接触


血の道から少し北にそれた場所にたたずむ人影のほうへ進んでいく。ただあの原住民にとって俺は異分子にほかならない。先日の時のように、要らぬ誤解はできるだけ避けなくては。少なくとも顔以外の見た目に関しては、現地の兵士たちのものと同じだ。あとは自分が外国人であることと、兵士の装備を身に着けていることの辻褄を合わせないといけない。


まぁもっとも、あの人影が人間だと決まったわけではない。俺を殺した兵士たちはゴブリンと口にしていた。ゴブリンといったら人型モンスターの代名詞。ゴブリンがどんな生態をもつ生き物なのかは分からないが、人間以外の人類種だっている可能性もある。


まずはできるだけ友好的に。不用意なことは話さず、相手の様子を伺いながらでいい。でもすぐに剣は抜けれるように意識しとかないと。剣を握って戦えるとは思えない。でも銃や魔法がある世界で、贅肉まみれで重い鎧を着たおっさんが逃げ切れるとも思えない。なら一か八かだ。


そんなことを考えてながら、俺と謎の人物の距離は少しずつ狭まっていく。互いの距離はもう100メートルは切っただろうか。眼はそこまで良くないのだが、なんとか目をこらえて見つめれば、向こうのシルエットが見えて来た。


「………女?」


俺がポツリと呟いた時だった――。


『止まれ』


「えっうわぁ⁉」


いきなり耳元で聞こえた女性の声に俺はとっさに仰け反ってしまった。すぐに後ろを振り返っても誰もいない。まさか――。


『拡声魔法だ…』


「うおっ⁉」


そしてまた耳元で同じ声が聞こえた。俺は目を見開きながら、黙って前の女性を見つめた。


「あっ…あなたですか⁉」


俺は少し遠くにいる女性に聞こえる様に大きな声で話しかける。だが返ってきたのは不気味な笑い声だけだった。


『…ふふ』


「ななに笑って」


俺が彼女の反応に理解できないでいると、女性は少しずつこちらのほうへ歩き出していく。すると彼女に率いられるように、周囲にいた四足動物たちもこちらに向かってゆっくりと歩き出した。


「……狼…」


距離が縮んでいくにつれて彼女と四足動物たちのシルエットもはっきりとしていく。最初草食動物に見えたのは、大きな狼たちであった。その数は4匹。そして狼たちを率いる彼女の姿は、折れ曲がったとんがり帽子に、黒くてながいローブ身にまとった、まるで童話にでてくるような魔女とおなじ恰好をしていた。


今すぐにでも逃げるべきか。


そんな迷いが一瞬だけ頭をよぎる。だが俺を攻撃する気なら、今すぐにでも魔法なり狼なりを使って殺せるはず。


狼を率いた魔女が、わざわざ剣士に近づく必要はない………はずだ。


「そう緊張しなくていい」


「っ…あなたは………なんですか…魔女みたいな…」


彼女の口から直接聞こえた声は、拡声魔法なるもので聞こえた声とは少し違っていた。俺の質問に彼女は深い微笑みを浮かべる。


「それは私のセリフ。見たことない顔…どこからいらしたの?異国の方」


気づけば彼女はすぐ目の前にいた。色白で艶のある肌。若く、整った顔立ち。いつの間に近づいてきたのだろうか。


「ふふふ…そんなに驚く?今のは魔法じゃない、あなたの視線、意識、呼吸の乱れを利用しただけ。それで………あなた…なにもの?」


彼女は不気味な笑みを浮かべながら、俺を下から覗き込む。


「おっ…ぁ……おっ俺は、その…旅人で……ずっと東から、その…来ました」


俺の返事に彼女はまたおかしいものでも見るかのように、目を細めて微笑みを浮かべた。


「ふふ…あら?東の遠方から来た旅人さんだったの?てっきり死んだ兵士から装備を漁る意地汚いゴブリンかと思ったわ」


彼女の心ない言葉に俺は少しだけムッとしてしまった。どう返答すればよいのか分からず口を閉ざしていると、彼女はニヤリを笑みを浮かべる。先程からまるで自分の心の中を見透かされているかのようだ。


「冗談よ、ゴブリンがゲルマニア語を話す訳ないもの。黒人種の言葉は覚えるらしいけど」


彼女は両手を振りながら冗談じみた表情を浮かべた。俺は自分がゴブリンとして見られていないことに安堵する一方、最後に聞こえて来た言葉に内心ヒリヒリとした焦りと不安を抱いてしまう。


俺は正直、顔はよくない。白人となんて月とスッポン。そんな俺の顔をみてゴブリンと言うことは、現地の人間にとってゴブリンは人間とは全く別の種であり、言葉が通じず、そして悪口の代名詞に使われているのかもしれない。そんなゴブリンの言葉と、黒人種なるそんざいの言葉を同一視するような彼女の発言に、その事実はともかくも俺の中に緊張が走った。


彼女は”らしい”といった。


実際にそうであるかは知らないし、関係ないのだろう。だがそれをさも当然のことのように冗談として利用する辺り、とうぜん、この世界にも人種差別は存在しているのかもしれない。そしてそれは日本人、つまりここ周辺の白人種の地域において、少数派と思われるアジア人の俺にとっても無関係な事とは言えなかった。


