第1話

 ここガーディア王国では、涼しげな秋の気配を感じる取るようになっていた。

 しかし、『涼しくて気持ちがいい。』というのは、あくまで昼の話である。

 朝晩となると、少し冷えるくらいだ。

 初秋の季節は、昼夜の寒暖の差が以外とある。

 そして、そんな冷える朝に今日も耐え切れず、今だにベッドに潜り込んでいる美女がいた。

 髪が長いのか、ベッドと布団の隙間から、美しいストレートの髪が外の景色を眺めている。

 その美女の部屋には、似合いもしない巨大な机があり、その上には昨夜遅くまで見ていたのか、様々な魔術書がところ狭しと無造作に重ねてあった。

 そして、その本の全てに、ところどころに栞が挟まれている。

 飾り棚もあったが、中には奇妙な物しかなかった。何かの動物の角のようなものや、真っ黒いケースに収められたカード。

 更には、しっかりと封印の印を刻んだコルクで栓をしている瓶等が連ねてある。

 小さな木箱も口を開いたまま置かれているが、そこに入っているのはアクセサリー等ではない・・・何かの動物の骨だ。

 いかに、この部屋に住む女性が美女とはいえ、仮に男が誘われて入ってきたら、おそらく5分とたたずに逃げ出すにちがいない。

 そんな部屋に、少しクセッ毛のあるウェーブのかかった美しいロングヘアーを持った美少女が、まだ眠いのかホエホエな表情で入ってきた。

 そして、ノホホンとしたお気楽な口調で、可愛い声を出す。

「お姉ちゃん、朝よー。」

 他の人が今の声を聞けば『お休みなさい』を言っているかのような、そんな錯覚に囚われかねない。

 しかし、そんな彼女の声に対して返ってきた声は、更に輪を100回かけて眠たそうな、そんな声であった。

「・・・んー、もう少し・・・。」

「もう、しょうがないなー。」

 『お姉ちゃん』と呼んだその美少女は、特に『しょうがない』と思っていないような口調でそう言うと、右手の人差し指を、お姉ちゃんのベッドにゆっくりと向けた。

 そして、その細い指先に淡い光が灯ると、徐々に上へ上へと上げていく。

 するとどうした事か、お姉ちゃんの寝ていたベッドの掛け布団が、フワフワと宙に浮きはじめた。

 その美しい人差し指の動きに合わせるかのように。

 ベッドに寝ていたお姉ちゃんは、突如やってきた身震いに手で布団を探すが、無情にも布団は天井まで高く上がっていた。

「ちょっと、キャサリン!!

 なんてことするのよ!!!」

「んー?

 優しく起こしてあげてるの。」

 無言で姉から布団を奪い取るのが優しいことなのか!

 と、おもいっきり叫びたかったが、悲しいかな毎朝の低血圧には勝てない、お姉ちゃんであった。

 お姉ちゃんにキャサリンと呼ばれた美少女は、

「朝食の用意、できてるって。」

 と、まだホエホエなままで言うと、お姉ちゃんの部屋を出ていった。

 その部屋の扉には、

“ケイトの部屋”

 と、書かれた札が掛かっていた。

 そして、

“絶対に起こさないで下さい”

 と書かれた札も、扉にしっかりと掛かっていた・・・。

 妹のキャサリンと違い、クセッ毛のないストレートのロングヘアーを持った姉のケイトは、とりあえず手近にあった服を着て鏡台の前にチョコンと座ると、丁寧にブラシで髪をとかす。

「よし、これでOKっと。」

 ようやく髪形が決まったのを確認すると、ベッドの枕元に置いてあったアミュレット(護符)を取ろうと、再びベッドに上がった。

 しかし、そんな単純な行動が最悪の結果を招く。

 まるで、ケイトが再びベッドに上がってくるのを待っていたかのごとく、天井まで高々と上がっていた布団が、急速にケイト目がけて落下してきた!

「キャアアアア!!!」

 再び『お休みなさい』とでも言わんばかりに降ってきた掛け布団のおかげで、苦労してとかした髪形は、やはり再びバサバサな状態へと戻ってしまった。

 もし鏡台に意思があったなら、冷や汗ダラダラだったに違いない。

「キャサリンのバカー!!!」

 どうやら、朝の低血圧は完全にどこかへ吹き飛んでしまったようだった。

 なんとも、朝から騒がしい家庭である。

 魔法を持つが故に、このような騒ぎになるのだろうか。

 ケイトは、自分も魔法使いであるというのに、このときばかりは魔法の存在をとても疎く感じていたのであった。

 これが毎週最低三回は起きるという、この魔術師一家の平凡な朝の光景である。


 ケイトが、不本意ながらも二度目のヘアスタイルを整えてダイニングキッチンに入ると、いつもならゆっくりと朝食を取っている父の姿が見えなかった。

 ケイトのその思いを察知してか、外見年齢15歳ぐらいの愛らしい美少女がケイトに近寄り、丁寧な口調で語る。

「ケイト様。

 ヴェスター様でしたら早朝出勤ということで、既に出てらっしゃいます。」

「あ、ありがと。」

 ケイトは、その美少女、人形娘“ドール”の台詞を耳に入れると、

『なんだ、そっか』

 とでも言いたげな表情で自分の席に座った。

 脇にはキャサリンが、向かいの席には母のアニスと祖母であるベレッタが並んで座って食事していた。

 焼きたてのパンと暖かなコーン・ポタージュの香りは、朝起きたばかりの胃でも充分に食欲をかきたてる。

「おはよー。」

「昨日、夜遅くまで魔術書あさってたみたいだったけど、ちゃんと寝たの?」

 姉妹の母であるアニスが、心配そうに顔を覗き込んで問いかけた。

 それもそのはず。ケイトは王宮内にある“王宮魔法陣”と呼ばれる政権執行組織の呪文書解読のアルバイトをしており、昨日も夜遅くまで羊皮紙に解読した文書をマメに書いていたのである。

 給料日が近日である事から、アルバイト作業に熱が入るのも当然であった。

 だからこそ、扉に『絶対に起こさないで下さい』と札をさげておいたのである。

 それなのに・・・!

