第11話 職歴10社目(海外営業ルートセールス業務。メーカー。正社員。勤務期間2か月)

そんな事があって間もなく次の就職先が決まった。海外営業のルートセールスである。

前職の教訓で機械が商材である会社は避けた。そしてやっぱり英語を使う仕事ではないと続かないと思った。この会社の商材は工業用ブラシであり、機械と比べて簡単そうに見えた。海外営業で海外出張が毎月のようにある点に心が躍らされた。そして何といっても給料が良かった。この会社から内定が出て入社するまでに少し時間があったので家族と義母で一泊二日の温泉旅行に行った。まだ将来に対して家族で希望を持てた時期だった。

2023年の時点で、この2017年4月の旅行が家族で行った最後の旅行だ。この旅行が遥か遠い日のように感じる。


工業用ブラシメーカーの会社では海外への新規開拓営業とルートセールスを担当した。

私の上司となる山嵐次長は、面接の時に私と同じようにテニスをするという点で趣味が共通していたので話が盛り上がっていたので好印象を持っていた。実際入社しても一緒に昼飯を食べに行ったり、他の部員と和気あいあいと仕事をしていたし、研修で一緒に地方にある工場に行った時も特に普通だった。ただ、ヘビースモーカーで、禁煙者である私がいても平然と喫煙するのだけは止めてほしかった。1か月が経過した頃、最初の海外出張に山嵐次長と二人で出かけた。タイに1週間ほど滞在し、現地の代理店の方と一緒に新規開拓営業を行う。かなりハードなスケジュールで毎日5~6か所くらいの顧客先を車で移動して訪問し商談をする。毎日5~6か所を5営業日だからトータル30か所くらいになる。もちろん、私は入社したばかりだし主に商談をするのは次長で、私は補佐役である。必死で商談先の担当者と何のブラシについての商談だったのかをノートにメモるが、30か所もあると、そのノートを見て振り返っても何の記憶も蘇ってこない。薄い記憶同士が互いの存在を消しあい、メモをしたのに内容を理解できていない。そして日本に帰国してから、その商談の内容を持ち帰り、製造部と連携してサンプルを作成したりするのだが、頭の中で理解できずにただ、言われるがままに仕事をしていた。タイ現地では商談が終わったら山嵐次長と代理店の方と飲み会がある。その場でもタバコをスパスパ吸う。マウンテンテックのように無理やり酒を飲まさせる事はなかったが、苦痛だった。

そして、ある時、凍り付くような事を山嵐次長から言われた。

「佐々木。おれはずっと我慢しているんだからな。ぶち切れる寸前だからな!」と言われた。言葉を失った。優しそうな方だと思っていた山嵐次長がまるで別人になった。

「何がですか?」と問いかけると、

「そんな事も分からないのか。商談の時のお前の立ち回りだよ。椅子を代理店の方に用意するとか自分から動くという姿勢がないんだよ」と言われた。

私はその日を境に山嵐次長への見る目が変わった。常に警戒するようになった。日本に帰国してからも隣に座っている山嵐次長へ顔を向ける事が出来なくなっていた。そして仕事はだんだんとついていけなくなっていた。たかがブラシだが、されどブラシである。ブラシにも非常にたくさんの種類があり、目的・用途によってサイズや形状が異なる。私にはどれも同じに見えていた。しかし、星の数ほどいる顧客はそれぞれ異なる商品がほしい。社内の製品製造指示を行うシステムの扱いにも手を焼いていて、うまく製造の指示を出せないでいた。困っていても助けてくれる社員はいなかった。山嵐次長に他の社員に聞くなと言われていたからである。もっと自分で考えろと言われていた。しかし、分からないものは考えても分からなかった。もたもたしていると、それを見かねて次長から頭ごなしに叱責をされるようになっていた。職場で息が詰まり仕事に行き詰っていた。そうこうしているうちに2回目の海外出張であるベトナム出張を山嵐次長と出かける事になった。入社前はあんなに楽しみにしていた海外出張が、嫌になっていた。重くのしかかっていた。ハードスケジュールで次長から24時間、立ち振る舞いを監視され、いつ叱責をされるか分からない恐怖に怯えながら、話についていけない商談に同席する事に。そしてさらに重い気持ちにさせられたのが、次長から「佐々木。今回は海外出張2回目だから、お前に任せるぞ」と言われた事である。つまり、商談をして、日本に帰国してからのフォロー業務を任せられるという事は、商談の内容を全て理解して、間違いのないようにメモを完璧に取らなければならないという事だ。しかも商談は英語だ。私は、この時点で自分の英会話能力に自信を失っていた。

