第4話

 この日は午前の座学の後、午後からは初めての実習になっていた。

 昼休憩のあと一度教室へ集まり、教師の引率で屋外の実習用広場へと移動する。午前に引き続き天気は快晴で、濃い色のローブでは少し暑いくらいだ。

 校舎から離れた位置にある広場は土を踏み固めただけの簡素な作りだ。森からは水気の多い風が吹き込み、空からは日差しがさんさんと降り注ぐ、自然に近い──「今のマリー」からすれば精霊の気配の濃い場所であった。

 魔法実習の教師は、魔法基礎理論と同じ年嵩の女教師だ。几帳面に結い上げた髪が示す通り、厳格だが公平な教師だ。

「何するのかなぁ」

「いきなり実践、ってわけではなさそうだけど」

 仲の良い生徒同士が自然と小さな班を作る中、女教師はよく通る声で実習内容を説明し始めた。


 魔力とは、魔法を使うために必要なエネルギーだ。この世界の人間であれば誰にでも備わった、生命力とも言い換えられるもの。

 魔力は血液のように体内を巡っている。精霊の力を借りるために外へ放出すれば魔法となり、他人や物体へ分け与えることもできる。目には見えないその流れを感じとることが、魔法使いとしての基本中の基本の訓練になる。

 向かい合い、お互いの両手を握り合う。片手からは相手の魔力を受け取り、別の手からは自分の魔力を受け渡す。自分と相手の両手を通して魔力のやり取りをすることで、魔力の流れを作る。一方が魔力の扱いに慣れておらずとも、もう片方が流れを作ってやれば自然と魔力は二人の間を巡り始める。言葉では説明し辛い『魔力』を感じとるのに最適な訓練だ。

 才能のある魔法使いは誰に教わらずともその流れを感じ取れるが、多くはこうして他の魔法使いに補助されながら流れを学ぶ。貴族であれば親や家庭教師から学び、平民でも神殿に行き幾らか寄付すれば、神官からその手ほどきを受けられる。座学と同じく、身分や家柄によって差のある技術だ。

 今回は慣れている者は生徒同士で組み、慣れていない者は教師に補助されて自身や相手の魔力の流れを感じとる講義になった。

 マリー、エメ、アディの三人は慣れている者同士、三人組で順繰りに訓練することにした。


 広場のあちらこちらで生徒たちが談笑し、手を取り合い魔力の受け渡しを始めている。若い魔力に惹かれて、精霊の気配はより濃くなっている。空気中に目を凝らせば、微かな光の明滅が見えるほどになっているだろう。

 精霊はほとんど目に見えない存在だ。「前世のマリー」が持つ知識では元素や微生物といったものに近いだろうか。精霊それ自体に明確な意思や感情は存在せず、ただ魔力に惹き寄せられ、超常の現象を起こす。

 精霊王とは、そんな精霊たちの中でも一際強い力を持ち、人と同じ思考や感情を持つ精霊たちの総意とでも言うべき存在である。微かにしか見られず、触れられもしない精霊たちと共に、普段は「精霊界」に居り、彼らが認めた者の前にだけ姿を現すと言い伝えられている。

 実際に精霊王に会った、とされる者は歴史上の人物だけであり、今では絵や戯曲、彫像でしかその姿を目にすることのない「神さま」とでも言うべき存在だ。各地に存在する神殿は各属性の精霊王にゆかりのある場であり、精霊王を祀る場所になっている。

 ディアモンテ王国では光属性を神聖なものとし、光の精霊王を文字通り「神」として信仰している。光の精霊王への信仰は王家主導で国をあげて行われているが、火や水といった基本四属性の精霊王への信仰も許されている。光の精霊王が精霊王たちの主人である、といった解釈が一般的だ。

 闇の精霊王への信仰も法の上では許されていないわけではないが──神殿すら存在しないのが現状だ。

 平和な世の中では仕方のないことではあるが、各属性の精霊王への信仰心はここ数世代で薄れつつある。「光の精霊王の使徒としての王族」ではなく「ディアモンテ王国の王族」であるからこその敬意となり、王家とは繋がりのない他属性の精霊王の神殿への敬意は薄い。特に王都や近郊の豊かな町村の、生活に苦労がない貴族や市民に多い思考だ。

