第8話

 ダニエル・アンブロイドはアンブロイド伯爵家の第四子である。ディアモンテ王立魔法学院に今年入学した騎士科の一年生、十五歳の男子だ。

 授業後の特別講義が終わった夕暮れに近い時刻。ダニエルは魔法学院の騎士科校舎のそばにある東屋に取り残され、呆然と立ち尽くしている。この東屋には先ほどまで、ダニエルを含め五人の男子生徒がたむろしていた。全員が騎士課の一年生で、伯爵家子息のダニエルを筆頭に子爵家と男爵家の子息で構成されていた。授業や昼食を共にする、いわゆる『お友達』だ。今日もそれぞれの特別講義後、お互いの授業の感想を言い合うくつろいだ時間を過ごしていた。

 誰が集めたのでもなく、それぞれの家柄や親の職種によって自然と集まった『お友達』ではあるが、家格が一番高いダニエルが自然と『お友達』内のリーダーのようになっていた。どの課のどのクラスのどの『お友達』にもある順位付けだ。小さな社交界である学院内ではこれが絶対のものであると、ダニエルは思い込んでいた。

 それが崩れたのが、今だった。

「なんでだよ」

 思わず溢した言葉は誰に聞かせるでもない、独り言のつもりであった。

「わかんないんですか?」

 それに応えが返り、ダニエルは飛び上がって驚いた。

「ヘンリー!」

 ダニエルの傍らには一人だけ男子生徒が残っていた。

 ヘンリー・ロウバー。アンブロイド伯爵家に仕える男爵家の第二子だ。ダニエルと同じ年に産まれた彼は、物心ついてからずっとダニエルの側仕えをしていた。ダニエルが一番信頼を寄せる従者であり、親友とも言える相手だった。

「わかるわけがないだろう! なんなんだアイツら、急に帰りやがって」

 頭から湯気を出さんばかりに憤慨するダニエルへ、ヘンリーは両手を見せてまずは落ち着くようにと言った。まるで馬にでもするかのような仕草だが、ダニエルは何度か深呼吸して気持ちを落ち着けた。

 子供の頃からカッとなりやすいダニエルを諌めるのはヘンリーの仕事の一つだった。翻って、ダニエルは瞬間的に怒りが沸いても、ヘンリーの声を聞くと気持ちが落ち着くようになっていた。

 憮然とした表情のままだが一応は怒りをおさめたダニエルを前に、ヘンリーはまるで講義を行う教師のように告げた。

「ダニエル、まずはあの人たちが帰る前に何を言ったのか思い出して」

「何をって……オレはただ、制裁をと」

「その相手は?」

「確かエメ……エメなんとかっていう女。魔法科の、メノー男爵家の女だ」

 ダニエルは彼女──メノー男爵家の令嬢に恥をかかされたのだ。


 この日、ダニエルは授業後に馬術の講義を受けていた。ダニエルは伯爵家の子とはいえ三番目で家督を継ぐ予定はなく、また魔力もそこそこであるため成人後は騎士として身を立てるつもりであった。王立騎士団に入れれば重畳、でなくとも北東の辺境を守護するアンブロイド家であれば騎士として身を立てるのは容易いはずだ、と考えていた。

 いずれにせよ、騎士には乗馬技能が必須だ。ダニエルはどうにも馬の扱いが苦手で、賢い馬には馬鹿にされ、気の弱い馬には萎縮されるという有様だ。であるので、授業後にわざわざ追加で講義を受けていた。

 乗馬の講義を受ける者は、学院が所有する馬か自前の馬に乗る。騎士科であっても自前の馬を連れている者は少ない。何せ授業料のほかに馬の世話代も学院へ支払わなければならない。自分で世話をするにしても馬房の使用料はかかり、学院の厩舎にも限りがある。そもそも入学時に馬を持ち込むのには諸々の経費や根回しがいるのだ。貴族家の第二子第三子以下が多い騎士科では、そこまでの金をかけてもらえる子は少ない。

