第14話 職歴13社目(薬事業務。医療専門商社。勤務期間2年6か月)
私はパワハラと自傷行為の傷が癒えぬまま、すぐに転職活動をした。両親から借りたお金を返さないといけないプレッシャー。借用書をリビングの目立つ所に貼っていた。私の心配をよそに、次々に子供たちの幼児教育にお金をかける妻の方針に勝てず、子供たちの習い事も増えていた。お金が毎月ごっそり口座から引かれる。恐怖だった。精神科は、自傷行為をした事によって、薬を強めに処方するようになった。とにかく働くしかなかったのだ。前に進むしかない。そんな中、私の英語力が買われて、人間の体のある部分に特化した医療業界の薬事業務を行う職種で採用された。面接の際に重視したのは、直属の上司と役員の人柄である。一次面接の際に、薬事業務を一緒にやる事になり上司で先輩になる予定のおじさんと面接で顔を合わした。とても人柄がよく、怖そうな雰囲気もなかった。最終面接でも、役員と社長の3名の面接官と話したが、みんな気さくで、ここなら怖い思いをしなくて済むと感じた。総務の課長も明るくて優しそうな感じを受けた。入社すると、びっくりするぐらい、放置された。仕事がない。とにかく本を読んだりして業界の知識を身につけてとだけ言われた。一日中自分の席で専門書とにらめっこをした。同じ部署の人も不思議なくらい私に介入しない。一日、一日、これでいいのかと思うぐらい、何も起きない。薬事業務というのは、新製品や、既存の医療機器の仕様を変更する時に発生する業務である。ちょうど私が入った頃は新製品がなく、認証品の一部変更手続きの業務もなかったので、やる事がなかったのである。暇なときは本当に暇な部署である。はじめに任されたのはカタログ製作である。まだ、締め切りまで時間があるから、急がなくていいと前置きをされ、時間がある時にやってと言われた。私は何もすることがないし、しゃかりきに急いでカタログ製作をやった。早ければ早いほど褒められると思った。そして提出をした。そうしたら、なんでこんな早く終わらせるのだと注意を受けた。しかも、機械を実際に触らないで英語版のカタログをただ訳しても意味がないだろうと言われた。内容に対しても、もっと戦略的に、顧客に訴えかけるような表現にアレンジしないとダメと言われ、凹んだ。全く前職とは違う社風なのだと気づいた。前職は、沢山積まれた書類をとにかく急いで捌いていた。しかし、この会社では、時間をかけて仕事を考え、熟成させてから練りに練ってさらに考えて細心の注意を払って間違いのないように行わなければならない。私にはその注意力が欠けていた。
暫く経って、ようやく本業の薬事業務をやる事になった。新製品の認証申請業務である。
もちろん、初めてだから、先輩のおじさんの補佐という立場である。業務を分担してその先輩に聞いて確認をしながらやるようにと言われた。
まず、海外メーカーから提供された製品情報が入っているフォルダーのデータ量に言葉を失った。海外の文献やら、論文やら、カタログやら取説やら、マーケティング資料やら、安全情報、FDA,ISO関係や、営業向け書類やら膨大な英語のデータが入っている。先輩は、全てに目を通していた。それらの情報を読み解いて、日本の厚生労働省の認証機関に新規の申請をしていく書類を作成していく。そして、申請書類を提出したら認証機関から照会事項が送られてきて、一つ一つ難解な質問に対して答えを探す。もちろん、資料の中に答えが記載されている事もあれば、海外メーカーに問い合わせて確認する場合もある。先輩の仕事ぶりを見て、このレベルには絶対いけないと確信した。年数が経てばこのレベルに行けるとかの次元じゃない。私の許容範囲を完全に超えている仕事内容だ。なぜこの仕事を未経験の私ができると判断して採用されたのか分からなかった。英語力だけでなんとかなるレベルの仕事ではないと思った。私は気分が悪くなり、毎日精神安定剤と頓服薬を多めに飲んで、心を落ち着かせてから会社のビルのエレベーターに乗り出社した。この会社に入ってから、精神科の薬を飲む量が増えていった。飲む薬の量が増えてそれに慣れてくると薬が効かなくなる。だから、また薬の強さを上げる。そうしてしばらくしてまた免疫ができて、薬の量や強さを増やしていく。そんな事を繰り返していた。入社して数か月が経った2月頃だった。私の仕事ぶりをそれまで静かに見守っていた部長兼社長からお呼びがかかった。応接室に呼ばれて、印刷した紙をたくさん持っている。それらを私の前に広げて見せられた。
