第6話

 ケイトが城内へ出かけ、

 ドールが買い物へ出かけ、

 ベレッタが王城前広場へと出かけ、

 ヴェスターは早朝出勤、

 そしてキャサリンは路上にて死闘という今の状況の中、

 家にいるのはアニスのみであった。


 普段は、自宅の薬局にて仕事をしている。

 食料品等の買い物はドールがしてくれるので、アニス自身が外出する時といったら、気晴しにショッピングを楽しむぐらいなものであった。

 食料品等はともかく、化粧品や衣類等はさすがに自身が出かける。

 とりあえず今は外への用は無かった。

 なら、いつも通り仕事にとりかかるか。

 そんな思いで薬局の部屋に向かうと、まだ閉まっているにもかかわらず、

 コンコン

 と、ノックが軽く響いた。

 アニスは『あら?』とでも言いたげな表情を見せるや、玄関に出て扉を開く。

「早朝からの突然の訪問、誠に申し訳ない。

 2つ程、貴女にお願いがあって参上した。」

 訪れた客は、貴族風の容姿をした大男であった。

 黒のシルク・ハットに黒のマントを着けた様は、さながら異国のマジシャンのように見えた。

 身の丈は190あるだろう。

 身長が160丁度しかないアニスでは、目を合わせるには見上げねばならない。

「仕事の依頼かしら?」

 目を輝かせてのアニスの声であった。

 早朝から貴族の方が直々に訪問した依頼とあっては、報酬の額は想像以上であろう。

 この女、どうやら金目のものと奇怪な薬品には目がないらしい。

 その蘭々たる声に大男は、

「ええ、大きな仕事の依頼です。」

 と、あえて“大きな”という言語をつけて強調性を高めて語っていた。

 アニスの言動に合わせるかのごとく、なるべく声を明るめにして。

「まぁ、こんなところでは何ですから、どうぞお入り下さい。」

 早速アニスは大男を中へと促した。

 それは、来客に対する礼儀なのか。

 はたまた、簡単には帰すまいという意思があっての行動か。

 だが、この大男にとっては、そんな事は歯牙にもかけていないようであった。

「では、お邪魔させてもらおう。」

 大男は、黒のシルクハットを手に取り、アニスの後へと続いた。

 通された間は、様々な薬品が立ち並ぶ店内に設けられた簡易な応接室であった。

 ガラスの様な、半透明な材質を壁に仕立てたこの応接室は、店内に並ぶ医薬品が楽に見渡せていた。

 ここなら、長年の成果を目で見てもらえる。

 そして勿論のように、この部屋に設けられた棚には、今までに得た賞状等がところ狭しと置かれていた。

 ガラステーブルとソファーが置かれているが、ソファーの配置は、これらを楽に見渡せる様に配慮されている。

 大男が座ると、アニスはコーヒーを差し出した。

「あ、おかまいなく。」

 そして、アニスが座るのを確認するや、

「では、早速本題に移らせてもらってよろしいか?」

 と、声を発した。

 急いている様な声色であったが、今のアニスにその様な些細な事は無きに等しい状態である。

「えぇ、もちろん。」

 やはり声は上ずっていた。やれやれ。

「私の名は、フォルター男爵と申します。

 貴女を名のある錬金術師と見込んで、特殊な薬品を調合していただきたいのだが。」

「それは、如何様な薬品なので・・・?」

「申し訳ないが、ワクチンとしか申し上げられない。

 極秘事項なものでな。」

 真剣な眼差しで語るフォルター男爵の声に一寸の淀みも無かった。

 ワクチンと語るからには、何らかの病原菌の類いを除去する為のものなのだろう。

「人体に投与する薬品なのかしら?」

「ええ、そうです。

 ですから、人体に対する副作用がないように作ってほしいのです。」

 アニスは、ふと思い付いたことを口にした。

「どこかの病院に販売する目的なのかしら。」

「申し訳ないが・・・。」

「あ、失礼。極秘事項でしたわね。」

 普通、傷の治療や、麻痺毒、猛毒、石化等の治療は寺院にて行ってくれる。

 有料ではあるが、治療呪文にて確実に癒してくれるので、冒険者に限らずあらゆる人々が寺院を利用している。

 だが、一般に奇病に属される特殊な病となると、呪文のみを治療の頼りにしている寺院ではお手上げ状態らしく、そんな時、人々が訪れる先が病院だという。

 奇病には、人体の一部に醜い人の顔が浮き上がる人面疽等をはじめとした、様々な奇病が約一万種はあると言われており、病院は、この世界には絶対必要な、人類の生命線を繋ぐ最後の切り札的存在なのだ。

