第2話

 ユーリは風変わりな娘であった。


 彼女が生まれたのはディアモンテ王国の北東、コンクパール子爵領の小さな村だった。雪深い村で山羊飼いをする夫婦の間に、三人目の子として生を受けた。

 物心ついた時からユーリは度々「私はシュジンコウだから」と口にするようになった。

 シュジンコウ、というものを村の人々の誰も知らなかった。一番物知りな村長ですら知らないのだ。隣村くらいにしか出たことのない両親には、皆目検討がつかなかった。

 ユーリ自身に尋ねても、彼女は意味ありげに微笑むだけだった。

 ユーリは美しい娘に育った。その上魔法の才能に恵まれ、村に恵みをもたらした。であるので、ユーリが多少わがままでも皆ユーリを愛した。

 そんなユーリに目をつけたのが、領主であるコンクパール子爵だった。

 コンクパール子爵家は長年魔力に恵まれていなかった。現コンクパール子爵はもちろん、その息子にも娘にも強い魔力は宿らず、貴族社会での地位が落ち目になってきていたのだ。

 貴族にとって自領民は家族も同然、という建前の下、コンクパール子爵はユーリの両親にユーリの進学援助を提案した。

 才能ある領民に対し、後援者として付き、学費や諸々の生活費の面倒を見てやるのは、貴族としての義務だ。ただし有用な才能が花開いた場合は、援助の見返りに養子や嫁に取る。どこの領地でもままある話だ。

 もちろん生家にもそれなりの支援は入る。こと寒村においては子供も重要な労働力だ。魔法の才能があり、すでに村に恵みをもたらしているともなれば、村にとっても財産だ。

 ユーリの両親は悩んだ。領主に対する身売りのようなものであるが、せっかくの才能を村の中で終わらせるのは勿体無い。しかし少々風変わりではあるが、かわいい娘であるのには違いない。王都という見たこともない場所にやってしまって良いものか。

 決断が早いのはユーリの方だった。両親の悩みなどどこ吹く風、といった風情でコンクパール子爵の使者について村を出ていってしまったのだ。

 ユーリの両親には、後日子爵から金貨一袋と家畜が数頭贈られた。

 貧しくとも両親は金貨には手をつけず、ユーリの兄と姉は贈られた家畜を妹のように可愛がった。いつユーリが帰ってきて、子爵から対価を返せと言われても良いように。

 ずっと、ずっと待っていた。



 コンクパール子爵は貴族にしては善良な人であった。

 ゆえに、そうと気付かぬうちに少しずつ財産を掠め取られ、政治的にも経済的にも少しずつ衰えていった。

 地方貴族がみんなそうであるように、コンクパール子爵家も血縁に強い魔法使いが生まれなくなってきていた。他の貴族家が領民や下位貴族から力のある魔法使いを無理矢理にでも召し上げる中、コンクパール子爵家は高潔であった。

 ゆえに、領地の縮小と爵位の降格が噂されるまでになっていた。

 当代のコンクパール子爵は頭を抱えた。先先代がようやく成し遂げた子爵への陞爵だ。父の代でも衰退していたとはいえ、自分の代で降格してしまっては、末代までの恥だ。亡くなった妻にも顔向けができない。

 地方の代官から齎された「村に恵みを授ける強い魔力を持つ少女」の話はまさに僥倖だった。

 焦りはあれどもやはり子爵は高潔であった。子爵は使者を送り、少女に選択を委ねた。

 王立魔法学院への進学と、将来の子爵家への嫁入りは、寒村の平民にすれば降ってわいた大慶だ。もちろん子爵は少女の家族と故郷の村への支援も約束した。年端も行かない少女が後ろ髪を引かれるとすれば、家族と故郷のことであるのはわかりきっていたからだ。

 子爵は一週間の猶予を与えたつもりであった。破格の条件を揃えていたとはいえ、まさか家族との別れを惜しむこともなく、言付けの使者と共に少女が子爵家を訪れるとは、子爵自身思ってもいなかった。

