第15話

「小っちゃい男が死んだわ。」

 ケイトがボソリと呟いた。

 屋外用の木製のテーブルと椅子を用意し、禁断の果実の木の下で2人でお茶会していた・・・もとい、果実の木を守っていた中、気付いた声である。

「どういうこと?」

「ベリスって呼ばれていた男に、魔法で時限爆弾を体内にセットしておいたの。

 今頃は炭と化しているはずよ。」

 テリスの額に冷や汗が流れた。

「いつの間に?」

「あたしが魔界の炎で編んだネット・ウィップを使った時よ。

 あいつ、やけに暑がっていたでしょ。

 その炎の網を丸めて塊にしたやつを、魔法でタイマーセットして体内に爆弾として埋め込んでおいたの。

 ま、辺りから見れば、赤い網がただ消えただけにしか見えなかっただろうけどね。」

 淡々と語るケイトに、テリスが恐怖と納得の表情を見せた。

「だからあの時、わざと逃がしたのね。」

「おかげで場所も把握できたわ。」

 ウェストブルッグ家の長女の魔法は、敵に対しては常に死の宣告となる。

 不気味な話のはずむ中、人の気配が多くなりはじめた。

 敵意はなさそうだが、この家に向かってやってきているのは確かだ。

「何人かしら?

 随分と多そうね。」

「おそらく、4、50人程ではないかと思うけど。」

 木には、花の咲いたところに実が生りはじめていた。

 朱色の果実だ。

「まさか、その人たちって、この果実を狙ってるの?」

 その台詞と共に、家の門が弾け飛んだ。

「スーレン!」

 テリスが叫んだ名の主は、巨槍を片手に猛然と突進してきた。

 だが、2人にではなく、木にだ。

 その背後からも大勢の人数が押し寄せてきている。

 スーレンはともかく、他の彼等の目は尋常じゃない。

 唯一の救いは、木の背後が家という事であった。

 偶然の結果ではあったが、これで四方八方から攻撃を受けることはない。

 しかし、刃の弾ける音と共にスーレンの前に立ちはだかったのはテリスだった。

 これでテリスはもう身動きがとれない。

 言うなれば、残りの50人程は全てケイトが防がねばならないのだ。

「テリス!」

「私は大丈夫です!

 ケイトさん、気を付けて!

 彼等は・・・!」

「そう、麻薬の中毒者共よ。」

 スーレンが冷たい瞳でテリスの後に続けた。

「もう、彼等には果実を食するという欲望しか脳にないのよ。

 その為ならあらゆる手段をつくすでしょうね。」

 ケイトは、それでも不敵な笑みをスーレンに見せた。

「ウェストブルッグ家を甘くみない方がいいわよ。」

 ところどころで、果実の木の葉がパチパチと音を立てて燃え出した。

 炎の色が黒い。

「魔界の炎か!