「これらに見覚えがありますか」と聞かれた。自分が書いたメールの文章だった。社長は、一件一件、ここが悪いだの、こうすべきだのと、事細かく私に説明して怒りを露わにした。穏やかで優しいと思っていた社長が急に怒り出したので、その激変に一瞬、頭の中の整理ができなかった。私の中でそんなに大した事ではないように感じていたからである。怒られた内容も、メールで送る時の添付するデータ量は、5MBを超えないようにとか、文章で状況説明が抜けているだとか、この文章を急に送り付けたら相手はどう思うだろうだとか。気遣いの部分なのだが、私の中ではそんなに血相変えて怒られる事ではないと思っていた。しかし、この時の社長の変貌ぶりにショックを受けた。これ以降メール一つ送るのも恐怖に感じて、また怒られるかもしれないと思い、ある日会社に行けなくなってしまった。しかし、この会社を最後の転職先にしようと考えていたし、給料も高かった事から、なんとか辞めないようにしたいと考えた。辞めるという雑念を消し去りたかった。そこで、自分を見つめてみようと、真冬の2月にお寺に行き、滝行をした。水温10℃。行衣を一枚羽織り、滝に打たれながら言葉を念じて10秒間我慢しなくてはならないのだが、3秒しか持たない。水温10℃の川に入り、勢いよく流れている滝の中に入るが、寒さと痛さで声が出ない。息ができない。苦しい。3秒でギブアップした。二度とやりたくないと痛感した。この修行を常にやられている僧侶の方は凄いと思ったし、この修行に比べれば、会社に言った方がまだましだろうと自分に言い聞かせ、この時は何とか持ちこたえられた。それから1年が過ぎた頃、初めて年収が500万円を超えた。私は嬉しかった。しかし、この嬉しさを妻と一緒に味わおうという気持ちにはなれなかった。
私は、その日の業務終了後、一人でフグ料理店に行って人生で初めて食べるフグ料理のフルコースに舌鼓を打った。一人孤独に、それまでの1年半にあった出来事を振り返り、自分で自分を慰めた。
過去の会社での輸入業務経験を買われ、ある海外メーカーの担当になった。その会社の商品について発注から、輸入書類の確認、通関依頼、保険付保、仕入れ業務、入荷作業、納期管理を任された。その業務をやっていたのは、面接の時に面接官で総務の課長をしていたおじさんである。その人から業務を引き継ぐことになった。優しそうだと思っていたが、私が聞いてばかりいると、呼ばれて、「あなたは、もっと自分で考えるようにしないと」と怖い表情で耳打ちされた。また、前職の小川部長のトラウマが蘇り、人は怖いと思った。頭の中がパニックになった。私は、自分で考えたが、どうしても分からないから聞いたのに、それで自分で考えろと言われるのが一番ストレスを感じる。どうしたらよいかパニックになる。
これ以降、この総務課長は私の中で一目置く存在になった。遠くからチラチラ監視するようになった。今、どんな機嫌か。そればっかり考えるようになった。彼から仕事の件で何か呼ばれるたびにビクッとした。何を言われるのだろうと体が委縮した。
私は悩んだ。怖い人がいると心がその人を拒否する。そっぽを向く。そして、その人の言っている事が頭に入ってこなくなる。コミュニケーションが出来なくなる。だからまた怒られる。私は、この頃、前職でパワハラを受けた上司の小川部長にメールをしている。そしてこうお願いした。「お久しぶりです。私は新しい会社で働いていますが、この会社でも怒られています。怖い人がいてあなたから受けたパワハラのトラウマが蘇り恐怖に怯えています。
私にも悪い点があったから怒られたのだと思います。どうしてあなたは私にあそこまで叱責したのでしょうか。私の何がいけなかったのでしょうか。それを知れば今後怒られる事もなくなるのではと思っています。教えてください」と送った。しかし、彼女からはつれない返事だった。「精神科に行ってください」とだけ返信された。妻に相談すると、「普通の人では考えられない行動を気付かないうちにしている」と言われ、認知の歪みがあると指摘された。だが、妻は、私にそう指摘すると私が怒り出すのが怖くて話し合おうとはしなくなっていた。妻とはいつしか、普通になんでも話し合える関係ではなくなっていた。ただ、喧嘩をしないように、事務的な事を報告しあうだけの仲になっていた。とにかく、妻は、私が仕事で悩んでいても、病気で苦しんでいても、干渉せず、息をひそめ、自分の部屋に閉じこもってそこから出てこなくなった。この頃から妻は自分の洗濯物と私の洗濯物を別々に洗うようになっていた。