コンビニ弁当

 まどろっこしい夏の空気も、この瞬間だけは、夏の気持ちいい空気に感じられた。ほのかに、揺らぐ夏の風。私の髪を揺らしている。


 会話はあったり、なかったり、私達のする会話は内容はない会話。


 隣を歩いている。それだけで幸せなんだって思えてくる。


 身体の怠さや重さなんて、この風とどこかにいってしまったように軽い。



「俺、もうお腹すいた」

「さっき食べたよ。太るよ」

「あそこのコンビニ寄ろう」

 コンビニは、どこにでもある。でも、あのコンビニがキラキラして見えた。

 最近の私は、2人でコンビニに入るカップルが羨ましかった。色々想像ができるから。これから2人で楽しくて映画でも見るのかなとか、公園で話をするのかなとか、色々な想像が膨らむから羨ましかった。



「アイス奢って」

「いいよ。100円までなら」

「ガリガリ君しか買えないじゃん」

「ガリガリ君の梨味知ってる? 美味しいからね」












◆◆◆




 大きなぬいぐるみを抱えた桃香が、隣にいる。手をつなぎたいけど、俺があげたぬいぐるみのせいで手は繋げない。



 懐かしい感じがする。


 俺はここ1年ぐらい廃人だった気がする。




 仕事が落ち着けば、桃香が東京にくれば、同棲すれば…。

 色々な言い訳を重ねて桃香から遠ざかってしまった約1年間。桃香の顔色がどんどん悪くなっている事に気づきながら、何も出来なかった。気づかないふりをしていた。


 俺には、桃香を支える余裕がなかった。光熱費を払って、桃香の職場の近い場所にアパートを選んで、桃香のわがままを少し聞いていたら、桃香は側にいてくれると慢心まんしんを抱いていた。


 冷蔵庫に入っていた料理も、洗濯して置いてあった洋服もやってくれてるな、と、気づきながら、その料理を食べてあげる事も、お礼を言う事もしなかった。


 お礼を言える人ってのは、心に余裕のある、心の優しい人だと思う。俺は、優しい人間ではない。

 

 料理に込められた愛情や気遣いを無視した俺は、優しい料理に物足りなさを感じる人間になってしまった。添加物だらけで身体に悪いものを欲する身体になってしまった。

 身体に悪そうな食べ物が無性に食べたくなるけど、美味しいか? と、聞かれたら美味しくはなかった。


 

 上京したての頃、桃香が俺の住んでるアパートに来た事があった。冷蔵庫の中が何もなくて、桃香と何もないねって言って、近くのコンビニで弁当を買って2人で食べた。

 6畳の狭い部屋で2人で肩を並べて食べた。コンビニってこんなに美味しんだねって2人で笑って食べた。



 あの頃と同じ物を食べても、今は味がしない。この弁当の味が悪くなったのか、俺の味覚が狂ったのか。俺は不味い弁当だなって、弁当のせいにした。あの頃の味を帰せよ、とも思った。

 桃香の料理も、コンビニの料理も、味がしない。だから、毎日同じ弁当を食べた。2人で一緒に食べたあの弁当を食べ続けた。

 




 桃香と久しぶりにコンビニ行く。ただそれだけの事。ただそれだけなのに懐かしくて、温かい気がした。


 うっとおしいと思っていたコンビニのチャイムさえ、軽快に聞こえる。



 俺はいつもの弁当に手を伸ばしてみた。今日の寿司は味がした。今日は、この弁当上手いだろうか…。


「お寿司食べて、この弁当食べれるの?」

 桃香が弁当の中身を見る。

「今日の俺は、食べ物にいろどりを感じる」

 桃香はふふっと笑った。また、桃香に何言ってるの?って突っ込まれるだろうか。奏人は、おかしいねって言われるだろうか。

「私もそれ思った」

 予想外の返答。

「へっ?」

「私も今日は彩りを感じた」

 桃香の横顔がきれいだった。前より痩せた顎のライン。長いまつ毛。

「そうだよな。彩ってるよな。今のうちに色々食べときたいんだよ」

「なにそれ。でも、ちょっと分かるよ。また失う前に彩りを感じてたい気持は分かるよ」

「だよな。感じてたいよな」


 桃香はハーゲンダッツを俺の持っていたカゴに入れた。これはガリガリ君だと言いはった。私も彩りを感じたいとも言った。

 気づいたら、カゴの中いっぱいに2人で食べ物を入れていた。


 お会計は8千円。

 コンビニで8千円か、と思いつつ、これはいい買い物だよねって、はにかむ桃香に同意した。お支払いは、結局、俺だったけど、それも心地が良かった。



 こんなに好きなのに、俺はなんで大事に出来なかったんだろうな。ぬいぐるみを大事に抱く桃香を横目に感じる、後悔。


 

 去年、祝ってやれず忘れてしまった桃香の誕生日。今年は誕生日の為に回転寿司に通う日々を過し、希望休もとった。


 今、俺達は付き合えてるの?と、聞けず、ただ桃香を上から眺めることしか出来ない。



「おめでとう」

 小さな声でそっと伝える。

 桃香は俺を見上げる。

「うん? 何か言った」

「なんも言ってない。8千円かぁって呟いた」

「ありがとう。ハーゲンダッツ」

「嬉しそうだな」

 桃香の笑顔なんて久しく見てなかった。

「この子も最高のプレゼント」

「転勤した職場の近くに回転寿司があって、昼は毎日寿司食べてた」

 本当は、職場から一駅先にある。この関係をどうにも出来ず、俺はただ、回転寿司に通った。

「そうなんだ、奏人お寿司好きだもんね」

「寿司は好きだ」

 寿司は好きだけど、桃香と食べるから上手いと、気づいた。

「ありがとう、嬉しい。…これは誕生日…プレゼント?」

 俯きながら、小さな声で聞く桃香は急に小学生の少女になったようだった。

「おめでとう」

 そうだよ、桃香の誕生日だよと頷く代わりにお祝いの言葉を言う。

「…なに、遅いよ。本当に遅いよ」

 ぬいぐるみをギュッと抱きしめている。

「遅くないだろ。今日だろ。当日までにポイント間に合っただろ? さすが俺の寿司好き」

「バーカ」

「あっ! 暴言吐いた! ぬいぐるみ没収」

「人にあげたものを奪おうとするなんて酷い」

「とらないよ。おめでとう」

 桃香はしばらく無言になって頷いた。





 俯きながら歩く桃香の顔は俺から見えなかったけど、おれのあげたぬいぐるみが、やけに濡れていた。俺が気づかないうちに雨でも降ったか? ポツポツ濡れているぬいぐるみを俺は黙って眺めていた。

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