第41話

 就職活動をしなくなって、卒論も進まなくなった。書いているうちにわけがわからなくなってきて、結局自分は何を研究したのかと、そもそもこれは研究なのかと思い悩むうちに何も書けなくなった。4年ほどの大学生活をおくったのに、論文1つすら書き上げられない自分が情けない。それも過去のデータや資料を散々参考にしたのに、自分の考えすら浮かばない。


 卒論が進まないから、進捗報告のためのゼミにも行かなくなった。進んでいなくても悩んでいる部分があれば聞きにおいで、と先生から優しいメールが届いていたけれど、何に悩んでいるのかすらわからないのだ。何を聞けばこの論文が完成するのかすらわからない。


 就職だけじゃなく卒業も怪しいのかと、自分を嘲る。このまま書き上げられなかったら、留年になるのだろうか。放任主義の親も、さすがに怒るだろう。


 次から次へと不安ばかりが湧きあがる。よくもこんなに、飽きもせず考え込めるものだ。



「だいやだいや! ねえ聞いて!」



 書こうという気はあるんですよ、というスタンスでパソコンの前に座っていた私は、突然背後から凛の声が響いて驚く。振り向くと、凛が私の返事を待たずに部屋の扉を開けていた。



「またライブが決まったの! 今度は大阪も! 2会場!」



 凛が目を輝かせながら口にした会場は、この界隈に疎い私でも知っているくらい、大きな会場だった。前回のライブからそんなに時間が経っていないのに、それだけ大きな場所で、1人でライブを任せられる凛はすごい。


 けれど、それを聞いた瞬間にもうダメだと思った。推しの活躍は嬉しいはずなのに、喜ばしいことだと理解しているはずなのに、心が動かない。前回のライブや、アルバムを出すことを聞いた時のような嬉しさがない。


 むしろ心の中にあるのは、劣等感と言うのすら生ぬるいくらいの、醜い感情だった。おめでとう、と言った口元は、笑えているだろうか。



「大阪行くの初めて、楽しみ」



 私の心の内には気が付いていない様子で、凛ははしゃぐ。気づかなくていい、気づかないでいてほしい。



「ね、だいやも来てくれるでしょ」



「うん、行くよ」



 大きなステージに立つ凛を、客席から見る自分を想像して虚しくなる。広い会場で他のファンに埋もれている私を、凛は見つけてくれない。そんな映像が、頭の中にぼんやりと浮かぶ。ただのファンとして、キラキラ輝く彼女を見上げるのは、幸せなはずなのに。


 このままではいけない。先に進んでいく凛を妬んで、いつか足手まといになってしまう。凛の支えになりたくて側にいるはずなのに、今私の足元はぐらついて、しっかりと立っている凛にしがみついている。


 彼女の道を、邪魔したくない。でもそのためには、自分の存在意義を凛にばかり頼らずに、1人で立つ必要があった。そんなこと、できるだろうか。この3年半、私の人生の中心は凛だった。



「一緒に行こうね、大阪。だいやが見てくれなきゃやだから」



 凛は私の手を握って、まっすぐ目を見つめる。きらきらしている瞳が眩しい。こんなに輝いている推しに、妬んでいる自分が余計に醜く思える。



「うん、絶対に行くから」



 私がそう言うと、凛は嬉しそうに笑う。沢山のファンがいるのに、私の言葉でそんな笑顔を浮かべる彼女に罪悪感がうずいた。


 ライブは2月とまだ先なのに、凛は大阪に行ったら行きたい場所をいくつも調べていて、ライブじゃなくて観光にでも行くかのようだった。凛がここどう?と向けてくる画面に、楽しそう、と返す。


 舌がもつれてしまって、楽しみ、とは言えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る