私の洗濯物と一緒に自分の衣服は絶対に一緒に洗わない。ばい菌扱いされているように感じた。私が思い描いていた理想の家族のイメージとはかけ離れていた。それでも離婚しないのは、子供たちが可愛かった。もちろん離婚なんて、子供ができたら簡単にはできない。世の中私のように離婚をしたくてもできない人が沢山いるのだろうと勝手に思い込んでいた。よくアダルトサイトで妻の不倫というジャンルがあり、その中で、ここ数年間はセックスレスなんですと言っている不倫妻が話しているが、それもまんざらでたらめではないと思うようになっていた。人間ストレスを感じるとそれを何かで発散させたくなる。
風俗では物足りなくなっていた私は出会いカフェで遊ぶようになっていた。マジックミラー越しにこちらを向いて座っている女性を指名して、トーク部屋に行ってまずは話をする。話が合って盛り上がれば店外デートに行くことになる。その場合はお店にカップル成約料金を支払い、女性にはお小遣いを上げるシステムだ。しかし何回かお店に来て何人もの女性と話をすると、その殆どが割り切り目的だという事が分かった。半年に一度くらいの頻度で同じお店に行っていたが毎回会う女性がいた。この店に住んでいるのかと思うくらい毎回会う。その他にも常連と思われる女性が何人もいた。男性店員とも親しげに話していた。他の常連と思われる男性客も、そういう常連の女性には指名をせずに放置し、彼女たちと私たちはマジックミラー越しに向き合うだけの、ただ虚しい時間だけが流れていった。そんな中、新規と思われる出会いカフェに慣れていなそうな美人の女性が来ると、それまで携帯をいじって暇そうにしていた男性客が目をギラギラさせ、美人女性客をマジックミラー越しに舐めるように見て、我先にとトークの権利を得るためにジャンケンをする。しかし、一人目の男性客がトークルームから戻ってきて、美人女性客も戻ってくる。また、同じように次の男性客もトークを終了し戻ってくる。それが続く。一人の男性客が呟いて帰ってくる。
「あれは高すぎる」。
そんな中、25歳くらいの私好みの肉付きの良い女性がいた。他の男性客は見向きもしていない。彼女は丈が短めの紺のワンピースを着ている。彼女がドリンクを飲みに立ち上がった時に、マジックミラーの下でしゃがんでスカートの中を覗き込んだ。白いパンティだった。このケツをまさぐりたいと思った。唇も厚くてプルプルしてエロい形をしている。この口にチンコを咥えてほしいと思った。彼女を指名し、トークルームに先に入って彼女を待った。彼女が少し遅れて入ってきた。「こんばんは。はじめまして」と笑顔で挨拶をしてくれた。
「こんばんは。宜しくお願いします。緊張しますね」と何気ない言葉をかけた。嫌われないように、紳士に優しく接することを心掛けた。彼女も緊張しているようだった。旅行代理店で働いているという。その帰りに寄ったという事だった。初めて来たんですか?と聞いた。
「まあ」と彼女は答えた。時間もなくなってきたので本題に入った。「今日はどんな感じですか」と聞いてみた。「割り切りかな」と言った。その言葉を聞いてチンコが硬くなった。真面目を装っている顔だがエロいんじゃないか。「僕もです。いくらくらいですか」。
「2貰えたら嬉しいかな~」と言った。「イチゴじゃ駄目ですか」と言った。「お兄さんならいいかな~」と言われた。じゃあ行こうかと言って店外に出た。
ホテルに着くと彼女の背後に立ち、ワンピースを下からまくり上げ、先ほどお店で確かめたパンティが出てきた。これだ。白いパンティがお尻に食い込んでいる所を目がけて突進した。
一日仕事をしてきた後だからか、少し蒸れていて、ちょっぴりつんと鼻につくオシッコの酸味の匂いがエロい気分にさせた。興奮してきた。そのまま彼女をベッドの奥に腰を深く座らせ足をM字の形に開いてもらった。パンティがマンコに食い込んだ姿に興奮は絶頂。チンコを出してしごき始めた。そのままパンティの匂いを嗅ぎに顔を近づけパンティごとマンコを舐めた。彼女は気持ちよくなったのか目を瞑り顎を上げ声を出さずに口を開けた。しばらくして、彼女が言った。「今度はお兄さんのも」と言って、チンコに向かってきてフェラを開始した。彼女のエロい口の中でチンコがトロけそうだった。
「ありがとう。イッちゃうからもういいよ。もう一度マンコを見せて」と言って、彼女をベッドに仰向けに寝かせパンティを下ろしマンコを舐めようとした時だった。
違和感を覚えた。