 信仰心がなくとも魔法は使えてしまうので、見えもせず触れられもしない、存在すらあやふやな精霊王を信じられないのは当然かもしれない。

 マリーたちとてそうだ。精霊王に関連する行事には仕方なしに参加してはいたが、貴族家の一員としての責務と単純にお祭りを楽しみたい気持ちがほとんどだ。

 ──今のローズマリー・オリーブは、精霊王が「確実に存在している」と「知って」いるため、信仰心は形を変え復活してきているが。



 今日の実技はマリーたちにとって子供の頃から遊び感覚で行ってきた訓練だ。三人それぞれの組み合わせで魔力を流しあうのは数分もあれば済んだ。暇を持て余した三人は、アディの「三人で輪になったらどうなるのかなぁ」という思いつきを実験してみようとしていた。

「メノーさん、オリーブさん、シグラスさん」

 几帳面に生徒一人ひとりを苗字で呼ぶのは、魔法基礎理論の女教師の癖だ。

 授業として指示されていない実験を咎められるか、とマリーら三人は女教師に向き直り姿勢を正す。が、女教師は眦を釣り上げた怒りではなく、むしろ眉を下げた困却の表情を浮かべマリーらを見回していた。

 女教師の傍には所在なさげに一人の生徒が佇んでいた。すらりとした長身。一目で水の精霊に愛されているとわかる鮮やかな水色の髪。澄み渡った泉のような深い青の瞳。肩のあたりで短く切り揃えられた髪は、彼女が神殿に所属していると示している。

 その姿を目にした瞬間、マリーは思わず声をあげそうになっていた。


 彼女はシズク・ブルー。「ディアモンテの勇者たち」の登場キャラクターだ。


 シズクは序盤から主人公たちの仲間になる水の魔法使いで、回復魔法を得意とするいわゆるヒーラーだ。攻撃魔法はほとんど覚えないもののその回復魔法は使い勝手がよく、前世のマリーもラスボス戦までお世話になったものだ。

 ブルーという姓は水の神殿に所属する身分を示すものだ。神殿に所属する神官や巫女、そして神殿に託された孤児が名乗る。シズクは孤児であり、神官見習いだ。

 ゲームの中でのシズクは崩壊した世界に心を痛め、神官見習いの身分としてできることを精一杯こなし、エンディングでは立派な神官として成長する。男女どちらの主人公を選んでも平民同士という気安さから好意的で、男性ファンの多いキャラクターだ。


「あなたたち、三人で組んでいるのよね? よかったら、ブルーさんも混ぜていただけないかしら?」

 あ、コレすごい気まずいやつだ。マリーは即座に悟っている。

 前世でマリーも同じ経験をしたのか。はたまた聞き齧ったか物語で見ただけの知識か。それはもはや判然とはしない。

 ただただこの時のマリーは、シズクの気まずさを払拭しようとするのに精一杯だった。

「ちょ、ちょうどもう一人いたらなぁって、思ってたところなんです!」

 胸の前で手のひらを合わせ、品を作るようにしていっそ大袈裟なくらい喜びを見せる。

 いつものマリーであればエメとアディの出方を伺っていたところだ。仮にエメかアディがシズクの存在に難色を示したとすれば、マリーもそれに同調していただろう。

 普段にはないマリーの勢いに、エメもアディも若干の驚きを表情に滲ませる。が、その後に嫌悪感や忌避感が現れることはなかった。

「そ……うですね、四人いた方が、いいと言えばいいかも」

「……アディも賛成ー」

 マリーに続き肯定を示した二人に、女教師はあからさまに表情を緩ませた。こちらへ差し出すようにシズクの背をやんわりと押し遣る。

「よかったわ、それじゃあよろしくね」

 向こうでは数人の生徒が女教師を待っている。魔力循環のコツが掴めないのだろうか。

 残されたシズクとマリーらの間に、お互いを伺う沈黙があった。

「えと……ローズマリー・オリーブです」

「エスメラルダ・メノー」

「アドリアーナ・シグラスです!」

 平民が貴族へ声をかけるのは気まずかろう、とマリーが率先して名乗るのに、エメとアディも同調してくれた。マリーの意思を汲んで尊重してくれる二人の存在が、マリーには心強い。

「……シズク・ブルーです。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 シズクは深々と頭を下げた。素直な髪がサラリと流れ、表情を隠す。

「え、いや、全然!」

「そうね、マリーの言うとおり、四人いた方がいいし」

「ちょうどよかったの!」

 アディがシズクの手を掬い上げる。シズクは身を引きそうになっていたが、それも失礼になるかと思ったのだろう、すんでのところで踏みとどまっていた。

「わ、すごいねえ」

 アディの驚きはシズクの魔力量に関することだろう。途端に精霊の気配が濃くなる中、シズクは頬をわずかに赤らめる。

「次私!」

「やーんもうちょっと待って」

 エメがシズクの手を攫おうとするのをアディが拒否する。珍しいおもちゃを取り合うような格好になってしまっているのだが、シズクは迷惑ではなかっただろうか。

 マリーは内心焦るが、つと目があったシズクは素直に笑っている様子であるのでホッとした。


 ようやく順番が回ってきたマリーはシズクの手をそっと握った。先に二人から握られていたせいか、緊張がほぐれたか、その手は温かい。指は長く、爪は短い。手のひらが所々硬いのは、神殿の奉仕作業によるものだろうか。

