第8話

「いいんだよ・・・ね?」

 今日はまだ始まったばかりだが、こんな事があるのだろうかと、朝から苦悩する日も珍しい。

 壊してもいいとは確かに言ったが、普通、こうも呆気なく壊れるものだろうか。

 ケイトは、ホット・コーヒーの入ったカップとバター・トーストを手にしたまま膠着していたが、目の前で起こった現実をやむなく認めるや、

「それ・・・いい?」

 と、ギルの手にしている潰れた種を受け取った。

 種をマジマジと見つめるケイト。

 そこにある思いはひとつ。

 この種は、ひょっとしたら外観だけが壊れていて、中身は無事なのではないだろうか。と。

 しかし、その思いはものの見事に打ち消された。

「う~ん、やっぱり潰れてる・・・なんで?」

「本当に壊してくれって依頼だったのかい。」

「うん・・・そうなんだけど・・・。」

 そう、破壊の依頼であった以上、これは実に都合のいい展開な筈である。

 だが、やはり腑に落ちないのも事実である。

 指で潰して終いになるような事なら、わざわざ依頼してくる訳がない。

「じゃ、何かあったら呼んでくれや。」

「あ、う、うん。ありがと・・・。」

 半ば申し訳なさそうな表情でギルが部屋から出た後、ケイトはトーストを食べながら考え込んでいた。

 ふと、先程路上で出会った美女のことが頭に浮かんだ。

 テリス・ミリエーヌ・・・、ミリエーヌ?

 そして、何か思い付いたように、

「まさか・・・。」

 と、つぶやくと、潰れた種をハンカチで包んで丁寧に袋へとしまった。

 もちろん、箱の方も忘れてはいない。

 そして、急いでトーストを平らげるや、個室を出てギルに料金を支払う。

 半ば慌てているケイトの様子に、

「何か思い付いたのかい?」

 と声をかけた。

「うん。

 まだ、予想にすぎないけど・・・ね。」

「ま、頑張れや。俺で出来る事なら遠慮なく言ってくれ。」

 その声に、ケイトが軽く笑みを見せた。

「ありがと。

 じゃ、ごちそうさま。」

 その声を背に、ケイトは酒場を出ると自宅へと急いだ。

 長い黒髪を美しく揺らしながら。

 美しさを際立たせる初秋の街の光景は、ここでもう一人の美女の存在も惜し気なく見せていた。

「さて、任務遂行といきましょう。

 ・・・でも、ケイトさんを敵にしたくないなぁ。」

 ケイトを追ったその足取りは、音もなく気配すら感じさせない幻影そのものであった。


 冒険者は、酒場を頻繁に通うのが通例である。

 その根本的な理由には、以下のような内容がある故に、だ。

 まず一つに、情報の収集が可能であるという事だ。

 酒場には、商人、騎士、吟遊詩人などと、職業を問わずに人が激しく出入りする。

 それ故に仕事を探す事も容易くなろう。

 第二に、食事が格安であるという事だ。

 もちろん、上限の値段を見れば目をふせたくなる料理等はあるが、ビギナーな冒険者を対象としたような低料金メニューもある。

 懐が寂しくても、野宿はともかく食事ができるのは実に嬉しい。

 そして第三に、酒場は兼宿屋も営んでいるという事だ。

 宿泊料金は、部屋の善し悪しによって値段も全く違う。

 明日にも潰れそうな簡易寝台を設けた部屋等は、それこそ最低料金レベルの部屋と言えよう。

 ところが中には、新品同様のベッドにテーブルとソファーを設け、ルーム・サービスとしてボトルもついてくる様な最高クラスの部屋もある。

 もちろん料金は目の出る価格で、一介の冒険者等が好んで泊ることはない。

 さて、この男は冒険者なのだろうか?


