第18話

 その、とっくの昔の数分後、

「父さん?」

「おや、ケイトも来ましたか。」

 路地裏の酒場入り口で親子が出会った。

 酒場の四端に裏結界器が淡い光を放っているのが見える。

「光加減からして、あと30分で作動するわ。」

「どれどれ。」

 父ヴェスターが魔法を唱えた。

 すると、裏結界器の魔力が跡形もなく消失し、ただの置物と化してしまった。

「これでよし。」

 相変わらずノンビリ口調のヴェスターに、ケイトが不安な表情を見せた。

「いいの?

 もし、万が一・・・。」

「万が一は有り得無いですよ。

 ケイトはここで待機していなさい。」

 ケイトの目つきが、キッとなる。

「冗談じゃないわ!

 まだ借りを返していないのよ。」

 ケイトはそう言うや、さっさと扉を開けて中に入る。

 そしてそこで見たものは、妹キャサリンの鞭で擦り傷だらけにされ、挙げ句の果てに魔獣ケルベロスの炎に炙られて殺されたスーレンの死体であった。

 目の前の現実を、やむなく受け入れて肩をガックリと落とす。

「どうしました?」

「キャサリンに先を越されたわ。

 せっかく魔法瓶まで用意して来たってのに!」

 ヴェスターがケイトの肩をポンとたたく。

「ま、運が悪かったんですよ、きっと。」

「フレイアめぇ~、どこ行ったのよアイツは!」

 ケイトは、魔力を精神集中して使い魔の居場所を探った。

 ここの地下だ。

 しかも食事中のようだ。

 誰の影を喰らっているんだか。

 地下への扉へ向かおうとした時、そこにはヴェスターがすでにいた。

「ここは私に任せなさい。

 ケイトはここに入ろうとする人を食い止めて下さい。

 私の剣術の凄まじさは知っているでしょう。」

 そう言っていると、地下でもの凄い爆音がした。

 それのすぐ後に、階段を駆け上がってくる音が響く。

 ヴェスターは、ケイトを外へ促した。

 逃げ足の早いタイプなら、玄関は死守せねばならないからだ。

「ハァ、ハァ、ハァ。」

 息を切らしてビルが出てきた。後からフォルターが追いかけてくる。

「あのアマァ、どこ行きやがった!」

 ビルの皮膚が焼けただれている。

 破壊神の回復能力など無視したかのようだ。

 まさか、回復出来ないのか?

 ヴェスターは、玄関を塞ぐように立っている。

「貴様、そこをどけろ!」

「残念ながら、どくわけにいかないんですよ。

 あなたが、麻薬の首謀者ですね?」

 そしてヴェスターは、後ろのフォルターに下がる様に声を掛けた。

 が、フォルターはそれを拒否した。

「どなたかは存じぬが、祖奴は私が制裁せねばならんのだ。

 手出しはせんでもらいたい。」

 これにヴェスターはアッサリと受け入れる声を上げた。

「分かりました。

 じゃ、外で待っていますんで、終わったら呼んでください。」

 ヴェスターが出ていこうとする背に、

「まてえ!

 貴様にはこれをくれてやる。」

 スーレンの死体に、死体奴隷薬が降り注がれる。

「カーター家の死体奴隷薬ですか。」

 スーレンの死体がムクリと起きあがる。

 そして、巨槍を手にヴェスターに襲いかかったが、すべては一瞬で終わった。

 ヴェスターの白銀の剣が一振りされたかと思うと、轟音と共に死体は塵芥と化し、その奥のカウンターまでもが吹き飛んだのである。

「まさか、その技!」

「レクスタン剣術か!」

 破壊神2人が驚愕した。

 まさか、あの剣術の使い手が2人も身近に存在するとは!