「ありがとうございます。オリーブ様」

「え? いや、その、全然」

 柔らかな魔力の流れと水の精霊の気配を感じながら、マリーは首を横に振る。

 エメとアディは再びお互いの手を取り魔力循環の訓練をしている。シズクの魔力との違いを議論している声がマリーの耳に届く。

 穏やかなシズクの表情を真正面から見据え、両手を握り合う格好がマリーにはどうしてか気恥ずかしい。

 何か雑談でも振るべきか、しかし何を話せば……。焦りが生まれかけた時、つとシズクが口を開いた。

「お昼の後から、ユーリさんがどうしてかいなくなってしまって……」

「ええ、どこ行っちゃったんですかね」

 シズクとユーリが並んで授業を受ける姿を、マリーは何度か見かけたことがあった。


 マリーが謳歌する学生生活は、本来ゲームにはなかった展開だ。何せ入学式典中にこの世界は闇に堕ちる。世界が滅びかけている中で、呑気に学生をやっている場合ではない。

 ゲームの展開通りになれば、この世界は未曾有の大惨事に見舞われる。多くの人が傷つき、亡くなり、大切なものを失くす。

 しかしその展開によって人生の展望が開けるキャラクターがいるのも、また事実だ。

 ローズマリー・オリーブが所属する魔法科一年生のクラスには、ゲームに登場するキャラクターが前述のソフィア・アレクサンドラ、シズク・ブルーを含め四人在籍していた。その中にはゲームの主人公であるユーリ・ホワイトも存在している。

 「ディアモンテの勇者たち」の主人公──ユーリ・ホワイトも、ゲームの展開によって人生が大きく変わる者の一人だ。

 ゲームの主人公であるユーリは、ゲームのオープニングで光属性に目覚める。その上火水風土の基本四属性の全ての魔法を会得でき、ストーリーの展開によっては闇属性ですら扱えるようになる。そんな稀有な魔法使いなのだ。

 ゲームの中でのユーリは全ての精霊から愛されるその特殊性ゆえに敬われ、また嫉妬され、しかしその直向きさで誰からも好意を持たれる。どのエンディングでも王族に近い立場として、尊敬と愛情を一身に集める唯一の存在になる。


 ではゲームが始まらなかった今のユーリはというと。

 今のユーリは、顔立ちは愛らしく整っているものの髪と瞳は平凡な茶色で、授業態度に積極性は見られず。平民出身であるのもあり、輪の中心から外れた端でいつもつまらなさそうにしている。

 そんなゲームとは全く違う存在となっていた。


 貴族家出身の者が多い魔法科では、平民出身の者は少ない。一応「学びの上では皆平等」と掲げられているものの、友人関係は近しい身分の者同士の方が築きやすいものだ。必然、高位の貴族家子女と低位の貴族家子女は別個のグループになる。であれば、平民出身は平民出身の者同士で固まるものだ。

 神殿の神官の身分は「準貴族」とも言える平民と貴族の間の身分だ。神殿の神官長ともなれば話は別だが、神官見習いであるシズクはほぼ平民とも言える身分だ。

 今のユーリがマリーと同じ「ゲームを知っている者」であるかはわからない。しかしゲームを知らずとも、ゲームを知っていれば尚更、ユーリはシズクと友人になっていそうなものなのだが。ユーリとシズクの仲はあまり深まっていなかった様子だ。


