第7話

「う~ん、やっぱり行くとしたら“キルジョイズの酒場”かなぁ。」

 城内にある王宮魔法陣から出てきたケイトは、城門をすぎるとローブを脱いで右腕にかけていた。

 朝晩は肌寒くても、昼間はまだ暖かい日もあるのが今の日常である。

 風の吹かない今日みたいな日に、深紅衣のローブをこのまままとっていれば、直射日光よろしく汗だくになるのは目に見えていた。

 そんなものだから、今は真紅と漆黒にて彩られた鮮やかなブラウスが映えている。

 行き交う人という人が、その美しさ故に振り向いていた。

 男性はもちろんのこと、女性までもが。

 その上品な美しさは、この上なく気高い。

 ただ、ロード・ストリートにて対立した、この女性については違った意味合いで向き合っていたようだった。

 キャサリンのような美しいウェーブ・ヘアを有していたが、髪はそれほど長くないのか肩にかかっておらず、肩の上でフワフワと宙に浮いているような、優しげな印象を与えていた。

 服装は初秋に合わせた淡い赤茶色で、もの静かな雰囲気が漂っている。

 唯一気になるのは、彼女が武器を所有していない点であった。

 一般国民か魔法使いなのかもしれない。

 対峙しているや、彼女は静かに歩み寄り、声をかけた。

「申し訳ありません。

 貴女にお願いがあって参上したのですが。」

 彼女のはっきりとした口調が、ストリートを軽く抜けた。

 淡く暖かい声は、その場で耳にした者全てを魅了するような、海原にたたずむ海魔セイレーンのようであった。

 舞台役者なのかしら?

 ケイトは、素直にそう感じながらも声に応えた。

「どんなお願いですか?」

「貴女の手にしている、その皮袋の中身を頂きたいのですが。」

 思わず『いいですよ』と声の出そうになったケイトであった。

 軽くせき込みをして、自身を立ち直らせる。

「貴女もこの中身を狙う一味なの?」

 ケイトの声は、どこか残念そうな色があった。

 素敵な友達が出来るかと思ったのにぃ。

「そう思われては仕方ありませんが、我が主様にとっては重要な事なのです。」

 依頼人は破壊を頼み、来訪者は必需とするものとは。

 どちらが正しい意見なのだろうか?