 しかし、それでは果実は燃えないわよ。」

「果実を燃やすのが目的じゃないわ。

 この炎、ただの魔界の炎じゃないわよ。」

 麻薬中毒者が木の傍まで来たが、ケイトは見向きもしない。

 その者が果実に触れる前に、辺りを包み込みはじめた魔界の炎がその者の体に触れた。

 恐怖はそこから始まった。

 辺りに居た者共が、皆、途端に燃え出したのだ。

 恐るべきは、まだ木に到達していない者共まで黒い炎に包み込まれている点であった。

 人間の肉の焼ける臭いが鼻にくる。

 約50人の人間焼肉が出来上がっていく様は、一種の地獄絵図だ。

 モンスターとの戦闘には慣れている筈のテリスが、たまらず吐き気をもよおしていた。

 それを見ていたスーレンまでもが目を伏せる。

 ケイトの使用した魔界の炎は、最初に燃えた人間を対象にして、即座に麻薬の成分を検出し、同じ麻薬を所有している身近な者全てに対して炎を転移させたのである。

 通称リンクと呼ばれる解魔術の一種だ。

 たとえ離れた場所にいても、敵を一瞬にして殲滅させるには最も効果的な方法であった。

 ケイトには、魔法を詠唱することなく様々な炎を操れるという特殊な固有魔力を得ている。

 更には高位な解魔術も行使できる。

 その力の一端がこれなのだ。

 だが、この様をケイトは残酷とは思わないのか。

 非情だとは感じないのか。

 家の裏手で、巨大な扉が開くような音がした。

 地獄の門が開いたかのような不気味な音に、天が唸りを上げた。

 暗雲が立ちこめてくる。

「次はあなたが死ぬ番よ。」

 ケイトがテリスを退けさせ、スーレンと対峙した。

 テリスは動けなかった。

 恐怖していた。

 スーレンにではない。

 ケイトに、だ。

 テリスはもはや硬直していても問題ないかに見えた。

 が、後から現れた者の存在は、テリスの闘気を再び起こすに充分であった。

「ビル・・・!」

 ビルは辺りの焼死体を見渡し、スーレンの様子を遠くで目で伺う。

「スーレンはここの家の主と対戦中か。」

 ビルがゆっくりと歩み寄っていく。

「どけ、テリス。

 一応は元同士であった者を殺す気は無い。」

 ケイトの実力を見たばかりか、ビルの台詞がとても優しく感じられたテリスであった。

 だが、それでもこの者は我が主を汚した裏切り者なのだ。

 テリスは、2本のクリスナイフを両手に構え、ビルとの間合いを測って距離を取った。

 幻術師特有の構え“幻舞”が始まったことに、ビルは気付いていない。

「俺と殺り合う気か。」

 ニヤリと笑い、舌舐めずりをした時、やけに大きな舌舐めずりをする音がした。

 ズベリ、ズベリ。

 妙に耳にくる痛々しい音だ。

 テリスがビルめがけて突進した。

 ビルも、ダガーを両手に応戦する。

 ギィイン

 刃の弾ける音が、また耳に痛く響いた。

 まさか、これは・・・。

 ビルが何かに気付いた時、それは既に遅かった時であった。

 耳の次は目だ。

 テリスのナイフを持つ腕が、4本ほど多く見える。

 テリスの攻撃が次第に激しくなってきた。

 計10本の腕を相手に、いつの間にかビルは防戦一方になっていた。

 そして、もう一つ気付いた。

 こんなにテリスと間近にいるのに、テリスの香水の香りが全くしない。

 辺りに焼死体が山とあるのに、焦げ臭いこともない。

 ビルは今、聴覚、視覚、嗅覚が犯されていた。

 これが、テリスの得意とする殺人幻舞スティーラーである。

 敵全ての5感を奪い、容易くナイフで殺していくこの術は、多対一の対戦に最も効果を発揮するのだ。