 今年の入学者には馬を連れいてる者は数人しかいなかった。生家が騎兵として有名な者ばかりだ。

 その中の一人が、騎士科所属ですらなく、実家は地方の男爵家で騎士として名を馳せているわけでもない、さらには女のメノー男爵家令嬢だった。

 その上その馬は特別だった。

 純白に近い芦毛で、小柄だが傍目から見ても足腰の丈夫な牡馬。若く均整の取れた体躯には、鷲のように力強く、白鳥のように優雅な翼が一対備わっていた。

 天馬──馬型の魔物だ。


 魔物を手懐け騎乗するのは前例がないことではない。近年では黄金馬という美しい金色の駿馬に似た魔物が王家へ献上され、社交界で話題になっていた。

 馬型の魔物は通常の馬と比べ体力も走力も持久力も勝る。何せ魔物──魔法を使う獣だ。手懐けられれば心強いことこの上ない。

 手懐けられれば、の話ではある。王国には「魔物使い」という専門職もあるくらいだ。知識も経験も乏しい者が一朝一夕でできるものではない。

 特に天馬は警戒心が強く、滅多に人前へ姿を見せない。その美しさから狩りの獲物として狙われ続けていたからだろう。


 そんな天馬を乗りこなす男爵家令嬢が目立たないわけがない。

 入学して日が浅いうちから、その令嬢は教師から「自由にしてよし」と太鼓判を押されていた。彼女と天馬の信頼関係は教師が口を挟む余地などないほどに醸成されており、彼女の馬術もそれに見合ったものである、というのが教師の言だ。いまだに馬の扱いが悪いと授業毎に小言を言われるダニエルとは天と地の差だ。

 馬が良いに違いない。とダニエルは踏んでいた。普通の馬は自分には合わない。馬型の魔物の方が自分にはあっているのだ。

 そう思い込み、ダニエルは授業後に男爵家令嬢に言ったのだ。

「その馬を売れ」と。

 ダニエルには自由になる金がそれなりにある。ダニエルの実家であるアンブロイド家は国境を守護する騎士の家系であり、遠縁にアレクサンドラ侯爵家を持っている。その上幾度かアレクサンドラ家からの嫁入りがあった、由緒正しい伯爵家だ。近年は高地を利用した茶葉の栽培にも力を入れ、アレクサンドラ家からも「王家に献上して差し支えのない出来」であると高い評価を頂いていた。

 押しも押されもせぬ伯爵家。その子息であるダニエルの命令を、名前も聞いたことがないような地方の男爵家の娘が断るはずがない。

 むしろダニエルに顔を売るため喜んで天馬を差し出すだろう。そうすれば、妻の候補の一人として見てやってもいい。

 ダニエルはそう思っていた。


「お断りです。恥を知りなさい」


 男爵家令嬢は眦を吊り上げダニエルへ吐き捨てた。

 断られるとは露ほども思っていなかったダニエルは言い返すこともできずに呆然としていた。そんなダニエルをひと睨みして、男爵家令嬢は去っていった。彼女に手綱を引かれた天馬まで、どこかダニエルを馬鹿にする響きで鼻を鳴らしていた。


 時間差で激昂したダニエルは、荒々しく乗馬服を着替えると足を踏み鳴らしながらこの東屋へとやってきた。そうして事のあらましを「お友達」へと暴露し、「あの女に制裁を下す」と演説したのだ。

 その結果──

「であるなら、僕は君と距離を置かせてもらう」

 と言い出したのは、子爵家の第三子だった。実家が王都で商売を営んでいるとかいう男子だ。彼は事情を飲み込めないダニエルを放って立ち去っていった。それに続いて騎兵として有名な騎士家の末子、魔物の討伐で名を馳せた男爵家の第二子が「俺も」「僕も」と続き。