 だが、ケイトにとっては“どちらが正しいか”なんて事はどうでもよかった。

 私は、仕事で受けているのだから。

「残念だけど、私も仕事で受けている以上、

 『ハイ、どうぞ』

 なんて言って渡すことは出来ないのよ。」

 その声に女性は、こちらもまた残念そうな声色で応えた。

「分かりました。

 でも、ここで争うには一般の方々に迷惑になりますので、時を改めて御伺い致します。」

 暗殺者共と同じ行動を取っている者の台詞とは思えなかった。

 殺し屋を雇っている者共が、まさか一般国民の人命を配慮するとは。

 ケイトと擦れ違い、過ぎ去って行こうとする背に、ケイトが声をかける。

「あなた、名前は?」

「フォルター男爵の側近の1人で、テリス・ミリエーヌといいます。」

「出来るなら、敵同士で会いたくないわね。」

 テリスは、ケイトの声に軽く笑みを見せると、そのまま広場へと去っていった。

 さも、申し訳なさそうな雰囲気を残して。

 ケイトは、ロード・ストリート沿いにある“キルジョイズの酒場”を見つけると、扉を開けながらため息をついていた。

「・・・この箱の中身って、なんなんだろ?」

 それは、これから明らかになる事であった。


 酒場に入ると、そこは他国からの冒険者や商人などが沢山席を取っていた。

 ここは、この王国内にある酒場では一番大きな酒場で、朝と昼には軽食&コーヒー等もやっている事から絶えず人が出入りしている。

 そんなところだから、ビギナーな冒険者が仕事を探すには、最も適した場所と言えた。

 10人で楽に囲える大テーブルが山とある他に、同人数程度を収容できる個室まであるのはここだけである。

 ケイトは、とりあえず2~3人用の個室を頼んだ。

 しかしながら、個室の場合はコーヒーのみの注文は不可である。

 必ずアルコール・ドリンクまたは軽食を注文しなければならない。

 仕方ない、バター・トースト・セットでも頼むか。

 ケイトは、カウンターで注文するや、マスターから個室の鍵を受け取ると、さっさと入って箱を取り出した。

「さて、開けましょうか。」

 外に声の洩れぬ様、低い声でアンロックの呪文を詠唱する。

 脇には、先程の呪文書を開いていた。

 詠唱が終わると、カチッと金属の音が小さく鳴った。

 どうやら、開ける事に成功したらしい。

「冗談抜きで上位古代語魔法に相当する魔鍵がかけられているなんて・・・。

 イヴって、いったい何者なのかしら?」

 そうつぶやきながらも箱に手をかけ、開けた。

 中には、1つの種が入っていた。

「・・・これを壊せっていうの?」

 外見は、いたって平凡な種であった。

 薄い茶色の被子に包まれたその種の大きさが、約5センチと大きめだという点を除けば、あとはいたって平凡窮まりない種であった。

 緑色の芽が、申し訳なさそうに少しだけ葺いている。

「わざわざ依頼してきた程なんだから、火炎系の呪文は通用しないだろうなぁ。」

 そんなことをつぶやいていると、

 コンコン

 とノックの音が鳴るや、マスター自らが軽食を運んできた。

 ここの店のマスターであるドワーフの、ギル・ジル・キルジョイズは、過去に起きた魔族討伐大戦の時の六英雄の1人である。

 今でこそ酒場のマスターを営む40代後半のおじさんだが、冒険者時代の頃を知る人は、現在でも“重戦斧のギル”と呼んでいる。

 ちなみにドワーフとは、ヒューマンとは違った種族である。

 身長は高くても100センチをようやく越える程度ではあるが、数々の種族がある中では一番怪力な種族なのだ。

 加えて手先が器用で、一般のドワーフは細工師が多い。

 男は必ず髭面なのも、常識の一つである。

「はいよ、バター・トースト・セットおまち!

 ・・・なんだい、その種みたいなのは。」

 マスターの台詞は、今日も明るい陽気な男の声であった。

「あ、ありがと。

 これを木っ端微塵に消滅してくれって依頼受けたんだけどねー。」

「ふーん。」

 マスターが、数個の石を固めたような手で種をそっと摘む。

「植物アレルギーな人からの依頼か?

 もったいない、芽が出てるじゃねーか。」

「うーん、どうだろ?

 あたしまだ依頼人に会っていないのよ。」

 ケイトは、バター・トーストを手に、ギルの手にしている種を眺めながら話していると、突然、突拍子もないことを口にした。

「マスター。

 それ、そのまま指で潰せる?」

 この店のドワーフは

『はぁ!?』

 とでも言いたげな表情を見せるや、

「いいのか?」

 と、念を押す声を上げた。

「うん、いいよ。

 どうせ、壊すのが目的だし。」

 マスターは、右手にトースト、左手にコーヒー・カップのケイトを横目で見るや、指先に力を入れた。

 いや、正にこれから強くしようという矢先であった。

 グチャ

 マスターが、呆気にとられていた。

 それを見ていたケイトもまた、呆気にとらざるをえなかった。

 中年男と美女の二人が、まるで鳩が豆鉄砲食らったような顔をしながら見ていたその視線の先には、指圧で潰れた種があった。


 暖かな庭にたたずむ優男の手が、今正に小さなハープの弦を引かんとしている時であった。

 部屋にて、清楚な表情で死の調べを聞かんとする美少女は、1人の不安そうな表情を見せる美女の存在すら忘れさせる程の、存在感を有していた。

 小声で、その美少女・・・人形娘ドールは何やら呪文を詠唱しだした。

 それに合わせて、アリサも何か別の呪文を詠唱する。

 優男の弦が弾かれだした。魔弦の曲が鳴り始めたその時、

 バタン!