マンコにでかいイボみたいなものが付いていた。初めて見る代物だ。その周りにはブツブツしたものがある。急にチンコが萎んだ。イボを舐めないようにイボの周りを緊張しながら舐めた。チンコはゴムをつけて挿入したが、中々射精できなかった。しまいには、チンコが立たなくなり挿入できなくなった。諦めて、彼女に股を開いてもらって、その姿を見てオナニーをして射精させた。イボのせいなのか、年のせいなのか分からないが、自分の性欲に衰えを感じた夜だった。
ある日、会社帰りにまた出会いカフェに行った。メスを求めに行った。どんな事をしようか。まだ見ぬ女の子のムチっとした太ももを想像しながら、向かう電車の中で自分の身体の中で精子がたまっていくのが分かった。スーツのズボンの股間の辺りが弓矢の形になり、ズボンを突き破りそうだった。いつもの出会いカフェに着き、女性がマジックミラーの向こうにいる。男性部屋のカーテンを引いて中に入ろうとすると、こちらをギョロっと鋭い目で見る人と視線が合った。どこかで見たことがあるシルエットだ。一昨日一緒に昼食を食べにいった有馬さんだった。彼は私とほぼ同時期に入った25歳の若手技術者。大人しくて、仕事も受け身で私と似ている所があって、つい先日も私から誘って昼食を食べたのだ。その時彼はあと1年くらいで会社を辞めるつもりですと言っていた。そんな草食系だと思っていた彼が性欲を剝き出しにしてメスの品定めにやってきていた。直感でまずいと思った。私はカーテンを閉め、すぐに店を出て帰った。次の日から彼を社内で見かける度に、この時の狼のような鋭く暗がりで光っていた目が蘇るのであった。
全世界でコロナウィルスが猛威を振るい、私の勤めていた会社でも在宅ワークが開始された。週に3日在宅ワークをし、特別休暇が一日割り当てられ、会社に出勤するのは一週間に一度だけになった。同じ職場で一か月顔を合わせない人もいた。新規認証申請する案件もなく、特にやる事がなく暇であった。朝起きても、誰からも監視されない。朝の在宅ワークを開始しますメールと夕方の終了報告のメールを部長に送ればそれで終わりだ。あとは寝ていてもオナニーしてもネットを見てもばれない。この期間は堕落していた。しかし、給料はちゃんと減額されず支払われる。ボーナスはコロナ前よりも高い水準の金額を支給されていた。
私は申し訳ない気持ちになった。世の中では、コロナで会社を解雇され、若い人でも雇用を求め町をさまよっているというニュースを見ていた。私は、ホームレスの支援活動をしている団体に連絡を取り、炊き出しに参加した。あるお寺に集合し、夜行われる炊き出しのための準備活動を行う。この日は、私の他に大学生のイケメン君や女学生も初めて参加していて、一緒におしゃべりをしながら作業した。こんな若いのにボランティアに参加して偉いなと感心した。そして夕方になり都内の公園に移動し、炊き出しの会場の設営を行う。辺りが暗くなり、続々とホームレスの人達がやってくる。この日は雨が降っていて真冬だった。寒くて手が凍えそうである。そんな中、集まった人は300人。中にはスーツを着た若い人もいた。夫婦らしきホームレス風の人もいた。お弁当と、果物が入ったビニール袋を一人一人に手渡しする。お弁当を受け取る順番を抜かされたと怒るホームレスの人もいる。早く渡せよと怒ってくる人もいて恐怖を感じた瞬間もあった。この模様をテレビで映すためカメラマンのチームが我々の正面にいた。カメラには某テレビ局の文字が貼ってあった。テレビに映るかなと期待した。我々は傘をさすことができず、合羽を着てのボランティア作業だった。ずぶ濡れになった。雨に対してトラウマをもっている私は、二度と来ないと思った。
後日この日の模様がネットにアップロードされていた。
私の足が映っていた。他の人には分からないだろうが私にはわかった。私の隣で手伝いをしているのは大学生のイケメン君だった。寒さに打ち震えながら、雨に打たれている私がいる。ホームレスのためにお役に立ちたいと行ったボランティアだが、その時の自分が体験した雨の辛さばかりが蘇ってきた。
このボランティアに参加して以降、ホームレスの人を身近に感じるようになった。放っておけなくなった。私は駅の地下通路でホームレスの人を見かけると心が痛くなった。ある時、都内の駅の地下通路でホームレスの人が土下座をしていた。目の前にはお金を恵んでくださいと言わんばかりの小皿が置いてあった。私は何のためらいもなく、無言で1000円札を一枚置いた。そのホームレスは深くお辞儀をしていた。
