死体漁り


耳が裂けるような爆発音が辺りに響いた。それと同時に強い衝撃が俺の胸を貫く。まるでドリルに貫かれたように心臓が歪み、そして四方に張り裂ける感触があった。訳も分からず体に走った衝撃と激痛、そして力を失っていく脚に耐え兼ねて、俺は顔面から地面に倒れ込んだ。


「……あっ…ぁ」


とっさに何か声を出そうとしたのかもしれない。でも出て来たのは呻き声にもならない微かな吐息と鉄の味がする、ぬるっとした暖かな体液だけだった。


地面にうつ伏せになったまま俺はなにも動けない。地面は柔らかい腐葉土だっため顔面から崩れ落ちても平気だったが、もう既に体の感覚は消えつつある。先程まで感じていた心臓の痛みも存在しない。


今はかすかに動く鼓動と共に、厚い血液が傷口から噴き出ているだけだ。そしてそれもまた次第に分からなくなっていく。


眼も開いたままだがうつ伏せになっているせいかなにも見えない。分かるのは微かに聞こえる兵士たちの話し声だけ。


ああ、でもそんなこと考えている内にもう眠たくなってきた。絶対に寝てはいけないはずな…の………。


……。


…………。


……………………。


………………………………。


……………………。


…………。


……。



「……っわあ⁉」


俺は意識が戻った瞬間に目を見開き叫び声をあげた。そしてなんとかうつ伏せになった体を反転させて起こす。


「え…夜……」


体を起こし辺りを見れば、俺が居た森はすっかり闇夜に包まれていた。数メートル先の木の肌が微かに見えるかどうか。だが俺はとっさに前世の記憶を思い出した。カブトムシ採りのために千葉に行った時の記憶だ。普通、人口の光源がないようなところ、それも森の中となれば本当に足のつま先からはなにも見えないはずだからだ。


俺は咄嗟に上を見上げると、低木の木の葉の隙間から夜空が見えた。満天の星空と、その星々をかすめてしまう程の大きな月光が夜空と大地を照らしている。


俺は立ち上がるともう一度辺りを見渡した。俺を撃った兵士たちの姿は一人も居なかった。どうやらすでに立ち去った後のようだ。もっとも俺にとってはそのほうが良いのだが。取りあえず危機は去ったのか、そう思いながら一息ついた俺はまたすぐに不安に駆られた。今自分が居るののは真夜中の森の中。すぐ近くに平野があるとはいえ、このままここに居ては野生動物に襲われるかもしれない。あいにく神の話しは適当に聞き流していたせいで、転生先の事前情報は何一つもない。魔法のようなものが使われている世界なのだから、もしかしたら凶悪なモンスターが居てもおかしくない。


なにが正解かは分からないが、取りあえずここから移動した方が良さそうだ。俺は小さな獣道を通って、低木の隙間から見える原野のほうこうに足を進めた。


森から抜け出して、雑草の生い茂る平野を見つめるが人影は全く見えない。あれほど鳴り響いていた銃声も爆発音も叫び声も一切ない。あるのは微かに耳元をなでる風の音と、その風になびいて擦れる雑草たちの音だけ。


遠くの方を見つめても人工的な光や野営地らしきものは全く見られなかった。

もしかしたら戦いはすでに終わった後なのかもしれない


俺は森の獣道から続く、雑草が踏み荒らされた後を歩いて行く。途中、俺はなんとなく後ろを振り返った。どうやら自分が居た森はかなり大きいらしい。この平野の東西を横断するほどだ。俺はまた前を向いて意味もなく雑草の絨毯を踏みしめていく。

俺の予想としては俺を殺した兵士たちは、この戦場を迂回して森から奇襲を仕掛けようとした部隊の先遣隊だったのではないだろうか。


森の獣道から続いている、雑草が踏み荒らされた荒れ道の幅は俺が三十人ほど横に並んでもなんなく通れるほどの広さがある。俺が死ぬ前に戦場を観察していた時は、こんな道は存在しなかった。ということはやはり俺が死んだ後にあの森から来た奇襲部隊の痕跡だろう。そしてその奇襲はみごとに成功した――。



俺は目の前に倒れている死体の数々を見つめながらそう考えをまとめた。雑草が踏み荒らされた道をたどったさきには、見渡す限りの開けた大地があった。大地とは比喩ではない。その言葉通り、ここら一帯だけ地面がむき出しになっていた。あそこまで生い茂っていた雑草たちは禿山のようにところどころ散見するだけ。その代わりとばかりに死体の山が生い茂っていた。クレーターのように地面がえぐられた箇所には体の一部が地面から覗いていた。俺はそれと目を合わせないように周囲を観察する。


