」とか。
お互いの売り上げが上がるように協力し合っていた。仕事が終われば二人で仕事終わりの缶コーヒーを飲んでその日に乗せたお客さんの話をして盛り上がった。
中田さんはまだ35歳で若く、童顔だからもっと実年齢より若く見える。イケメンだし、可愛いというタイプで人懐っこい。年配の女性から好かれるタイプだった。
中田さんは接客好きで、初対面なのに仲良くなってお客さんからよくレストランに食事を誘われていた。「今日は焼肉をごちそうになりましたよ」とか。時には「お客さんがお家に上がっていって、食事でもしていきなさいと言われましたけど、さすがにそれは断りましたね。やっぱり家だと怖いじゃないですか」と言っていた。
私はと言うと、深夜は隣町の山崎で酔っ払い客を乗せて稼いでいたので
「今日は車の中で若い男性に吐かれましたよ」とか、「酔っ払いを乗せて目的地に着いたらお客さんがお金を持っていないと言うので、奥さんを呼んだけど、奥さんも一切お金を持っていなくて、結局警察を呼んだんですけど、警察もお金の交渉は当人同士の話し合いになるという事で介入できないと言われて大変でしたよ。結局、会社に後日振り込んでもらう事で約束をしてくれたんですけどね」という話をした。
雨の日は一段とお客さんから手が上がったり、配車アプリが鳴りやまない。
そんな時はお客さん同士でのタクシー争奪戦になる。雨の中、なかなか捕まらないタクシーにやっと乗れたお客さんは天国だ。それゆえ変な行動をするお客さんに遭遇した。
ある日、大雨の中、配車アプリで山崎の古川通りで若い男性客を乗せた。
彼は突然私に言った。「運転手さん。1から23の中で好きな数字を言って下さい」。
えっ?と思った私は「何ですかそれは」と聞いた。
「明日ギャンブルに行くので運転手さんが選んだ数字でギャンブルをしようと思っているんです」と言った。
私は適当に数字を言い、「当たるといいですね」と言った。
彼のギャンブルはどうだっただろうか。
私は新人という事もあり、よくお客さんからチップを貰っていた。
お客様がおばあちゃんの場合、私が新人なんですと言うとかなりの確率でチップを貰えていた。この国にはチップという慣習があるのだと知った。
得をすれば損をすることもある。
鶴目駅から乗せた若い女性。山崎の奥の方の区まで行ってくださいという。全く土地勘のない私は会社から支給されていた携帯のナビで向かったが、操作に慣れておらず道に迷ってしまった。しかも全く反対方向に行ってしまい大きく遠回りをしてしまった。なんとか目的地にたどり着いたが、メーターの数字は10000円になっていた。やばいと思った。
女性は怒ってはいないが、表情を変えずに「普段なら5000円で済むんですけど」と言った。このままではクレームになると思った。タクシー運転手にとってクレームがセンターの方にまで行けば呼び出しを喰らい、営業ができなくなる恐れがあった。それは避けないといけない。私はお客様から5000円を受け取り、残りの5000円は自腹を切った。
鶴目の、とある銭湯から配車依頼が入った。向かうと男性客が乗り込んだ。山崎駅の西口までと言われた。私は「ここから山崎駅に言った事がないので案内をして頂けませんか?」と確認を取ったが、男性客は「運転手さんの実力を見たいので運転手さんの好きな道で行ってくれ」と言い、腕組みをして静かに目を閉じた。私はナビを使って目的地に着き「2500円になります」と言った。
男性客は静かに目を開け、「普段なら1500円で着きますよ。あの場所からなら。こんな遠回りの生き方をしたら2500円くらいになるでしょうね。2500円は払えませんな」と言い、1500円を置いて出て行った。これがタクシーの世界なのかと思った。
駅では暇な時間帯がある。お昼前後だ。タクシーの台数も20台を越えて、お客さんの流れが止まる時間帯がある。50分くらい待ってやっと乗せたお客さんが近くで降りてワンメーターの500円だった時は凄く凹んだ。