 と、少しだけ開いていた窓が、ひとりでに音を立てて閉まった。

 それだけではない。

 魔弦の曲が全く聴こえなくなってしまったのだ。

 アリサの詠唱した神聖魔法“沈黙の呪文”による効果である。

 ハイ・プリーステスの彼女が詠唱したその呪文の効果は、優男の魔弦の曲を完全に遮断していた。

 そして、部屋にいた美女イヴが『え!?』と驚いた表情を見せた時、その部屋にいた人形娘ドールの存在は既に無かった。

 いや、移っていた。

 優男ルクターの眼前に。

「・・・いつのまに?」

 かなり高度な魔法の一つ、転移の呪文であった。

 ケイトや、王宮魔法陣のポーラぐらいの高レベルな魔法使いでもないかぎりは、まず習得不可能と言われているハイレベルな魔法だ。

 術者自身を自在に瞬間移動させるこの魔法は、想像以上に術者の魔力を消耗する。

 それをドールは、顔色一つ変えずにこなしてみせた。

 イヴは、今になって初めて人形娘の実力の奥深さを悟っていた。

 そんな中、アリサはイヴに『私達が出会った記念に』等と言って、銀のブローチを胸元に付けてあげてプレゼントしていた。

 えらく余裕である。

 人形娘ドールは、ルクターと対峙していた。

「あなたの周囲には、アリサさんの沈黙の呪文で音を完全に遮断しています。

 貴方の魔弦の響きは、絶対に聞こえませんよ。

 諦めて降伏して下さいませんか。」

 ドールの台詞は、実力を備えた上級貴族のお嬢様のようであった。

 しかし、ルクターは意に介さぬ不敵な笑みを見せ、

「そう思いますか?」

 と言って右手で弦を弾きはじめた。

 いや、違う。

 弦の一本一本が小さなハープから弾き出され、それらは長く伸びだして急速なスピードでドールを襲撃しだした。

 ドールは、寸でのところでそれらの攻撃を躱し、サテン・ドレスのスカートを風になびかせながらルクターとの間合いをとった。

 それだけではない。

「ルクターの弦が・・・!」

 部屋で戦いを見守っていたイヴが、歓声を上げた。

 ルクターの弦が、ことごとくバラバラに切断され、地に落ちていったのだ。

 ドールの両手の爪が、長く鋭く伸びている。

 敵の直接攻撃に対しても、微塵の動揺もみせないドールの魔爪であった。

 ルクターは、残りの弦をハープに戻した。

「まだ、降参して下さいませんか?」

 あくまでも丁寧な声が、ルクターの耳に届いた。

 が、

「こちらが優勢なのに?」

 と、またも不敵な声を上げた。

「ここまで大掛かりな仕掛けを仕組んだのは、久しぶりですよ。」

 ルクターが、魔弦を弾き始めた。

 しかし、アリサの沈黙の呪文の効果が効いている最中ではないのか?

 だが、曲は確かに聴こえていた。

 穏やかなスロー・テンポの曲が流れていた。

 母が、背で泣く赤子のために歌う子守歌のような曲が。

 地に落ちた弦からも、それらが聴こえてくるようだ。

 しまった、ルクターの今度の魔弦は、耳にではなく脳に直接響いてきている!

 すると、なんという事か、3人とも地に伏してしまったのだ。

 沈黙の呪文の効果等、かけらも持たぬように。

 見事な攻撃と言えた。

 弦をわざと切らせて地のいたるところに落とさせたのは、脳に直接響かせる為の結界を作っていたに違いない。

 もはや、ドールに勝ち目はないのか。

 だが、地に伏すドールの瞳に諦めの表情は無かった。

 必死に右手を、いや右腕をルクターに向けて伸ばす。

「おやすみなさい。」

 優男のこの美声に、アリサ、イヴ、ドールの3人は深い眠りについたようであった。

 ルクター・ソーンの呪歌“安らぎの響き”は優春な夜を運ぶ、催眠系の呪歌であった。

 暖かな表情を露にしたルクターは、

「安心して下さい。

 用があるのはイヴさんだけですから。」

 そう言うや、閉じられた窓を開けて部屋に入り、イヴの元に寄ってイヴを抱き上げた。

 倒れているドールとアリサには成す術が無い。

 ルクターは易々とイヴの強奪に成功し、部屋を後にしていった。


 数分後、アリサとドールが起き上がる。

「とりあえず、予定通り私のブローチをプレゼントしておいたわ。」

 予定通り・・・と、いうことはアリサはイヴに悟られないよう、ドールと念話していたのだろう。

 2人は、イヴに隠れて何をするつもりなのだ?

「ご協力、感謝致します。

 後ほど、御同行宜しくお願い致します。

 では私はこれで。」

 人形娘ドールは、アリサにペコリと頭を下げて、スカートの裾を軽くつまんで一礼し、この場を去ろうとした。

「あなたって、恐ろしい人ね。」

 アリサが、ドールに対して素直な感想を口にしていた。

 大事な客人を易々と敵に渡した事を語っているのだろう。

 たとえ、どの様な勝算があったとしても、こんな無謀にちかい行動を取った事に。

 それとも、別の何かの目的の為に、イヴを敵に渡したのだろうか。

 その声にドールは、当然の様な台詞を残して去っていった。

「いいえ。

 私は人形ですわ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る