第12話
数日後の授業後。
マリーはいつも通りジョバンニの下へ向かっていた。春が終わりうっすらと夏めいた午後の日差しの下、図書館の傍らから木立に潜む小道を辿る。
「どんな方なのかな」
「まあ、マリーが大丈夫っていうならいい人だよ。ね?」
「うん。本当に、怖い人じゃないから、そこだけは安心して」
しかし今日はマリー一人ではなく、エスメラルダ、アドリアーナ、シズクの三人を引き連れての訪問となっていた。
※
話は数日前、ソフィアとの密談に戻る。
ソフィアが提示したのは、『ジョバンニの存在をもっと多くの人に知らしめる』ことだった。
現在、ジョバンニ──今のところディアモンテ王国唯一の闇魔法使いは、王立魔法学院のごく一部の教員、王都の冒険者ギルドの少数、そしてマリーのみがその存在を認知しているにすぎない。
ジョバンニの交友関係を広げ、マリーが欠けた際の穴を極力小さくする。というのがソフィアの目的だ。
「マリーは気が進まないかもしれないけれど」とソフィアは前置きしたが、
「やります」とマリーは即答した。
実際、マリーはジョバンニの──もとい、闇魔法の有用性を広く世に知らせたいと思っていた。
闇魔法は恐ろしいものではなく、うまく利用すればもっと生活が楽になる。なにをどのように、という具体性は伴っていないものの、マリーにはそんな予感があったのだ。
しかしマリー一人ではどうすれば良いのかわからないのが現状だった。
何せジョバンニ自身がどんなに努力しても、それこそたった一人で本を出版しても、ギルドで活躍しても、成し得なかったことだ。
一体全体どうすればジョバンニの、闇魔法使いの名を上げることができるのだろうか。
ソフィアが提示したのが、「まずはマリーの友人に紹介する」ことだった。
大きな目的に辿り着くためには、小さな一歩の積み重ねが肝要だ。始めの一歩として、マリーの友人にジョバンニを紹介し、闇魔法使いは無害であると知ってもらう。それからさらに闇魔法は人の営みに有用であると知ってもらう。人は自分が得た知識を誰かに与えたがるものだ。ジョバンニという闇魔法使いがいること、有害であるはずの闇魔法が有用であることを知れば、自ずと両親や友人に知らせるだろう。
後はそこから拡まっていくのを待っていればいい。適宜、訪問者の対応は必要だろうが、ジョバンニ自身が衆目の下へ出張っていくよりも有効なはずだ。
ソフィアのその案にマリーは乗った。
そういうわけで、マリーはまずジョバンニへ自分の友人を紹介したいと打診した。
まずここが一つの関門だ。ジョバンニが他者を拒絶する可能性があった。
その場合の代替案は、とソフィアに尋ねれば。
「そこはかわいくおねだりして」
と、ウインクと共に一任されてしまった。
一生徒におねだりされても教師役としては困るだろうし、ジョバンニが拒否したことを無理に通すのはマリーとて本意ではない。とはいえここで頓挫してしまってはまた一から計画の練り直しだ。
なるべく穏便に、とマリーが恐る恐る尋ねたところ。
「いいだろう。いつ来るのか教えてくれ」
あっさりと承諾された。特に面倒そうでも嬉しそうでもなく、その表情はいつも通り凪いだものだった。
ジョバンニ自身の許諾が得られたところで、次は友人──エスメラルダ、アドリアーナ、シズクへジョバンニを紹介したいと打診する段になった。
そこでマリーの中に躊躇が生まれた。
もし闇魔法を恐れられたら?
闇魔法を学んでいるマリーを拒絶されたら?
