第11話
「ありがとうマリー。助かったわ」
「いえ……」
風と土の精霊のさざめきと、遠く帰寮する学生たちのざわめきがこだまする中。ソフィアはマリーへ首を傾げた。それは謝罪と感謝の混ざり合った、お辞儀に近い行為だとマリーは受け取った。侯爵家の令嬢が男爵家の令嬢にするには大袈裟すぎるほどの行為だ。
マリーはユーリが去っていった方向とソフィアとを二度見比べ、小さく頷きを返す。ソフィア──侯爵家の令嬢に軽くとはいえ頭を下げさせた動揺は押し殺す。それ以上に今は「前世持ち」同士として意見を交わしたかった。
頭痛を堪えるようにソフィアは額を押さえた。事実、ユーリの言動と今後に頭を痛めているのかもしれない。
「その……あの子、おかしいですね」
「ええ……」
一拍の後、言葉が重なった。
「ソフィアは悪役令嬢じゃないのに」
「まさかあそこまで利己的だとは」
ソフィアの発言はユーリの気質に言及するものであり、マリーの気付いた齟齬とは異なっている。が、マリーはそれに気付かない。
「そもそも悪役令嬢っていうのは乙女ゲームとか恋愛系ゲームにある概念で、いえ元々はなかったのは知ってます。後世の創作、いわゆる『乙女ゲーム系転生もの』の小説とか漫画から出てきた概念っていうのは知ってますけど、『デ勇』の時にはそんな概念なかったですし、そもそもソフィアは悪役なんてものじゃなくて、確かに行動は自己中だったり空気読めてなかったりとかはありましたけど基本的に一生懸命ですし『自分の利益』ではなく『世界を救う』って目的にもちゃんと合致した行動してましたし、主人公の実力と才能はちゃんと認めてますし、その上で真正面から勝負して負けても努力してまた挑んできますし、だから、言うなれば『ライバル』。
そう、概念として説明するならソフィアはライバル令嬢なんですよ! なのにあの人、悪役令嬢なんてヤな言い方して」
ソフィアがすみれ色の瞳を丸く見開いているのを見て、マリーはようやく自分だけが一方的に捲し立てていたと察した。
瞬き五回分の沈黙。
「あの……すみません」
顔面が燃えるように熱い。マリーは肩を窄め、視線を下げ、自然と頭を下げていた。
無礼に次ぐ無礼。自分の好きなものに関して捲し立ててしまうのは昔からの悪癖であったが、令嬢としてのマナーを学ぶ間に矯正できたと思っていたのに。
このまま地面にめり込んで三日ほど埋まっていたい心持ちだったが、土の精霊はマリーの望みを叶えない。ただマリーの視界でちかちかと瞬くだけだ。
「顔を上げてちょうだい、これじゃあつむじとお話ししてるみたい」
笑み混じりの懇願と同時、掬い上げるようにして手を取られる。両手で両手を包み込むようにされてしまうと、自然と視線も姿勢も前を向く。
改めて正面から見据えたソフィアは、薄く開いた唇から歯を見せる微笑みを浮かべていた。完璧な令嬢としてではなく、可憐な少女としての笑み。剪定され整えられた花園の薔薇ではなく、山道の傍らに咲く一輪のすみれのようだった。
「マリーは『ソフィア』が好きだったの?」
「『ソフィア』、だけじゃなくて、みんな好きです。出てくる子たち」
「そう……じゃあ「わたし」は?」
わたし、という一人称の指すものをマリーはまじまじと見つめる。
貴重な二重属性を示す、調和のとれた淡い紫色の髪と瞳。豊かに波打つ髪は丁寧に櫛を通され、天を指すまつげは濃く長い。長い手足に均整のとれた体躯。少女と淑女の合間に立つ体格は精巧な彫刻めいた完璧さだ。
目の前の人物は、ゲームで見たイラストを完璧に現実へ写し取った姿そのものだ。
ただしそれは、「わたし」という一人称が指す全てではない。
マリー──正確には前世のマリーが知るソフィアは、天真爛漫を絵に描いたような少女だった。自身の持つ二重属性を誇り、子供らしい慢心に胡座をかき、光属性に目覚めた主人公により初めての敗北を知る。そして崩壊した世界を救うことを貴族である自身の勤めと決め、また主人公に勝つため、主人公と共に旅立つ。
旅の中で、貴族として生きていれば経験しなかったようなこと、知るはずのなかった知識を得て、ソフィアは大人になっていく。
今のソフィアは──「わたしという一人称が指すソフィア」は「ゲームで見たソフィア」とは違う。
マリーは口の中で言葉を転がす。あちらこちらへと跳ね回る思考をどうにか正確に伝えねば、きっと目の前の少女を傷つけてしまう。そんな確信があった。
「え、と。ソフィアが……あなたが本当の意味でのソフィアではないというのはわかっています」
