第17話

 ケイトの妹キャサリンは、酒場に辿り着いていた。

 大きめの革袋を背に、右手には八本の触手が伸びたような八又の鞭を持っている。

 八又の鞭は“エイト・ヘッデッド・ドラゴン”と呼ばれる、非常に稀少な武器だ。

 八本の先端には邪龍の牙が装着されており、攻撃力は数ある鞭の中でも上位に位置する。

 命中精度も良く、敵に次々と攻撃が当たる様は、まるで鞭そのものに意志があるかのようだという。

 キャサリンは、まず酒場の外周四カ所に裏結界器を設置し、それの魔力を解放した。

 これで、今から一時間後には酒場“セイル”が完全消滅する。

 中にいる者がいれば、当然それらも全て。

 裏結界器の発動を確認していると、子犬の姿で魔獣ケルベロスがやってきた。

 が、キャサリンは魔獣を外で待機させ、己のみが中へと入った。

 中央に、氷の魔女スーレンが立ちはだかっている。

「貴女を殺しに来ました。」

 滅多に聞くことのできぬ、キャサリンの真剣な声。

 革袋を背負ったまま、鞭をしならせる。

 衝撃を受けた床に亀裂が走り、途端に砕けた。

 床の破片が中空に舞い、スーレンの視界を一瞬遮ったのが、スタートの合図となった。

 八又の鞭の先端全てがスーレンを襲う。

 敵に突き刺さった手応えがあったが、妙だ。

 肉に刺さる様な感触じゃない。

「氷の彫像!

