晴天と血


西へと続く死体の道を俺は黙って歩き続ける。戦場の跡地から抜け出して何時間が経っただろうか。もしかしたらまだ30分も経ってないかもしれない。攻めてスマホが有れば時間が分かったんだがな。


耳をふさぐほどの大きな風がまた吹いた。血の匂いに俺は咄嗟に後ろを振り返った。これで六度目だ。戦場の外れにあったあの馬車はもう見えない。小さな月明りだけでは自分が先程まで歩いていた場所すら、すでに暗闇の中。


歩けど歩けど動くことのない満月に、特徴のない星々がまんべんなく広がる夜空。一寸先は闇夜の中で自分が今どこにいるのかも分からない。


そんな自分を導いてくれるのは、この死体の道だけ。俺はまた比較的綺麗な死体の元に駆け寄る。ほとんどの死体は追撃してきた軍隊に踏み荒らされたのか、地面に食い込み、原形をとどめていない。


俺は腰をかがめると死体の胸元や腰回りのポケットを手探りで探していく。死体の腰にはポーチがあった。中に何かが入っている感触がある。俺はポーチの紐を解くと、ポーチの中に入っていた物を死体の腹の上にバラ撒いた。


「ビスケットと弾に……包帯か」


典型的な銃兵の装備だ。やはり戦場と比べて取り残しは多い。新調したポーチの中には既にビスケット7個と弾丸が30発入っている。あとは包帯が二つとなにかしらのお酒が入った革袋を拾った。俺は近くに銃がないか辺りを見渡す。だが案の定、銃だけが見つからない


「やっぱりだめか…弾だけあっても意味ねぇんだよっ」


俺は悪態をつきながら膝に手を置いてなんとか立ち上がった。42歳の小太りジジイにはなんども腰を曲げて立ち上がるという動作はかなりきつい。革製の重たい鎧も来ているせいか、立ち上がるたびに軽くふらついてしまう。


死体の山と多くの兵士たちに踏み荒らされたためか、原野は凹凸が激しく足元が見にくい事も相まって非常に危険だ。この歳で腰から地面に倒れたらぎっくり腰は免れない。こんな状況でぎっくり腰になったら100%肉食獣に食い殺されて終わりだ。


「はぁ………日本に戻りたい……」


正直いって転移してから最初の方はかなり興奮していたんだと思う。だけどふと我に返るたびに、自分が置かれている現状に溜息しか出なかった。いきなりこんな場所に飛ばされて、殺されて、人の内臓見せられて暗闇のなかで街にたどり着くかも分からない。


時間はどれほど経っただろうか、まだ日をまたいでいないのなら、次殺されれば確実に死ぬ。俺が神様からもらった唯一の力は”蘇り”というものだった。でもこれは一日に一回しか使えないし、物理的な攻撃以外の死では無効になる。なによりも蘇ってから意識を取り戻すまでに半日かかってしまう欠点もあった。俺があのゲルマニアの兵士たちに撃ち殺されたときはまだ日が昇っていた。そこから半日経ったとは言え、まだ日が過ぎた保証はない。せめて朝焼けが確認できるまでは眠る事は出来ない。


膝も肩も腰も痛くなってきた。眠気もだいぶ酷い。鎧や腰に差した剣も重くてつらいことしかない。でもこの先に町があることを信じて歩き続けるしかない。


「痛っ」


暗闇の中、ぼーっとを雑草眺めながら歩いていると、頭に何かがぶつかった。感触からすぐに葉っぱのようなものだと理解できた。俺は首を上げて上を見る。どうやら低木の枝にぶつかったらしい。しかも気づけば死体の道からかなり左にそれてしまっていた。


どうするか………俺は低木のざらざらとした肌に手を添えながら悩んだ。取りあえずここで一休みするべきか…歩くか……。いややっぱり休もう。流石にもう限界だ。立ったまま木に寄りかかると、すぐに膝の力が消えていく。ずりずりと滑り落ちるように木の根元に腰かけた俺は、土と木葉の匂いに包まれながら、血の匂いのない空気をめい一杯に鼻で吸い込んだ。