マリーの両手を包んだ冷たい指先が、ほんの少し強張る。
「でも、ソフィアはソフィアです。
その、今のソフィアは──あなたの素になった存在は、ソフィアですよね? それは間違いなく。
あの、私も「そう」だからわかるんですけど、今の「私たち」って、「素になった子」に「前の私」が混ざっているような感じじゃないですか。
お茶で例えるなら、お茶が「素になった子」で、あくまでも「前の私」はお砂糖なんです。
お砂糖を入れてもお茶はお茶。だから、私は『ローズマリー・オリーブ』だし、あなたは『ソフィア・アレクサンドラ』でしかないと思うんです」
伝わっているだろうか、という不安がマリーの胸を焦がす。すみれ色の瞳は食い入るようにマリーを見つめている。
「だから、その……今のあなたがゲームのソフィアとは違っていても、それは……」
それは? とソフィアが小さく促す。
「ソフィアの可能性のひとつが、あなただと思うんです。
ゲームのソフィアは、世間知らずで、自分が一番で、子供だった。
あなたは、世界を知って、何もしなければ負けてしまうと気付けた、大人のソフィアに近いんじゃないかって」
「大人のソフィアは、ゲームでは描かれていなかったのに?」
「なかったですけど……成長していく過程はゲームでありましたし、ソフィアエンドの描写はぽいのありましたし、こんな感じなんだろうなーってのは想像つきましたし、あの、私の中では。
解釈一致してるんです! 私と!」
そう、解釈一致! とマリーは声を上げ、ソフィアの両手を握り返した。
「私にとってあなたは『一足先に大人になったソフィア』なんです!
そりゃあそうですよ、ゲームの展開……未来に起こるかもしれなかったことを知ったソフィアは、絶対精神的に成長するし、自分の勤めとして世界がめちゃくちゃになるの止めようとしますよ!」
同意を求め、マリーはさらに強くソフィアの両手を握りしめる。細くしなやかな指はささくれひとつなく、下ろしたての絹のハンカチのような手触りだ。マリーの興奮が移ったのだろう。指先は芯から温もり始めていた。
清涼な朝焼けを思わせる紫の瞳がひとつ、ふたつ、瞬く。次いで細められたその視線に込められたのは、迷子の幼子が母を見つけた時の安堵だった。
「……そう」
「はい!」
そうね、と呟かれた声が少しだけ震えていた気がするのは、マリーの気のせいだろうか。
「わたしたち、きっと『前』に会っていたとしても、仲良くなれていた気がするわ」
「そうですね、解釈一致してますし」
「うん、好きなものに対して解釈が合うのって大事よね」
堪えきれずこぼされる笑みがソフィアの声を震わせている。マリーにはその笑みがどんな感情を経由して生み出されたものかを推察できない。もしかすればソフィアはマリーに呆れているのかもしれない。それでも、今マリーは目の前でソフィアが笑ってくれたことにただ安堵した。
「マリー、良ければこれからも『ソフィア』と呼んでくれる?」
「私、呼び捨てにしてました?」
「ええ」
その『ソフィア』はゲーム内のソフィアを指していたつもりだったが、当人が望むのであれば拒否するのもかわいそうな気がしてしまう。ソフィアはアレクサンドラ侯爵家の令嬢だ。男爵家の令嬢が普通に生きていれば関わることなどなかったはずの、格上も格上の相手だ。でも、今のマリーにとっては貴重で大切な仲間だ。友達の願いはできるだけ叶えてやりたい。
「わかりました」
「わたしもマリーって呼ばせてね」
ソフィアが望むのであれば拒絶するわけにもいかない。呼ぶのも呼ばれるのもなんとなくむずむずするが、その「むずむず」は決して不愉快ではない。アディやエメとは物心つく前からの付き合いがあるおかげで忘れていた、一対一の友達ができるという喜びがこれなのだろう。
いつまでも手を握っているのもいかがなものか、とマリーはできるだけ自然に手を離した。
いいのに、と少し残念そうに呟いたソフィアには気付かれていたようだが。
「あの人……ユーリさん。なんていうか「浅い」感じするんですよね」
「ええ。あの子、ゲームを知らないのかも」
改めてマリーはソフィアと感覚を共有する。
ユーリ──ユーリ・ホワイトは『主人公』の名前を変更しなければつけられる公式の名前だ。男主人公でも女主人公でも同じ名前になる。
彼女が口にしていた通り、彼女の容姿は女主人公そのままの姿だった。ユーリが主人公であるのは間違いようのない事実だ。