実際にさきほどまで自分もここにいるような死体であったからか、それとも死ぬ前に遠くの木陰から戦場を見ていたからか、足がすくんで想像を絶するほどの恐怖は感じなかった。だが恐ろしいものは恐ろしい。というより気持ち悪いことこのうえない。誰が上半身の無い死体から飛び出た大腸をみたいのだろうか。一歩前に踏み出せばなにか柔らかいものを踏んだ気がする。感触としては大きな虫の幼虫。本当に幼虫であればいいのだが、近くで後頭部が吹き飛び、両目の無い死体が見えた以上、足の裏を確認する気はない。


なぜこんな気持ち悪い場所にいなくてはならないのか。そんなことを思いながらも俺は戦場の跡を探索していく。なんども悪臭に胃液が逆流しそうになっても俺は足を止めなかった。なぜなら今の俺には金も食べ物も、身を守る武器もないからだ。神から貰ったアレがあるとはいえ、それは一日に一回しか使えない。恐らく誰かに襲われれた本当に死んでしまう。いがいと人間というのは追い込まれると案外なんでもできるらしい。ニュースでたまに見る闇バイトの事件を見たときは内心は鼻で笑っていたものだが、もう今は彼らを馬鹿にすることはできない。


俺はまだ比較的綺麗な死体の腰元を探す。


「なにもないか」


大丈夫、これは想定の内だ。そもそも戦争の後に死体から略奪をすることぐらいだれでも思いつくだろう。だが下手をしたら数千を超える死体の山だ。なにか使えそうなものは一つぐらいあるじゃなかろうか。


そう思いながらあたりを見渡していると、なにか鈍く光るものを感じた。俺はその光に釣られてドカドカと死体を飛び越えていく。


「おお…剣だ」


刃だけでも60cmはあるだろう長細いロングソード。柄を握って地面に突き刺さったのを抜いてみたが、見た目に反して意外とずっしり感じる。といっても振り回せない程ではないが、この剣を使って自分が戦っているところは流石に想像がつかない。


「銃とかないのかよ…」


だが周りの死体の山を見ても銃はない。あるのは折れた剣先か、自分では到底使えそうにない大きな槍のようなもの。そんな甘い話はないか。溜息をついた俺だが先程の綺麗な死体を思い出した。急いで後ろを振り返ってあの死体のところへ寄っていく。


「ごめんよ」


銃が無いのならせめてとばかりに、彼が着ていた損傷の少ない革鎧をはぎ取っていく。革の鎧は案の定重たいが意外にも、ワインボトルのコルクのように固かった。ゲームで言えば革鎧は弱い部類に入るだろうが、実際は俺が手に入れた剣であれば、ある程度なら身を守る事はできそうだ。


革の鎧は幸いに俺の身長にあっていた。小太りのおっさんだからちょっときついけどな。彼のガタイが大きくてよかった。俺はジーパンにスニーカーだから上だけ革鎧だと少々不格好だが、彼のズボンは取らないことにした。


彼がどんな理由で、どんな思いでこの戦場に立ち死んでしまったの分かる事が出来ないが、どちらにせよ死体を不必要に辱めることはしたくなかった。もし現地の人間に出会うのならできるだけ服装は変えたいが、ズボンは他の死体からはぎ取れば良い。


自分でも何とも中途半端な人間だろうと思う。だがそれが俺なのだ。理屈や数字だけで物事を判断しないのが人間であり、それが人間の良い所でもあると思う。そう俺は自分に言い聞かせて、名残惜しいが彼の死体をあとにした。



「ぁ?あれ…は……馬車…か?」


死体の山を物色すること30分。別の死体からズボンを頂戴した俺は少し遠くの方でなにか馬車らしきものを見つけた。月の光があるとはいえ、それ以外の光はなにもない。暗く遠くにあるためよく見えないが馬らしきものは見えない。


食べ物が有ればいいのだが……おれは剣を握りしめながらゆっくりと馬車の方に近づいて行く。そして見つけたのは馬車の残骸であった。車輪の片方は外れ地面にのめり込むように崩れている。近くには三人の死体があった。


「はっ……もうなんも感じないや……」


俺は自分自身を皮肉って呟いた。先程までガタイの良い青年に対して感傷に浸っていたというのに……きっとそれも自分が死体から略奪することへの罪悪感から逃れたかったからに過ぎないのだろう。俺は昔からそうだった。俺は時に冷徹に打算的な考えをしてしまうことがあった。それに対して嫌悪感を抱きながらも止めることはできなかった。もしかしたら嫌悪感を抱いていることさえも己の打算的な行動なのではないかと思ってしまう始末だ。