「調合すべき材料は、全てご用意いただけるのかしら?」

「もちろんです。」

 ならば、アニスの応えは一つである。

「是非、お受け致しますわ。

 で、もう一つの依頼は?」

「特殊な薬品の依頼を、他に受けるような事はしないで欲しいのだ。

 このワクチンが出来上がるまでは。」

 奇妙な依頼を申し出たフォルター男爵であった。

「つまり、このワクチンの調合にのみ集中してくれ、と?」

「うむ。事は一刻を争うのでな。

 いかがかな? 前金にて10万リラ支払うが。」

「承知致しましたわ。」

 即答のアニスの声に、フォルター男爵は1枚の羊皮紙を差し出す。

 それは契約書であった。

「あら、珍しい。

 “雄羊の契約書”ですわね。」

 雄羊の契約書とは、一種の呪術である。

 契約に従い、この契約書にサインすれば、もし契約を破棄した場合に悪魔の呪いが振りかかるというものである。

 その悪魔の呪いの内容は、両目を奪われたり、両腕両足をもぎ取られたり、心臓を含む全ての内臓をえぐり取られたりするという。

 あまりにも危険すぎる契約書な為、現在では闇商法の者共ですら触れようともしない、恐怖の書類であった。

 しかし、それでもアニスの声色にはまだ明るみがある。

 余程、先程の10万リラが効いたのかもしれない。

「契約、願えるかね?」

 今回の目的達成の為ならば、手段は選ばぬつもりらしい。

 が、契約自体は守りきれば、呪いは効果を成さずに自然消滅する。

 今のアニスにとっては、特に契約に対しての障害は無かった。

 ならば行うべき道は一つである。

「是非、契約致しましょう。」

 アニスは、大きな羽根ペンと黒インクの入った小さな容器を取り出すと、雄羊の契約書にサインした。

 羽根ペンの羽根は、全長10メートルを越える怪鳥ロックの羽根であった。

 その羽根ペンに目がいったのか、フォルター男爵が声を掛ける。

「珍しい羽根ペンをお持ちですな。」

「えぇ。

 うちの主人が剣でロックを倒した時のものですの。」

「ほぉ、剣士でしたか。」

「一応、魔法も使えますが。」

「おお、魔法剣士でしたか。」

「えぇ、まぁ・・・はい、書きましたわ。」

 数回の会話のやりとりをしながらの中、契約は成された。

 フォルター男爵は、契約書に

“アニス・ファン・ウェストブルッグ”

 と書かれたサインを目で確認すると、

「では、宜しくお願いします。」

 と語って、前金の10万リラを支払った。

 アニスは、兎のごとく飛び跳ねたい気分を抑えながら、

「有難うございます。」

 と、丁寧な手つきで受け取っていた。

 今のアニスは、足が地についていまい。

「では、調合すべき3つの品のうちの一つである“聖水”を置いていく。

 残りの2品については、私の部下が手にしてくる筈なので、彼等から受け取ってほしい。」

「彼等の名は?」

「テリス・ミリエーヌ、ルクター・ソーンの2人です。」

「分かりましたわ。」

 アニスは、フォルター男爵のコーヒー・カップが空なのに気付くと、

「もう一杯いかがですか。」

 と、促した。

「いや、せっかくですが、そろそろ私の部下が3人、この国に到着する頃だと思いますので失礼致します。」

 フォルター男爵は席を立ち、契約書を手に足早に去っていった。

 カツ、カツ、と、足音を響かせて。

 扉が開き、再び閉じた後の部屋には、

「キャー! 10万リラよー!!