駅で毎日のように見かける個人タクシードライバーがいた。ある日、その個人タクシーの車に一般車がぶつかりそうになった。個人タクシーの運転手は一般車のドライバーに向かって「ふざけるなー!」と激しく怒鳴っていた。その時は一般の車に対してそんなに怒らなくてもいいじゃないかと思っていたが、事故を起こした後の今なら彼の気持ちが分かる。
もし一般車と接触でもしたら、警察を呼ぶことになり大変な時間のロスになる。違反で点数も減るし罰金も取られる。その後、事故報告書を作成せねばならない。色々時間を取られ、その間の売り上げが吹っ飛ぶ。何も生まない、ただの無駄な時間が過ぎるだけだ。
運行管理者にも迷惑がかかる。だから運行管理者には毎日のように言われていた。
「売り上げの事よりも、大事なのは事故なく無事に安全に戻ってくることです」と。
忘れられないお客さんがいる。夜遅い時間、22時くらいだったか。配車依頼を受けた。
鶴目のとあるマンションの前でお客さんが乗ってくるのを待っていた。
マンションから30代くらいの男女がこちらに向かってきた。車に乗り込む前に外で抱き合ってキスをし始めた。「何をいちゃついてるんだ」と思った。
女性だけが乗り込んできた。見ると目が真っ赤だ。今にも泣きそうな声で
「運転手さん、関東労働病院まで言って下さい。なるべく急いで行ってください!父が危篤なんです!」と泣き叫ぶような声で言った。私はようやく状況を把握した。
その病院は初めて行くのでナビを使って向かった。到着までおよそ20分と出た。
ナビを頼りに全速力で走った。制限速度も無視して無我夢中で走った。早く到着せねば。
なんとか間に合ってくれ。途中で止められてしまう赤信号が憎かった。病院に到着する10分前ぐらいに、彼女の携帯が鳴った。お父様が亡くなったとの事。彼女の電話の声で様子を察した。
そして彼女は大泣きをした。しばらく一人で泣いていた。私はかける言葉がなかったが、
「申し訳ありません。もっと早く着いていれば・・。私も悔しいです」と伝えた。
彼女は涙を拭って、
「いえ。運転手さんは悪くないです。逆に無理して急いで向かって頂いてありがとうございました。もう大丈夫です。ゆっくり焦らず安全に向かってください」と言った。
病院に着き、彼女はタクシーを降りると急いで病室に向かって走りだした。
彼女の後姿を今でも覚えている。
ある日、会社からの配車を受けた。あるマンションまで行った。女性が乗り込んできた。細身の感じの良い女性。気さくに色々話しかけてきてくれた。とても良い雰囲気だった。女性が突然言った。「運転手さん。私の専属ドライバーになってくれませんか?」。
私はそんな話があるのかとびっくりした。
女性が続けた。「私、生米のマンションから縦浜まで仕事で週3回仕事でタクシーを使ってるんです。最近まで御社の先輩ドライバーさんに専属ドライバーをして頂いていたんですけど、お辞めになられたので、代わりの人を探していたんです」。
「新人の私でもいいんですか?」と聞いた。
「もちろんです。感じもいいですし、運転手さんさえ良ければぜひ」と笑った。
「ありがとうございます。ではやらせて頂きます」。
女性も「ありがとうございます。では連絡先を交換しましょう」と言われた。
連絡先を交換して、携帯で撮っていた私の出番表の写真も彼女に送った。
女性は「ではまたご連絡しますね」と言って、目的地で降りた。
私は一日考えた。彼女が乗る区間は大体6キロぐらい。タクシー料金は最初の1.2キロはワンメーターの500円。せいぜい3200円ぐらいだろう。私の勤務は隔日勤務。一日働いて一日休む勤務体系がずっと続いていく。毎週出番の日と非番の日が変わる。彼女がタクシーを使う日に必ず勤務するかも分からない。専属ドライバーになったら毎日彼女のスケジュールの事を考えなくてはならない。たった3200円の為に。なんか、だんだん面倒くさくなってきた。
結局、私は彼女にメールをいれて、お断りをした。
私は未経験で入社したので、独り立ちしてから最初の4か月は売上に関係なく月給25万円が保証されていた。しかし、独り立ちして一か月が過ぎた頃には自信がついてきた。さらに周りの稼いでいる先輩の影響もあり、もっと稼ぎたいと思った。そして目標を定めた。
