第7話 職歴6社目(翻訳事務。派遣社員。勤務期間4年)
次は仕事内容でミスマッチがないように気を付けた。私がやりたいことは何か。それは翻訳だ。しかし、私は翻訳業務の経験がない。どうしたら翻訳業務の職に就けるか。いきなり正社員は無理だ。未経験可でも大丈夫な派遣の求人を探そう。しかしそんな求人早々に出るわけでもない。時間がかかるのは覚悟していた。そんな時、ある派遣会社から求人の紹介を受けた。紹介予定派遣で半年後には正社員になれる英文事務職。しかも派遣先は縦浜の一等地に本社を構える誰もが知っている超大手企業。ここの正社員になれる。
派遣会社の営業担当も「どうですか?悪いお話ではないと思いますよ」と自信ありげだったのを今でも覚えている。とりあえず詳しい話を聞かないといけない。話を聞くために面談日が調整された。当日、最寄り駅で待ち合わせして営業担当の男性とアシスタントの若くて可愛い女性スタッフも来ていた。そして先方が待つオフィスへ入った。3名の方と面談をした。皆さん優しそうなおじさんだった。しかし業務内容が私のやりたい翻訳業務とは違った。
最初は経理的な事をやるのだという。その中で英語を使う場面は、業者とのやりとりをメールで行う程度だという点にがっかりした。英語をあまり使わず、全く興味のない経理業務。いくら超大手企業の高層ビルで働けても自分が輝ける場所ではないと思った。すぐに電話で営業担当に辞退する旨を伝えた。営業担当は電話越しだが、まさかこんなおいしい話を断るなんてという反応だったのを覚えている。あれから15年以上経ち、時折、この町に来た時に、この会社の高層ビルを見る事がある。あの時、なんで断ってしまったのだろうと思うが、自分の価値観というのは変わるのだ。あの時はあの時の価値観があり、あの時の自分にとってはその決断は間違いではなかったのだ。あれから15年が経過して私は何度も自分の殻から脱皮を繰り返し、価値観も変わり新たに生まれ変わっているのだ。あの時の自分とは似ても似つかない別人になったのだと言い聞かせている。この件を断って、次の会社が決まるまで時間がかかるだろうなとは思った。しかし、幸運な事に案外すぐに決まった。
東証一部上場企業の世界的な企業での取説の翻訳業務。願ってもない案件だ。面談した日の事は昨日のように覚えている。派遣会社の担当営業と一緒に会社に行き、上司となる部長と面談。とても優しそうな穏やかな人柄。そして派遣社員である私に対してとても謙虚な態度だったのが印象に残っている。
「うちの職場は設計部署なんですけど、みんな英語ができないんですよ。そこで英語のできる人に来てもらいたいと思っていて、佐々木さんさえ良ければぜひうちに来てください」。嬉しかった。この時の嬉しさは今でも覚えている。
憧れだった翻訳業務に就くことができた。時給は1550円だった。前職の引っ越したのにすぐに辞めてしまった会社に近い場所で一人暮らしをしていた為、通勤は1時間45分かかってしまうが、翻訳業務を行える喜びで打ち震えていた。業務内容は案件ごとに違うが大体50ページ~100ページくらいある英文で記載されている技術文書を和訳する翻訳業務。ひたすら毎日翻訳をする。最初は一日5ページ翻訳をするのが精一杯だったが、業界用語や技術用語を覚えて、決まったフレーズにも慣れてくれば、一日8ページできるようになった。とにかく入社して1~2年はあっという間に過ぎていった。夏の職場が大変だったのを覚えている。
当時まだ熱中症という言葉もなかったし、今ほど異常気象でもなかったので夏は節約のために冷房温度が28℃に設定されていた。そのせいで夏は一日オフィスで過ごしていても汗で洋服がびしょびしょになった。みんな暑そうに団扇で仰ぎながら不快感まるだしの顔で働いていた。その中、私の直属の上司で仕事の指揮命令者だった木庭次長だけは真夏でもジャンパーを着ていた。彼の机の頭上には冷房機があり風が直接当たるので寒かったらしい。年齢も60歳を超えているように見えた。翻訳を終えたら彼に報告して次の仕事の指示を待つ事になっていた。
この会社で30歳という節目が近づいていた。29歳。残り一年しかない。人生で一度も彼女という存在ができたことがなかった私は焦っていた。職場に女性がいた。可愛いとずっと思っていた。よくチラチラ彼女の事を見ていた。しかし、私は派遣社員。彼女は東証一部上場企業のエリート正社員の技術者。住んでいる世界が違っていた。しかし、社会的な地位が違っていても男と女、最後は中身で勝負だろうという事で自分を励ましていた。
