第4話 職歴3社目(人材派遣の新規開拓営業。正社員。勤務期間6か月)

入社理由は面接官の男性が優しく、好印象だったから。この会社に入れば、きっとこのように優しい人達に囲まれ仕事ができる。毎日楽しい日々が待っているに違いない。そう思い期待を膨らませて入ったのを覚えている。配属となった営業所はどこなのか。所長はどんな人なのか、先輩はどんな人なのか。2週間の研修が終わってから分かることになっていた。

10、000人を超える自社の技術者を派遣や請負契約をして顧客企業で就業させている大企業の部類に入る人材派遣会社での新規開拓営業職として入社した。都内にある研修センターで2週間の営業研修が行われた。そこで営業マナー、社会人としての基礎マナーなどを同期全員が一同に会して学ぶ。先輩社員や所長を講師に迎え行われた。

名刺の受け渡し方や、営業接客マナー、その他、社会人としての心構えなど、毎日、朝から夕方までみっちり講義を受ける。その中で印象的な事があった。ある現役の営業所長が講壇に上がり、こちらを向いた。まだ20代らしきかっこいい風貌でヤンチャな顔をしている。


「ええ~、今から話すことは全て本当の事です。私は皆さんと同じように大学を卒業してこの会社に入社をしました。そしてたった数か月後には営業成績でトップにまで上り詰めまして、その後すぐに営業所長に昇格し、そしてその後も営業成績を伸ばし、複数の営業所を束ねる営業ブロック本部長まで昇進し、そして現在は副社長と営業所長を兼任する立場で年収は2、500万円です。信じられないと思いますが全て事実です。皆さん俺を目指してください。誰でも頑張ればチャンスはあります。頑張ってください」。


当時、これを聞いていた私はまだ浅はかな世界しか知らなかった為、何の違和感も持たず、純粋にかっこいいと思ってしまった。

今なら分かる。普通は、この時点で気づくだろう。この会社はやばいと。


営業研修も終わりに差し掛かった頃、配属となる営業所と所長の名前が発表された。

もうすでに内部事情の噂を聞きつけていた仲良くなった同期の一人が言った。

「佐々木が配属になる営業所は沢渡所長か~。終わったな。数ある営業所の中でも一番怖いそうだぞ」。早くも暗雲が立ち込めてきた。

急に心がソワソワし始めた。緊張してきた。どんな人と一緒に働くのか居ても立っても居られなくなった。沢渡所長とはどんな人物なのか。そして2週間の営業研修が終わった。

心の不安を落ち着かせるためなのか、営業研修が終わってホッとしたのか分からないが私はすぐさまその足で都内にある風俗店に行った。専門学校での2年間は遊ばないと心に決めていた。とにかく英語の勉強を頑張る事だけを頭に入れて精進した。その反動は怖い。


風俗嬢が現れると、言葉を交わすことなく、飢えた猛獣の如く、風俗嬢の顔中を舐めまくった。まるでご主人様の顔を舐めまわす犬だ。そして体の至る所を確かめるように手で触り、臭いを嗅ぎながら“顔をうずめ、舐める、匂いを嗅ぐ、触る”をひたすら繰り返した。もう止まらない。風俗嬢はただ黙って無抵抗にされるがままだった。事を終えると急に腹が減り、近くのラーメン屋に入った。濃厚な豚骨スープの出汁に煮干しの旨味が染み出た中華そばを食べて満足して帰った。