自分の気持ちに正直になれば、今の俺が抱いているのは馬車の中になにか使える者があるかもしれないという期待だけ。


そしてその期待は半分だけ当たった。


馬車のなかにのめり込むように荷台に膝をかけて中を確認していく。たたき割られ横に倒れた樽が二つ。中に何か見える。俺は手を伸ばして中の物をつかんだ。


紙で包まれた四角形の固いなにか。厚さは親指ほどある。おれは紙をめくって包まれた中身を確認した。


「ビスケットか?」


小麦色の堅いパンのようなものが入っていた。俺は先っぽを少しだけかじってみた。かなり固いけどやはりビスケットだ。一つしかないが大きさは片手ほどある。一日腹を満たすだけならこれでも十分なカロリーを取れると思う。


「ないよりは……だな」


そんな愚痴をこぼしながら俺は馬車から上半身を抜こうと荷台にかけていた右ひざを地面に下した時だった。視界の端になにかが見えた俺はとっさに右側の荷台の隅に視線を向けた。


「あっ!」


弾だ。銃弾。それが三発。

周りを見ても銃はない。

誰かが馬車を略奪するときに落としたのだろうか。


銃が無ければ意味はないが、俺は三発の銃弾を拾う。


これも紙で包まれている。触ってみると先端の方とおしりのほうで感触が違う。なにか砂のようなものが入っている気が――。


「火薬…?」


たぶんそうだ。弾と火薬が一緒になって紙に包まれているのだ。むかしヨーロッパの戦争映画で見た覚えがある。


「銃とかないのかよまじで」


せっかく弾を手に入れても銃が無ければ意味がない。あれだけ大規模な船上なのだから一つぐらいあってもよいだろうに、これまで一つも見つかっていない。この時代だとまだ銃は貴重なのかもしれない。すでに戦いに勝った兵士たちによってあらかた奪われた後なのだろう。実際に先程まで見て来た死体の内の3割以上は素っ裸だった。裸足で靴や下着すらなくて、文字通り身ぐるみ全部はがされてしまっていた。


いちよう馬車の近くに居た三体の死体も漁っていく。だがやはり銃はなかった。短剣と長剣の鞘だけを頂き、ベルトに巻いていく。


今の装備は革の鎧と革のズボン。長剣と短剣。スニーカー。ユニクロのYシャツと肌シャツにパンツだけ。下に履いていたジーパンは革のズボンとかさばるので脱いで捨ててしまった。だが今はそれを後悔している。こんなお風呂も洗濯機もない戦場にいた人間のズボンだ。おかげですでに股間と両足がかゆくなってきた。


俺は股間に手を突っ込みボリボリとチン毛を掻き毟っていく。蒸れたチン毛を掻いたせいで右手は湿っていた。匂いに至っては言うまでもない。俺は眉間にしわを寄せながらあたりを見渡した。


戦場の跡地は思った以上に広大だった。まだ十分の一も見れていない気がする。どうするべきか……このまま探索を進めるか…それとも村や町なりを探すか。


「そもそも言葉が通じるんのか……」


あの兵士たちとは言葉が通じた。それも彼らの口ぶりからすると随分と達者なゲルマニア語を俺は話しているらしい。俺からすると俺がしゃべっている言葉も兵士たちの言葉も日本語にしか聞こえなかったのだが……。


だが一つだけ危惧すべきなのはここが戦場であるということだ。仮に彼らをゲルマニア人と仮定して、俺が今いる場所がゲルマニアの領内であれば問題ないかもしれないが、ゲルマニア側が侵略者の場合、あの兵士たちと言葉が通じたからといって、ここ周辺に住む現地の住人達と言葉が通じるかは分からない。それに彼らからすれば俺は敵と同じ言葉を話すなぞの外国人。明らかに怪しすぎる。おれだって現地の人間なら確実に疑う。


もっとも近代国家以前の社会なら、同じ民族同士でも小国に分かれて争っているケースもあるだろうし一概に言えないが、どちらにせよ俺は彼ら白人たちからみると遠方異教徒かゴブリンの変異種として見られる危険性がある。


なんかめちゃくちゃむかつくけどな。


俺は考えた末にこの場から離れることにした。戦場があったとはいえ、時間が立てばこの草原に住む肉食獣たちも血の匂いに誘われてやってくるかもしれない。余りこの場に居てもミイラ取りがミイラになってしまうだけだ。護身用の武器と防具は手に入れた。言葉が通じる可能性はfiftyfifty。賭けるしかない。


俺はもう一度戦場を見渡して東に進むことにした。死体の山は西に延びている。戦争で負けた敗軍を追撃した結果だろう。逃げ惑う敵軍を急いで追って進んでいったのなら略奪できている時間はあまりないはず。


それに軍が逃げた方向には町がある可能性が高い。傭兵のふりをして勝ち馬に乗れば、もしかしたら戦場の混乱で俺でも街に入れるかもしれない。


俺は略奪しながら死体の道をあるくことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る