 ダニエルは一人になってしまった。


「オレの何が悪いってんだ!」

「なんていうか全部です」

 ばっさりと切り捨てるような言い草に、ダニエルはまた頭に血を上らせる。が、目の前に人差し指を突きつけられ、気圧される。

「まずメノー男爵家のこと、本当に知らないんですか?」

「知るわけないだろう! うちと取引あるわけでもないし!」

 ヘンリーは深いため息と吐いた。

「騎士を目指しているのにメノー男爵家を知らないとは」

 知らないものは知らないのだ。田舎貴族を知らずに何が悪い、とばかりにダニエルは腕を組んでふんぞり返る。

「あのですね、メノー男爵領といえばこの国でも有数の馬産地です。この国の騎士の五割強の馬がメノー産馬で、王立騎士団だってメノー産の馬を優先して入れているんです。

 あなた今『たかが馬だろ』って思いましたね? 顔に出てますよ。これから社交界に出るってのにそんなあからさまに表情を出すのもどうかと思いますが……それは後にします。

 騎士を目指すなら馬の良し悪しを軽視してはいけません。

 そりゃ有能な騎士はどんな馬だって乗りこなしますが、どんなに有能な騎士だって駄馬に乗ってたら命がいくつあったって足りませんよ。

 魔物を前にして怯えたり、急いで前線に向かわなきゃならないのに足が遅かったり、足が速くてもすぐバテたりしてたら、何にもなりません。

 その点メノー産の馬は素晴らしい。足腰が強ければ体力だってあるし、何より賢く従順。メノー産馬は決して騎手を見捨てないなんて言われてるくらいです」

「馬の話はわかったから」

「いーえ、わかってらっしゃらない。

 そのメノー男爵家の令嬢に喧嘩を売ろうとしているんですよあなた様は」

 つまるところ、王国内でも有数の馬産地を持つ男爵と争えば、これから騎士を目指そうというダニエルは馬に困るだろう、と言いたいのか。

「別に、メノー産じゃなくたって馬はいくらでも」

「ダニエル、メノー男爵領がどこにあるのはご存知で」

 メノー男爵家のことを知らなかったのだ。知るはずがない。

 と、いうことをわかっていてヘンリーはダニエルに問うている。ダニエルの無知を思い知らせるために。

 意地の悪いやつだ。

「不貞腐れないでくださいよダニエル。そうやって感情を顔に出さないで。

 メノー男爵領は王都から見て西南の端にあります。隣接するのはオリーブ男爵領とシグラス男爵領。

 メノー家、オリーブ家、シグラス家、この三家をまとめて『西南三家』『西南の三男爵家』と呼んでいます。

 というのも、この三家は王国に臣従したのが最も遅く、もともとはこの三家で一つの国を作っていたんですよ」

「ヘンリー、講義はいいからあの馬屋の女に制裁するのの何がいけないのか簡潔に教えてくれ」

 長々と続く話にダニエルは飽き始めていた。それよりも、さっさと寮に戻り領地の父親宛てにメノー男爵家へ抗議するよう手紙を書く方がよっぽど重要だ。

 ヘンリーはまた深々とため息を吐いた。

「よろしい。簡潔に言いますと、ダニエル。あなたお父様から大目玉を喰らう羽目になります」

「は?」

「お父様だけではなく、お母様に妹君、おそらく従姉妹からも」

「なんで!?」

「それを説明していたんでしょうが」

「説明を省きすぎだろうが!」

 極端から極端へと飛ぶヘンリーの説明にダニエルは頭を掻き毟った。

「わかりやすく! 短く! 教えろ!」

「それが人にものを頼む態度ですか」

「お前はオレの従卒だろう!」

「学院にいる間は対等で良い、とあなたのお父様から許可を頂いております」

 歯軋りし、ダニエルは自分の膝を殴った。そうでなければ学院内で暴力沙汰を起こしていたところだ。

「……教えてくれ」

「はい、まあいいでしょう」

 ヘンリーの態度が癪に障るのは変わりないが、ダニエルはグッと堪える。

「メノー男爵領は比類のない馬産地。ここと争えばまず馬に困ります。

 隣接するシグラス男爵領。ここは地中海に面し、海を挟んだ隣国ハッサラとの貿易で財を成しています」

「ハッサラは敵国では?」

 アンブロイド家が守護する国境はまさしくハッサラとの境界だ。

 ハッサラは熱砂の国でディアモンテ王国とは自然環境も文化も大きく異なる。過去幾度か争いあったこともあるが、現在はお互いに干渉せず、国境沿いで睨みあうだけで済んでいる。

「ハッサラは多部族で構成される国です。その中のいくつかの部族は、シグラス男爵領とずっと昔から、それこそ王国に臣従する前から交流があったんですよ。海を挟んで向かい合う土地にいる部族ですね。

 今でも商売は続けられ、今王国に流通する南からの品物は、ほとんどシグラス男爵領──シグラス商会から来たものです」

 そういえば、とダニエルは思い至る。

 王都やアンブロイド領でも時折『南国産』の珍しい香辛料や干した果物、毛織物や敷物などが売られているのを見たことがあった。国境を守護する家にありながら、そういった品物がどこから来ているのかをダニエルは全く意識していなかった。