勤務中の真昼間、彼女がトイレか何かで席を立ち、廊下に出たのを見かけるとチャンスだと思って私も廊下に出て彼女が戻って来るのを待った。彼女が来ると、思いきって言ってみた。
「今度飲みに行きませんか」。
彼女は別に驚きもせずに、「今度みんなで飲み会をしましょうと」と言ってきた。
「二人っきりで飲みたいんですけど」と言ったら、
「二人きりではなく、他の人も誘って皆で一緒に飲みましょう」と丁寧に断られた。
この人は無理だと思った。それ以来彼女のことをチラチラ見るのをやめるようにした。
当時一人暮らしをしていた。私はどうにか彼女という存在を作れないか。そしてこの部屋でセックスができないものか。今まで客人が誰も来たことのない部屋を見ていつも思っていた。
近くのコンビニに可愛い女子高校生が働いていた。顔に惚れた。私なんかでは相手にもしれくれないと思っていた。しかし、彼女には少し体の欠点があった。レジ越しでは分からなかったが、売り場に出てきた時に分かった。足が短くて太い。この体型なら敬遠する人もいるだろう。私にもチャンスがあるのではとやる気が湧いてきた。私はある時、彼女に接客をしてもらい、その時、レジでメモ紙を渡した。自分の携帯番号とメルアドと名前を書いた紙である。そして、次の日だったか、メールで返事が来た。「やったー!」と心の中で叫んだ。しかし、そのメールの本文には唐突にこう書かれていた。
「佐々木さんは何人とこれまで付き合ったことがありますか?」。
私は、これまで付き合った事がないなんて恥ずかしくて言えなかったので嘘をついて、5人と答えた。
彼女は、「えー!信じられない。童貞に見えました」と言われた。
「そういう君はこれまで何人と付き合った事あるの?」と聞くと7人と答えた。私は引いた。結構経験してるな~と彼女が男慣れしている事に戦いた。それっきり何も話せなくなり、彼女が働いているコンビニで買い物をすることはなくなった。
ある日、近所のスーパーで買い物をしているとレジの女性店員で、どこかで見覚えのある顔を見た。パン工場の同期で好きだったあさみちゃんである。しかし、近くで見ると少し違う顔だった。別の人だった。しかし、可愛い。私はすぐに好きになってしまい、そのスーパーで買い物をする時は、必ず彼女のいるレジを選んで接客をしてもらった。顔を覚えてもらいたかった。そして、もうそろそろいいだろうと思い、ある日また、自分の名前と携帯番号とメルアドの書いた紙を彼女に渡した。
ある日、自分の部屋で過ごしていると携帯が鳴った。携帯の画面を見ると全く知らない番号である。電話に出た。知らないおじさんの声である。
「私、サトウナノカ堂の総務担当している者ですが、佐々木さんの携帯でよろしいでしょうか」。
「はい」と答えた。
「ご確認ですが、当社のレジ担当の女性に連絡先を渡しましたか?」と聞かれた。
「はい」と答えた。
「もうやめて頂けませんか」と言われた。
「はい?何ですか」と問い返すと男性は語気を強めて「もうやめてくださいね。分かりましたか?」と怖い口調になった。
私はヤバいと思い「はい。わかりました」と答え男性は電話を切った。
あさみちゃんに似た女性店員を運命の人だと思っていたのにあっけない幕切れである。
そんな私は店員に声をかけるのをやめる事にして、出会いパーティーに行くことにした。
男性は5000円くらいを払うが、女性は無料でケーキをもらえる。男女は生まれながらに不公平であると感じた。会場に入るとプロフィールカードを渡され、名前、年齢、趣味など基本的な自己紹介を記入する。困ったのが年収欄と会社での役職だった。
派遣社員で年収300万円未満と素直に書いたら誰にも相手にされないだろうと思い空欄にしていた。そうすると不信に思われたのか、全くどの女性にも相手にされなかった。
最初、集まった男女が一人一人向かい合って座って数分ずつ話す。そして時間が終了すると回転をして別の人と話す。それをすべての人達と繰り返す。普通なら、短い時間だが社交辞令で挨拶をしてお互いの趣味を言い合ったりするものだが、挨拶をすることもせずに、顔をプイっと横に向いて、一言も発せず私に目もくれないで去っていく人もいた。
