第9話

 吟遊詩人のルクターは、貿易地区の一角にある荷馬車用の馬小屋内にいた。

 30~40頭ほどの馬を収納出来るスペースは、今が昼間で馬が皆仕事に出ているのか、子馬すら見えない。

 連れ去ったイヴには、あの後さらに“闇夜の羊”という呪歌を聴かせており、完全に熟睡状態にしている。

 ちょっとやそっと抓った程度では、まず起きまい。

 そのイヴを、見つからないように藁で覆い隠した。

「さて、アガンに連絡するかな。」

 よっこいしょと腰を上げながらの台詞に、

「連絡する必要はねぇよ。」

 と、一人の男の声が応じていた。

「オヤー?

 ビルかい?」

 殺意に満ちた声を受けてもなんのその。

 茫洋たる表情に、一人の名が挙がった。

「ビル様が、わざわざ出向くと思ってか。

 てめえの相手なんざ、俺一人で充分すぎて釣りがくるんだよ。」

 現れた男は、やけに自身たっぷりの台詞を口にしていた。

 が、馬小屋自体が暗いのか、人は暗い人影のようにしか見えない。

「てめえはここで死ぬんだ。」

 荒々しい声に向けて、ルクターが人影に勢いよく魔弦を放った。

 触れれば岩をも断つ魔弦を、馬小屋全体に這わせる。

「どこにいても体が真っ二つになるけど、どうします?」

「やってみな。

 次の瞬間、てめえの体がバラバラになるぜ。」

 ルクターは、その声の終わった次の瞬間、敵の期待通りの行動に出た。

 しかし、分断されるのは藁ばかりで、神出鬼没の敵を切り刻んだ手応えがない。

「それだけか?

 馬小屋ごと分断するぐらい出来ねえのかよ。」

 ルクターは、ようやく声の主を思い出し、魔弦を他の弦に変えようとした。

 だが、

「ガッ!?」

 と、声を上げ、その場に崩れ落ちてしまった。

「遅かった・・・ですか・・・。」

 その声を最後に、ルクターは微塵に刻まれた藁の上に伏してしまった。

「ケッ、イヴを連れ去るのにいちいち手間取らせやがって。」

 声の主は、やはり漆黒の人影そのものであった。

 真横から見れば、その本体を見極める事が不可能なほどのペラペラさだ。

 こいつの体は、限りなく二次元平面に近い体であった。

 その影の腕が槍状に変型した。

「死にな。」

 だが、簡単に止めは刺せなかった。

 ルクターの変えようとしていた別の弦が、急速にルクターの体を包みはじめたのだ。

 それは、みるみるうちに巨大な繭を形成し、主を完全に囲ったのである。

 影の槍は、この物体を刺し通すことは出来なかった。

「チクショウめ。」

 ペラペラな男は、その繭を外そうと手を触れたが、

「痛っ。」

 なんと、驚くべきことに影の手が切れたのだ。

 新たな魔弦の切れ味に、ここは引くしかなかった。

「チッ、いつか決着はつけてやる。

 覚えとけよ。」

 魔弦の繭に包まれている相手に聞こえたかどうか。

 影な男は、隠されたイヴを容易く見つけるや、イヴの影の中に入っていった。

 次の瞬間、イヴがムクリと起き上がる。

「女の口調を俺にやらせるなんて間違ってんだよ。

 でも、こんな真似ができんのは俺しかいねえしなあ。

 ・・・仕方ねえか。」

 女の、イヴの声で嘆くや、コイツはイヴの体を乗っ取って馬小屋を出、外へ歩き出していった。

 ルクターの繭を荷馬車の者が見つけたのは、昼過ぎになってからだった。


「御苦労だったな。」

 重く響き渡る男の声が、暗い部屋で聞こえた。

 その男の座っている椅子の豪華さから、瞬時にここの主であると確認出来るだろう。

「いやー、暗い馬小屋の中にいたから楽だったよ。

 でなきゃ、ルクターの魔弦に切り刻まれてさようならだったぜ。」

 主に対しても、この口調は直らないらしい。

 しかし、体はごく普通の男のものだ。

 身長は極端に低いが。

 先程のペラペラは何だったのか?