「それからオリーブ男爵領。ここは王国の最西端であり最南端といっても良い土地です。気候は年間を通して温暖で夏はびっくりするくらい暑いです。

 主要な産業は農業。その名の通りオリーブが名産品ですね。ここで採れるオリーブは質、量ともに安定して、オリーブから取れる油は料理にも化粧品にも使われています」

 オリーブ油を使った料理はダニエルの好物でもある。肉料理に魚料理、塩味の効いたパンに垂らしただけでも絶品だ。

「化粧品は髪油や保湿薬なんかがありますが、一番有名なのは石鹸ですね。これもまたオリーブ領の名産である柑橘の香りがするものは贈答品としても喜ばれるやつです。

 ダニエルのお母様や妹君が好んでいらっしゃいますね」

 あの石鹸か、とダニエルは頷いた。いい匂いがするので勝手に使ったところ、妹が顔を真っ赤にして怒っていた因縁のある品だ。

 さて、とヘンリーは前置いて続ける。

「メノー男爵家と喧嘩になればシグラス商会からの輸入品、ならびにオリーブ領地産の製品は全てアンブロイド家には入ってこなくなります」

「な──」

 なぜ、と叫びそうになったところでダニエルは思い出していた。

 メノー、シグラス、そしてオリーブ。この三家はかつてひとつの国だった。つまり、繋がりが強い。

「シグラスとオリーブはメノー男爵家に肩入れする、ってことか」

「その通り」

 我が意を得たりとヘンリーは頷く。

「……そいつらから直接買ってるわけじゃないだろ」

「そうですね、一部はあちこち経由していますし」

「なら別に」

「アンブロイド家に売るな、と供給元から言われてしまえば商人たちだって従わざるを得ません。

 仮に売ってくれる商人がいたとしても値段は吊り上げられるでしょうね」

 アンブロイド伯爵家はアレクサンドラ侯爵家と関わりが深く、南東の国境を守護する重要な任を王家からいただいている。地方の男爵家がその意向に背き、ましてや蔑ろにするような真似が許されるのか。

「王家がそんなことお許しになるはずがないだろう」

「許すんですよ、それが。

 メノー家の馬、シグラス商会の輸入品、オリーブ領の農作物。これらは王家ならびに王都にも必要不可欠です。『たかが』伯爵家の体面程度では諦められませんよ」

 驚きのあまり、ダニエルは声も出せなかった。

 学院へ通うため南東の領地を出て王都へ来て以来、街に溢れる品物の数や量に圧倒されてきた。それらはいきなり王都に生えてくるわけではないのだ。何処かの土地で作られ、誰かの手により運ばれ、加工され、そうしてようやく王都の商店に並ぶのだ。

 誰か、の誰が欠けても道は途絶える。もしかすれば代わりはいるのやもしれないが、代わりが『誰か』と同じ品を作れるとは限らない。

「それだけまずい相手に喧嘩を売ろうとしてるんですよ、ダニエル。

 たとえ男爵家とはいえ、侮ってはいけません。下位貴族にも色々あるし、皆それぞれに役割を持っているんです。

 ていうかそもそも、人の馬をいきなり『売れ』なんて無礼も無礼、大無礼です」

 先ほどの自分は──そもそも、これまでの自分は方々にとんでもない無礼を働いてきたのではないだろうか。

 自身の縁故の下位貴族への態度や、父親に連れられて訪れた方々の領地での振る舞い、そして学院へ入ってからの生徒や教師との付き合い方。

 走馬灯のように駆け巡る今までの言動が、ダニエルの顔を赤くさせたり青くさせたりする。

 将来の主人が百面相するのを、ヘンリーは安堵と共に眺めている。人格の矯正は若いうちにしかできない。このまま貴族社会へ出れば間違いなくお互いに苦労の連続だろうと思い続けて幾星霜。痛みは伴うだろうが、ようやく良い方向へ転がりそうだ。

「明日しっかり謝っておきましょうね」

 やはり馬にしてやるようにダニエルの肩を撫でる。そこでようやく記憶の淵から立ち返ったのか、ダニエルは赤とも青ともいえない顔色でヘンリーを見上げた。

「…………手紙じゃダメか」

「ダメです」

 切り捨てる勢いでの却下にダニエルの顔色は青寄りに変わる。

「できれば人目があるところで。謝ったっていう証言はあればあるほど良いです」

「ダメか……」

「ボクも一緒に行きますから」

「わかった。……頑張る」

 ありがとう。と、ここ数年はまともに聞けた試しのない感謝の言葉が返される。消え入りそうな小声ではあったが、確かに。

「帰るぞ」目を丸くするヘンリーを置いてダニエルは立ち上がる。その足取りは確かだ。

 ヘンリーは胸が詰まる思いでダニエルの背中を見つめた。

 メノー男爵令嬢には悪いが、ダニエルにちょっかいをかけられてくれてよかった。と、ヘンリーは書類上でしか知らない令嬢に心から感謝する。

 寮へ続くレンガ道に落ちる陽は、焼けるような茜色に染まっていた。

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