第11話

「たぶん、もうすぐ連れがきますので、待っててもらえます?」

「では、来なかったら一週間ただ働きということで。」

 寺院の人間とは、こうも強慾ばかりなのか。

 神聖魔法で治療してはもらったものの、患者には払えるだけの金が無かったということで交わされた会話がこれであった。

 他の人間なら、

『この強慾坊主どもがぁ、なめんじゃねーぞ!』

 と、罵声を浴びせ放題するんだろうが、この患者に至っては

「はいはい。」

 と、ホエホエのニコニコ顔で即答するのみで、鬼気など欠片もない。

 制限時間付きの約束であったのか、

「じゃ、来ないようなので、早速寺院内の大聖堂で聖歌を演奏してもらえますか。」

「聖歌ですか。」

「・・・楽器を手にしていたので、吟遊詩人かと思ったのですが、聖歌は弾けませんか?」

「いえいえ、弾けますよ。」

「じゃ、お願いします・・・もしかして、別の宗教の崇拝者とか?」

「いえ、宗教にはあまり興味が無いもので。えっと、大聖堂ですね。」

 この患者、ルクターはよっこらしょとベッドから起き上がるや、小さなハープを手に取り弦を張りはじめた。

「場所は分かりますね?

 巨大オルガンの傍で演奏して下さい。」

 司祭の声に、ルクターが興味深気な顔をした。

「オルガンがあるんですか?」

「ええ、古の遺産として寺院が保管しているんです。

 この寺院を含む12寺院で1台ずつ保管しているんですがね。」

 ルクターが全ての弦を張り終え、微調整をはじめた。

 本気で弾く気になったらしい。

「じゃ、弾きに行きますか。」

 ルクターのこの声色は、もうすぐ来るであろう連れの存在の事など、既に忘れ去っているようであった。


 暗黒騎士の到着は、聖歌の最終章を奏でている時であった。

 信者と僧侶、司祭たちは彼のハープと彼女のオルガンの響きに酔いしれていた。

「終章か。」

 暗黒騎士アガンの呟いた小声など、誰一人として聞こえまい。

 天使の美声が聴こえてきそうな錯覚に陥る程の、完璧なシンクロ・リズムだ。

 彼等二人の流れには一部の隙もない。

 演奏が終わった時、その場にいた全ての者が総立ちで拍手喝采していた。

 周りがしたから自分もしたではない、自身から彼等に送る、清らかな拍手の嵐であった。

「まさか、あなたと演奏する事になるとは思いませんでした。

 お上手ですのね。」

 オルガンを演奏していた美少女が、ニコリとルクターに笑みを見せた。

 その美少女は、アリサであった。

 確かに、朝方に喫茶店で邂逅した時の事を考慮すれば、こんな二人のユニットによる演奏など考えられなかったに違いない。

「いえいえ、貴女こそ素敵な演奏でした。」

「まったくだな。」

 第三者の声に、二人が、その場にいた者共が振り向いた。

「アガン。」

 ルクターが、親愛の意をこめての声とは裏腹に、信者共が敵意を露にした。

「その黒い甲冑、貴様、邪教の手の者か!」

 アリサがルクターを見つめた。

「いえ、あの人は訳あって・・・。」

 ルクターがアリサに説明しようとした矢先、第四者の美少女の声が全ての行いを制止した。

「その方は、私共ウェストブルッグ家の客人であり、もっとも信頼できる方です。

 無礼な真似は許しませんよ。」

 人形娘ドールの声に、その場にいた全員の鬼気が失せた。

 たった一言で沈黙させる実力は、彼女の力か、それともウェストブルッグ家の実力か。

「礼を言わねばならんな。」

「いえ、これから私達のボディー・ガードをしてもらうのですから、貸し借りは無しの方がよろしいでしょう。」

 アガンは、ドールの台詞が理解出来ずにいた。

「どういうことだ?」

「これから、アリサさんの力を借りてイヴさんのアジトに乗り込む予定でいます。

 よければ、御同行願いたいのですが。」

 利用出来る者は、全て利用するつもりらしい。

 人間を自在に操る人形使いは、話術も巧みなようであった。

 だが、これはアガンにとっても幸運な事であった。

「喜んで同行しよう。

 汝等のボディー・ガードは任せたまえ。」

 この時に一瞬見せたドールの笑みが、どれ程奇跡に近い現象であることに、アガンは知る由もなかった。


