第2話
ケイトが家を飛び出した後、家では祖母のベレッタが外で打ち水をしていた。
表に3つも玄関があるビッグなホームは、ベレッタがこれをやるとかなり時間がかかる。
だが、この打ち水はベレッタが好きでやっている事であった。
左手に小さめのバケツを持ち、右手で水を撒いているその様は、決してただ単に水を撒いているわけではない。
撒かれる水の、地に落ちたその水滴の具合で、本日の我が家の占いをしているのである。
その占いの確率は実に9割超で、この“水華の占術”は雨や雪が降らない限りは毎日の様に行われていた。
ちなみにベレッタは他の占術も行使できる占術の天才で、普段雨の降らない日は王城前広場で占いをして自分の小遣いを稼いでいるほどである。
もっとも、小遣いとは言っても並みな額ではないが。
その、水華の占術で見たベレッタの今日の占いは、
「やれやれ、大凶かい。」
であった。
それから少し後。
クセッ毛のウェーブヘアが美しいキャサリンが、ケイトの魔術探偵用事務所の掃除をしていた。
応接室の部屋を掃き、テーブルを拭く姿は自然そのものであるが、なぜか優美さを感じずにはいられない。
キャサリンは、昨年18歳の時にセレネ魔法学院をトップで卒業しており、今は一応家事手伝い&発明家である。
断わっておくが、キャサリンに就職先の声が全くかからなかったわけではない。
むしろ逆に多すぎたぐらいである。
にもかかわらず、どの声にも応じなかったのは、本人曰く、
「どの職業も平凡なんだもん。」
と、いうことであった。
確かに“発明家”とは非凡かもしれないが、発明家として食べていける能力をキャサリンは充分に有していた。
その、今までに発明した品々は実に豊富である。
寝る前にベルを鳴らせば、寝た後でブラウニーが現れて後かたずけをしてくれるという小さなベル“夜の小人”。
1日か2日程度ですぐ腐食してしまいそうな食物をこのケースに入れれば絶対に腐らないという、特殊防腐三角錐ケース“ピラミッド・パワー”。
この指輪をしていれば、起きている間はずっと精神が安定します。
これから魔法学院を受けんとする受験生の方に最適!
精神安定リング“ピース”。
これらはほんの一部にすぎない。
いずれは家の裏手に空いている土地に、小さな研究所を建てようと目論見中であるらしい。
ビッグハウスが益々ビッグになりそうな、そんな予感すら感じられる。
家事手伝いは、本人にとっては、発明考案の息抜きのようなものであろう。
掃除をしている最中は、勿論のこと魔術探偵の玄関には、
”ただいま準備中”
という、ビールジョッキのマークが付いた札が掛けられていた。
ちなみに、ビールジョッキのマークが付いている理由は、この札は“キルジョイズの酒場”で貰ったものだから、である。
センス以前の問題に、何かがズレているようであった。
そんな札がかかっているにもかかわらず、キャサリンがテーブルを拭いていると、
コンコン
と、扉をノックする音が軽く聞こえた。
キャサリンは、
「ウニャ!?」
と意味不明な声を発して首を傾げ、パタパタと扉の前に来て小さな覗き窓を覗く。
「どちらさまですかぁ?」
キャサリンのこの声色は、まるで『本日は休業です。』とでも言いたげな、そんなホエホエ声であった。
「すみません、先日御伺いしたイヴという者ですが。」
確か約束は昼のはずである。
この者はひょっとしたら、身体と声色を変えた強盗ではないだろうか?
思わず、そう考えずにはいられない。
ふざけた思いに感じられる内容であろうが、実のところ、これはいたって真面目な考慮である。
剣と魔法の世界の犯罪内容は、決して並みではない。
例えば、前述した内容については、変身させてくれる“変魔の店”等の魔法店にいけば簡単に変身できる。
もちろん、実物の人間に変身する場合は本人の承諾が必要だが、闇商法で承諾なしに行える場所がいくつかあり、そこに行けばこんな内容は朝飯前の裏技だ。
そんな実情を考慮すれば、前述の思いを抱くのは、実にごく自然であった。
しかし、だからといって自然に対処するウェストブルッグ一家ではない。
そもそもこの家は、何を考えてか不審者対応の魔法道具を1個も玄関に設置していないのだ。
その分、他の者どもには一種不気味と言えた。
まして対応する人間がキャサリンでは、自然に対応することが不自然と言えた。
そして、その事を象徴するかのごとく、キャサリンは目の前の扉をゆっくりと開けたのである。
一般国民がこの状況を見れば、おそらく何も言葉が出まい。
「あ、すみません。
今、追われているので、とりあえず依頼の品を渡しておきます。」
キャサリンの目の前に現れた美女は、どうやら本人らしかった。
後ろ髪だけ肩を越す程度に伸ばした髪形は少し男っぽいが、何故かその髪形は自然とよく似合っていた。
服装は盗賊の様な軽装さで、実に動きやすいスタイルをとっていた。
あまりお洒落には感じないが、軽装な分、美しいプロポーションが映えて充分に魅力的である。
「はあ。」
受け取ったそれは、小さな鉄製の箱であった。
ご丁寧に鍵までかけてある。
「箱の中に入っているものを完膚なきまでに破壊して下さい。
お願いします。」
「はあ。」
返事に力のないキャサリンであった。
イヴは、不安になったのか名前を尋ねる。
「あ、私、キャサリンといいまーす。」