現に、タイでの出張の際に次長から「HOEICの点数のわりに、英会話は大した事ないな」と言われていたのである。日本出国の前から私は気が重かった。

次長と一緒にまた1週間過ごすのか。重い仕事を任せられて逃げたかった。

日本の国際線の空港で次長と待ち合わせ、挨拶をした。次長はなんだか機嫌が悪かった。

手荷物検査で並んでいる時、次長の前に並んでいた外国人の人が騒いでいて、たまたま次長と体が触れた。それに対して次長は激怒した。「Don’t touch me!」と言って、短い脚を前に出し、つま先を駆使してこのエリアに立ち入るなというジェスチャーをした。飛行機が離陸し、しばらくして座席のリクライニングが許可されると、次長の前の乗客が次長の席に向かって座席をリクライニングしてきた。自分のスペースが狭くなった次長は怒り心頭になり、短い脚でその人の座席に一撃を食らわせていた。もうこの人と一緒にいるのはうんざりだった。ブラシだから機械の事とは無縁になると思っていた私の予想は外れた。ブラシを使用する顧客は、そのブラシを自社の工場の機械や設備に取り付けて研磨やバリ取りをする。

商談の内容も当然、顧客の設備である機械の話になってくる。その機械設備に最適なブラシを提案する事が至上命題になるが、当然私にはついていけない内容になり、メモを取っても理解できていないのだからメモを取る意味がなくなってきた。そして次第に戦意喪失していった。ベトナムの出張から帰ってきた私は下痢をするようになった。30歳の頃、エジプト旅行ツアーに一人で参加した際も、帰国後は現地での水に当たったのか1週間ほど下痢が止まらなかった。今回は吐き気も止まらないので会社を休んだ。


朝、次長に電話で「今日は体調が悪いのでお休みさせてください」と懇願すると、

次長は「ふざけるな!今日は取締役との面談日だから、床を這ってでも会社に来い。心象が悪いだろ」と言われた。吐き気と下痢に耐え、1時間40分かかる通勤途中で、たまらずトイレに駆け込みながらも、何とか会社に着き面談に向かった。そして取締役との面談を行い、色々仕事の事など、働いていけるのかなど聞かれた。話をしている途中、吐き気に襲われた。「すみません」と言ってトイレに駆け込んで吐いた。

戻ってきた私は取締役に「申し訳ありませんが退職させてください」と告げた。取締役も社内で噂を聞いていたようであり、驚いた感じもなく、とりあえず直属の上司である次長と話をしなさいと言った。後日、次長に電話をした。


「山嵐次長。退職をします。仕事についていけません。山嵐次長が怖いし、何か仕事の事で指示をされても怖いという感覚で頭の中がいっぱいになり、指示された事が頭に入っていかないんです」。こうして私はたった2か月でこの会社を辞めた。

社長に退職の挨拶をしに後日、社長に会うためだけに会社を訪問した。

すると社長の横には、山嵐次長も座っていた。社長は「今回の件は、山嵐次長からも話を聞きました。このように退職する事になって私も非常に残念です」。そして、社長は給与明細を私に渡した。「賞与です。勤続年数的に本当なら寸志ですが、全額支給しました」。

社長の横で山嵐次長が少し小さく見えた。

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