 テリスの殺人幻術は、ビルの5感を徐々に奪っている。

 残りの2感が奪われるのも、もはや時間の問題であった。

 たまらずビルは、薬液の入った小瓶を放った。

 それは一瞬にしてテリスの刃によって砕け、中の液が飛散する。

「しまった!」

 毒液なの?と思う間もなく、テリスは即倒して昏睡状態となっていた。

 テリスの幻術がこれで解かれた。

「ふう、手間かけさせやがる。」

 錬金術にて調合した強力な睡眠薬は、一発で形成逆転させていた。

 彼もまた、テリスと同様フォルター男爵の側近の一人であったのだ。

 その、1つの薬品で状況を一転させた力は、やはり並ではない。

 一方のケイトと言えば、魔界の炎が次々と消化されていた。

 ケイトが魔界の炎を扱うなら、スーレンは魔界の氷を扱う。

 加えて巨槍の手練に対して細身の剣レイピアでは、分が悪すぎた。

 ケイトの炎にスーレンの氷が溶かせればいいのだが、奇しくも魔力の強さは同等であった。

 もしケイトの魔力が上なら、炎は消えはしない。

 もし、スーレンの魔力が上なら、炎は消えずに凍るだろう。

 ケイトにとっては久々の強敵相手故か、ビルの行動を抑えられない。

 ビルは少しずつ歩き、果実に近付いていく。

 しかしここで、木の幹がビュルンと唸り、ビルの体を締め付けはじめた。

「キャサリン!」

 ケイトの妹キャサリンが、家の裏口から現れた。

 家の裏手にはキャサリンの仮説研究所がある。

 ・・・そういえばさっき、聞こえてた門を開いた音は、まさか・・・。

 キャサリンの頭上を、漆黒の伝書鳩が3羽、それぞれが目的の地へと羽撃いた。

 そしてキャサリンの背後からやってきたのは・・・。

「まさか・・・。」

 ビルが目を剥いた。

 黒と茶の剛毛に体を包んだ巨大な獅子の頭は3つあった。

 牙をガチガチとならし、舌舐めずりをし、獲物を欲する涎がしたたっていた。

 真紅の瞳が、ビルを睨み付けている。

「ケルベロスか!」

 地獄の番犬、夜の魔獣と名高いこの猛獣は、獣魔術師でもない限り使役することは無理だ。

 キャサリンの力ではない。

 だがビルは、この美少女が操っているようにしか見えないだろう。

 ビルは、ダガーで締め付けていた幹を斬り、とりあえずの自由を得るや、今度は粉末状の薬品を取り出して辺りの焼死体に撒いた。

 黒焦げの死体がムクリと起き上がる。

 次々と起き上がる様は不気味この上ない。

 起き上がった時、指がボロボロ落ちていった者がいる。

 右の眼球がこぼれ落ちた者もいる。

 それらは、明らかにキャサリンと魔獣に近寄っていた。

 時間を稼ぐのは十秒程でよかった。

 ビルが木に近付く。

 キャサリンとケルベロスは50体もの生ける屍を相手に、他には手がだせなくなっていた。

 しかし、

「ギャアアア!」

 ビルが痛みを堪えきれずに叫んだ。

 霧だ。

 禁断の果実の木を、薄い膜で包み込むかのように霧がガードしている。

 しかもただの霧ではない。

 強い酸性の霧だ。

「それ以上、私の可愛い娘を苛めると許しませんわよ。」

 薬局の悪女が、いつの間にか玄関先に立っていた。

「貴様も錬金術師か。」

 ビルの右手が焼けただれている。

 骨が見える程溶けてはいないが、よく発狂しないものだ。

 普通の人間なら、自分の手の肉が溶けていくのを目の当たりにした時点で気絶するだろうに。

「カーター家に伝わる死体奴隷薬ですわね。」

「ふん。我が家の秘薬を知っていたか。」

 悪女がニヤリと笑った。

「ええ。

 カーター家は私の実家の下っ端ですから、全て熟知していますわ。」

「下っ端?