 ケイトとテリスが魔術探偵の応接室に帰ってきたのは、昼などとっくに過ぎていた時刻だった。

「待ってて。

 今、お昼用意するから。」

 例の種は、テリスの仕組んだ幻の殻に包まれたまま、テーブルの上に置いてあった。

「ねえ、ケイトさん。」

「ケイトでいいわよ。何?」

「アニスさんって、あなたの母さんなの?」

「? そうだけど、家の母さんにも用があるの?」

「うん。会いたいんだけど、どう行けばいいのかな。」

「一旦、ここの玄関出てから薬局の玄関に入った方が近いわね。」

 何か欲しい薬でもあるのかしら。

「有難う。

 じゃ、お昼の用意終わる前に、すぐ済ませてしまうから。」

「ん、分かった。」

 テリスは、種と花を手にするや、魔術探偵の玄関を出ようとした。

 が、

「ドアが開かない?」

 ノブを何度か回してみるが、鍵のかかった様子がない。

 ただ単に、ドアが開かないだけなのだ。

 何故?と言いたげなテリスの後ろで、

「そろそろ、本当の事を話してくれないかしら。

 私、貴女のことを敵に回したくないのよ。」

 ケイトが、生真面目な表情でテリスを見つめていた。

 種には、持ち出した者が絶対に外に出られないように、特殊な魔法を施していたのである。

「分かった。ケイトを信じるわ。」

 諦めではないテリスの声に、ケイトはニコリと笑う。

「じゃ、遅くなったお昼を食べながらお話しましょ。」

「うん・・・あの、ケイト・・・。」

「何?」

「今まで黙っててごめんね。

 純白の花フラウスを探すの手伝ってくれたのに・・・。」

「お互い仕事でしてるんだもの、仕方ないわよ。

 さっ、それよりお昼にしよ。

 ドールが買っといてくれたパンとフルーツがあるわ。」

「うん! 私もお腹空いてたとこだったんだ。」

 ケイトがキッチンから細長いパンと、オレンジジャム、アップルジュース、そしてデザート用にピーチを運んできた。

 南国の香りが、一瞬にして部屋を充満する。

「・・・すっごいフルーツずくしですね。」

「いっぱい食べてね。」

 見ただけでいっぱいになりそうな程の量に、半ば呆れたテリスだった。


「ケイトは、今、王国内に蔓延しはじめている麻薬のことを知ってる?」

 ケイトが、ピーチの皮をサクサクと剥いていながら聞いていた。

「ううん。聞いたこともないわ。」

「その麻薬は、私達の主が開発した新種の促進薬なの」

「促進薬?」

「うん。主・・・フォルター男爵様の領地はこの王国の南10キロ先にあるわ。

 国から国へ色々な商品を運送したりする貿易業と、林業、農業を主とした小さな国なの。

 平穏な地だったんだけど、一昨年から原因不明に周辺の土地が汚染されはじめて、林業と農業は不況続きになったわ。」

「じゃあ、促進薬っていうのは・・・。」

「うん。土地の活性化を計ることを目的とした薬品なの。

 錬金術を得意としていたビルという男は、貿易管理から急遽薬品調合の研究に取り掛かったわ。

 薬品も完成間近とまで言われていたんだけど、ビルはこの薬品のもう一つの力を知ってしまったの。」

「それが、その薬品の麻薬としての効果ね。」

 ケイトの声に、テリスが小さく頷いた。

「ビルがかなりの野心家であることに、早くから気付くべきだった。

 あいつは、薬品の大量生産の方法を熟知するや、三人の仲間を従えて我々を裏切り、その麻薬にフォルターと男爵様の名を付けて、闇ルートで売り出しはじめたのよ。

 そこで奴等が恐れたのが、その麻薬のワクチンを作られることだった。」

「そりゃそうね。

 でも、その麻薬の効果ってどんなものなの?」

「人体に対してあらゆる促進作用が働くの。

 視力が急激に良くなったり、筋肉が極度に発達したり・・・、でも肝心なのは、麻薬が切れた時に起こる禁断症状が、突然の変死を遂げてしまうことなの。」

「そんな薬じゃあ、すぐ売れなくなるんじゃないかしら。」

「だから、この麻薬を売り捌いている盗賊ギルドなどでは、一日一回の投与を忘れずにと注意して売っているわ。

 投与すればスーパーマンになれるとだけあって、売れ行きは上々だって。」

「そうか、そのワクチンを作る為に、純白の花フラウスと禁断の果実の種が必要だったのね。」

