第19話
ビルが碇を地面に叩きつけた。
何度も激しく。
土塊が宙に舞い、視界が遮られる中で戦闘が始まるかと思われた。
しかし、
「こ、こんな馬鹿な!」
全てが消え失せていく。
ヴェスターの魔法で出現していた、小さな無数の気泡に土塊が触れる度に、それらは次々と消えていく。
そして最後には、白銀の雪が降りしきるような美しい世界が再び支配していた。
ヴェスターが走り、一気に間合いを詰めて攻撃にうつる。
ビルの碇と白銀の剣が激しくぶつかり合い、その度にヴェスターの剣が刃こぼれしていった。
パワーでは、やはり破壊神となったビルが一枚上手なのか。
時々、辺りを微塵に粉砕するヴェスターのレクスタン剣術も、ビル自身を粉砕するまでには至っていない。
「どうした?
10分で済ませられるのか?」
ビルの挑発する台詞が、この場にいる皆を嘲り笑うかのように耳に響いた。
それでも、ヴェスターの表情は余裕のそれだ。
「10分、待たなくてもいいですかね?」
剣先のスピードが増した。
それでもヴェスターに息切れはない。
まだ、死闘を楽しんで、遊んでいるのに気付いたビルが怒りの表情を露わにした。
「貴様ぁ!
破壊神になった俺をなめてやがるのか!」
「はい。」
ヴェスターの攻撃が、徐々に破壊神の攻撃をうわまっていた。
ビルの体に、無数の切り傷が増えていく。
傷の回復スピードが、早くも限界に達していた。
「こんな、こんな馬鹿な!」
薬の量が足りなかったとでもいうのか?
破壊神としての力が十分に引き出せない。
何故だ?
全てはアニスの仕業とも気付かず、ビルの精神集中が不安定になりだしていた。
ヴェスターは、その一瞬の隙をつく。
凄まじい斬撃と共に、またもビルの腕が斬り落とされた。
ビルの傷口に、落とされた腕に、白い気泡が触れてきた。
ビルはそれに構わず、落とされた腕を拾い、再びくっつけようとした。
が、
「さ、再生しねえ!?」
先程の様に、元通りにならないのだ。
腕は付くが、動かない。
それに、体の切り傷にも白い気泡が付着し、傷の回復を阻止しているようだ。
痛みは感じなかったせいで、気付くのが遅すぎたのだ。
全てを無に帰す白き魔法。
通称、“アンチ・マジック”と呼ばれる魔法だ。
「私の出番はもういいですね。」
ヴェスターが、ビルに背を向け歩き出す。
ビルは恐怖していた。
付いたと思った腕も結局付かず、ボトリと地に落ちたが、その腕を拾おうともしない。
アンチ・マジックは、元国王アレフ・リブ・ガーディアにしか使えなかったと言われる幻の魔法だ。
それを何故この男は習得しているのだ!?
まさか、このヴェスターという男は・・・。
剣とレイピアが激しくぶつかり合うアガンとフォルターの間に、ヴェスターは平気で割って入った。
「ヴェスター殿!?」
「この場の抑えは私に任せて、あなたは止めを刺してきなさい。」
アガンは、フォルターの攻撃を抑えるのに精一杯で、辺りの状況を把握出来ないでいたのだ。
片腕のビルを見つけ、驚愕した。
そして、
「ヴェスター殿、感謝します。」
礼を言うや、ビルに向き直る。
その間、ヴェスターはフォルターの攻撃を抑えながら、
「ドール。」
「何でございましょうか、主様。」
「母さんのところに行って、破壊神の効果を解除する薬品を貰ってきて下さい。
1つあればいいです。」
1つ、ときた。
フォルターだけ解除出来れば十分らしい。
最後の最後まで、ビルはヴェスターになめられっぱなしであった。
そもそも、解除する薬なんてあるのか?