 いつのまに変わり身を?」

「邪魔立てする者は、全て凍ってもらうわ。

 永遠にね。」

 魔法の詠唱がどこからか聞こえる。

 スーレンはキャサリンの武器を見て、魔法戦闘に切り替えたのだろう。

 だが、それは一分に満たない魔法戦闘であった。

 キャサリンがそれに合わせるかのように、風の精霊に呼びかけ魔法を詠唱する。

 そして次の瞬間、スーレンの魔法は消し去られた。

「・・・!」

 スーレンの声が出ない。

 キャサリンの沈黙の呪文が勝ったようだ。

 王宮魔法陣以外の人間にかなう者はいないとまで言われたキャサリンの精霊魔法。

 セレネ魔法学院をトップで卒業したその実力は、スーレンの魔法を遮る事が出来たようだ。

 こうなっては、肉弾戦に突入するしかない。

 スーレンが巨槍片手に現れるが、これをキャサリンは待っていた。

 いつの間にか、スーレンを取り囲む様に床に仮面と服が置いてある。

 そして、呪文を詠唱していたキャサリンもまた、同じ服を着、同じ仮面を被る。

 詠唱が終わると、ゆっくりと仮面と服が宙に浮いた。

 手袋もあった。

 手袋が、本物の手のようにしなやかに五指が動く様は、一種、不気味この上ない。

 まるでキャサリンの写し身だ。

 服や手袋の中には風しか入っていないというのに。

 武器も八又の鞭に似せて作ったレプリカを持たせている。

 四方八方から一斉に攻撃が始まった。

 キャサリン本人を殺せば済むのだが、酒場内がある程度暗いせいか見分けるのは困難だ。

 一瞬の間隙に、スーレンの槍が偽物に突き刺さるが、中身が風しかない以上、倒れることなく反撃の鞭がうなるだけであった。

 本物が判別出来ない。

 出来ぬまま、攻撃が魔神のごとき勢いで続く。

 今度は、偽物の武器を破壊してみた。

 が、だめだ。

 鞭自体が八又になっている以上、一本を壊してもまだ七本も残っている。

 このままでは、ロクな反撃も出来ずに死ぬだけだ。

 そう悟ったスーレンは、わざと擦り傷を受ける事にした。

 本人は武術にも優れていたこともあって、紙一重でかわす事は可能であった。

 が、攻撃にわずかしか手が及ばない以上、本物の武器がどれかを肌で確認するしかなかったのだ。

 本物を見極め、本体を確実に突く。

 その手は理想に違いないが、傷つくことを承知の上でやるなんて狂気の沙汰だ。

 スーレンの体がフラついてきた。

 キャサリンが勝利を確信した刹那、

 スーレンの目がカッと見開かれた。

「もらった!」

 巨槍の先端がキャサリンめがけ急襲する。

 キャサリンは間に合いそうにない。

 殺されると思った。

 が、その槍は突然背後から飛び出してきた魔獣の体を貫いた。

「ケルベロス!」

 キャサリンが叫ぶ。

 そしてそれは、己の精神集中を途切れさせる結果となった。

 巨槍の先端が魔獣の体を突き抜け、キャサリンをも刺した。

 しかし、深くは刺せない。

 キャサリンは崩れ落ち、宙に浮いていた仮面や服も主に続いて床に沈んだ。

 スーレンが安堵したその時を、貫かれた魔獣は見逃さなかった。

 口から、咆哮と共に炎のブレスを吐き出した。

 魔界の炎だ。

 スーレンの氷でも、これは抵抗しきれない。

「キャアアアアア!」

 スーレンは絶命した。

 ブレス(吐息)は、主にドラゴンが得意とする、完全抵抗が不可能な必殺の攻撃だ。

 種類も数多くあり、炎や氷はもちろん、雷や毒、中には強酸を吐くモンスターもいる。

 この魔獣ケルベロスは、炎を吐くタイプであった。

 スーレンは氷の属性の魔力を有していたから、少々の抵抗は出来た。

 が、満身創痍の状態で喰らっては、即死は免れなかったのだ。

 魔獣ケルベロスも、その咆哮を最後に巨槍を貫かれたまま地に伏した。

 キャサリンもまた、胸元から血を流しながら横たわっていた。

 酒場の床は、少しずつ真紅の絨毯をまといはじめていた。


 家では老婆ベレッタが倒れていた。

「まさかケルベロスが刺されるとはね。

 どうにか倒したようだが、本命の敵はアニスに任せるしかないか。」

 ケイトの使い魔の声は、家族全員に聞こえたはずだ。

 おそらくはヴェスターも向かっただろう。そしてドールも。

 ベレッタは、よっこらせと声に出して起きあがり、懐にあったカードで占いを始めた。

 こんなときにと思う人もいるかもしれないが、こんな時だからこそのベレッタの占いなのだ。

 そしてその結果は、

「なんだいこれは?

 破壊神が二人に、剣士が二人?

 まさか、あの剣術を身に付けた三人目がいるというのかい!?」

 破壊神二人の存在など、この事に比べればどうでもいいと言うのか、ベレッタよ。

 レクスタン剣術とは、いったい何なのか?

 何故、そこまで恐れるのか?

 ベレッタは、ため息をつくと、ただ一言こう言った。

「破壊神も終わったね。」


 アニスが酒場に辿り着いた時は、既に血の海であった。

 だが、それでもこの魔女は

「あらあら、随分派手にやられたわねぇ。」

 心配の念は無きに等しい。

 アニスは、フェニックスの羽を原料に作った特殊な粉末状の薬品を、キャサリンと魔獣に降り注いだ。

 濃い霧の様に視界が遮られる。

 そして、

「・・・母さん?」

 キャサリンと魔獣は息を吹き返した。

 上位神聖魔法に匹敵する効果を、この魔女は薬品一つで決めてしまう。

 錬金術は奥が深い。

「体力まで回復したわけじゃなくてよ。

 外で待ってなさい。」

「母さん、でも裏結界器が・・・!」

 キャサリンの母アニスは、心配無用とでも言いたげに、手を振って応えながら地下へと降りていった。

 そしてそこには、破壊神二人が、相手の出方を窺うかのように対峙して動かない状態でいた。

「ハァーイ、二人とも元気?」

 まるで、カウンターの奥から現れた飲み屋のママの声だ。

 一瞬、気が抜けそうになったフォルターだが、それはフリだ。

 わざとの行為にビルが必殺の一撃を屠る。

 フォルターは、それをレイピア一本で受けた。

 巨大な碇の襲撃を細身の剣一本で受ける力もまた、破壊神の力の一端であった。

 最高の好敵手を得たかのごとく、受けては返す好戦が続く。

「一言ぐらい声掛けてくれてもいいじゃない。

 ケチねぇ。」

 一人だけ場違いな魔女であった。

 アニスはこれを見計らい、二人が気付かぬのを承知で懐から小瓶を取り出し、栓を抜いて床に置いた。

 瓶からは煙のようなものが立ち込める。

 アニスの姿が見えなくなった。

 魔女は、自分の役目は終わったとでも言いたげに、入ってきた扉から地上へと出ていった。

「一番強烈なやつを余裕で解放出来るなんてね。

 楽なもんだわ。」

 遂にアニスの真価が発揮される。

「なんだ、これは!?」

 部屋の天井に雲が出来上がっていた。

 仕掛けた魔女は既にその場にはいない。

 煙が怪鳥の群れの形状をとった。

 こ奴らの目の辺りが真紅に光った。

 狙いはビルだ。

 突如、空襲が開始される。

「邪魔だぁ!」

 ビルが怒りの形相で碇を振り回した。

 しかし、煙で出来たモンスター相手にダメージを与える事は出来なかった。

 それでも、煙の怪鳥はビルにダメージを与える事が出来る。

 フォルターも攻撃の手を緩めない。

 ビルの傷の回復が遅い。

 ついに、回復能力を越えたダメージが襲いかかっていた。

「お、おのれぇ!

 あの魔女め!」

 錬金術師アニスと戦闘した者が、必ず吐く台詞であった。

 破壊神も、魔女の企みには勝てないのか。

 ビルは、腰に付けていた小さな革袋から小瓶を取り出し、瞬時に床に叩き割った。

 こちらからも煙が現れ、怪鳥の群れを包み込んだ。

 そして、その隙に扉を開け、地上へと階段を走る。

「逃がさんぞ、ビル!」

 フォルターもそれに続いた。

 ビルは、あの煙の届かぬ範囲なら、またフォルターと互角に戦えると思ったのだろう。

 しかし、それは甘すぎた。

 ビルは煙の攻撃を何度も受けてしまっていた。

 それが、魔女の企み通りであったのだ。

 一度でも攻撃を受ければいい。

 その後の効果が、錬金術の真価なのだから。


 そして、当の魔女アニスといえば、

「さ、帰りましょ、キャサリン。」

 とっくの昔のお話である。

 アニスは余裕の表情で外に出ていた。

 それもそのはず、小瓶の蓋を開けてサヨナラしてきただけなのだから。

「もう帰ってきたの?」

「余裕だったわ。

 表通りの喫茶店でお茶でも飲んでいこうか。」

「う、うん・・・。」

 普段はホエホエのキャサリンも、母にはかなわないようであった。

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