「うん。信じてもらえる?」

 ケイトがスクッと立ち上がった。

「だいたい読めてきたわ。

 でも、やっぱり証言だけじゃなくて、確かな証拠が欲しいわね。」

「どうすればいいの?」

 見上げるテリスの目は、真剣そのものだ。

 自身の証言を証明する為なら、どんなことにでも努力を惜しまないに違いない。

「その前に一つ聞きたいんだけど。」

「何かしら?」

「それらの材料を使ってワクチンを作るってことは、その種は無くなってしまうってことなのかしら?」

「え、ええ。跡形も無く。」

 この台詞に、ケイトはニヤリとした。

 種の壊滅が最初の目的であるから、これは一石二鳥である。

「ワクチンってことは、人体に投与しても何も影響はないはずよね。」

「ええ、麻薬に冒されてない人の場合は、何も起こらないそうだけど。」

「なら、これからあたしの母さんにワクチンを作ってもらいましょう。」

 テリスが、喜びを押さえきれずに立ち上がった。

「いいの!?」

「但し、最初の被験者はあなたよ。

 その麻薬を入手して、麻薬を投与してからワクチンを打つ。

 どう、受けて立つ?」

 なんという無情な条件をつきつけるのか、ケイトよ。

 さすがのテリスも硬直していたが、決心したのか、かすかに口が開いた。

 だが、

「その被験者、私がやろう」

 ドアの向こうから聞こえた威厳ある声に、ケイトがおもむろにドアを開けた。

「話は聞かせてもらった。

 全ては私の責任なのだ。

 私が受けてたとう。

 麻薬なら、微量ではあるが所有している。」

 黒のシルクハットに黒のマントを身に付けたフォルター男爵が、ケイトの元を訪れていた。

「男爵様。

 行動が遅くて申し訳ありません。」

「なにを言う。テリスはよくやってくれた。

 純白の花フラウスを見つけてくれただけで充分だ。礼を言う。」

「男爵様・・・。」

 フォルターはケイトに向き直った。

「話だけでは治まらないのが世の中だ。

 被験者は私がやらねばなるまいて。」

 ケイトが静かにフォルターを見た。

 貫禄ある容姿の内面にある部下への思い遣りは、本物とみていいのかしら。

「あの、フォルター男爵。」

「何かね、ケイト殿。」

「ケイトでいいです。

 あの、私の元を訪れたのは、他にも用件があったのではないですか?」

「おお、いかん忘れていた。

 アガン・ローダーという、黒い甲冑に身をまとった男を捜しているのだが心当たりはないかね。」

「ビルって男を捜してくれって頼まれたんですけど、テリスの花を方を最優先したら出て行っちゃいました。

 今どこにいるのかはちょっと・・・。」

 フォルターが肩をおとした。

「やれやれ、どうもあいつとはすれ違ってばかりのようだな。

 仕方ない、先にワクチンの方をお願いしよう。」

 テリスが、心配そうにフォルターの顔を覗き込んだ。

「何かあったんですか?」

「ようやくビルの部下のギランを見つけたのだ。

 奴がロード・ストリートから少し入ったところにある小さな酒場群の一つ“セイル”に入っていったのを見たのでな。

 奴を押さえる為に、二人で行動したかったのだが。」

「私が偵察に行きましょう。」

 今度は男爵が心配そうにテリスを見た。

「あくまで偵察にしておくこと。

 見つけても、向こうから仕掛けてこない限りは留まっていることだ。

 私かアガンが来るまで待て。いいな。」

「はい。ではまず種の幻を解きましょう。」

 テリスが幻を解いた途端、信じられない出来事が起こってしまった。

 幻を解かれた種は急激に成長を始め、それはみるみるうちに巨大な木へと移り変わろうとしている。

 この極端な事態に真っ先に反応したのはケイトだった。

 ケイトが成長していく種から生えてきた小さな幹を、わしづかみにする。

「ドアを開けて!」

 ドアに近いフォルターが、即座に開けた。

 ケイトがそれを外に放り投げる。

「こんな・・・こんな馬鹿な!」

 外では、ウェストブルッグ家の二階の屋根に達する程の勢いで、緑の葉を生い茂らせながら成長を続けていた。

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