肉体労働をした後の家系ラーメンも旨いが、性欲を満たした後にスッキリした気持ちで食べるラーメンも旨い。


配属初日がやってきた。自宅から自転車で10分程の勤務地。私は営業所が入っている雑居ビルのエレベーターに乗り8階で降り、事務所のドアを開けた。

若い社員らしき男性二人が向かい合ってタバコを吸っていた。そして私に気付くとニヤニヤした顔を浮かべ始めた。私は挨拶をした。

「本日よりお世話になる事になりました、新入社員の佐々木です。宜しくお願いします」。


そのうちの一人で不敵な笑みを浮かべて髪がやや薄くなっている男性の方が私に話しかけた。

「まあ、楽にしてて。最初のうちは、まだ何もやることはないから。ゆっくりしてな。

とりあえず、3年は頑張ってくれ。」


私はこの3年というキーワードに驚いた。会社とは定年までずっと働き続ける場所だと思っていたのに、3年間は短か過ぎないか。裏を返せば3年以内に辞めると思われている。

どれだけ辛い事が待ち受けているのだろう。

職場に入ると、事務職らしき女性が二人いた。どちらも派遣社員らしい。

一人は派遣契約期間がもうすぐ終わるので「私には挨拶とかしなくていいし、気を遣わなくていいから」と言われた。

もう一人は、ミニスカートのギャル風なルックスの20歳くらいの女性の今泉さん。小顔で茶髪でスタイル抜群の可愛らしい女性。仕事ができるらしい。鋭い目で私を品定めしている様子で、特に私に対しては興味がないと言った雰囲気だった。特に何も言われなかった。


先ほどの髪の薄い男性が、沢渡所長だった。私に質問をしてきた。

「俺、何歳に見えると思う」。

私は、35歳と言いそうになったが、ご機嫌を取るために5歳若く見積もり、

「30歳くらいですか?」と答えた。

そうしたら「なんでだよー!やっぱり年上に見えるのか」と機嫌を損ねさせてしまった。

もう一人の男性で先輩になる阿部さんが、「25歳だよ」と教えてくれた。

そう言っている阿部さんは23歳で、小太り体型も重なり、とても年相応に見えなかった。

この会社で働くと老けるのかなと思った。


沢渡所長がお好みの銘柄のタバコとコーヒーを指定し、私に買ってくるように言った。


「まずお前の仕事は、朝出社したら俺のコーヒーとタバコを買う事。それが朝一にやる事だ。分かったか?」と言った。

ちなみに先輩の阿部さんは毎朝、沢渡所長の自宅へ車で行き会社までお迎えをしているとの事だった。

沢渡所長が急に真面目な顔をして言った。

「いいか、佐々木。俺たちは技術者が働いてくれたお金で飯を食わせてもらっているんだ。

まだ何もしていないお前は、ただの会社のお荷物だ。新規で契約しない限りお前は給料泥棒だ。とにかく仕事を作れ。新規開拓営業の電話をかけて契約を取って会社に貢献しろ」。


次の日から本格的に新規開拓営業の仕事が始まった。

仕事は簡単。もらった資料に記載されている担当エリア内にある企業の重役や人事部長・営業部長に電話をかけまくる。そして、アポイントを取って商談をして技術者を働かせてもらえるように売り込み、派遣契約や請負契約を取る事。1日200件の電話と5件のアポイントを取る事がノルマになった。

所長からもらった資料では足りないと言われ、図書館に行ってこいと言われた。

「会社の役員や部長への直通電話が記載されている分厚い本があるから、その情報を抜き出してこい。会社の代表に電話しても取り次いでもらえないからな」と言われた。

早速図書館に行き、資料を探し出し、セールス電話用のリストを作成した。

朝9時から定時の18時までアポイントを取るために、ひたすら電話をかけまくる生活が始まった。

最初はやる気もあって、契約を取って給料を上げるんだと意気込んで頑張っていた。ちなみにこの会社での給料はみなし残業代を含んで額面18万円。いくら残業しても残業代金は支払われなかった。

電話での勧誘は疲れる。受付の人に基本断られる。担当部長まで電話を回してもらえない。そして電話をかけている後ろでは沢渡所長が座って監視している。ちょっとでも私の電話の声が小さかったり、暗かったり、言葉遣いが間違っていようものならハリセンが飛んでくる。そして電話しても断られ続ける。気持ちが萎える。冷たい態度や罵声を浴びせられる事もしばしば。だんだんやる気もなくなってくる。所長から怒られる。面白くなくなる。そして次第に電話しても誰も相手にしてくれないだろうという気持ちになってくる。


そんな時、電話をかけたある会社の人が好意的に「いいですよ。今度お会いしましょう」と気持ちのいいお返事を頂いた。報われた!