「イヴは?」

「とりあえず誰も使ってねぇ個室に入れてらあ。

 ルクターの呪歌でも聴かされてたのか当分起きねえぜ、ありゃ。

 盗んできた種のありかを聞き出すのは、まだ無理だ。」

「味方でありながら、次なる計画には反対か・・・。

 まぁ、とりあえずはそれでいい。

 あれはまだ使える。」

「使えなくなりゃあ、用無しかい?」

 椅子に座っていた男はニタリと笑った。

「まだまだ使えると、しっかり自分をアピールすることだ。」

「妹と弟はどうした?」

「彼等には別の任務がある。

 あの種を用いて例の薬を作る為の、原料調達がな。」

「・・・本気でやるつもりなのか?」

 図々しい男の声色が強張った。

 一種の恐怖心が露になったかのようだ。

 麻薬以外に、まだ何か新たな薬品を作るつもりなのか。

「もちろんだ。

 案ずるな、被験者は麻薬フォルターを服用している俺がやる。」

「大した自信だな。」

「錬金術の家系では名家とまで言われたカーター家の跡取りがやるんだ。

 問題はない。

 ただ、その合成する為の品は、4つのうち2つまでが揃っている。

 残り2つのうちの1つである高山植物は、数が希少なものでな。

 一人で探し出すのは困難だと思ったわけだ。」

 影男は、ニヤリとした。

「俺一人にイヴを連れてくる役目を与えたのは困難じゃねえってか。」

「出来なかったら・・・。」

「出来なかったら?」

「リストラされてるところだったということだ。」

 この世界にも、リストラ等という言語は存在するらしい。

「で、リストラを免れる為に、次に俺がやることは何だ?」

「イヴは、ここの盗賊ギルドの脱会を望み、私の配下になろうとしている。

 盗賊ギルドから目の上の瘤に見られたイヴを、このままにしておくのはあまりにも危険だ。

 イヴだけでなく、延いては私たち自体がな。」

「俺に、この王国にある盗賊ギルドを叩きのめせってか。」

 義賊な行動っぽいところが、この影男には気に入らないらしい。

 そんなことでもしたら、間違いなく王宮護衛団から最高の表彰を受けるだろう。

 だが、目前の男の命令は違っていた。

「いいや。

 お前の力で盗賊ギルド全体を乗っ取れ。

 麻薬フォルターの流通経路を確保するにも、その方が都合がいい。」

 盗賊ギルドをたった一人で占領しろという、大胆不敵な、実行不可能に近い命令に、影男は妖しく笑った。

「そいつぁ面白れえ。

 さすがビル様は考えることが違うぜ。」

 一人でやるということに対して、少しの不満もないようだった。

 ビルは、その様を見て取ったのか、

「一人でいいのか?」

 と、問うてきた。

「邪魔なんだよ。

 他の奴が周りにいるってなあ。」

 ビルは、やれやれとでも言いたげに一言吐いた。

「だから、お前はどんな時でも一人で行動させている。

 リストラしないように気をつけることだな、魔影のギラン。」

 その声に、ギランはビルに背を向けた。

「トイレ掃除以外なら我慢してやらあ。」

 相変わらずな口調で、ギランは部屋を去っていった。

 それを見届けたビルが、ゆっくりと立ち上がる。

「ルクターに倒されなかったのは僥倖だったな、ギラン。」

 ビルは、ギランの手が負傷していたことを見抜いていた。

 問題なのは、ルクターが来たということは、他の2人も・・・おそらくはフォルター男爵自身も来ただろう。

 フォルターは俺が殺す。

 アガンはギランが殺す。

 テリスはスーレンが殺す。

 ルクターはベリスが殺す。

 これで充分だな。

 フォルター男爵の元側近であるビルは、誰に誰を殺させるか計画を立てていた。

 出来なかった者は、やっぱりリストラなんだろうか?