「じゃ、キャサリンさん、必ずそれをケイトさんに渡して下さい。」
イヴの声には、念を押したような響きがあった。
が、その声がこの美少女に伝わったかどうか。
「はい、わかりましたー。」
終始ニコニコ顔のキャサリンにイヴは本当に大丈夫だろうかと一抹の不安を募らせたが、追手の気配を感じたのか、ではこれでと言うと足早にこの場を去っていった。
おそらくはこの家に迷惑をかけまいとしての、彼女の気遣いであろう。
キャサリンは、彼女の気配が完全に絶ったのを確認すると、家の中に入った。
そして、その箱をテーブルの上に置いてボーッと眺め、今頃になって重要な事に気付いていた。
「あ、鍵の開け方聞くの忘れちゃったー。」
ケイトがこの声を聞いたら何と叫ぶであろう。
箱は、見たところ魔術的な要素も含んだ特別製だ。
いかにこの一家が魔術一家とは言え、開けるのに苦戦は必死にちがいない。
キャサリンはこの箱を見つめ、珍しく発明以外の内容を考えていた。
が、しかし、
「ま、いっかー。」
と、呆気なく諦め、魔術探偵の部屋を出ていった。
受け取った箱をテーブルの上に置いたまま。
箱は無言であった。
もし箱に意識があったなら、そして言葉が発せられたら、
『バカヤロー!』
と怒鳴っていたであろう。
だが、このキャサリンのホエホエに勝てるのは、この美少女の両親と祖母の3人だけである。
箱の無言の声は、空しく宙に舞っていた。
「おはよーございまーす。」
あまりお早くなかったが、一応元気よく一声を発して城門を突切ったケイトは、城内に設けられている“王宮魔法陣の塔”目指して走っていた。
遅れるわけにいかない。
少しでも遅れようものなら、またあの説教婆さんにグタグタと説教くらうのは目に見えている。
あぁ、加速装置が欲しい!
心の内で、無いものねだりをしているケイトであった。
急ぎたければ“ヘイスト(加速)”の呪文を唱えればいいのではないかと思うだろうが、残念ながらそれは不可能。
なぜなら、城門を一歩でも入れば、そこはもう魔法を発動する事の出来ない、特殊な魔法陣の中なのである。
これは、万が一、王城内に不審な者が侵入してきても、魔法を唱えさせない為に設けられているものだという。
魔法陣は幾重にも渡って張り巡らされており、城の周りに建っている物見の塔も、城内の地下通路も、その他全ての施設が緻密に計算された魔法陣を構成していた。
で、あるからして、悲しいかなウェストブルッグ家の長女といえど、ここでは魔法を唱える事は出来ないのである。
だが、残念ながらこの世界に加速装置等は無かった。
“王宮魔法陣の塔”を見つけると急いで中に入り、バタバタと音をたてながら廊下を走る。
そして、目的の部屋の扉を見つけると、いきおいよく開けて一言、
「セーフ!!!」
と言い放つと、ゼーハーゼーハーと荒い息をはいた。
「おや、今日は来ないのではなかったのですか、ケイト。」
部屋には、朝から気の張り詰めた様な表情をした品のいいお婆さんが、羽根ペン片手にケイトの声に軽く受け応えていた。
「お、お休みでしたけど、き、給料日だったのを思い出したので、出てきました。」
息を切らしながらの台詞であった。
しかし、その努力丸出しの荒声に対して返ってきたのは、
「なら、もう少し早くきなさい。
それと、廊下は走ってはいけません。」
という、本日第一号の小言であった。
その小言に続いて問いも続く。
「では給料は、先日までの仕上げ分でいいですね?」
「こ、これも追加して下さい。」
と、ケイトは、昨夜で仕上げた解読文書をまとめて提出した。
目の前の品のいい老婆・・・マサリナに。
「あら、ご苦労だこと。じゃ、それも頂くわね。」
「是非、お願いします。今月ピンチなもので。」
マサリナはパラパラと羊皮紙の束をめくって、50枚ちかくある文書をわずか1分で見終えると、
「じゃ、お渡ししましょう。」
と言って、銀貨のいっぱい入った袋を2袋手渡した。
実に、一般市民の2~3倍近い額である。
いつでも一人立ちは可能なケイトであった。
「ありがとうございます!」
ケイトは、ニコニコ顔でそれを受け取った。
この給料が、果たして何に化けるかは何人にも予測し難い事であろう。
奇麗な服や、化粧品、美味しい菓子などは女性として当然だし、もちろんケイトもそれらは買うが、問題はそれ以外の面である。
黒魔術には最適と言われるディスプレッサー・ビースト(魔豹)の体毛を束にしてまとめた物や、双頭蛇を薫製にした物、挙句の果てにはジャイアント・トード(巨大蛙)の目玉など、数え上げればきりがない。
ちなみに、これらは全て魔術に使用する物である。なんでも、両親の知らないところで祖母のベレッタが色々な魔術を教えているそうだが。
果たして、今回の給料の運命も、そうなるのだろうか。
「じゃ、失礼します。」
そう声を交して部屋を出たケイトの声は、当然のように明るかった。
だが、この明るさが長く続く事はなかった。
なぜなら、ケイトにはこれから、例の“開かずの箱”の鍵の解除という、難題が待っているのだから。
おそらく受け付けしたキャサリンが手伝う事は、万が一にも有りえまい。
さて、箱は無事に開くであろうか。
そして、中の正体は知れるであろうか。
全ては、非情にもケイト1人の努力による。
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