探せば居るんだ。とても嬉しい気持ちになり、さっきまでのネガティブな気持ちから急に晴れ晴れしい気持ちになった。

早速、所長に「アポイント取れました!今度会ってくれるそうです」と報告した。

所長は「当たり前だ!お前、今日何件電話したんだ。それくらい電話すれば中には会ってくれる人もいるだろう。それよりまだ、ノルマの5件は達成してないぞ。もっと電話してアポイントを増やせ」と冷ややかな水を浴びせられた。


後日このアポイントが取れた会社を訪問した。電車で1時間30分かけて都心に向かった。綺麗なオフィス群の中に並び、立派な外観のエントランスを入り、電話の相手である担当部長に会った。私は早速お礼のあいさつをした。

「本日はお忙しい中、商談の機会を与えて頂きましてありがとうございます。早速ですが、弊社のご説明をしたいと思います」と言って会社案内のパンフレットを出そうとした時だった。


「マウンテンテックさんですよね。知ってますよ~。評判は聞いてます。何度も他の営業所からも電話がかかってきますからね。過去に違法な二重派遣とかもされたとか」


「えっ」。


「どうぞ。お引き取り下さい」


私は目を疑った。この人は怒っているのだ。我々に対して。過去に何があったか知らないが

初めから商談をするつもりなどなかったのだ。嫌味を言うことが目的だったのだ。

トボトボ帰路を歩いた。これがビジネスの世界。


思えば毎日電話を何百件とかけていると「マウンテンテックか~」と言って、社名を言った時点で電話を切られることが少なからずあった。

どうやら評判の良くない会社に入社してしまったらしい。

当時、インターネットが普及したばかりで、しかも、パソコンに疎かった自分は企業研究をほとんどせずに入社した。本当に面接官の人柄だけで入ったのである。

今になってあの面接官の笑顔がいかさまに見えてきた。ペテン師に思えてきた。騙されたと感じた。


職場に戻り所長から「どうだった」と聞かれたが「駄目でした」と答えた。

少し間を空けてから切り出した。

「うちって違法派遣しているのですか」。

「昔、そういう事をした営業所もあった」


そして所長は続けた。

「よし。佐々木。もう電話はしなくていい。明日から先輩の阿部にくっついて行動し、営業の仕事を学んで来い。新規開拓なんて飽和状態だから初めから当てにしてなかったんだよ」と言い放った。


とりあえず、精神的にきつかった一日中電話をかける仕事から解放された。助かった。

次の日から先輩の阿部さんに同行して、営業方法や様々な仕事を学んだ。企業に派遣されて働いている技術者を訪問して勤怠チェックや、色々な話を聞いてあげて精神的なフォローを行ったり、困っている事などをヒアリングしたり、クライアント企業様に新規案件がないかなど、情報収集したりと。技術者が受け取り忘れた交通費を手渡しで持っていってあげたり、ある時は今度転勤をする技術者が入居する予定の物件の掃除を1日かけて行ったりもした。


ある日、定例会が行われた。この日は担当エリアの技術者が一同に会して日頃の業務の報告並びに改善活動の提案をする日、そして我々営業部からは営業所の定例の売上報告をする日である。そして営業部と技術者が交流を深める事を目的としている。