そういえば、とマリーは思った。マリーは授業後の時間になにを学んでいるのかを一切彼女たちへ話していなかった。おそらく彼女たちは順当に政治経済科の領地運営に関わる何某かの講義を受けていると思い込んでいるのだろう。マリーは将来オリーブ男爵位を継ぐことになっている。真っ当に考えればそうなるだろう。
アディやエメは自身が受けている講義についてを時たま雑談の話題にする。シズクは授業後にいつも水の神殿分社で奉仕活動を行っているので、その話をすることもある。
マリーだけが、自身の受ける授業後の講義について話を上げたことがなかった。
彼女らがそれについて疑問を持たなかったのか、持っていて触れずにいたのかはわからないが。おそらくは面白みの少ない領地経営についての話だから避けているのだと思っていただろうことは明白だ。
今までマリーは誰にも拒絶されずに生きてきた。ジョバンニには初め冷たくされたが、闇魔法の話題で受け入れてもらえた。ソフィアに至っては初めから好意的に接されてきた。前世についてはあまりよく覚えていないが──おそらく、ひどく傷つくような生ではなかった気がする。
これが二度の人生で初めての拒絶やもしれない。
足が竦むようだった。深い断崖を前にする心持ちで、それでもマリーは話した。シズクとは学院入学からではあるが、アディやエメらとは長い付き合いであるし、心のどこかで「受け入れてもらえるはず」という慢心に近い信頼があった。きっとマリーがもう少し大人であればなかっただろう、幼さゆえの大胆さ。
かくして、マリーは受け入れられた。
「そうだったの?」
という驚きはエメから。
「えーっ! どんなことやってるの? おっきいお鍋で泥とか草とか煮るの?」
と前時代を越えておとぎ話めいた印象はアディから。
どちらも嫌悪はなく、ただただ純粋な好奇心と、無知ゆえの悪意のない偏見が背景には見えていた。
ほっとすると同時、マリーは思ったよりも闇魔法への拒否反応がないことを意外に思った。
エメ曰く。
「悪いもの、って脅かされたことはあるけど、そもそも見たことないから。うーん、オバケみたいな感じかなぁ」
アディ曰く。
「えっとねぇ、小さいころは怖いなぁって思ったけどぉ。今はあるのならどんなのか見てみたい!」
二人に共通した意見は、『そもそもどの属性の魔法も使い方を誤れば凶器になり得るのだから、闇魔法だけが恐ろしいのではない』というものだった。
マリーが思うに、この意見は十代の学院生徒に共通するものに見えた。魔法基礎理論の授業で初めに教わることでもあるし、実技授業でもことあるごとに教師たちは口にする。もしかすれば、学院に通う若い世代ほど闇魔法に忌避感はないのかもしれない。
そういうわけで、エメとアディとは好意的に闇魔法見学会への参加を表明してくれた。これはマリーにとって嬉しい誤算であった。
シズクはこの話題の最中、静かに頷くだけであった理由をマリーはあまり深く考えていなかった。
※
そして今。エメ、アディ、シズクを先導し、通い慣れた小道を行くマリーは鼓動を高鳴らせていた。
ジョバンニは喜ぶだろうか。
エメやアディやシズクは闇魔法を良いものとして知ってくれるだろうか。
木立を抜けると開ける空は青い。前日小雨が降っていたため、いつものように外でお茶会はできないかもしれないと危惧していたのが嘘のようだ。雨上がりのせいだろうか、水の精霊が騒がしい。
ジョバンニはいつものように旧図書館の前に出されたテーブルセットに座っていた。ジョバンニが座るものの他に一脚しか用意されていなかった椅子が、今は四脚ある。その光景がマリーには眩しく輝いて見えた。
「先輩!」
とマリーが声を上げると同時、ジョバンニは手にしていた分厚い本を閉じ、こちらを見た。月のない夜の空に似た、黒く深い瞳。
つとその視線が逸れた。ジョバンニはマリーではなくその後ろを見ている。後ろに一体なにが。マリーはエメ、アディ、シズクの三人を背にしている。訪問者が気になったのだろうか。
マリーの思考が回ると同時。
マリーの傍らで空気が裂けた。
甲高い悲鳴に似た音は、圧縮された物質が文字通り空気を引き裂いて飛翔したがために生じていた。その軌跡は一直線にジョバンニへ伸ばされ、強い魔力に励起させられた水の精霊がいっそう激しく瞬き、乱舞する。
水の槍。マリーはそれを知っている。厳密には『前のマリー』が。
「私の友達を堕落させるなんて……許せません! 成敗します!」
振り向いたマリーが見たのは眦を吊り上げ、溢れる怒りと魔力で髪を浮き上がらせたシズクの姿だった。
マリーは闇を恐れない こばやしぺれこ @cova84peleco
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