「あんた一人だけかい?」

 ケイトの去った、少し後の出来事である。

 連れのいない騎士とは珍しいものだと、キルジョイズの酒場兼宿屋のマスターであるギルは、その男をしげしげと見つめた。

 身長は170を楽に越えた長身ぶりで体格もいい。

 漆黒の鎧を身にまとい、大きめの、これまた漆黒のサーベルを帯剣したその様は、魔界から訪れた暗黒騎士そのものに思えた。

「ああ、もし後にルクターという男が来たら、その者は私と同室にしておいてくれ。

 おそらく来ないとは思うが。」

 余程仲の悪いパーティなのだろうかとギルは改めて見つめ直した。

 口調は、台詞の割に刺の感じない紳士的な雰囲気がある落ち着いたものだ。

 とても仲違えするようには思えないのだが。

 人間関係とはどこの世も難しいものかと、ギルは『ふむ』と口に出さずに感情を胸のうちにしまう。

「分かりました。

 じゃ、二名用の部屋でよろしいですね?」

「ああ、有難う。」

「では、こちらの台帳にサインを。」

 ギルは台帳と羽根ペンを差し出した。

 男は、アガン・ローダーと名を記入すると、一つ問うてきた。

「魔法街へ行くにはどう行けばいい?」

 声は、あくまでも紳士的であった。


 ケイトの自宅への足取りを追う者の存在は、ケイト自身には分からなかった。

 しかし、

「あれぇ、お姉ちゃん変な人に後つけられちゃってるなぁ。」

 と、目に見えない場所にいながら、その存在を把握している者もいた。

 魔術探偵の玄関から入ると、小さな靴とケイトと同じくらいの大きさの靴が一足ずつあるのに気付いた。

 小さい靴の方は、おそらくドールのものだろう。

 一緒の靴はキャサリンかな?

 それでも、応接室の扉を開けて目に映るのは、従順な美少女一人のみであった。

「おかえりなさいませ。」

 ドールは、大きめの篭を手にして立っていた。

 篭には長いパンや色彩豊かな果物がいっぱいになって入っている。

「買い物に行ってたの?」

「はい。

 今日の昼食と夕食の下準備です。

 あと、偶然でしたが、ルクターと名乗る箱の中身を狙っている方とお会いしてきました。」

「あたしもテリス・ミリエーヌっていう女性と会ってきたわ。

 全部で何人いるのかしら?」

 ケイトがソファーに座った後、ドールが向いのソファーに座る。

 ドールは、篭を応接のテーブルに置き、普段以上の真剣な眼差しでケイトを見つめた。

「ルクターという名は、以前噂に聞いた事があります。

 “死の響のルクター”という異名を持つ実力者で、暗殺を稼業にしていると。

 一方のテリスは、シャンテ=ムーン大陸一の幻術師と名高いエミル・ミリエーヌの一人娘。

 彼女の死後、その術はテリスが受け継いだ筈です。」

「二人ともかなりの実力者ね。

 あたしも、ミリエーヌって聞いて、まさかと思ったんだけど、やっぱりそうか・・・。」

「やっぱり、とは?」

 ドールの声に応えるように、ケイトは一つの潰れた種を見せた。

「・・・幻の殻ですね。

 潰れたように見せかけている訳ですか。」

 人形娘の目は、普通の人間とはかけはなれた超視力を有していた。

「さすがはドールね。

 一発で見破るなんて。」

「ありがとうございます。

 では、当面の課題はこの幻の殻を解く事ですね。」

 ドールは、アリサと組んで依頼人を連れ去らわせた事実を隠し通すつもりらしい。

 そして、種を滅する薬品を作る為の、3つの品の事も。

「そうね。」

 ケイトは、種を再びしまうや、また玄関へと足を運んだ。

「どちらへ?」

「もう一度王宮魔法陣の塔に行ってくるわ。

 とりあえず、この幻を解いてくる。

 この幻を解くことが出来るのは、王宮魔法陣の幻術師イリスしかいないと思うの。」

 これではやくも今回3度目の訪問である。

 ケイトにしてみれば、明日は足腰が痛いなと嘆きかねない。

 しかし、今回は簡単に外出は許してくれなかった。

 コンコン

 ドアをノックする音が聞こえた。

 ケイトが覗き窓を覗く。

 そこに立っていたのは、先ほど路上で出会ったテリスであった。

「堂々とやってきたの?」

 その声にテリスは、

「一時、休戦します。

 悩んだんですけど、やっぱりあなたを敵にまわしたくないし。

 別の用件なら聞いてくれると思って。」

 と、可愛らしく愛眼した。

 幻の殻を種に施した張本人の台詞とは、とても思えない。

 ケイトは、後ろにいるドールに、

『何かあったら、サポート宜しく』

 と、念話し、

『了解しました』

 と、返事を念話で受け取った。

 ケイトは、ゆっくりとドアを開けた。

「すみません。

 わがままを聞いてくれて。」

 ケイトもまた、やっぱり敵にしたくないと思っていた。

 こんな素敵な人、敵にしたくないよなー。

 ケイトは、テリスを魔術探偵の応接室へと入れ、ドールに紅茶を入れてもらうようにした。

「あ、おかまいなく。」

「そんな遠慮しないでよ。

 それより、別のお願いって何?」

 テリスは、真剣な眼差しでケイトを見つめた。

「高山植物を探しているんです。」

「高山植物?」

「はい。

 真紅の花ブレッグと対をなして生えると言われている純白の花フラウスです。」

 二人が話していると、ドールがキッチンから紅茶を入れてやってきた。

「どうぞ。」

「あ、有難う。」

 ドールが盆に持ってきた紅茶は、4人分あった。

 あたしとテリスとドールと・・・え?