その定例会の進行役を私が担った。というより、所長からお前は新人なのだから挨拶がてら技術者に自分を売れと命じられた。

100人くらいが目の前にいる。マイクを持ち緊張しながら挨拶をした。

「この度、営業部に配属になった新人の佐々木信一です。頑張りますのでよろしくお願いいたします」。

会場から失笑が聞こえ、目の前に座っている技術者はみんな笑いをこらえて下を見ている。

後ろで座っている所長から「佐々木い一!お前つまらないんだよ!もっと元気出せ。暗いんだよ」と言われた。この時の事が今でも忘れられない。


定例会が終わり夕方になった。全員で居酒屋に移動した。長い一日の始まりになるとはこの時、予想だにしなかった。普通に居酒屋での一次会、二次会が終わった後、何人かの技術者が「佐々木さんもキャバクラに行きましょうよ」と誘ってきた。

一瞬、「キャバクラかぁ。初対面の人と話しても盛り上がらないし、料金も高いし、お酒も飲めないから行きたくないなぁ」と思ったが、ふと思い出して、今日は技術者との交流が目的の日なのだ。もしこの誘いを断って、後でこの技術者が所長に告げ口でもしたら所長からの厳しい説教が待っている。ゾッとした。それは避けなければと。そう思って誘いに乗った。後で知ったのだが、定例会の後にキャバクラに行くことが毎回、技術者と営業部の恒例行事となっていた。新人の私が入ってきた事で先輩の阿部さんはこの役から逃れられたわけである。


一軒目がお開きとなり、梯子しましょうという事になり、キャバクラが立ち並ぶ通りを歩いていると、真っ黒のボディーの車から黒服を着た男性たちが降りてきた。その中に一際デカイ男がいた。彼らが通りを歩くと、キャバクラのキャッチ達は皆そのデカイ男に挨拶をして頭を下げていた。よく顔を見ると、小学校の頃の同級生で、いじめっ子だった野牛君だった。噂では相撲取りになったという話だったが、いつの間にか廃業して、まさか黒服を着た用心棒になっていたとは。顔は当時のそのままだった。体が大きく、サングラスをかけており、近づけないオーラがあった。明らかに住む世界が違っていた。目を合わせないようにして、遠くから覗き込むように変わってしまった野牛君を見ていた。


キャバクラ同好会のメンバーとは別れ、事務所に戻った。技術者との交流も終えたし、これで帰れると思っていた。沢渡所長と事務所の女性たちが話をしていた。盛り上がっている。営業所は、広い大部屋で真ん中を不透明なアクリル板で間切りされていて片方は、我々の技術者派遣チームのマウンテンテック、もう片方を同じエメラルドグループの日雇い派遣の事業をしているバッドウィルが入っていた。沢渡所長は楽しそうにバッドウィルの女性たちや技術者の人とお酒を飲んでいた。

「おお佐々木!お前もここに来て一緒に飲め!」

「はい、わかりました。宜しくお願いします」とビビりながら言った。


何をされるか察知した。定例会が終わって飲み会の一次会・二次会があり、キャバクラを梯子して、この時すでに23:00過ぎ。ここから地獄が始まった。

酔っ払ってイケイケの沢渡所長は、買ってあった焼酎をグラスにつぎ、

「よし佐々木!一気飲みしろ!」と言った。

私は、断りたかったが、一杯で終わるだろうと願いながら、途中咽ながらもなんとか一気飲みをした。

「なんだ!佐々木!お前、飲めるじゃねーか!よし。もっといけ!」と言い、

次々に焼酎をグラスについでは一気飲みをさせられる。


「お前は、暗いんだから、飲むしかないだろう」と、所長は酒を注ぎ続けた。

途中、技術者に目をやると、かわいそうにと哀れんでいそうな眼をこちらに向け、そして、うつむいた。誰も沢渡所長には逆らえなかった。


深夜の宴は朝まで続いた。

営業所のドアを開けて朝日が目に入った。廊下に出て真向かいに男子便所があり、入ってすぐのゴミ箱に「オエ~っ」と吐いた。何度も何度も吐いた。ほとんど何も食べずに焼酎ばかり飲まされていたので何も吐くものがないので、喉がえぐれるような痛さを覚えた。