「ちゃんと寝たのかはともかく、低血圧が吹っ飛ぶ勢いで起こされたのは、隠しようのない事実よ。」

 隣で食事を取っているキャサリンへの、嫌味100%の台詞であった。

 が、しかし、

「あら、よかったわね。

 低血圧に悩まされずに起こしてもらえたなんて。」

「・・・。」

 この母あっての、あの妹か。

 よくよく考えれば、それもそうである。

 なんせ、二日前は母が新しく開発した薬をスープの中に混入していた事もあったのだから。

 ちなみにその時は即効性の眠り薬であった。

 さらにその四日前は、あろうことか遅効性の媚薬だった。

 確かにその事を考慮すれば、母である悪女に対して同意を求めたのは間違いだったのかもしれない。

 母、アニス・ファン・ウェストブルッグ。

 その筋では、知る人ぞ知る超天才の錬金術師である。

 錬金術とは、この世に存在しない異世界の物質等を作り出す術で、アニスは主にポーション(薬)を製造している。

 ちなみに、祖母であるベレッタには、週に一回服用すれば大丈夫という、リウマチの薬を作ってあげているらしい。

 この家で薬局を始めて8年になるが、その8年の間、毎年新薬開発賞という賞を受け取っている程で、腕は決して並みではなかった。

 だが、余計な事に悪女ぶりも並みではなかった。

 ケイトは、隣で上品に音を立てずにコーン・ポタージュを飲んでいるキャサリンを尻目に、

『自分は父親に似て良かった。』

 と、奇妙な安堵感を覚えていた。

 ドールが、ケイトの前にコーン・ポタージュとパンをソッと優しく置く。

「どうぞ。」

 ビロードのサテン・ドレスを着たドールは、今日もとても愛らしかった。

 男性陣がドールにこれと同じ事をされたら、あまりの可愛らしさに誰もが優しく抱きしめてあげたくなるに違いない。

 事実、ドールはこの王国内においては、女王のエレナ、僧侶のアリサ、そしてこの家に住むキャサリンの三人に劣らぬ人気を持った美少女で、加えてとても優しく丁寧な口調から、王国内の街では“お嬢様”とも呼ばれ、親しまれている。

 王国内ではケイト同様に超有名人で、昔は彼女の姿を一目見ようとこの家を訪れる客も、決して珍しくはなかったほどだ。

 だが、ウェストブルッグ家では、この人形娘“ドール”を作ったと言われる200年前に、この人形娘の製造方法を闇に封印したという奇怪な話が残されている。

 200年前といえば、ウェストブルッグ家と他の三家がまだ分離していない、ブルッグ家の頃の話である。

 誰が見ても危険度ゼロの彼女なのに、ウェストブルッグ家では何故封印したのだろう。

 残念ながら、ウェストブルッグ家の人間にも分からなかった。

 封印した本人が、死の床まで堅く口を閉ざした為、この製造技術は受け継がれなかったのである。

 だが、おそらくドール自身は知っているだろう。

 しかし、それでもドールに直接そのような話を聞こうとする者は一人としていなかった。

 皆、この愛らしい美少女を傷つけたくないと願っているからに違いない。

 その証拠に、以前異国から訪れた者がドールを手に入れようと試みたが、結果、その者は王国内の人間全てを敵にまわしてしまい、ついにはその者の首に賞金までかけられ、挙句の果てには暗殺組織アサッシン・ギルドの者に殺されたという。

 ドールは決して人ではなかったが、今では充分すぎる程に皆から国民として認められ、また、皆から愛されていた。

 だからこそウェストブルッグ家では、この人形娘と一緒に暮らしている事をとても誇りに感じていたし、過去の封印に触れようともしないのだった。

 そして、ドールもまたこの事を知っているからこそ、この家の召使いとして住んでいるのである。

 ケイトは、とりあえず今日の予定の確認をドールに聞いた。

「今日、魔術探偵側で何か予定あったっけ。」

「はい、今日の昼頃にお客様がお見えになる予定です。」

 今日のお昼・・・そっか、そういえばそんな予定あったな。

 その予定とは、今日の昼にイヴという名の女性が訪れるという内容であった。

 二日前に来たらしいのだが、その日は母であるアニスがケイトのスープに眠り薬を混入したせいで、対応できなかったのである。

 とりあえず、ドールが応じて『2日後に』という事にしてもらったのだが、今思い出すと非常に腹が立つ一件であった。

 ・・・ついでにもう一つ思い出した。

 アルバイトの給料日は、確か今日だ。

 ああ、空しいかな、魔術一家の家庭事情。

 しかし、いつまでも感慨に浸ってはいられない。昨夜仕上げた分の呪文書の解読を、王宮内の王宮魔法陣に持っていかなければ。

 なんせ、今月の給料がかかっている。

 ケイトは朝食を済ませると、自分の部屋に戻って魔術師としての格好に着替え(俗に言う法衣)、早めに城に向かう事にした。

 今日こそ、イヴという名の女性から依頼を受ける為に。

 しかし、その依頼の内容が今までにない過酷なものであるという事など、今朝の時点では分かるはずもなかった。

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