 ケイトは、テリスと共にマウンテン・ドームへと来ていた。

 ここは、巨大な植物園なのである。

 一千種を超えると言われるほどの膨大な量を管理しているだけあって、広大な敷地を陣取っていた。

 そのうちの一区画には、魔法で気温・湿度制御された高山植物専用の場所も設置されている。

 あまり人の入らないその区域へ、二人は向かっていた。

 でも、テリスは見つからなかったっていってた。

 一応、もう一度探そうと思ってきたけど、やっぱり無かったらどうしよう・・・。

「ここで無かったら、あてはあるんですか。」

 一番聞かれたくない質問をテリスにされ、ケイトはギクリとした。

「うーん、無い訳じゃないんだけど・・・。」

「あるという保証もないんですね。」

 残念そうなテリスの声に、ケイトは軽く肩をたたく。

「大丈夫、絶対に見つけてみせるから。」

 ケイトの強気な口調に、テリスが笑みを見せた。

「ケイトさん、有難う。」

「あなたから受けた仕事だもの・・・って、そうだ。

 一つ気になっていたんだけど。」

「何ですか?」

「純白の花フラウスを見つけたとして、それをどうするの?」

「それは・・・。」

「言う必要はなくてよ。」

 ケイトとは違った、別の女性の声がテリスの台詞を遮っていた。

「スーレン、久しぶりね。」

 テリスは、声の主を容易く見抜いた。

 その者の、なんと長身なことか。

 先程出会ったアガンよりもあろうかと思われる身長は、長い脚線美を一種の芸術品と思わせる程に美しかった。

 ブルーの瞳と、腰まで伸びた長い金髪を有した女性は、冷ややかにこちらを見つめて殺意を露にしている。

 右手に持っているのは、男でも両手で持てるだろうかと悩ませる巨大な槍だ。

 あんな槍を片手で持つなんて!

「あなたの仲間?」

「昔は仲間でした。」

 テリスは、ケイトの疑問に受け答えながら、懐から2本の短刀を取り出した。

 何らかの呪紋処理を施した、クリス・ナイフと呼ばれる武器だ。

「ケイトさん、下がっていてください。」

「あの人、誰なの?」

「ビルの配下の一人、氷魔のスーレンです。

 今では我々の敵です。」

 我々の敵と聞いた時点で、ケイトがテリスの前に出た。

 腰に帯剣していた細身の剣レイピアをスラリと抜く。

「依頼人を危険な目に合わせる訳にはいかないわ。

 ここは私にまかせて。」

 反論しようとしたテリスだったが、ケイトの強い瞳に気圧され、ここは静かに下がるしかなかった。

 ケイトがスーレンと対峙する。

「あなたに用は無いわ。

 テリスを殺す邪魔をしないでくれる?」

 ケイトは、レイピアの剣先をスーレンへ向けた。

「私もあなたとは無縁なんだけど、彼女は私のお客様なの。

 お客様の安全を確保するのは、当然の義務だと思わない?」

 スーレンは、巨大な槍を両手で構えた。

「後悔するわよ。」

 死の国から訪れたような声色の台詞を皮切りに、ケイトが迷うことなく突進した。

 だが、

 ギィイイン

 と、ケイトの剣先が、目に見えない何かに弾かれた。

 ケイトとスーレンの間に、もう一人別の存在を認めた。

「姉さん。

 ここは俺にまかせて、姉さんはテリスを狙いな。

 二対二なら文句はないだろう。」

 突如現れた、ケイトよりも短身な身長の小男にテリスがハッとした。

「魔弾のベリス・・・!」

 一瞬、恐怖の相を見せたテリスだった。

 しかし、それに気付かぬケイトは、突然の新たな敵の遭遇に少しも臆することなく、眼前の敵を見据えた。

「久々に暴れるわよ。」

 ケイトの台詞は、この植物園の主が聞いたら即倒しかねないものであるのに、遠慮の念は欠片も無かった。

 スーレンは、ベリスとケイトの場を避け、テリスの元へと歩み寄った。

「テリス、ごめんね。」

 ケイトの謝る声にテリスは、

「気を付けて下さい。その者の力、侮れません。」

 優し気な声で忠告した。

 が、どこまでこの思いが通じたか。

「5分でカタをつけるわ。

 ちょっとだけ踏ん張っててね。」

 毎度の強きの発言は、テリスの心配など全くどこ吹く風であった。

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