しばらく一人で苦しんでいると背中をさすってくれる人が背後に現れた。


「大丈夫?がんばったね」と言ってくれた。私よりも若いバッドウィルの女性だった。姉御のような雰囲気がある人だ。吐いている時に辛くて溜まっていた涙が、その人の優しい言葉で地面に一滴こぼれてしまった。 


15年以上経った今でもこの時の彼女のさすってくれた手の感触、優しく包み込んでくれるような声を忘れない。


朝の10時くらいになって酔いがさめて、私は家路につくことができた。

なんて長い一日だったのだろう。


ある日、相変わらず先輩の阿部さんに同行していると阿部さんが「今日は行きたくないな~」と言った。

「何がですか?」と聞くと、

「これから訪問する会社で勤務している技術者の村井さんに派遣契約終了の報告をしないといけないんだよ」と言った。

「おれのせいじゃないんだけどね。先方から契約の更新をしてもらえなかったんだよ」と続けた。

この時は「へぇ」としか感じなかった。

そして村井さんに会い阿部さんが村井さんに契約終了の報告をすると、彼は何も言わずに黙って受け入れていた。この時は、まさか自分がこの後の人生で同じ目に遭うなんて事を一ミリも想像していなかった。


とある日、沢渡所長に呼ばれた。

「佐々木、やっぱり今から新規開拓の電話営業を再開しろ」と告げられた。

またあの地獄のような日々に戻るのかと気持ちが萎えた。がっかりした。もうあの辛さを一度経験してしまっている以上、やる気が全く起きない。そして所長はさらにこう言った。


「あと、今泉と春日ともっと仲良くしろ」。


今泉というのは事務所の派遣のギャル風な女性。いつも超ミニスカートを履いてくる女の子で沢渡所長と非常に仲が良い。そして仕事が超できる。春日さんは、最近入ってきた派遣の女性で沢渡所長の前では静かだが、今泉さんとは年も近いというのもあり仲が良く、所長がいないところではうるさい。実は、私は今泉さんとは入社して以来一度も世間話をしたことがない。席も離れているという事もあるが、所長や阿部さんが外出して不在の時は、私、今泉さん、春日さんの3人になる。

二人が一日中遊びの話など、しゃべっている脇で私は一人黙々と電話をかけている。そんな私を冷ややかな目で二人が見ている状況が続いていた。とても居心地が悪かった。そんな状況を察してか沢渡所長はそのような事を言ったのだ。


パン工場で同期の女の子達と仲良くなって、女性と話すことに抵抗はなくなってはいたが、今泉さんと春日さんはギャルだったのでどうしてもまだ話しかけにくい雰囲気があり、なかなか、話しかけたくても話しかけられない自分がいた。それとは対照的に、沢渡所長は今泉さんやバッドウィルの女性たちと気軽に話し、楽しそうにしていて羨ましかった。


今でも謎なのだが、沢渡所長は時々今泉さんを呼んで給湯室に二人きりで過ごす事があった。その時必ず我々に沢渡所長はこう言った。

「いいか。俺らが出てくるまで給湯室のドアを開けるな。分かったか」。

そして大体いつも20分~30分くらいは、二人きりで過ごし、ドアが開くと今泉さんは何事もなかったような顔をして出てきて、沢渡所長はニヤニヤしながら出てくる。少し肌の血色が良くなっている。それを我々はまたかという風に傍観していた。二人が給湯室にいる間、営業所では詮索をしてはいけないという何とも言えない空気が流れていた。


そんな今泉さんと春日さんは、沢渡所長や阿部さんが不在の時は好き勝手に営業所で遊んでいた。休憩時間は、昼の12時~13時と決まっていたが、15時になっても帰ってこない。おそらくファミレスか何かで好き勝手にしゃべっていたのだろう。私がその間電話番をして、一人きりになることが多くなった。ちなみに春日さんはサラダを食べに行く事を