 全て熟知しているだと?」

 悪女が、右手の中指を立ててクイクイとゼスチャーした。

 ケイトよりも数段挑発的な態度は、さすがその母親である。

 しかし、それでもビルはあえて無視し、なんと驚くべきことに焼けた右手を霧の中へと突っ込んだのである。

「ウオオオオ!」

 気合いによる声か、痛みによる声か分からぬ叫びを上げ、ビルはついに果実を手にした。

「しまった!」

 ケイトが叫ぶ。

 しかし、スーレンから離れられぬ今、自分には成す術がない。

「スーレン、退け!」

 氷の魔女が身を引いた。

 ケイトの体は凍傷にかかったように冷たくなっており、間隙を突くのは不可能であった。

「あ、あたしが、あんな雑魚相手に・・・。」

 冷えきった体についに耐えきれず、ケイトがドサリと倒れ込む。

 気を失う間際、最後に耳にしたのは、

「お姉ちゃん!」

 と叫ぶ妹の声であった。


 それから少し後、

「・・・遅かったようだね。」

 老婆ベレッタが現れた。

 辺りには、アニスしかいない。

 アニスは、ベレッタに一部始終を語って聞かせた後、

「ケイトは体が冷えきってますから、部屋を暖めて寝かせてますわ。」

 と、ケイトの状況を最後に言った。

 ビルがもぎ取った後の残りの果実は、全てアニスがもぎ取っていた。

「キャサリンは?」

「研究所に入ったきり、出てきませんが・・・。」

 ベレッタの顔色が青ざめた。

「まさか!」

 母と祖母の二人が研究所内を見れば、そこは既に蛻の殻であった。

 誰もいない。

 魔獣は檻の中に戻っていた。

 そんなことよりも重要なのは、

「あの魔法道具が無くなっている・・・。」

 ベレッタは、何に恐怖し、怯えている。

「何が無くなったというんですの?」

「キャサリンが開発した結界器が無い。」

 結界器とは、大切なものを守るべく囲いを作る為の道具である。

 守りの要でこそあれ、攻撃の補助には間違ってもなりえない。

「結界器なら、別に慌てる程のものじゃないのでは?」

「キャサリンの持ち出したのは、裏結界器と呼ばれる物。

 その役目は結界器とは全く逆の効果を成すんだよ。」

「全く逆ってまさか!」

 アニスまでもが青ざめた。

 使い方によっては、一区域の街を破滅しかねないからだ。

 ベレッタは、魔獣ケルベロスに命令する。

「キャサリンの後をお追い、ガードしておやり。

 敵は全て殺すんだ。

 いいね。」

 魔獣を操る獣魔術を使役していたのは、ベレッタであった。

 おそらくは、今朝の大凶の占いの後、魔獣に何か命令していたのかもしれない。

 ケルベロスは、フウウウと軽く声を上げるや、体を小さな子犬へと変化させた。

 これなら町中を駆け巡っても特に違和感はないだろう。

 子犬が走り去った後、アニスは果実を元にワクチン調合に取り掛かった。

 それは、薬局内の特殊な薬が無くなったからということで、そちらを先に作った後の仕事となっていた。

 実は、アニスの元に病院側から患者が間もなく奇病に冒され死んでしまうので、大至急薬を作ってくれとの話があったのだ。

 アニスは

「いいですよ。」

 と即答して薬品を作ってしまったのである。

 アニスは忘れたのだろうか。

 フォルター男爵と雄羊の契約を交わしていた事を。

 無論、忘れてはいない。

 それでもアニスが平気で契約を破ったのは何故だろうか。

 フォルター男爵は知らなかったのだ。

 アニスが、恐るべき錬金術師である事を。

 そして、悪女である事を。


 黒い伝書鳩の一羽が、一人の男の元へと着いた。

「あ、家の伝書鳩ですか。」

 お気楽な台詞と共に、足首に結ばれた紙を解く。

 真っ白い、何も書かれていない紙であった。

 が、この男が手にした瞬間、文字がみるみるうちに浮かび上がり、自宅での一部始終を知らせていた。

 男は、自分の殺した死体を3体程重ねて椅子代わりに座って読んだ。

 お気楽な男の顔色が軽く曇る。

「スーレン?

 まさか、あのスーレン・シュレッターだとしたら厄介ですね。」

 独り言を呟いているや、地下に降りていたセイクレッドが姿を見せた。

「あ、どうでした?」

「黒だ。

 錬金術で何やら薬品を大量に製造した痕跡がある、巨大なドラム缶がいくつもあった。

 あと、簡単な薬品の類いを一品、テーブルの上で調合したような跡もな。」

「跡ってことは・・・。」

「この場所は既に捨てられていたんだよ。

 俺等が殺した役立たずの部下共は、目くらましの為に残していたんだろうな。」

 ヴェスターは、珍しく不快な表情を見せた。

「それはおかしいですね。

 麻薬は常時売れる筈ですから、工場を放棄する事は普通ありえませんよ。」

「だが、今まで使っていたと思われる容器類等は全て壊されていた。

 すると、本拠地を移したか。」

 ヴェスターが歩き出した。

「何処へ行く?」

「一端家に帰ります。

 何かあったら連絡下さい。」

 セイクレッドの脳裏に、彼等の家の危機の予言が浮かんだ。

「分かった。

 この場はとりあえず部下に占拠させる。

 俺は本部に戻るから、そっちも何かあったら即知らせろ。

 いいな。」

 ヴェスターは手を軽く振って応え、その場を去っていった。

 後、セイクレッドもその場を離れ、本部へと急いだ。

「後は、旧貿易倉庫か。」

 そこに、ウェストブルッグ家の人形娘が出向いていることなど、全く予測のつかないセイクレッドであった。

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