そんな中、いつものようにテーブルに座っていると私に優しい笑顔で対応してくれる女性がいた。みよちゃんである。みよちゃんは、他の女性とは全く違い、私の会話を真剣に聞いてくれ、常に穏やかな笑顔でいてくれる。25歳。婚活パーティーに来る女性の中では一際若い。めちゃくちゃ美人ではないが、時折のぞくあどけない笑顔が好きになった。すぐに意気投合し、デートを重ねクリスマスイブの日、夜景の綺麗な場所でデートをしている時、私から「付き合ってくれない?」と言った。
「私、早く子供がほしいから付き合っている暇はないの。早く結婚したいの。遊びで付き合っている時間はないの。本気で付き合ってくれる?」と言われた。私は正直、結婚など、まるで考えていなかった。早く風俗嬢ではない素人の若い女とセックスをしたかった。しかし付き合えるチャンスだと思ったので、
「好きだよ。付き合っていく中でそういう風になったらいいね」と答えた。そして私たちは正式に付き合うことになり、私の彼女いない歴は29年で閉じる事が出来た。この時、夜景を見ながら、芝生の上で、私の携帯音楽プレーヤーのイヤホンを片方ずつお互いの耳に入れて音楽を聴いた。片方しか差していないから音が聞こえにくいのだが、それでもこの時、聞いた、ある女性歌手の曲「人生の味」が忘れられない。自分がラブストーリーのドラマの主役になった気分であった。このせつなさがたまらない。のちに妻とデートでこの場所を何度も訪れるが、必ずみよちゃんの事を思い出すのであった。
みよちゃんは当時25歳だったが、お父さんが高齢で、早く子供を産んで孫を見せたいと常に言っていた。いつ結婚するの?と会うたびに言われていた。正直、彼女がほしかったから付き合った彼女と、結婚する事が想像できなかった。結婚願望もなかったのである。
ただ会いたい時に会って、セックスさせてもらえれば良かった。ひどい時は、仕事帰りに彼女をカラオケ店に呼んで、会って数分で彼女のスカートをめくりあげ、パンティーを下ろしクンニした。そして一日働いた後の汗臭いチンコを彼女に咥えさせた。こんな事をしてくれるのも彼女がいる醍醐味である。さすがにカラオケ店でセックスはできないと思ったので、自分でペニスをしごき、彼女の身体に精液を垂らした。そして数曲歌って帰った。最初は興奮していたが、何度もセックスをしていると飽きてきた。しかもとびきり美人でもないし、愛してもいないから、他の女性が魅力的に映る時があった。ラブホテルが混んでいて彼女と待合室で順番が呼ばれるのを待っている時、別のカップルも待っている。その別のカップルの女性が色っぽくて奇麗だったりすると、その人と自分の彼女を交換したい気持ちによくなっていた。彼女には秘密にしておいた事があった。東証一部上場企業で働いている社員という事にしていたのだ。正社員ではなく派遣社員であった。彼女は私の事を東証一部上場企業の正社員と勘違いしていたのである。私はいつ本当の事を言おうか悩んでいた。いつか言わないといけないと思っていた。それは早ければ早いほどいいはずである。
ある日、彼女の実家に遊びに行った。彼女が父親を紹介したいと言い出した。
彼女の実家の玄関の前に立ち、彼女がピンポーンと押した。父親が待ってましたと言わんばかりに玄関で正座をして待っていた。
「ようこそ。ようこそ。初めまして。こんな汚い所に来ていただいて申し訳ありません。話は娘から聞いています。佐々木さんはあの東証一部の会社の正社員なのですよね。御立派ですね。お寿司を取りましょうか」と、のべつ幕無しに持ち上げられる。
私は本当の事を言った。
「いえ。正社員ではないんです。派遣社員なんです」。
「えっ?」と、みよちゃんと父親は言葉を失った様子である。
父親は「・・そうなんですか・・。派遣社員ですかぁ・・」と、それ以上言葉が出なかった。出前のお寿司が注文されることはなかった。
それ以降彼女との仲が悪くなっていった。喧嘩ばかりする。そして私の方から別れようと言った。二人は別々の道を歩いた。私が最初から派遣社員だと言っていれば良かったのかもしれない。彼女にとって大切な時間を奪ってしまったかもしれない。それは悪かったなと思う。しかし、たった3か月だけど、私の彼女になってくれた事。思い出を作ってくれた事に今でも感謝をしている。