おそらくは、フォルター自身がアニスに依頼していたワクチンがそれなのだろうが、それは完成しているのだろうか。
「承知いたしました。
しばらくお待ち下さい。」
相変わらずのご丁寧な台詞で、その場を去っていった。
そしてケイトといえば、
「暇だなぁ。
外に逃げようとしてくれないかなぁ?」
一番暇そうに、黒豹とのんびり見学していた。
「いよいよ決着だな。
何か言い残すことはあるか?」
「・・・。」
ビルは無言だ。
覚悟を決めたかのような表情だ。
「貴様は決して許せぬ存在だ。
たった一撃で死を与えるような、甘い事はしない。」
ビルは、今になってようやく気付いた。
あの、常にクールなアガンが本気で怒っていることに。
「フォルター様を操り人形にした罪は重い。
身をもって知れ。」
アガンの黒き剣が、ビルの碇と激しくぶつかり合う。
互いの体は傷つかず、武器と武器だけが弾け、金属の音が響く。
それが何度続いただろうか。
ビルの碇が少しずつボロボロになっていくのに、アガンの剣はまるで新品のままだ。
そして、ビルの動きが徐々に鈍くなってきていた。
無限に回復する破壊神の力を秘めたビルに、疲れが生じるとは思えない。
だが、確かにアガンの方はスピードが落ちないというのに、ビルの方は足取りが妙なほどに遅くなっていた。
「な、何故だ?」
これにはビル自身が驚いていた。
アガンの方がスピードが安定している分、ついにビルの体にダメージを与えはじめていた。
その攻撃を受ける度に、足が、体が重くなっていく。
これが、アガンの魔力によるものだと気付かずに。
通称、ブラックホールと呼ばれるこの魔力は、相手に多大な重力をかけることで不動の状態にしてしまう事など朝飯前の技だ。
この魔力の最も恐るべきところは、この重力で相手そのものを叩き潰すことにある。
「うぎゃあ!
お、俺の手がぁ!」
ついに重力に耐えきれず、ビルの手が潰れた。
紙のようにペラペラになっていく。
碇が地面に落ちた。
アガンの漆黒の鎧が一瞬、光を見せた。
重力の力が増していく。
潰れた両手が再生する間もまく、腕までもが潰れていく。
ビルがたまらずに逃走を図った。
しかし、そこにはケイトと黒豹がいた。
ケイトが呪文を唱える。
唱え終わるまでの間、黒豹がビルに襲いかかった。
「邪魔だぁ!
どけぇ!」
威勢のいいのは声だけだ。
両腕が使い物にならぬ破壊神など、もはやただの人間だ。
更に日向に出た瞬間、
「こ、こんな馬鹿な!」
ビルの体全体が硬直し、動けずにいた。
ビルの影が無い。
地を見た瞬間、ビルは蒼白となった。
そこに黒豹となったフレイアの鋭い爪が、やわな片腕を切り裂き、右足を食いちぎった。
ビルの悲鳴が裏路地に響く。
そこにケイトの魔法が炸裂した。
激しく音を立てて炎が出現し、ビルの体を焼き始めた。
死ぬまで終わることのない、魔界の炎がビルの全身を包む。
「・・・。」
もはや、ビルは声すら出ない。
何故だ?
何故、かつては国を3つも滅ぼしたと言われた破壊神の力が、この程度なのだ?
ビルの目線に、錬金術師アニスの姿が映った。
表通りの喫茶店でお茶した後でドールに呼ばれたというところだろう。
クスクスと笑っていた。
全てが計画通りだったとでも言いたげに。
まさか、あの時、手に浴びた強酸の霧は、破壊神の力を抑える為に果実に降りかけていたのか!
そして、先程の霧獣の攻撃も、全ては破壊神の力を無くす為の手段だったのか!
まさか、昔、薬品で破壊神の力を止めたという伝説の一族は、あの女の本家・・・。
アニスが、ビルの目前で、ビルの操り人形にされた破壊神、フォルター男爵に液体の薬を頭からかぶせた。
すると、数秒後・・・。
「うっ!