 そして、当の使い手は、

「じゃ、ごゆっくり。」

 外への扉を開け、のんびりと出ていってしまった。

 今の剣術の一端を見せたことなど、歯牙にもかけていないように。

 そしてここでまた、一対一に戻った。

 互いの剣がうなりを上げて攻撃する。

 傷が出来たかと思えば、瞬く間に再生し、そしてまた傷を作り出し、また再生し・・・。

 しかし、それでもアニスの与えた傷だけは再生していなかった。

 きりがない。

 互いが同じ薬で生まれた者なら、力も互角。

 こうなると、武器の違いで決着がつくかと思われた。

 だが、細身の剣レイピアの先端が碇の突起部に触れた時、激しく両者の武器が砕け散った。

 両者は即座に素手による攻防に移る。

 その素早さは、何者にも例えがたい動きをしていた。

 蹴り、殴り、互いの血飛沫が舞う。

 そんな緊迫の中で、ビルが不敵な笑みを見せていた。

 ビルが、攻撃用にとっておいた薬品全てを四散させた。

 シュウシュウと音を立てて蒸気が上がり、フォルターの皮膚が焼けただれていく。

 ビルは得意の薬品で決着をつける気だ。

 対してフォルターは、得意の魔球で攻防する。

 蒸気で足元の視界が遮られている中、ヒョコヒョコと逃げるように扉に向かう黒猫がいたが、2人とも気付かなかった。

 ビルの影が無くなっていることにも、もちろん気付いていなかった。


 外では、ヴェスターとその娘ケイトが表通りの喫茶店でお茶をテイクアウトして持ってきていた。

「なんか、緊迫感ないな~。

 いいの父さん、このままで。」

「いいんじゃないですか。

 どうやら母さんの薬品も活躍していたようですし。

 それに使い魔のフレイアが“あの”中でしょう?」

「・・・あの馬鹿タレ。」

 そんなことを言っていると、扉を内側からカリカリする音が聞こえた。

「噂をすればなんとやらね。」

 ケイトが扉を小さく開けると、黒猫フレイアが慌てた様子で出てきた。

 ケイトは、ちょっと中を覗き込むと、軽くため息をして扉を閉めた。

「どうでした、中の様子は?」

「まぁ~だ、やりあってるわ。

 あれ、フレイアは?」

 ヴェスターは、何も言わずに指さした。

 そこでは黒猫が小便していた。

「トイレだったの?

 一番緊張感の無い奴ね~。」

 ヴェスターは、表通りの方角に目線を移した。

「お客が来ましたね」

「え、誰?」

 人形娘ドールと、暗黒騎士アガンであった。

「お客様を一名お連れ致しました。」

 まるで自宅での会話のようだ。

 アガンもまた、

「御邪魔いたします。」

 生真面目2人組の完成である。

 ふざけたような台詞の連続であるが、この2人の雰囲気に冗談という感覚はない。

「アガン様。

 こちらがもう一人の使い手、ヴェスター・リー・ヴェストブルッグです。

 ヴェスター様、こちらは最後のレクスタン剣術の使い手アガン・ローダー様です。」

 ヴェスターは、優しい顔つきでアガンを見た。

 魔界で作られた漆黒の甲冑と剣を装備した男を。

 この武具は師のものに間違いない。

 それはドールも認めていた。

「レクスタン郷は、逝きましたか。」

「はい。

 私如きに、この漆黒の甲冑と剣を託されました。

 私の特異な魔力を存じ上げて。」

「なるほど。

 師に一番近い存在だったのかもしれませんね、あなたは。

 私の魔力では、その甲冑も剣も無力になりかねませんから。」

「ところで中の様子は?」

「2人で決着をつけたいそうです。

 ですので私たちは席を外しました。」

 話していると、突如として扉がゆっくりと開きだした。

 現れたのはフォルターだ。

「・・・何だ、貴様ら。

 死ににきたのか?」

 フォルターの目つきがおかしい。

 足に地がついていないような、どこか浮いた雰囲気がした。

「フォルター殿、まさか・・・!」

 フォルターのそれが、突如として殺意に変わった。

 手には、ビルが与えた巨大な碇がある。

 まだ使用していないものを掛け壁から取ってきたようだ。

 武器に汚れがない。

 轟音と共に地面が裂け、地の破片が宙に舞った。

「フォルター殿!」

 アガンの声が届かない。

 アガンは攻撃せず、剣で受け、必死に何度も名を叫ぶが、それも叶わなかった。

「クックックッ、この薬は本当に良く効きやがる。」

 酒場の入り口で、ビルが不気味に笑っていた。

「ビル!