月12勤務のうち、平日は5万円。飲み客が多くて稼げる週末は7万円以上。そうすれば賞与も含めて年収500万円くらいにはいくはずだ。そのためには、先輩から教えてもらったように休憩3時間を取らずに勤務時間に充てるようにして、駅などの待機場でお客さんを待っている時にささっとおにぎりなどを食べて時間のロスを無くす作戦に出た。
それ以来、私の運転は荒くなった。アプリや会社からの配車依頼が来れば、普通の広くない道でも急転回して、キャンセルされないように急いでお客さんが待っている場所まで駆けつけたし、スピード違反も普通にしていたし、無理して狭い道を通ってショートカットもしていた。
そうすると標識も見逃す事になる。ある踏切は、時間指定の進入禁止の標識が掲げられていたにも関わらず、見逃した。近くにはパトカーが違反者はいないか隠れて見張られていた。
私はまんまと進入してしまった。違反切符を切られ、点数の減点と反則金を支払うことになった。これは個人負担である。運転手の責任なので会社には関係ない。会社に帰庫して違反した事を報告したが、会社にとっては対岸の火事なので何も言われなかった。
そんな真夏のある日。お昼ごろには外気温35度くらいになっていた。
タクシーの異変に気付いた。エアコンを冷房にして送風を全開にしているのに車内が冷えていない事に気付いた。おかしいなと思ったがその日はそのまま勤務して帰った。
次の出番の日。気温が上がる正午くらいに、また車内が冷えていない事に気付いた。しかも
エアコンの送風口に手を当てると熱風が出ていた。焦った。このままの状態でお客さんを乗せたら、暑くて乗車拒否される。その時、配車アプリが鳴った。これは依頼を受けるしかない。この日売り上げが調子悪かったので挽回したかったし、焦っていた。お客様がいるところに向かうと、強面のビジネスマンがスーツケースを持って立っていた。目的地は、縦浜駅だった。そこまでの距離だと6000円はいくだろうと計算した。私は心の中でガッツポーズをした。今日の売り上げ不振を挽回できるチャンスだ!
走り出してすぐにビジネスマンが私に向かって不機嫌そうな顔で「運転手さん、この車暑くない?冷房入れてよ」と言った。やばいと思った。
「申し訳ありません。冷房は入れていますが、壊れているみたいでこれが限界なんです」と謝った。
ビジネスマンは「もういいわ。ここで降ろして」と言われた。ビジネスマンは800円を払って途中の駅で降りた。乗車拒否されてしまった。私はせっかく6000円稼げるはずだったのにと、悔しさと怒りがこみ上げてきた。タクシーの隔日勤務には相番がいる。自分が非番の時に乗っている運転手の事だ。私の怒りはその相番に向かった。村田さんという人だ。連絡先は交換していた。彼に連絡をした。「村田さん。この車冷房おかしくありませんか。どうして気付きながら運転していたんですか?」と口調に怒りを込めた。
村田さんは「エンジンを切って少し待つと冷房は効いてきますよ」と言った。
私はそれを聞いてさらにイライラした。エンジンを切ったり入れたりして、冷房が効くのをその都度待つなんて、そんな時間のロスになるような事をしてバカじゃないのかと思った。
次の出番の日。またエアコンから熱風が出た。さらにドライブレコーダーのSDカードが不具合を起こし変な音が鳴っていた。「このボロ車!」と車内で大声を上げた。完全に切れた。同じ事が3回も立て続けに起こる。慌てて車内の整備工場に修理依頼を提出して症状を見てもらった。
工場長からは「すぐに直るよ」と言われ安心した。
次の出番の日。もう車は直っているから今日は安心して運転ができると意気揚々としていた。しかし、またエアコンから熱風が出た。完全に切れた。こちらは売上を上げるために必死で休憩時間を削りながらやっているのに。わざわざ営業所に戻って車を見てもらう時間のロスにイライラした。私の怒りの矛先は運行管理者に変わった。
「この車見てくださいよ!この真夏にエアコンから熱風が出るんですよ!どうなっているんですか!」と怒りをぶつけた。
運行管理者は言った。「車の修理は整備士に言ってくれ!私は関係ない」と言った。