「あの方、サボり癖がついちゃってるみたいで、最近よくいなくなるんですよね。……せっかく学校へ通わせていただいているのに」

「いたたた」

「あ、ごめんなさい」

 話すうちに苛立ちが蘇ったのか、シズクの指先に力が入っていた。意外とシズクの握力は強い。

「おかげで、オリーブ様がたにもご迷惑をおかけしてしまって」

「あの、それは本当に、全然」

「そうそう。気になってたのは本当だし」

 マリーの右肩が重くなる。視線を向ければ、エメがマリーの肩を肘掛けにするようにしてシズクへ笑いかけていた。

「水の神殿、何回か行ったことあるけど神殿の子と話す機会なんてなかったし」

「アディも行ったことあるよ〜」

 マリーの左肩が押される。そちらへ視線を振れば、アディはマリーの肩にほとんど寄りかかり、シズクへ首を傾げて見せていた。

 水の精霊王を祀る神殿は、王都から見て西南の海沿いに建てられている。マリーたち三人の領地にも近く、季節ごとに寄付や参拝に訪れている。

「お祭り秋にあるよね。シズちゃんも行ったことある?」

「シズはやる側でしょうが」

「そっかぁ」

 本人に許可も取らず「シズ」と勝手に愛称を決めてしまってもよかったものか。エメとアディの独特すぎる距離の詰め方に恐々とするマリーであったが。

「ぜひまたいらしてくださいませ。メノー様、シグラス様」

 シズクは気にする素振りもなく、おっとりと微笑んでいた。

 そんなシズクにエメは歯を見せて笑う。

「エメでいいよ。同級生なんだし」

「アディもアディでいいよぉ。マリーもいいよね?」

「う、うん! ぜひ!」

 苗字に様を付けずに呼ぶのも、名前で呼ぶのもすら飛ばした、愛称での呼びかけ。一段飛ばしどころか階段から飛び降りるような一足飛びの仲の詰め方だ。

 けれどここでマリーだけが断ってはシズクが傷つく。いや、エメもアディも傷つくだろう。それに、今やマリーもシズクと仲良くなりたいと思い始めている。ゲームの登場人物だから、と言う理由ではなく、純粋に彼女自身の手の温かさに惹かれている。

「私でよければ、喜んで。……エメ、アディ、マリー」

 食いつくように肯定してしまい恥ずかしくなるが、シズクは花開くように笑ってくれた。その笑顔に、マリーは余計に顔が熱くなった。


 女教師が生徒らを呼ぶ声がする。また別の訓練を始めるのだろう。マリーたちは四人で移動し始める。

「よかったらさ、これからも一緒に授業受けようよ」

 シズクの肘のあたりに手を添え、エメが問う。シズクとエメは目線が近い。女子にしては身長が高いエメとシズクは同じくらいの身長だ。

「それはもう、願ってもないことです」

「アディも嬉しいよ〜」

「わかってるけど、アディとマリーが嫌ってわけじゃなくて。四人のが何かとやりやすいじゃん?」

「うん」

「そうねぇ」

 学生生活においては、何かと二人一組になる機会が多い。このクラスでは三人で組んでも特段指摘は受けないが、マリーは一人で待つことになるアディやエメが気になっていたのは本当だ。シズクが加わり、二人一組がふたつ作れるようになるのは大歓迎だ。

「それに……この二人癖っ毛だからあたしの苦労何にも知らなくて!」

「え?」

 マリーはアディと顔を見合わせる。

「シズ、あたしと一緒じゃん髪。だから」

 三人の出身である西南地方の人間は癖毛が多い。エメのような全く癖のない真っ直ぐな髪は珍しく、羨望の的だ。

 かく言うマリーも、三つ編みを解けば緩やかにうねる髪が現れる。三つ編みにしているから、ではなく元からそうなのだ。いつも三つ編みにしているのも、うねる髪を厭ってのことだ。真っ直ぐな髪は西南では美人の証なのだ。

 エメ自身は、アディのような豊かに波打つ髪こそ可愛らしい、と思っているようで、ことあるごとにそれを口にしている。その度、アディとマリーに否定されているが。

 エメの真っ直ぐな髪は逆に癖がつけづらく、アレンジができなくて面白みがないらしい。

「髪まっすぐ同盟! 組もう!」

 シズクの手を取り、どこか胸の踊る表情を見せるエメに、シズクは弾けるような笑顔を見せた。

「いいですね! 週に一回は会合をしますか」

「うんうん! 髪まっすぐでも遊べる髪型研究したりしよ!」

「いいなぁアディも混ざりたい〜」

「ふわふわ毛は入れません」

「ええ〜」

 唇を尖らせ、アディはマリーの腕に絡みつく。二の腕と胸の柔らかな感触がマリーの腕を温める。

「いいもん、じゃあアディはマリーとふわふわ同盟するもん」

 アディの髪はマリーとは違い、ボリュームのある巻き髪だ。マリーの髪は巻き毛と言えば巻き毛と言えなくもない、と言う何とも中途半端な癖毛具合で、マリーにとってはまっすぐな髪と同じくらい羨望の的であるのだが。それを言えばアディが取り返しのつかないくらい拗ねるのは目に見えているので、「そうしようね」と同意するに留めた。

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