 何買っちゃおーかなー!!!」

 と、およそ40代の主婦には似合わない、キーの高い声が鳴っていた。

 結婚式場の教会に鳴り響く、巨大な鐘の様に。

 その様から察するに、今後の展開は何一つ考慮していない薬局の主であった。


 フォルター男爵はウェストブルッグ家から数分歩いたところで、

『しまった』

 と嘆いていた。

 道を聞くのを忘れたらしい。

 しかし、運が良かった。

 正面の十字路に、美少女が一人いたのだ。

 おお、丁度いい。彼女に聞くとしよう。

「もしもし、道を訪ねたいのだが。」

「ホエ?」

 しまりのない声であったが、フォルターは屈しなかった。

 この手のタイプと話すのは慣れているらしい。

「第30分岐点という十字路には、どう行けばよろしいかな?」

「ここだよ。」

 即答の美少女の声に、フォルターは一瞬言葉を失っていた。

「ここ・・・なのかね?」

「うん。ここー。」

 ホエホエとのやりとりに、フォルターはこれ以上は話しても無駄と悟り、美少女に礼を言った。

 ここで待ち合わせていた暗殺者共を、待つ事にしたのである。

 が、美少女が去った10分後も、一向に来る気配が無かった。

 ・・・イヴにやられたか、もしくは奴にやられたか。

 仕方ないな。

 やはり奴は、私かアガンでなければ倒せぬようだ。

 闇の助力は、もはやアテにならんとみていいな。

 そんな思いを抱き、フォルターはこの場を去る事にした。

 実は暗殺者共が、ウェストブルッグ家の敵にまわって戦闘していた事など、少しも思い付くことのないフォルターであった。


 ケイトが再び王宮魔法陣を訪れた時は、既にマサリナの姿は無かった。

「あれ? もういないや。」

 ケイトは、そんな独り言をつぶやきながらも内心、

『やった、邪魔者がいない。』

 と、ほくそ笑んでいた。

 この箱をさっさと開けてしまって、鬼の居ぬ間にまだ見たことのない魔術書をあさっちゃおうと目論んでいるのである。

 膨大な数の古文書を保管しているこの部屋は、ケイトのような魔法使いにとっては宝箱そのものであった。

 先程までマサリナの居たこの部屋は、古文書の書庫であった。

 部屋の中央に巨大なデスクが陣取っている他は、壁という壁に本棚を設け、いつ崩れてもおかしくないと思える程の無数の本が、ギシギシになって詰め込まれている。

 この世界では、魔法使いなどのスペル・ユーザーが行使する術は、“魔法”と“魔術”の2種に大別される。

 古代語魔法、神聖魔法、精霊魔法、暗黒魔法などは、一般に知られている“魔法”で、そのどれもが呪文と呼ばれる詠唱を必須としたものである。

 これらに相反し、詠唱を必要とせずに魔法と同等の効果を得る術を総じて“魔術”と呼んでいるが、これらは、錬金術、超能力、特異体質による個有魔力(ユニークスキル)等がある。

 最後のユニークスキルについては、この世界の住人は安易にただ“魔力”と呼び分別しているが、明確に語れる者は一人としていない。

 あえて単純に説明するなら、持って生まれた己自身の特別な力、とでも説明した方が分かりやすいだろうか?

 まぁ、こういった魔力については、人間全員が所有しているわけではなく、所有している人もいれば、していない人もいるので、明確に語れないのは止むを得まい。

 ケイトは、古代語魔法を行使するハイ・ソーサリス(女魔法使い)でもあったし、また、如何なる炎をも操る魔力を有していた。

 古代語魔法にはもちろんのこと、火炎系、爆炎系の呪文はある。

 つまり、ケイトは古代語魔法以外にも、己の魔力で様々な種類の炎を繰り出せるのである。

 故に、人はケイトのことをこう呼んで畏怖している。

『妖炎のケイト』と。

 そんなケイトだからこそ、特にまだ解きあかされていない火炎系、爆炎系の呪文書等については常に興味津々なのであった。

 ケイトは、さっさと箱を開けてしまおうと“開門(アンロック)”の書を探し出した。

 すると・・・。

「おや、ケイト。

 また来たのですか?」

 部屋の入り口には、見慣れた老婆が

『オヤオヤ』

 といった目つきでケイトを見ていた。

 ケイトが内心、舌打ちする。

「え、ええ。

 ちょっとこちらの仕事の都合で、アンロックの呪文書が必要になったもので・・・。」

 表情はあくまでにこやかに、そして言葉遣いは丁寧なケイトであった。

 勿論これは、やむなく精一杯の演技をしているに他ならない。

「ま、アンロックぐらいなら貸してもいいでしょう。」

 その見慣れた老婆・・・マサリナはそう言うと、ケイトが目的の本棚から離れているのを目で確認するや、両手で複雑な印を結び、なにやら唱えた。

 すると、壁に押し付けられていたその本棚がゆっくりと動き出したのである。

 回転扉のように動いたその扉の向こうの部屋には、今いるこの部屋よりも膨大な本の山が存在していた。

 ケイトは、その様子を半ばボーゼンとして眺め、そして、まさかと思いながらもおそるおそる問いかける。

「あ、あのー。

 ひょっとしてこっちの部屋にあるこれらの本は・・・。」

「全部ニセ物の本ですよ。」

 ケイトは

『やられた』

 と、胸のうちで面喰らっていた。

 マサリナの方が一枚上手である。

 さすがは年の功であった。

 それにしても、魔術や魔法の発動を許されない王城地区にあるこの塔内で、何故魔法で本棚の扉を開けられたのだろう?

 だが、今のケイトにそんな事を考える気力は無かった。

 朝からの行動は全て裏目に出ていたのだから、それもそうだろう。

 ケイトは今、唸りたい気分を必死で抑えていた。

 そんなケイトの気分などに気付かぬマサリナは、奥の部屋から一冊の魔術書を手にしてきた。

 開門の書である。

「これで、よろしいですね?」

「・・・ハイ。」

 本当なら、奥の部屋にある魔術書全てを持ち出したい気分だったが、ここはひとまず引くしかなかった。

『絶対に開けてやる!』

 ケイトは、一つの目標を心の内で立てていた。

 ところでケイトよ。その目標とは、当然箱の事だろうな?

 まさか、こちらの本棚扉の事ではあるまいな!?

 ケイトは、開門の書を手にこの部屋を出た。

 ここで箱を開きたいところだが、基本的に城内での魔法の類の発動は不可能であるし、城内滞在規則に反する行為でもある。

 魔法の類いの発動を許せるのは王宮魔法陣の5人と国王のみで、他の者の使用は如何なる魔法であろうとその発動を認めないという規則があるのだ。

『・・・まてよ。

 そんな規則があるって事は、魔法を発動させる裏技があるって事なの!?』

 マサリナが用いた扉を開く術については、後でゆっくりと考えるしかなかった。

『意地でも開けてみせるから!!』

 年中強気なケイトであった。

 ところでケイトよ、あえて確認するが・・・。

 本当に箱の事なんだよな?

 それは。

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