こ、ここは? 私はいったい・・・。」
ここはどこ、私は誰とでも言いたげなフォルターにヴェスターは、
「どうぞ、止めを。」
と、剣先で燃えているビルを指し示した。
もはや、ビルは虫の息であった。
少しも動こうとしない。
「かたじけない。」
我にかえったフォルター男爵は、愛用の剣レイピアで、ビルの心臓部をひと突きにした。
魔界の炎が消えた。
ビルであった人型のものが、炭となって静かに地へと崩れ落ちた。
人形娘が
「アリサさんをお呼びしてまいります。」
と、灰に語りかけ、またその場を去った。
アリサは、事の一部始終を人形娘から聞くと、ソルドバージュ寺院へと立ち寄り、骨壺を手にしてきた。
骨壺を、蓋をしたまま地へと置き、ゆっくりと呪文を唱える。
すると、骨壺の蓋が静かに開き、壺の中へと灰や骨が入っていった。
呪文の詠唱が終わると、蓋は静かに閉じていた。
「これで、全て終わったんですね。」
後からアリサと共に来たルクターが、どこか寂しそうに言った。
「憎しみは、憎しみしか生まないのに、何故破壊を求めたのかしら?」
同じく後から来たテリスも、寂しげな色があった。
元はフォルター男爵の下にいた同胞故の想いであろう。
「許せなかったのだろうな。
両親を殺した、この世界そのものを。」
アガンはクールな表情のままだ。
が、その心情はいかなるものか。
「運が無かったな。
まさか、レクスタン剣術の使い手が2人もいるとは思いもしなかったろう。
そして、破壊神を食い止めるワクチンが存在したことも。」
フォルター男爵が、ウェストブルッグ一家の皆に、深々と礼をした。
「この度は、数々の無礼がありながら、ここまで協力していただいたこと、深く感謝する。
ありがとう。」
これに対してヴェスターは、
「いえいえ、お気になさらず。
私もまさか最後のレクスタン剣術の伝承者に会えるとは、思いもしませんでしたよ。」
と、明るく陽気な声で語った。
暗い雰囲気の一番似合わない男であった。
アガンが一歩、歩み寄る。
「師から聞いていました。
名前は教えていただけませんでしたが、恐ろしく強い兄弟が、短期間で我が剣術を習得していったと。
ヴェスター殿には、兄か弟が?」
「ええ。
冒険者をやっていた兄がいます。
ただ“西の対戦”で行方不明になりましたがね。」
「・・・そうでしたか。」
ようやく、アガンが納得の表情を見せた。
ヴェスターは、なつかしそうに語った。
「あなたは、若き日の兄に似ていますよ。」
アガンは、酒場でのギルの台詞を思い出していた。
酒場のギルが語っていた、行方不明になった男とは、目の前にいる者の兄上だったのだと。
と、いうことは、あのギルは六英雄の一人なのだろう。
「六英雄の四人は、全員がこの国に健在なのですか?」
「いえ、一人死にました。
白銀の国王アレフ・リブ・ガーディアは。
今は娘のエレナが女王を勤めています。
残り三人は、今も健在ですよ。
真紅の魔剣士セイクレッド・ウォーリア。
彼は今、この国の王宮護衛団の総責任者です。
重戦斧のギル・ジル・キルジョイズ。
彼は今、キルジョイズの酒場のマスターをしています。
女神の癒し手サリナ・ステイシー。
彼女は、ソルドバージュ寺院の大司教です。
そして、そこにいるアリサは、彼女の愛娘ですよ。」
名を口にされたアリサが、ニッコリと笑みを見せた。
美少女の笑みの裏が、実は武術の天才だなど、誰が信じるだろう。
フォルター男爵はヴェスターを見た。
「今回の件、国も承知ですか?」
「ええ、予言者が3人もいますから。
たぶん全て熟知でしょう。」
「では、私と現国王の謁見の場を与えてもらいたいのだが、お願い出来ますか?」
「それは構わないですが、何故?」
「これだけのことを国内でしでかして、無言で領地に帰る訳にはいきませんからな。」
フォルター男爵の目には、どこか覚悟の色があった。
「では、参りますか。」
それを見ても、ヴェスターの明るい声色は変わらなかった。
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