これで口呼吸ともおさらばだ。

乾燥した口の中で舌を転がしながら俺は――。



………。


………………。


……………………。


…………………………。


………………………………。


…………………………。


……………………。


………………。


………。


暖かい風が吹いている。


雑草が風と一緒に手の甲をくすぐり始めた。


眼を閉じた視界の両脇からはまぶしい光が差し込んでいく。


俺は――目を覚ました。


左に寄れかかった背中を元に戻すと、俺は空気を吸い込み、両手をVの字に広げて胸の筋肉を伸ばしていく。


「ふあぁ………寝ちゃったか……」


あくびをして、眉間にしわの寄せながら少しだけ瞼を開けると、小さな光が隙間を縫うように入り込んできた。一瞬だけ反射的に眼を閉じた俺は、下を見ながら恐る恐るゆっくりと目を開けていく。


それでも大分まぶしいが、起きて初めて見たものが一切の穢れの無いの雑草であったことに俺はほっと息を漏らした。雑草の先端には小さな白色のツボミが生えていた。あともう少しで花を咲かせるのだろうか。


小さかった頃をのぞいて、今日この日まで地面に咲く草花に思いを馳せたことのなかった俺は、この雑草がこの世界にしかない珍しい植物なのかさえも分からなかった。


風に揺れる雑草を眺めていると、いつの間にか日の光にも慣れてきた。俺はすぐに木に手をかけて立ち上がる。そして木陰から出ると、先程から俺の頭上を照らす空を見上げた。


「はぁ」


不意に息が漏れた。


「空ってこんなに…青かったんだ」


前世ではアパートとスーパーの倉庫を往復する日々。そこに至るまでの道のりで目にするのは、黒いアスファルトとそれを力なく踏み続ける自身のスニーカーだけであった。


深い青空と、太く細い雲たち。


胸に突き刺さる太陽。


空を見上げて心が躍ったのは一体いつぶりだろう。俺は太陽が照らす青々しい草花を踏みしめて前に進んで――。


進もうとして俺は足を止めてしまった。眼を開いたまま、俺は息をのむのも忘れて呆然とその光景を眺める事しかできなかった。


朝日が昇り、鮮明となった草原はなんと言葉に口にすればいいのだろう。簡単に地獄絵図と四文字で表すべきか躊躇するほどであった。見て来たモノは昨日と変わらないはずであるが、俺はとっさに昨日の暗闇にありがたくさえ思った。初めて見た光景がコレであれば、俺は発狂していたかもしれない。


前に進もうと空から目の前に視線を落とせば、そこには死屍累々の数々。暗闇で見るの事の出来なかった人肌に、表情、そして血の色。その光景はまるで青白い空が広がる草原の油絵に、赤色のインクを叩きつけたような光景であった。


地面と共に踏み荒らされた死体はもはや人間の形を成していない。初めて見た人間の肝臓の色はまるで先程までその命を紡いでいたと分かるほど赤く、鮮やかであった。


作り物ではない。


昨日までこの人々は生きていたのだ。今生きている俺や、この世界の住民と同じように、なにかを思い、考えて、顔を皺くちゃに泣いて、手を叩いて笑い、腹を空かせ、あの固いビスケットをかじり、器に注がれた味のしないスープを飲んで、腐ったビールで喉を潤し、汗を流しながら凸凹の大地を薄い革靴で踏みしめて、かかとが痛くとも、腰が痛くとも歯を食いしばり、歩いて、歩いて、歩いて、命を紡いで生きていた………。


「昨日まで………俺と同じ」


死体じゃない、みんな一人の人間であった。



なんでこんな…戦争なんかしてるんだ。そんな言葉が頭の中ふと浮かんでみたものの、俺はすぐに首を横に振った。


なんて傲慢で無責任な考えだろう。俺はこの世界の、国の住民ですらないのに。全く無関係の俺がこの戦争についてなにかを言うべきではない。それはこの世界に住む当事者たちと、後世の人々が決めることであるはずだ。部外者の俺がそんなことを考え、口にしたところでなんの意味があると言うんだ。


俺がやるべきことは変わらい。


この血の道を歩き続けるだけだ。


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