 貴様、フォルター殿に何をした!?」

「奴隷薬の一番強いやつを与えたのさ。

 この薬には体力回復の効果もあるから、破壊神になった俺らでも抵抗出来ねえんだよ。

 もっとも俺は抗体ありだがな。」

「・・・俺ら・・・だと?」

「おっと、勘違いすんじゃねえよ。

 フォルターが破壊神になったのは、あいつ自らの行いだぜ。」

 フォルターがアガンに襲いかかる中、ビルの前にヴェスターが立ちふさがる。

「あなたを倒す為に破壊神になる覚悟を決めたのでしょう。

 その方の意志は、私が継ぐとしますか。」

 ビルが、ヴェスターに剣を抜く間も与えず、碇を振り上げて強襲する。

 壁から更にもう一本手にしてきたようだ。

 ヴェスターはそれを寸ででかわし、間合いを取るや呪文を詠唱する。

「貴様、魔法剣士か?」

 ビルが、襲いかかろうとした矢先、突如バランスを崩した。

 ビルの視界が、一瞬真っ白になったのだ。

 目をこすり、辺りを見る。

 すると、中空の途中途中に白い気泡が出来ていた。

「なんだ、幻か?」

「これが幻に見えますか?」

 ヴェスターが剣を抜いて構えた。

 そちらから来いとでも言いたげに、身構える。

 ビルが碇を振りかざした。

 ヴェスターがその攻撃をよけ、瞬時にしてビルの左腕を斬り落とした!

 だが、それでもビルに不安の色は見られない。

 ビルは、落とされた左腕を拾うや、斬られた肩にあてがった。

 みるみるうちに再生し、左腕は復活した。

 ヴェスターはほくそ笑んでいた。

 今の一連の行動は、全て予定通りであったのだ。

 腕が斬られても、また安心して再生出来るという安堵感を敵の心理に焼き付かせる為に。

 これで敵の防御は、己の再生能力に過信するあまり、疎かになる。

「レクスタン剣術も、破壊神の力には無意味のようだな。」

 ビルは豪語していた。

 ヴェスターの思うつぼだ。

「剣術で倒しても良かったんですがね・・・。」

 剣を片手で構え、彼はにこやかに語る。

「あなたには、この世の地獄を見せてあげますよ」

 白い気泡が、数え切れない程に出ていた。

 小さく、天から無限に降りしきる様は、まるで真冬の白銀のカーテンだ。

「アガン、でしたか。

 あなたはフォルター殿を抑えていて下さい。

 あなたほどの実力者なら、殺さずに防御しきることは可能でしょう。」

「心得ました。

 が、一つ願いがあります。」

「心配せずとも、止めは貴方にお任せしますよ。」

 なんという会話だ。

 彼らは既に勝つ気でいるのだ。

 破壊神相手に。

「この俺を本気で殺せると思っているのか。」

 ビルの脅しなど、どこ吹く風。

 アガンとヴェスターの顔色は自信満々もいいとこだ。

 その上、ケイトまでが

「あんたみたいな貧弱な破壊神は、私でも勝てるわよ。」

 魔法瓶の蓋を開け、中の液体を両手にかけた。

 黒猫フレイアが側に寄ってきてチョコンと座り、目をつぶる。

 ケイトは両手で印を結び、呪文を唱える。

 魔法使いのそれではない。解魔術だ。

 手からは先程の液体が常温で蒸発している。

 解魔術と呼ばれるそれは、封印されたものを安全に解き放つ事を目的とした魔術である。

 古い時代に封印された壺の封印を安全に解くのは、もっとも代表的な解魔術だ。

 これと相反しているのが封魔術で、こちらは主に封印するのを目的としている。

 ちなみに、魔力のこもった剣を作るのにも封魔術は必須とされており、キャサリンの得意分野でもある。

 ケイトは、何に封じた、何を解き放つ。

 黒猫フレイアの体が、モコモコと太りだした。

 否、体全体が大きくなってきていた。

 黒豹のようなしなやかな体に、獲物を狙う紫の瞳は獰猛に輝いていた。

 牙の鋭さも魔獣ケルベロスに劣っていない。

 魔界にしか生息しないと言われる、ヘル・キャットだ。

 その中でも凶暴と名高いブラック・ヘル・キャットに違いない。

「ブラック・ヘル・キャットか!」

「食事も済ませていたようだしね。

 あなたがここから逃げだそうとした時のための保険よ。」

「食事だと・・・?」

 ビルは、ケイトの台詞が理解できずにいた。

 ケイトが、ニヤリと不敵な笑みを見せる。

「ここから逃げるには日の差す方角しかないわ。

 逃げ出せば分かると思うけど、間違っても逃がさないからね。」

 ケイトが、魔法使いの呪文を唱える。

 外には絶対に出られないように結界を張った。

 全ての準備が整ったのを確認したヴェスターは、

「じゃ、10分で終わりにして、お茶会にしましょうか。」

 最後の最後まで、緊張感の無い台詞で剣を構えていた。

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