私は彼の言動にさらに切れた。「運行管理者だって確認する必要はあるでしょ!早くエアコンから熱風が出てくるのを確認してください!」と言っても彼は中々応じない。
彼も怒り出した。「だからそういうのは整備士に言え!分かったか!」と叫んだ。
目には目を歯には歯をで、私は怒りながらも言葉遣いには気を付けていたつもりだったが、とうとう切れた。「早くしろ!てめえの目で確認しろ!こっちに来い。車に乗れ!」と命令口調で言った。
彼は渋々やってきて、車の運転席に座りエアコンの不調を体感した。そして事態の異常さに気付き、落ち着きを取り戻して私に言った。「佐々木くん。これはひどいね。佐々木君が怒るのも分かるよ。これでは熱中症になっちゃうよ。お客さんからも乗車拒否されるよね」とやっと分かってくれた。
私はこの日、やる気が失せ、運行管理者に帰りますと言った。
去り際、「こんな車に乗せ続けるなら辞めますよ」と伝えた。
後日、所長と二人きりで話をした。所長からは「悪かった」と謝罪された。2週間後には良車に変えてあげるからそれまでは代車で我慢してくれと言われた。しぶしぶ納得した。
次の出番の日。用意された代車を見て愕然とした。さらに古くて、しかも車内の決済パネルが壊れていてすぐに取替が必要だった。すぐに修理をしてもらい出庫時間が1時間30分遅れた。この間の売り上げがロスになった。私は誠意がないと完全に頭にきた。そのまま事務所の階段を駆け上り、専務に向かい「退職します」と伝えた。タクシー人生のあっけない幕切れとなった。
後日、所長と部長に退職の手続きで話し合いをした。
彼らは自動車教習所の費用と法令試験、地理試験などの研修費用を私に返金してもらいたいと言ったが、私は面接の時にも、退職願いを専務に提出した時も、専務からはそれらの費用は請求しませんと確認していた事を伝えたので、彼らは何も言えなくなり黙ったが、私に怒りをぶつけ始めた。私が失敗したのは、彼らに次は地元でタクシーをやると言ってしまった事だ。私は地元でタクシーをやる事が決まっていた。地元なら家から営業所までわずか15分で通えるし、グレードが高い車にも乗せてあげると言われていたからだ。
いつもは穏やかな次期社長の御曹司である部長が言う。
「辞めるのが早すぎますよ。これだけ費用をかけてすぐに辞められて、しかも次は別のタクシー会社で働くなんて、我々からしてみればその費用を出してあげただけの存在じゃないですか!」。
結果的に見ればそうかもしれないが、オンボロの車を立て続けに乗せてきた会社側にも問題があるだろうと思ったが、それは口にはしなかった。
「申し訳ありません」と心にない言葉を言った。
彼らは最後にこう言った。「申し訳ない気持があるなら、少しでもいいのでお金を払う気持ちはありますか」と聞いてきた。
「はっ?」と思った。教習所費用と研修費用は払わなくていいはずなのに、なんのお金を払う必要があるのだと。
「なんのお金ですか?なんでお金を払わないといけないんですか?」と改めて確認した。
「だから、会社を早期に辞めて申し訳ないと思うなら、少しでもその誠意をお金で表すことができませんかという事です」。
私はきっぱり断った。「私はお金を払う必要はないと思っています。ただ早期に辞めてしまった事に対して申し訳ない気持はあります。そのお詫びとして、こうやって菓子折りを持って参りました。これが私からの気持ちです」と言って、菓子折りを渡した。
彼らは菓子折りを受け取らなかった。私は菓子折りを手に取り強引に部長に渡した。
そしてそのまま事務所を出て駅に向かって帰ろうとした。
電車に乗って縦浜まで行ってラーメンを食べて帰ろうと思った。
その時、ある事をひらめいた。「しょうがない」と口にして事務所に引き返した。
部長に向かって伝えた。「部長。電車で縦浜まで行こうと思いましたが、ここからタクシーに乗りますよ。5000円はいきますよね?それがお詫びの印でいいですか?」と聞くと、
部長は急に笑顔になり、運行管理者に向かって「タクシー1台、すぐに手配をお願いします。良車を用意して」と、ご機嫌になった。
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