届かない理想

 もしも、映画やドラマで私のストーリーがあったら、何この女って主人公を軽蔑するだろう。途中で、観るのをやめたくなるだろう。


 隠したい人生。誰かに愛されたい人生。なんでこんなにみっともないんだろう。汚い私を見たくなくて、自分の中に偽りのきれいな自分を作り上げ、理由を作っている。

 寂しいとか、親がとか、言い訳ばかり並べて逃げている。


 虚しさが私の周りをふわふわ泳いでいる。今日は日曜日。明日は仕事。もう乗り慣れた中野の車。私達は少し重たい身体を車の座席に置き、帰路についている。外では騒がしく蝉が鳴き、避けたくなるような陽の光がのびのびと降り注いでいる。


 私のはじめては奏人で、奏人で全部染まっていた。それが今では中野で染まっている。


卒業式の後、一度離れたはずの私達は、離れられなくて磁石のプラスとマイナスのようにくっついている。

 中野は休みが合うと都内まで私を車で迎えに来て、関東県内の街をブラブラしてホテルへ行き帰る。そんなルーティンが出来上がっていた。


 住宅内の路地に車は停まる。ハザードランプの音がカチカチ聞こえてくる。

「着いたよ。じゃあ、また。次はいつ?」中野は必ず次に会う確認をして、私とさよならをする。

「うん。休み確認する」

「また連絡して」


 リホームしたてのきれいなアパートに私は帰っていく__。


 築35年2LDK、家賃12万のアパート。リホームしたてで真新しく見える。

 アパートの階段を登る。3階の306号室。黒い大きな革靴が置いてあった。リホームしたてで真新しいはずなのに部屋の空気はどんより重い。

 部屋の中に靴の主はいるらしい。洗面所には、汗の匂いがするワイシャツが脱ぎ捨ててある。

 扉がうっすら空いてる部屋を覗き込むと、部屋の中はくしゃくしゃのスーツが丸めて置いてある。コンビニのゴミが散乱している。頭は濡れたままで、Tシャツとパンツ姿の大きな男が床に転がっていた。動かない。

 事件現場みたいだなと、思いながら、廊下に近い所のゴミだけ回収して、そっと扉を閉める。


 私は自分の部屋へ行き、そのまま布団の上に寝る。

 私達は同棲したときから同居人みたいな生活をしている。家賃は折半で、光熱費は俺のほうが給料が高いと言って支払ってくれている。奏人は、男のプライドを大事にするタイプだから、自分の方が強く見せたい。支払いの時は、男の方が払うべきだというタイプだ。私はそんな奏人に甘えていた。後ろめたさが心に募る。


 はじめの1、2ヶ月は、冷戦状態の私達もどうにかなると、一生懸命にご飯を作った。洗濯をした。ゴミだらけの奏人の部屋を片付けたりもした。奏人はただ黙って、シャワーを浴びて部屋で寝っ転がるだけの日々だった。

 6月の終わり頃、私は、「一旦、同居人になりましょう」と言った。

 一旦と付けたのは、まだどこかで希望を捨てたくなかったから、はっきり別れましょうと言えなかったのは、まだ奏人に甘えていたかったから。こんな私がズルい。

 全部、自分の弱さだって分かっている。今は休戦中。どこかで繋いでいるけど、付き合ってない同居人状態。別れているともはっきり言えない。私は今の状況を言い訳にしている。今は、奏人と別れているから、浮気じゃないと自分を偽って言い訳して、綺麗事並べている。





◇◇◇

 

 俺は、ずっと誰からも相手にされない人生を送ってきた。

 小学生の頃から中学まで吃音きつおんがあった。言葉を話そうとすると喉の奥で言葉がモゴモゴして出てこない感じがずっとあった。中学の時は、軽いいじめもあった。人の名前を呼ぶ時も、声がごもって出なかった。周りから気持ちわらがれた。喋るのが怖かった。人が怖かった。


 俺の周りは自然と無口な子が集まった。俺の初恋はりつこちゃん。りつこちゃんも無口で俺が「り、り、りつこちゃん」と、呼んでも嫌わないでいつもニコニコ笑っていた。俺の心の支えだった。りつこちゃんと俺は中1の時、こっそり付き合ったが、中2の頃りつこちゃんが親の仕事の都合で引っ越してから、自然消滅した。淡い恋は、そこで終った。皮肉なものでりつこちゃんを忘れる為に一生懸命、勉強をしていたら、吃音は次第に治っていったし、勉強は学年1位を取れるようになった。勉強という武器が1つだけ出来て自信が少しできた。


 中学までの影響か人を避ける人生を送るようになっていた。バイトも人と関わらないバイトを選んだ。食品の仕分け、スーパーのお惣菜作り、居酒屋の厨房のバイトをした。


 ある日、俺の前だけよく喋り、俺意外の人の前では緊張して無口な女の子がバイト先に現れた。その子は、及川桃香と言った。

 はじめてだった。無口な俺にひたすら話しかける人は会ったことはなかった。俺といると無口になる人がほとんどだったが、その子は俺の前では喋り、俺以外では無口だった。その子がキラキラして見えたし、嬉しかった。優越感も感じた。


 大学の学部が一緒で、何度も見かけていたけど、大学にいる時は、いつもそわそわして肩をすくませて緊張してた。周りと交わろうとするけど、結局一人でいる事が多かった。別に人から嫌われる訳じゃないし、周りから声をかけてもらって、面倒を見てもらっている様子はあった。でも、心の壁を作っている子に感じていた。


 及川はバイト中、俺をなかのんと、呼んだが、俺は恥ずかしくて、「中野でいいよ。中野がいい」と言ってしまった。涼太って呼んでもらえば良かった。俺は周りの奴らがモモちゃんって呼んでいるのを真似して、モモと呼んだ。ちゃんを付けなかったのは、俺の中の特別を出したかったからだ。はじめは呼べなくて、モゴモゴ呼んでたらモモが「なぁに?」と、聞いてきた。それが、可愛かった。

 

 モモが俺を大学でうっかりなかのんって、呼んだことで大学の奴らから、なかのんと呼ばれるようになった。モモは、口が滑ったと思ったらしく、俺をその日から中野としか呼ばなくなった。ショックだ。

 モモに勉強を教えてる姿を見て俺に勉強を教わりに来る奴らが増えた。今までの俺だったらあり得ない事だった。


 モモには常に彼氏がいた。モモと出会った時も彼氏がいたし、その彼氏と別れてチャンスだと思ったら、バイト先の先輩に奪われた。

 須郷奏人と言って、大きな男で、優しくて、男前で俺なんかじゃ到底敵わない人だった。須郷さんは、モモとデートした翌日は、モモを見るだけで緊張してオロオロして、ミスを連発した。どうせ、いい事でもあったんだろう。このカッコ悪さを見てモモが嫌いになればいいと、思った。人が思うほど、俺は大した人間じゃなかった。心が狭かった。


 須郷さんが卒業して、都内に就職した時は心底嬉しかった。バイト先で須郷さんに気を遣わなくなるし、モモとプチ遠距離になる。でも2人はなかなか別れなかった__。


 あの時の俺はモモの抱える心の闇なんて知らなくて、ただモモが好きだった。たんぽぽみたいな子だと思っていた。今はモモをほっとけない。一緒にいないと、モモが壊れる気がして怖い。

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