翻訳の派遣の仕事をして3年経った頃から少し違和感を覚えた。中々翻訳の仕事が来ない。待っても待っても来ない。その間、することがない。私は暇すぎて頭がおかしくなりそうだったので何か仕事を下さいと言った。そして古紙回収という仕事が回ってきた。同じ職場には技術者が100人ほどいるが、彼らが出す、いらなくなった書類が山積みになって所定の場所に置かれ溢れかえっている。それを機密文書とそうではないものに分別して、機密文書はそのまま職場を出て廊下の隅の方にあるシュレダーにかける。機密文書ではないものは紐で縛って廊下のゴミ集積場の所定の場所に置くという仕事だ。100人が毎日出す書類は膨大な量になる。半日はその仕事で時間が過ぎていった。最初は暇つぶしになるし、廊下で一人で作業をするから解放感もあるので気楽にやっていた。しかし、毎日そればかりをやっているとだんだんと空しくなっていった。社員の人からは、名前ではなく派遣さんと呼ばれ、本来翻訳業務として入社したのに翻訳の派遣さんではなく、古紙回収の派遣さんになり、誰からも目につかない廊下の片隅で一日黙々とシュレッダーをかける日々にうんざりしてきた。そんなある日、いつものように廊下でシュレッダーをかけていると突然、お腹の辺りがキリキリと痛み出してきた。普通の腹の痛さではない。これまで感じた事のない異質な痛みだ。そして胸のあたりが苦しくなっていった。呼吸が荒くなり、汗が噴き出してきた。
立っていられなくなった。とにかくお腹が痛くて苦しい。体調の異変を上司に訴えた。幸運な事に、会社には保健室があり看護師が常駐している。私は保健室に連れていかれた。
着くと女性の看護師がいて社員証を見せるように言われた。
「派遣社員なので社員証はないです」と答えると、「それでは診察はできません」と門前払いされた。私は一瞬唖然とした。こんなに苦しんでいるのに。目の前に不調を訴えている人をただ社員証がないという事だけで門前払いされるなんて信じられなかった。私はこの時の屈辱を決して忘れはしない。とにかくここの保健室では診てくれないと上司に伝えるとタクシーを呼んでくれて近くの病院まで行った。タクシー代は後で会社に請求してよいとの事だった。病院では人生初めての胃カメラを飲まされた。ストレスからくる胃潰瘍だった。
それ以降、私は適当にシュレッダーをかけては、トイレの大便所に行き、壁にもたれて座り込み、休むようになっていった。そしていつしか眠るようになっていった。トイレの大便所の中でさぼるようになっていった。今日は仕事が終わった後はどこの風俗店に行こうかなんて考えているうちにムラムラしてきた。気候が良く、暑くて欲求不満な日は携帯のアダルトサイトを見てトイレの中でオナニーをした。そしてまた休憩して、寝て、起きたらコーヒーを飲み、適当に時間を潰してシュレッダーの続きを行う。疲れたらまたトイレに戻って休憩して時間を潰して気が向いたらシュレッダーを行う。いつしかそんなサイクルを作ってしまっていた。一日職場の人と顔を合わせない日もあったりした。翻訳の仕事をくれない木庭次長への反抗心の表れでもあった。ぐれていった。心が腐敗していくのが分かった。仕事が暇だと人間つまらない事を考えるものである。派遣社員でお金がなかった事もあったが、この頃、インターネットで出張ホスト募集の広告を見た。見ると登録料もかからず面接もなしにすぐに出張ホストを始められると書いてあった。これだと思った。早速登録して写真と連絡先を送ると、すぐにお客さんの女性から連絡があった。
「今度の土曜日に都内でお会いできませんか」と依頼が来た。待ち合わせ場所で待っていると本当に来た。60代と思われる女性。私は29歳。親子以上に離れている年齢差。傍から見れば親子に見られるのか。とにかく、ホストになった私の最初のお客さんである。丁寧にあいさつをした。事前にネットで調べていた。とにかく、相手を楽しませる事。自分ばかりしゃべらない事。お話を聞く感じでよいと。そして言葉遣いに気を付ける事と注意書きがあった。
「こんばんは。信一です。ご指名ありがとうございます」と一丁前にホスト気取りだ。
あいさつもそこそこに彼女がある場所に連れて行ってくれた。ジャズの生演奏を聴けるレストランバーであった。ドラムやらギターなどの楽器がすでにセットされており、それらを囲むようにカウンターと客席が並べられているお洒落なバーである。彼女に聞いてみた。