「草を食べに行く」と言うのが口癖だった。

そして彼女たちが戻るとお互い一つ屋根の下でだんまり。ジメジメした空気が充満していた。

こんな時間が苦痛でたまらなかった。彼女達と一緒に過ごす営業所での時間が辛かった。

今思えば、私の方から彼女たちに話しかけて打ち解けようと努力していれば良かった話なのだが、当時の私はチキンだった。

そして営業所にいなくて済むように、うそのセールス電話をかけた。そしてアポイントが取れていないのに取れたように演技をして、彼女たちに聞こえよがしに

「ありがとうございます。それでは後日お伺いさせて頂きます!」と強調して電話を切った。


そして後日、誰とも約束をしていないのに嘘の行き先を言い「行ってまいります」と言って出掛けて行った。行き先は風俗。しかも、営業所に早く帰りたくないので、わざわざ遠い所まで電車で行った。その日の気分で色々な風俗に行った。

彼女たちがお昼にファミレスで草を食べている間、私は風俗嬢にチンコを食われていた。

一度経験すると、お昼に仕事をさぼって受ける性感マッサージは背徳感があって止められなくなった。余計に興奮し気持ち良かった。そして何事もなかったように営業所に戻り

「今日はどうだった」と所長から聞かれても「ダメでした」と答えていた。

心の中では“可愛くてサービス満点の最高の風俗嬢でした。また指名したいと思います”と言いそうになったが含み笑いをしながら下を向いて笑いを堪えた。


そんなある日、外出先から営業所に戻ると何とも言えぬ、只ならぬ張り詰めた営業所の空気を感じた。どうやら我々マウンテンテックからではなく、隣の仕切り部屋のバッドウィルの方から緊張感が漂っている。そして罵声が響いた。

「まだ見つからねーのかよ!てめえ!ふざけるんじゃねえ!」。


そしてテクテク事務所中を歩いて何かを探しているスーツ姿の男性の顔と目が合った。

彼はフッと笑って、また何かを探し始めた。どうやら決算期で必要な提出書類がなく本社らしき人からの監査を受けているようであった。

「早くしろよ!時間がねえだろうが!」ずっと怒鳴り声が止まない。まるでヤクザだった。怒っている本社らしき人は、中々見つからない書類に怒りがエスカレートし、しまいには、机を蹴りだした。部屋中に“ドカン”という音が響き渡った。しかも怒られているのはバッドウィルの所長である。バッドウィルの女性社員たちは、みんな怖がり、マウンテンテック側に緊急避難している。耳を塞いでいる女性もいた。この日ばかりは沢渡所長の方が優しく思えた。


それから数日後、今度は沢渡所長が切れた。同じように月末で本社に報告する書類やらデータやらをチェックしている様子で、この日、沢渡所長はめずらしく朝からずっとパソコンの前に座って仕事をしていた。そして我慢の糸が切れたのか

「ふざけるんじゃねーよ」という言葉とともに、椅子をぶん投げた。数字がなかなか合わなかったのか、何があったのか分からないが、本気で怒った所を初めて見た。これには阿部さんも、びっくりしていてキョトンとしていた。そして沢渡所長が何故か私の方に近づいてきて、胸ぐらを掴み「ふざけるな」と言われた。何が何だか分からなかった。


そしてこの数日後に私は退職願を提出した。

「すみません。退職させて頂きます。英語を使った仕事がしたいんです」。

沢渡所長は、「好きにすれば。俺たちは去る者は追わないからよ」とだけ言った。


苦しかった毎日だった。会社というのはどんなに辛くても辞めてはいけないと自分に言い聞かせていた。マウンテンテックにいる頃は、毎日のようにミセスチルドレンの「終わりある旅」やチェンジ&明日の「ぺライド」という曲を聞いて自分を鼓舞して毎日ギリギリの精神で頑張ってきたが、マウンテンテックでの旅は終わりにしたかった。

精神が崩壊する一歩手前だった。短い期間だったが色々な事があり毎日きつかった。

それらから解放される。娑婆に出る気分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る