第3話


 入学記念式展から一ヶ月が経過した今。

 ローズマリー・オリーブは忙しくも平和な学園生活を送っている。


 ディアモンテ王立魔法学院は、魔法学院と冠しているが魔法科の他に騎士科と政治経済科が併設されている。

 学院の成り立ちは、もちろん若き魔法使いのための学びと研鑽の場であった。魔物の大量発生や他国の侵略などに備え、国中から集められた優秀な若者たちが日々学び、切磋琢磨し魔法技術を磨いていた。

 あちこちで起きていた他国との小競り合いや魔物の被害は、学院を卒業した魔法使いたちによっていくつも解決に導かれていた。

 そうして訪れたのが、平和だ。

 魔法技術が発展し、他国との関係も一応は安定し、魔物の個体数も横ばいが続いている。

 小さな事件はいくつもあるが、国を揺るがす事態は起きず。病の蔓延や飢餓は起きず、貴族も平民も穏やかに過ごしていた。

 そんな安定した時代が続くうち、貴族たちに変化が訪れていた。高い魔力を持つ子供が生まれ辛くなっていたのだ。

 王立魔法学院を卒業することは、貴族社会ではある種のステータスになっていた。

 王立魔法学院を卒業するほど優秀な魔法使い。それすなわち、貴族として優秀な血統である。と。

 翻って、王立魔法学院に入学できない者は貴族社会では落ちこぼれである。

 そんな評価すら下されるようにまでなっていた。

 そうして魔法学院に設立されたのが、騎士科と政治経済科だ。

 表向きは、「魔法使いに限らず、この国で必要とされる人材を広く育成するため」とされていた。実際は、魔法使いとして学院への入学が叶わない貴族子弟をどうにか「王立魔法学院卒」にするための秘策であった。

 無理矢理な理由で作られた騎士科と政治経済科であったが、王国の優秀な若者をひと所で学ばせる、というのは良い刺激になったようだ。この二つの科ができてからというもの、王国の騎士と官僚の質はぐんと良くなった、らしい。


 現在、王立魔法学院の魔法科生徒数に対し、騎士科は約1.5倍、政治経済科は約2倍の生徒が在籍している。

 シャツとスラックスまたはスカートの上にローブを羽織る魔法科の制服に対し、騎士科は男女共に詰め襟のような上着、政治経済科はブレザーのような上着の着用が定められている。

「正直どっちの制服も可愛いんだよなぁ」

 続け様にマリーを追い抜いていった騎士科生徒と政治経済科生徒の姿を思い出し、マリーは口角をだらしなく緩めた。

 朝の日差しが穏やかに差し込む、学院と寮とを結ぶレンガ道にて。マリーは友人二人と共にゆったりと登校していた。

 マリーはいつもの魔法科制服である丈の長いローブ姿だ。華美でなければ装飾も可とされているが、レースやらフリルやらブローチやらの類はつけていない。

「まあ確かに、騎士科の制服は動きやすそうでいいよね。コレは正直動くの向いてないと思う」

 マリーの右隣でエスメラルダ・メノーがローブの袖をひらひらと振る。彼女のローブもやはり飾り気はない。

 エスメラルダ──通称エメは、メノー男爵家の二人目の子だ。意思の強そうな凛々しい眉と吊り目、そして女子にしては高い身長が特徴だ。深い緑色で癖のない髪を、いつも高い位置で一つに結っている。

「アディはローブも好きよ? あったかいし、かわいいし」

 マリーの左隣でおっとりと微笑むのはアドリアーナ・シグラスだ。口元に添えられた手元、ローブの袖を控えめなフリルと刺繍が飾っている。見る者が見れば、そのフリルと刺繍に使われた素材は王都には中々出回らない南方の品だとわかるだろう。

 アドリアーナ──通称アディは、シグラス男爵家の四番目の子で末子だ。柔らかな口調と同じく柔らかそうな頬(事実とても柔らかく手触りが良い)、そして豊かに波打つ淡い茶色の髪が特徴だ。身長は平均的なマリーよりも小さく、小動物めいたかわいらしさのある、令嬢めいた令嬢だ。


 ローズマリー・オリーブ、エスメラルダ・メノー、アドリアーナ・シグラスは幼馴染だ。

 オリーブ、メノー、シグラスの三つの男爵家は、王都から見て西南の果てにある。地中海に面したシグラス領、その北側にある高地のメノー領、シグラス領とメノー領の西に位置し地中海と外海の両方に面したオリーブ領といった位置関係になる。

 この三男爵家はディアモンテ王国に最も新しく加わった三家である。とはいえ、百年以上は前の話だ。王国への帰属意識はそれなりにある。

 そしてそれよりも、三家の繋がりが強くある。何せ王国へ併合される前はこの三つの男爵家は一つの国だったくらいだ。どこかに危機が訪れれば残りの二家は即座に加勢し、慶次があれば我がことのように祝う。