「たくさんいるホストの中から、なぜ私を選んでくれたのですか」。
彼女は少し照れながら「お顔かしら」と笑って答えた。料理が運ばれ、ワンドリンク制のビールを頼み、演奏を待った。とくに何をしゃべったかは覚えていないが、彼女は終始にこやかだったのを覚えている。私も気を使いながら沈黙にならないようにがんばって話しかけてみた。そして演奏の時間が来た。ミュージシャンが出てきた。なんとテレビでよく見る男性サックス奏者が現れた。演奏が始まる。凄い色っぽい音色だった。ドラムの生音も体にバシバシ響き渡る。ビートが刻まれるとは、こういう事かと実感した。あっという間の時間だった。演奏が終わると彼女から「今日は楽しかったです。ありがとうございました。お代はいくらでしょうか」と聞かれた。
出張ホストのHPのプロフィールに一時間4、000円と書いたのを思い出し、6時間経過していたから24、000円になりますと答えたら、「では、交通費も入れてこれで」と言われ、手を開くと30、000円が入っていた。彼女はまた今度と言い去っていった。私はただ音楽とお酒と料理を楽しんでいただけなのに30、000円も貰え、こんな良い仕事はないと思った。
それから一週間後、また彼女からメールが来た。
「今度は一緒にクラシック音楽のオーケストラの演奏をご一緒してください」と来た。私は「やった」と思った。また数万円お小遣いがもらえると思った。彼女は私の固定客になったのだと思った。
都内にあるクラシックコンサートをやる大きな劇場で待ち合わせをした。場所が場所だけに自分が持っている中で一番カッコイイスーツを着て待ち合わせ場所で彼女を待った。
彼女もTPOに合った服装をしている。そして会うのは二回目という事で、初回の時よりも少し緊張が解けていた。
クラシックは退屈であったが、これに耐えればお金を貰えるんだと我慢して聴いていた。
時折、私の方をちらっと見る彼女に作り笑顔を浮かべながら、演奏が終わるのをただひたすら待ちながら聴き流していた。
演奏後、食事をした。やっと終わって腹が減っていた。そして少し調子に乗ってしまっていた。建設会社で事務をしていると言っていた女性から
「佐々木さんの職場はどんな感じですか」と聞かれた時だった。
私は「いや~、職場はおじさん、おばさんばかりで退屈でつまらないですよ」と本音をついしゃべってしまった。それを聞いた彼女は少し黙り込んだ。空気が明らかに変わるのを感じた。彼女の機嫌を完全に損ねたと思い、やばいと思った。
食事を終えお開きになり、彼女から別れ際「今日はありがとうございました」と、4万円を渡された。もちろん、こんなに貰える程、長い時間を一緒に過ごしたわけではなかったが、彼女の意思を感じた。それ以来、彼女からメールが来ることはなかった。他の人からの依頼も来なかった。
そんなある日、久しぶりにもらった翻訳の仕事を自分の机で行っていると隣に座っていた別の派遣社員の女性から呼ばれ、廊下に行った。「佐々木さんって蓄膿症ですか」と突然言われた。「はっ?」と思った。蓄膿症?その時、それがどんなものか分からなかった。
「蓄膿症って何ですか」と聞き返した。「臭いんですけど離れてもらませんか」と言われた。突然心の中で切れた。「ふざけるな!なんでお前にそんな事を言われなけりゃいけないんだよ」とブチ切れた。私はすぐさま反対側の隣に座っていた通訳の外国籍の女性に聞いた。
「すみません。一つ聞きたいんですけど、私から何か匂いとかしますか」と聞いた。外国人の女性は「何も臭わないですよ」と言った。私はすぐに派遣社員の女性の所に行き、
「ちょっと来て」と言って廊下に連れ出した。「反対側の隣に座っている女性に確認したけど何も臭わないってよ!」と詰問して「嫌がらせじゃないのか!ふざけるな」と大声を上げた。派遣社員の女性は「もういいです」と言葉を残し職場に戻っていった。この時が家族以外の人に怒りをぶつけた初めての瞬間だったかもしれない。未だに真相は分からない。嫌がらせだったのか。本当に何か臭っていたのか。