ではあるが、ユーリの中身──マリーやソフィアと同じ『前のユーリ』はソフィアを『悪役令嬢』と呼んだ。『ディアモンテの勇者たち』を一周でも遊んだことがあればそんな呼称をするはずがない。
「誰かがやってるのを見たことあるだけか、二次創作だけ読んだことある感じですかね」
「そうねぇ……だいぶ情報が偏ってそうではあるけれど」
であれば、ゲームを詳しく知っているマリーとソフィアにとっては脅威にならないかもしれない。そのマリーの意見にソフィアは頷きながらも難しい顔をする。
「ただ、ああいう子は知らないからこそ突拍子もないことをしでかしそうではあるわね」
「そうですね……こっちの手の内を知られないようにした方がいいかもしれないです」
「なんだかスパイみたいね」
確かに子供の頃のごっこ遊びのような会話ではある。お互いに至って真剣に、この世界の均衡を守ろうとしているのは確かだ。ただ、秘密の共有と共闘の計画が子供心を刺激するのも本当のことだ。
ソフィアの潜めた笑みに、マリーも思わずはにかんでしまう。
「あの子、レベルがどうとか言っていたけど……マリーは見たことがある?」
「いえ」
いわゆる『異世界転生もの』という作品の中には、自分のステータスやゲームフラグなどを数値や図として見られるものがある。マリーの記憶の中にもそういった作品を見た覚えがあった。
しかしマリー自身はそういったものを見たり感じたりした覚えがなかった。一応念じてみたが、『ステータス画面』とやらが見えてくる気配は微塵もなかった。
「もしかして、あの人にしか見えないものだったりするんですかね」
「主人公にしか見えない……ありそうな話ね」
ストーリーが始まらずとも主人公は主人公だ。そういった特別な能力を付与されていてもおかしくはないだろう。
ソフィアは形の良い眉を寄せる。
「だとすると、少し面倒なことになりそうね」
マリーとソフィアはゲームのストーリーを知っているというアドバンテージがある。誰が仲間になり、どこでイベントが起きるのかを知っている。他方主人公であるユーリにステータス画面が見えるとすると、それ以外にも見えているものがあってもおかしくはない。
ソフィアと対峙したユーリは『こそこそレベル上げして』と発言していた。マリーは比喩のようなものかと思っていたが、もし本当にソフィア──ユーリ自身以外のステータスもユーリにのぞき見されているのであれば、ユーリの努力次第ではレベル差で押し切られるような自体が起こりかねない。
その上ゲームのイベントフラグが見えていたりしたら。手当たり次第に学院内の人間に接触していけば、ストーリー開始の条件に辿り着く可能性もある。
「現状維持では勝てないかも」
ぽつりと落とされたソフィアの呟きに頷きを返す。マリーは背中にひやりとしたものを感じていた。
この世界では、ジョバンニの絶望が全ての始まりになる。現状、ジョバンニは自身の生活へそれなりに満足しているように見える。自画自賛ではあるが、マリーが足繁く通い、話し相手になっているのが良い刺激になっているようだ。
そのマリーがジョバンニから離れてしまったら、どうなるのだろうか。
マリーにはジョバンニを嫌う理由も離れる理由も、今のところない。ジョバンニの安寧を心から喜んでいるし、その一助となれていることに喜びも覚えている。
もし何がしかの『フラグ』とやらでマリーの心がジョバンニから離れてしまったら。
もし何かの『イベント』でマリーが学院へ通えなくなってしまったら。
もし何らかの『事件』でマリーが犠牲になってしまったら。
唯一の話し相手を失ったジョバンニが、絶望しないとは言い切れない。
「だからね、わたしに考えがあるの」
ぱん、と打ち鳴らされた手の音でマリーは我に返った。心臓が高鳴っているのは悪い想像のせいか、ソフィアの拍手に驚いたせいか。
「マリー、あなたにしかできないことよ」
「私にしか」
ええ、と頷き、ソフィアはマリーの手を取った。温かで滑らかな手はマリーの精神を驚くほど落ち着かせる。
「わたしたちの目的は同じ。この世界の平穏を守ること。そのために、わたしたちは変化を恐れてはいけないわ」
わかるかしら、と問われ、マリーは思わず頷いていた。
ソフィアは少しだけ寂しそうに笑う。
「もしかしたら、マリーには苦しい変化かもしれない。
でも忘れないで。わたしはあなたがこの世界の平穏を望む限り、あなたの味方でいるわ」
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