 家同士の強固な繋がりがあれば、ほぼ同じ年に生まれた三人の娘たちが仲良くならないわけがない。都合よく三人共に才能があり、三人揃って王立魔法学院へ入学した。

 そんな「ゲームには存在しない」、仲良し三人組がマリーとエメとアディだ。


「マリーもエメも、もっとリボンとかつけたらいいのに」

「ダメだよ。シシィが食べちゃう」

「シィちゃんそんなに分別ない子かしら?」

「分別はあるけど好奇心は旺盛なの」

 シシィはエメの愛馬だ。馬を連れての入学は、本来は騎士科の一部の生徒にしか許可されない。そこをエメが──と言うよりかはエメの父親であるメノー男爵が、入学金に寄付金をプラスすることで特別に許可を得た。

 とても美しくて賢く、『特別な』馬だ。

 マリーは嗜む程度にしか馬に乗れないが、エメの馬術は騎士に匹敵するものだとマリーは思っている。

「シシィ、元気? 体調崩してない?」

「元気よ。暇あったら会いに来てよ」

「シィちゃん会いたーい」

 マリーもアディもエメの愛馬であるシシィとは顔見知りだ。背に乗せてもらったこともある。

「今日の放課後は?」

「アディ暇よー」

「あ、私は……」

 マリーの発言に鐘の音が重なった。授業開始まで残りわずかであることを知らせる予鈴だ。三人の周囲をのんびりと歩いていた生徒たちが、やにわに歩みを早める。

「もうそんな時間? いこ!」

「エメ待ってぇ」

 走り出すエメに、どう見ても速歩程度にしか見えないアディが続く。

「あと五分だからそんなに焦んなくても平気だよ」

 マリーは気持ち程度に足を早め、アディと共に教室へと急いだ。




 魔法科一年目の授業は座学が主だ。魔法基礎理論から始まり、魔法にまつわる歴史や法律、他国での魔法事情などを広く学ぶ。

 貴族であれば、入学前に家庭教師から学んでいるものが多い項目だ。とはいえ、家庭教師の思想が偏っていたり、知識が古いままであることも多い。

 そもそも平民であればそれらを学ぶ暇も場もない。家庭教師を雇う余裕のない貴族家もある。

 様々な事情を持つ新入生の知識を一度平等にするための座学だ。マリーにとっては一度両親から学んだことばかりであるが、他国での魔法事情や法律に関しては知らないものもあり楽しく学ぶことができた。

 魔法科は四十人が一つの教室に集められ授業を受ける。平民から公爵家の令嬢までもが一緒くたになる、おそらく誰もがここでしか経験できない場だ。

 「学びの機会は誰にも平等でなければならない」という魔法学院を設立した王の方針により、学院内での身分は平等であるとされている。……のだが、本来は全ての生徒が寮暮らしをするところを、王族や一部の貴族は王都にあるタウンハウスから通学していたり、食堂で食事を取らず専用の一室に専属の料理人をつけていたりと、形骸化が著しい建前ではある。学生といえども暗殺や毒殺を警戒しなければならない身分であるので、致し方ない部分はあるのだが。平民や下位貴族からは「身分が違う」と意識される一因になってしまっている。


 魔法科の教室は黒板を正面にして、階段状に並べられた長机に生徒たちが自由に座る形態になっている。黒板と教師に近い前方には意欲のある生徒、中段にはそれなりにやる気があるものの目立ちたくない生徒、後方にはあまり素行のよろしくない生徒が陣取るのは、どこの世界でも同じ様子だ。マリーたち男爵家令嬢三人組は、いつも中段廊下寄りの席を使っている。窓際の方が三人とも好みだったのだが、そこには子爵家と伯爵家の子女が陣取っていたため遠慮した形だ。

 窓の外は日も高く、青空と伸びやかに枝葉を広げる広葉樹のコントラストが実に爽やかだ。魔法歴史学の男性老教師の抑揚のない教科書の読み上げは、有体に言えば子守唄に近い。教室内には弛緩した空気が漂っている。

 もう何度目か瞼を閉じかけ、マリーは頭を振った。右隣ではエメが自身の手の甲を抓っており、左隣ではアディが机に突っ伏して沈没している。見下ろした教室前方組の中にも、船を漕ぐ者や俯いたまま動かない者が続出している。