2011年3月11日。東日本大震災の日。私はこの会社の職場にいた。大きな揺れが来て、すぐに上司からヘルメットをかぶって机の下に隠れるようにとの指示があった。凄い揺れだった。昔、子供の頃どこかで地震の揺れを体験できる施設で激しい揺れを体験した時の衝撃と同じくらいの衝撃を受けた。揺れが少し収まり全員で外に避難をした。辺りを見渡すと驚いた。近くを走る高速道路のコンクリートの道が揺れているのが分かった。電線も揺れて波打っている。その日は交通が麻痺し帰れない。会社に泊まる事になった。夜になり非常食として備蓄されていたビスケットが配られた。私は長い間自分の机に座ってネットニュースを見ていた。職場の他の人もやる事がないので同じであった。一日一回オナニーをしなければならなかった私は、みんなが机の上で突っ伏して次から次へと寝て、寝静まったのを確認して、一人屋上につながる階段に行った。明かりがないので暗くなっていた踊り場で一人オナニーをした。いつものドアのかぎが掛かっているトイレの大便所の中でやるオナニーではなく、もしかしたら誰か来るかもしれないスリルの中で行うオナニーは余計に興奮を誘った。
夜が明けて朝早く電車で帰ろうとするが、帰宅困難者で街は人で溢れていた。途中に寄ったコンビニでは、棚に商品が何もない。物凄い光景に見えた。通常1時間30分で帰れるところを5時間かけて帰った。家に戻り、ニュースを見ると事の重大さに気付いた。被災者の方を助けなければと正義感が湧いた。何か、居ても立っても居られなかった。私はすぐにボランティアをしたいと思い、都内発の夜行バスで被災地に向かった。瓦礫の除去のボランティアに参加した。
跡形もない住居跡地に色々なゴミや瓦礫が積もっていた。それをみんなで片づける。一日中ひたすら体を動かした。地主の人に「ありがとうございました」と終わった時に言われたが、被災者の方の大変さを思うと何も言葉が出てこなかった。
この時私は思った。世の中には働きたくても仕事がない人がいるのだ。仕事どころか生死をさまよっている人だっている。派遣社員だけど仕事があるのは幸せな事だ。もっと真面目に頑張らないといけない。そう決心した矢先だった。
派遣会社の営業担当から電話がかかってきた。
「佐々木さん。申し上げにくいのですが今回は派遣の更新がされませんでした」。
言葉を失った。そして急に怒りがこみ上げてきた。電話を切った後、私は携帯を布団の上に投げつけていた。木庭次長だ。直感だった。彼が私を切ったのだと思いこんだ。明日いつもより早く会社に行って彼に文句を言ってやると決めた。次の日他の社員が来る前に一足早く出勤した私は制服にも着替えず一目散に木庭次長の元に駆け寄った。彼の顔を見ると全てを悟っている様子だった。私は何か言おうとしたがこの男には何を言っても無駄と悟り、持っていたタイムカードを彼に投げつけて「ふざけるな」と言葉を吐き、会社を飛び出した。早くここから逃げたかった。他の社員に私の姿を見られたくなかった。派遣切りに会った佐々木さんだと指をさされる気がしたのだ。駅に着いた。朝の駅の改札はこれから出勤する人で溢れかえっていた。派遣切りされ無職になった私が群衆とすれ違う。彼らが向かう道とは反対方向へ歩いて帰った。この時の虚しさと言ったら筆舌に尽くしがたい。
無念の気持ち、無力感、屈辱感、絶望感、失望感、劣等感で頭は支配されていた。
ふと思い出した事がある。マウンテンテックで派遣の契約終了を告げに行った技術者の村井さん。彼はあの時、派遣契約の終了の知らせを聞いてさぞかし無念であったであろう。
やり場のない怒りを覚えていたのだろう。今なら彼の気持ちが分かる。
実は私はいつか派遣切りに遭うとどこかで観念していた部分があった。東日本大震災の前にリーマンショックがあり、職場にいた派遣の技術者や、一般の派遣社員がどんどん辞めさせられていたのだ。やがて私のもとにもその波が来ると悪い予感はしていた。しかし、実際そのお告げをもらうと気持ちが抑えられなかった。2012年。この時32歳。彼女なし。私は無職になった。
しかし英語の勉強は続けていたのでHOEICは835点を取得していた。派遣社員だが翻訳の業務経験を四年間積んだ。今なら翻訳業務で正社員を目指せるだろうと思った。
そして程なく、某特許事務所の翻訳業務での正社員での仕事が決まったのであった。
この時、両親は本当に喜んでくれた。大盛り上がりで就職祝いを近所のファミレスで開いてくれた。私も心の底から喜んだ。夢が叶ったのだ。翻訳業務での正社員。
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