私の職場の席の隣には同じ部署の定年間近のおじさんが座っている。私が入社して2年くらい経った頃には仲良くなっていた。彼はサッカーと車が大好きだった。彼の机には、30年くらい前に撮られたサッカーの有名選手と一緒に映っている若かりし頃の写真が自慢げに飾られていた。かなり若い。少年のようだ。人間30年も経つとこんなに老けるのかと、その写真を見る度にそう思うのだった。そのおじさんは、少し変わっていて、こだわりを持っていた。昔から彼を知る他の社員は彼には近づかなかった。一緒におじさんとお昼を食べにおそば屋さんに行くと、彼は天ぷらそばを頼んだ。天ぷらがシナシナにならないように天ぷらだけを別皿で提供するようにと、店員に指図した。店員は困惑気味だった。
会社の定時は9:30~17;30だが、彼は9:32分に会社に到着し、17:27に会社を退社していた。
部長も毎日のようにわずかだけ遅刻するおじさんに対して、とうとうしびれを切らし、おじさんを呼び出し注意した。叱られて席に戻るとおじさんは、「なんでこんな事で怒られなくちゃいけないんだよ」とまるで反省をしていなかった。
おじさんは一日中、パソコンの前に座って前のめりになって画面を見ていて、「う~ん」とか、「ふ~っ」とか言っていた。首も傾げたりするので悩んでいるように見えた。よっぽどストレスのかかる仕事をしているのだと思っていたが、パソコンの画面を覗くといつもネットニュースをを見ていた。
コロナが落ち着き毎日出勤となった。そんなある日、おじさんがパタンと会社に来なくなった。部長がある日、我々を全員会議室に呼び緊急会議を開いた。おじさんが脳梗塞で倒れたとの事。おじさんは独身だったので連絡先はお兄さんだった。お兄さんによると後遺症が残っているので当分の間リハビリをするから職場復帰はかなり先になるとの事だ。おじさんの業務を他の者たちで分担することになった。彼は安全管理責任者という立場だった。暇だった私がおじさんの仕事を主担当で引き継ぐことになった。急に忙しくなった。総括責任者(以下総括)とのコミュニケーションが毎日頻繁に行われるようになった。総括と協力して会社の全ての医療機器製品に対して責任を持って監督する役目だ。製品に不具合があれば是正措置が必要かどうか検証して、必要なら対処法を立案して、不具合品の経過を見届ける。さらに年間8億円の売り上げを誇る主力製品の担当者にもなった。この商品については国内のみならず、海外での不具合報告も全て徹底的に調べる。FDAに報告された全ての事象案件についてレポートを作成し厚生労働省に報告する。そのレポートの内容については厳しくチェックされ照会事項が来れば対応する。同時に全ての販売商品の不具合報告書の内容をチェックし毎日のように更新していく。引き継ぐことが山ほどあったが、ネットニュースばかり見ていたおじさんはかなり仕事をさぼっていて、しかも仕事が杜撰であったのでその書類が机に山積みされていた。総括は山積みの書類を見て「このおじさん全然仕事してないじゃん~」と愚痴をこぼしていた。
そんな中、私は新製品の担当にもなった。しかもクラスⅡの認証製品ではなく、クラスⅢの承認申請だ。認証と承認では雲泥の差がある。申請書類はとても自分たちでは作成できないので外注することになったが、見積金額が数百万円になった。ある業者からは1000万円という見積もきた。どの業者に頼むかの見積比較から始まり、海外メーカーから膨大な製品データを取り寄せその全てに目を通す。もちろん全て英語で書かれている。中には海外のお医者様や研究者が書いた文献や論文もゴロゴロあった。それらを熟読して内容を理解し申請書類に落とし込んだり、品質マネジメントシステムに適合しているか検証したり、新規の外国製造業者として登録の手続きをしたり、製品の安全性、有効性、効果を証明する資料を作成し、厚生労働省からの専門的すぎる内容の照会事項に対応するなんて事は不可能だった。しかも、脳梗塞のおじさんも含めて3人いる先輩の社員はみんな近々定年で退職する予定だった。私は製品の難しさ、論文や文献を読んでも理解できないストレス、担当者としての責任のプレッシャー、先輩たちがみんないなくなる不安から戦意喪失した。英語力にも限界を感じていた。背負いきれない仕事に対して自分の非力さを痛感した。もう簡単な仕事しかできないと思った。そして2022年1月に退職をした。
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