 少女は名前をユーリと言った。子爵家の後援がついたことにより、ユーリは「ホワイト」の姓を名乗ることが許された。

 子爵は自身の子と分け隔てなくユーリに接した。むしろ、親と引き離してしまった負目から、望みはなんでも叶えてやった。

 子爵は娘と息子にもユーリへ優しく接するように言い含めた。平民、それも田舎の出身であることから、多少の無礼は許すようにと。

 ユーリの天真爛漫さは、斜陽であった子爵家に差した希望の光であるようだった。

 子爵の息子はいずれ自身の妻になるであろうユーリへ夢中になった。毎日のように花を贈り、菓子を贈り、ねだられれば街へ連れ出した。

 子爵の娘も自身の義妹となったユーリを甘やかした。貴族令嬢として一通りの礼儀を教えはしたが、完璧とは言えなくともやたらに褒めた。

 数年の後、ユーリは高い魔力が内から溢れ出すような、美しい娘に育った。もちろん王立魔法学院への入学が叶い、子爵家は盛大にユーリを送り出した。

 ユーリは子爵家の希望の種であった。



 ユーリが「ディアモンテの勇者たち」を知ったのは、当時の彼女の『推し』がこのゲームを遊んでいたからだった。ユーリの推し──正確には『ユーリの前世』の推しは若手俳優で、その頃流行していた動画配信サイトでのゲームプレイ配信を時折行なっていたのだ。

 ゆえに、ユーリに「ディアモンテの勇者たち」の記憶は薄い。何せ配信を数度見たきりだ。若手俳優のトークやリアクションは暗記するほどに見たが、ゲーム自体に興味は持てなかった。

 なぜそんな興味の薄いゲームの世界に転生してしまったのかは、ユーリ自身にもわからない。

 ただ転生してしまったものは仕方ない。それならとことん楽しもうとユーリは決めた。


 ユーリは何もしないと決めていた。

 なぜならば、ユーリはこのゲームの主人公だ。ゲーム本編が始まれば、自動的に持て囃される。

 ユーリの目的はゲームの主人公としてちやほやされること。それだけだった。

 この世界に生まれ、そして自我を持ってから十数年。ユーリはそこにいるだけで有り難がられ、微笑んだだけで喜ばれてきた。前世ではしたことがない体験だ。

 前世のユーリは平凡を絵に描いたような容姿で、特段の才能にも恵まれず、学校でも社会でも輪の中心にいられる人物を羨んで生きていた。

 何もしなくても舞台の真ん中に立たせてもらえる、「持っている」人。今世のユーリはずっとユーリが羨んできた人間になれたのだ。

 とは言えまだ不満はある。ユーリは高い魔力を持ってはいるが、属性は平凡な土である。顔立ちは整っているが、髪と目の色はやはり平凡な淡い茶色だ。もっと珍しく、可愛らしい色がユーリの望みだ。

 ──それもゲームが始まれば叶うとユーリは知っている。

 ゲームが始まれば、主人公であるユーリはこの国の王族にしかいないはずの光属性に目覚め、それと同時に髪と目の色も鮮やかな色へと変化する。

 ユーリは待っていれば良い。時が流れ、ゲームが始まれば、ユーリの望みは全て叶う。

 欲を出して失敗するのは、転生ものの主人公キャラにはよくあることだ。ユーリは顔の良い男性たちに囲まれるハーレムルートに興味はないし、隠しキャラが推しというわけでもない。ゲーム通りにこの国の王子と結ばれるのが一番美味しいだろう、と当たりをつけている。

 貧しい田舎暮らしの反動で、子爵家に引き取られてから少し羽目を外してしまったが、貴族令嬢としての礼儀も一通り身につけた。子爵家の息子からやたらとアプローチを受けるのには辟易としたが、これもゲームが始まるまでと思えば我慢できた。

 ゲームが始まれば、彼らはみんないなくなる。

 後に残るのは光の聖女となったユーリと、ユーリのためのキャラクターたちだけ。

 この世界はユーリのための世界だ。


 ユーリは『その時』を心待ちにしながら、真新しい制服のローブを身に纏い、王立魔法学院の大講堂へ足を踏み入れる。

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