桃香の部屋

 白いキャンバスに、黒い鉛筆で下書きを書いていく。白黒の味けない絵。

 その絵に誰かが色を塗ることで、その絵は色鮮やかに彩られていく。ご飯も、ただの食べ物としてあるご飯よりも、隣に人がいたり、想いが入ることで彩られ、より美味しい物に変わっていくんじゃないか。


 そんな事を思いながら、コンビニ弁当を食べる。上手い。こんなに美味かったんだな。


「このわらび餅も美味しいね」

 桃香はそう言って嬉しそうにしている。


 俺の満腹中枢が切れてしまったようだ。食べる。上手い。食べる。食べる。上手い。


 

 リビングがある家なのにリビングを使ったことがない。いつも2人して部屋にこもっていた。こうして2人でご飯やおやつを食べて過ごすなんて、したことがなかった。広くて殺風景に感じてたリビンが温かいものだと知る。


 






 光が穏やかに柔らかく、部屋に差し込む。

床に映る光を触る。温かい。蝉の声が静かに聞こえている。

 食べて寝てしまったらしい。もう朝になっている。こんなに寝たのはいつぶりだろう。


 テーブルの上には食べ散らかした残骸が残っていた。桃香は、後ろのソファーに寝ていた。

 テーブルを片付ける。


 なかなか起きない桃香に、仕事は?と、聞こうとして、気づく。桃香は体調がわるそうだ。怠そうにして起き上がらない。


「熱計る?」と、聞くも、大丈夫と、起き上がり仕事の準備をはじめる。


「いつものこと」と、笑顔で言う。


「昨日はありがとう」と、言う。


 今は昔と違う。少しの体調の変化さえ休める時代になりつつある。

「もう昭和や平成じゃないんだから、休んでも大丈夫だよ」と、言うと「いつの時代もブラック企業はブラック企業でしょ?」と、言う。確かにそうだ。


「体調悪くて休んでも有給は使えないし、給料はマイナス8千円」

 俺が支えるから、休めと、言えない。桃香の心の在処が分からないから。俺は臆病だ。とことん臆病だ。


 桃香がシャワーを浴びて、家を出ていくのをただ呆然と見ていた。

 薄くドアの空いた桃香の部屋を除く。桃香の実家の部屋を思い出す。


 付き合ってしばらくした頃、はじめて桃香の実家に行った時、俺はドキドキしていた。桃香は、5人家族。


 その当時、桃香の双子の弟は、専門学生で一人暮らしをしていた。桃香の妹は10歳下でまだ小学生だった。桃香の父親はなぜかいつ行ってもいなかった。


 桃香の机の上に、桃花と書かれたお年玉袋が置いてあった。

「これ、漢字違うよ」

「うん。間違ってるよね。おばあちゃんが誕生日に送ってくれたの。弟の名前は完璧。私の名前は忘れちゃったみたい」

「おばあちゃんだから、忘れちゃったんだな」

 その時の何気ない会話、俺は気に留めなかったけど、桃香は淋しげな顔をしていた。今になって思えば、桃香はお金さえもらえればラッキーって思える子じゃないから、ショックだったんだと思う。自分だけが愛されてないんじゃないかって桃香は気にする子だ。

 

 


◆◆◆





 昨日は幸せだったように思う。今日は最悪だ。生きているのが怖い。


 私は、どうしてここにいるの?

 よく分からない問が私を攻めたてる。

 振り返ってアパートを見る。今日はあそこに戻りたい。手と足に鎖がついたように重い。怠い。

 昨日、たくさん歩いたから。あんまり歩いちゃいけないって、言われてたのに、歩いたから。もう一度だけって願ったから。身体が重い。

 


 その場にしゃがむ。

 その瞬間、世界が地に這ったみたいになった。私ここまで落ちたかぁって笑いたいような、泣きたい気持ちになった。


 夏の地面はこれからどんどん暑くなる。そのまま私も干からびてしまえばいい。


 

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