「残る一つのカップは誰のなの?」

「キッチンの窓から見えたのですが・・・。」

 コンコン

 ドアのノック音がまた鳴った。

 あ、そういうことなのね。

 今度はドールが覗き窓を覗いた。

「どちら様でしょうか?」

「フォルター財団に勤める者で、アガン・ローダーという。

 魔術探偵に仕事の依頼があって参上した。」

「今日はまた、えらく千客万来ね。」

 と、ケイトが語っているところに、

「アガン!?

 もう来たの?」

 と、テリスが驚きの声を上げた。

 そうか、そう言えばテリスもフォルター男爵のって言ってたっけ。

「では、ケイト様。入室させます。」

 ケイトは、ドールの不敵な行動に思わず、

「ええっ!?」

 と声を上げていた。

 相手は一応敵である。

 ドールは、不意に襲撃されることを想定していないのだろうか。

 ケイトは念話する事すら忘れ、ドールに、

「いいの?」

 と言った。

「お客様は丁重に迎えるのが礼儀です。それに・・・。」

「それに?」

「このままでは、4つ目の紅茶が無駄になってしまいます。」

 ケイトとドールの、この奇妙なやりとりに、テリスが必死で笑いを堪えていた。

 ドールの応答が生真面目なだけに、妙なくらいおかしい。

 ケイトは、少し考え込み、

「いいわ、入れて。」

 と、ドールの客に対する礼儀とやらに同意した。

 少々不本意だけど仕方ない・・・のかしら?

 ドールが、躊躇いなくドアを開ける。

「どうぞ、お入り下さい。」

「有難う。」

 アガンが、玄関にて腰に帯剣していた剣を鞘ごと手に取るや、

「預かってくれ。」

 と、ドールに手渡した。

 どうやら、本当に敵対する気は無いようで、純粋に仕事の依頼にきただけらしい。

 ・・・って、ちょっと待って。

 それって、いっぺんに3つも仕事をするのぉー!?

 ケイトの思いなどどこ吹く風。

 漆黒の鎧を身にまとったアガンは、ケイトの向い側の、テリスの座っているソファーへと腰を下ろした。

「失礼する。

 突然の訪問、申し訳ない。」

 ケイトは、この震度5の地震が来てもビクともしないような落ち着き払った声に、抵抗の色を陰も形も無くすや正直に語る事にした。

 今は2件も仕事の依頼を受けていて、これ以上は無理だと。

 するとアガンは、横に座っているテリスに目をやり、問うた。

「どの様な依頼をしたのだ?」

「純白の花フラウスを一緒に探してもらおうと思って・・・。

 あんな希少な花探すの、一人じゃ厳しいと思ったから。」

「自身で探してはみたのか?」

「キルジョイズの酒場で花屋さんの卸業者している人に会って、マウンテン・ドームっていう植物園に行けばあるかもって言われたんだけど・・・。」

「無かったのか?」

「植物園が広すぎて、とても探しきれるものではなかったわ。」

 テリスはそう言って肩を落とした。

 それに同意するように、アガンは立ち上がる。

「ならば、やむを得んな。

 私が手を引こう。」

 え?

 そんな簡単に手を引いてしまうの?

 ケイトは、彼の依頼内容が気になった。

 たとえ敵であろうと、こんな紳士な人からの依頼に。

「待って。

 もし、仕事の合間に出来そうな依頼だったら、聞かせて。」

 とても、最初は千客万来に頭を抱えていたケイトの台詞とは思えなかった。

 アガンはケイトを見つめた。

「人を探している。」

「人を?」

「名は、ビル・カーターという。」

「・・・聞いたことのない名前ね。

 どんな人なの?」

「総てを話したいところだが、我が主の威厳にかかわる事でもあるのでな。」

 ケイトは、アガンの想いを尊重することにし、これ以上は聞かなかった。

「・・・分かった、ビルね。連絡先は?」

「キルジョイズの酒場に宿をとった。

 私は常にカウンターで食事するようにする。

 もし不在の時は、酒場のマスターに伝言しておいてくれ。」

 そう言うと、アガンはドールから剣を手に取り、その場を去っていった。

 ケイトは、残していた紅茶を一気に飲み干すや、

「じゃ、行きましょうか。」

 と、テリスを促した。

「どこへ?」

 ケイトは、きまってるじゃない!と言いたげな顔で明るく応えた。

「純白の花フラウスを探しに。」

 テリスは、敵である身の上なのに、こんなに信用してもらえた事に凄く喜んでいた。

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