 そんな中、背筋を伸ばし教科書に指先を滑らせ、凛とした横顔で授業を受け続けている女子生徒がいる。

 ソフィア・アレクサンドラ。アレクサンドラ公爵家の完全無欠の令嬢にして、次期王妃に最も近いと言われている少女だ。

 夜明け前の空を思わせる淡い紫色の豊かな髪と深い葡萄色の瞳は、彼女が希少な二重属性──それも反対属性の火と水の魔法使いであることを示している。


 この世界では、髪と瞳の色でその魔法使いがどの精霊に愛されているか、つまりはどの属性の魔法を使うのかがわかる。

 土は茶、風は緑、水は青、火は赤系統の色が髪と目に出る。精霊に強く愛されれば愛されるほど、その色は鮮やかに出ると言われている。

 ジョバンニが一目見ただけでマリーに闇魔法を扱えない、と断じた理由がこれだ。マリーの髪と瞳は濃いめの茶色で、どう見ても土属性だ。

 ジョバンニの髪と瞳は光すら飲み込む漆黒。つまりはそれだけ闇の精霊たちに気にいられているとわかる。

 この国で唯一光属性を持つディアモンテ王家の者は金色の髪と瞳を持ち、それが王族の証であるとされている。

 また精霊同士には相性がある。通常火は水を苦手とし、同時に扱えるのは風か土かであるはずだ。そして仮に二つの属性を扱えたとしても、必ずどちらか一つを得意とし、どちらか一つは初歩的な魔法しか扱えないはずであった。

 ソフィア・アレクサンドラは二つの常識を打ち破った。その調和の取れた髪の色が示す通り、火と水どちらの高位魔法も扱える。まさに稀代の魔法使いなのだ。

 当人はそんな自らの才能に溺れることなく、謙虚に研鑽を重ね、こうして初歩的な座学にも真面目に取り組む才女である。


 このソフィア・アレクサンドラをマリーは知らない。

 マリーの知るソフィア──『ディアモンテの勇者たち』の登場キャラクターとしてのソフィアは、自らの才能に驕った高飛車な「お嬢様」であったはずだ。

 ゲーム内のソフィアはいわゆるツンデレキャラで、主人公に何かと突っかかっては魔法勝負を持ちかけるライバル的存在だ。ゲームが進むうちに彼女の少女らしい一面が顕になり、女主人公では親友エンドを、男主人公の場合は恋愛エンドを迎えることもできる。

 ゲームが始まらなかったがゆえの変化、とは明らかに違う。

 ローズマリー・オリーブが知る社交界でのソフィアの話は、彼女が謙虚でお淑やかで﨟長けた令嬢であると示している。お転婆で高飛車で癪に障る物言いばかりなゲームのソフィアと同一人物だとは、とても思えない。


 マリーはソフィアが自分と同じ「転生者」なのではないか、と疑っていた。

 しかし疑っているからといって、マリーができることはほぼ何もなかった。この世界でのソフィアの目的がわからない以上、「関わらない」「自分が転生者だとバレない」くらいだ。

 仮にソフィアがゲームの展開と同じにするためにジョバンニへ近付いた場合、もちろんマリーは全力で抵抗するつもりだ。だが公爵令嬢を相手に男爵令嬢が何をできるのかはわからない。

 ソフィアにその気配がないことだけがマリーの救いだ。


 などと、マリーは穏やかな日差しの中つらつらと考えていた。眠気を払うための思考で、特に何か意識を持ってその後ろ姿に視線を注いでいたわけではないのだが。


 なんの前触れもなくソフィア・アレクサンドラは振り向いた。

 すみれ色の瞳と、目があう。

 ぱちん。と、音がしそうなほどの衝撃だった。それほどに、ソフィアの瞳は鮮やかで透明で、この世のどんな宝石よりも美しかった。


 あまりにな衝撃に、マリーは目を逸らすことができずにいた。実際の時間にすれば数秒だった。マリーにとっては数時間にも数日にも思える瞬間だった。

 男爵令嬢が公爵令嬢へ向けるのにはあまりにも不躾で無礼な視線だったはずだが。ソフィア・アレクサンドラは眉を顰めるでも、マリーを睨むでもなく。

 花が開くように、ふわりと柔らかく微笑んだ。

 きっとマリーが同性を恋愛対象として見ていたのであれば、この時恋に落ちていただろう。その笑みを見た瞬間の心臓の高鳴りは、恋と形容するのに十分すぎる熱量だった。


 頭の芯から茹ってしまったような顔の熱を感じながら、マリーは小さく黙礼した。それが正しい礼儀かどうか、マリーには全く判別できなかったが、マリーには精一杯の返礼だった。

 ソフィアはお辞儀を返すように首を傾げ、また手元の教科書へと視線を戻した。揺れる薄紫の髪から、届くはずもないのに花の香りがするようだった。

 魔法歴史学の講義は未だ続いている。老教師の朗読は止まらず、マリーの両隣からは安らかな寝息が聞こえる。


 日差しも、気温も、教師の朗読も、何もかもが眠気を誘う中。マリーの眠気は遥か彼方へと過ぎ去っていた。


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