この状況で生活するとなれば、やはりなんとしてでも彼女を味方に付けて、せめて身元保証人になってもらうしかないだろう。


「俺はその………東の果てにある島国から来た旅人なんです。その、ワ国という国で…」


俺はあえて二ホンとは言わなかった。俺はドイツと言った瞬間にゲルマニアの兵士たちに撃ち殺された。もしかするとこの世界は地球のパラレルワールド的なものだと俺は推測している。そして地球の地理や国名は、もしかしたらこっちの世界では別の意味合いで使われているのかもしれないと思ったからだ。


「へえ………ワコクなんて聞いたことないわ。東の大陸にミーナっていう国なら知ってるけど。なんでも素晴らしい絹織物をつくる大国だって貿易商の人から聞いたこの」


もしかしたら中国のことだろうか?俺は一か八か賭けることにした。


「俺はそのミーナのさらに東、海を渡った先にある小さな島国出身です…ずっと島の外…海の向こう側に憧れてて、現地で働きながら旅費を稼いで旅をしているんです」


俺はすでに考えていた設定をすらすらと話していく。アドリブ力はないからよくテンパる俺は、事前に準備をするしかない。俺の自己紹介に彼女は興味深そうに眉を上に上げた。


「へぇ面白いわね、そんな極東からここまで来て…それで死体漁りかしら?」


やはり結局はそこに戻ってくるか。でも焦る必要はない。既に考えていた設定を話せばいいだけ。


「こんな見た目ですけど、旅の途中で戦が有ったら傭兵として旅費を稼ぐこともあるので…」


「それで銃声と砲弾の音に連れられてここまで来たわけ?」


彼女は眉を上げながら小馬鹿にしたように笑みを浮かべる。といってもこんなことで態々怒ったりイラついたりする必要もない。俺は当然のような態度で返事をした。


「まぁそうですね」


俺の態度はそんなにおかしかったのだろうか、彼女はまた小さな子供のようにクスクスと笑みを浮かべる。


「あらそうなのね、でも残念。昨日の戦いでガリシアの主力部隊は壊滅したわよ。今は近くのマンハイムで帝国とガリシアの講和条約を結んでる最中ね」


「帝国ってゲルマニアのことですか?」


俺の問いかけに彼女は不思議そうに一瞬だけキョトンとした顔をした。なにかへんなことを聞いただろうか。


「え?そうだけど…そんな事も知らずにあなたどうやってここまで来たの?」


警戒感を含んだ彼女の声に、背中に冷たい汗が流れる。どうやらまた地雷を踏んでしまったのかもしれない。二日連続で原住民に殺されるなんてのはさすがに勘弁だ。


なんとかしてごまさないと。


「あっと…そのまぁ………」


あぁ…ダメだ。

なんも浮かんでこないや。

彼女の両目がだんだんと細くなっていく。これは詰んだかもしれない。


「まぁ…いいわ。金持ちの行商団ならともかく、お金もなさそうな一人の旅人がただの旅人だとは思わないから…貴方も人に言えない事情があるんでしょう?」


どうやら勝手に納得してくれたようだ。まぁ正解と言えば正解だけど。ただこれ以上は危険だ。なんとか話をそらさないと。


「あの…その戦争はもう終わるって事ですか?」


「まぁガリシアとはね」


俺が露骨に話を元に戻したことに、彼女もなにか察したのか素直に答えてくれた。


でもこれではっきりした。帝国とはゲルマニアのことで、ここはゲルマニア領内。攻めているのは寧ろ追撃されたガリシアという国の方なのだろう。


そして俺はゲルマニアの兵士にガリシアのスパイ容疑で殺された。あの人たちが生きていないと良いのだが………もしかしたらすでにゴブリンの変異種の存在が広まっている可能性もある。


ただ彼女の様子から見るに、少なくとも市民の間には知られていない可能性はある。彼女が軍に所属していなければの話しだが。


「……ゲルマニアは他にも戦争している国があるんですか?」


「あなた本当になにも知らないのね?本当に旅人?まるで魔法でいきなり飛ばされた人みたい」


彼女の核心を突いた言葉に俺は思わず体が揺れてしまった。そんな俺を見て彼女も一瞬だけ驚いたように俺を見つめる。


俺も彼女の両目を見つめながら体が固まってしまった。


小さな風の音だけが聞こえる静かな草原の中で、俺と彼女は互いに目を見開きながら口を閉ざす――だがすぐに彼女の方からその静寂は破られた。


「いえ…いいわ……別にあなたの経歴なんて私には関係ないから。そもそも見慣れない顔だったから声をかけただけだし…」


「あっあぁ…そうですよね」


俺は混乱してしまって、意味も分からず謎に彼女を肯定した。


「とりあえず、だけど…戦争自体はまだ終わらないわ。まだ戦っている国はいくつかあるの。そのどれもがまだ主力を出してきていないという見方よ」


誰の見方かは分からないが、少なくとも彼女としてそういう考えなんだろう。


「まだ戦争している国はどれだけあるんですか?」


俺の質問に彼女は少しだけ上を向いて、まるで小銭を数える小さな子供のように左手を折り曲げていく。


「えっと………北のデーン王国に帝国内の旧教連盟でしょ?あとはヒスパニア帝国にナポリア王国、アイゼン大公国とその属国…それと………まぁそのぐらいよ」


なんてことないわ、そんな表情でまた両手をひらひら揺らす彼女に、俺は眉間にしわを寄せる事しかできなかった。


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