第37話

 結局、ライブの日までに内定はもらえなかった。心のどこかでなんとかなると思っていた楽観的な自分がひどく落ち込んでいる。正直今日はもう動きたくなかったけれど、リハがあるからと朝早くに家を出た凛から絶対来てねと念を押されたので、行かなくては。


 別に本当に行きたくないわけじゃない。ただ、毎日毎日自分をすり減らしていて、疲れ切ってしまっているだけだ。そろそろ準備しないと間に合わない、という時間にようやくベッドから体を起こして、のろのろと服を着替える。


 凛から渡されたライブTシャツに黒のスカートを合わせる。ライブなんて行ったことがないから、どんな恰好をすればいいのかわからない。変じゃないだろうか、浮かないだろうか、と鏡の前で何度も確認しているうちに家を出る時間になって慌てて靴を履いた。


 慣れない道に迷いながら辿り着いた会場のライブハウスの前には、すでにたくさんの人がいた。世代も性別もばらばらだ。ここにいる人がみんなReLiのファンなのだと思うとそわそわする。グッズの缶バッジで痛バッグを作っている子や、音楽通っぽい男の人、親子連れらしき2人組。普段は交わることのなさそうな人たちが、ReLiを見るために集まっている。


 ずっと重たかった気持ちが少し軽くなるのを感じながら入場する。凛からもらったチケットで通されたのは2階席だった。こういう場所に慣れていないから、1階席だったらどうしようと思っていた。2階の通路から下を見下ろすと、人々がまだ何もないステージをキラキラした瞳で見つめている。


 指定された席に向かっていると、見覚えのある姿を見つけた。彼はこちらに気が付くと、軽くて手を上げる。ちょうど彼の隣の席があてがわれていた。



「高橋くん、久しぶり」



「久しぶり、元気だった?」



 高橋くんの質問にちょっと肩をすくめて首をかしげる。彼は何かを察したように苦笑いを浮かべた。


 高橋くんはライブ慣れしていそうなのに、ライブTシャツと手に持ったペンライトがどうにも似合わなかった。着させられて、持たされている、という感じがありありと出ていて、思わず笑ってしまう。



「……凛は、元気?」



 ペンライトをもてあそびながらそう聞かれる。私は少しだけ悩んでから頷いた。



「今、だいやちゃんが凛の面倒みてくれてるんでしょ。ありがとうな」



「いや、私が好きで一緒にいるだけだから……」



 そう言ってから、なんだかすごく恥ずかしい発言をしてしまったことに気が付いて、顔が赤くなる。けれど高橋くんは茶化すこともなく、安心したように笑った。



「あいつなら1人でも平気だって思ってたけどさ、平気じゃなかったんだよな。突き放すだけ突き放して、申し訳なかったと思ってる」



 高橋くんは1人ごとのようにそうつぶやいて、ぼんやりとステージの方を見ている。彼の気持ちもわかるから、否定も肯定もしなかった。



「……そういえば、笠井さんは?」



「1階にいるよ、スタンディングではしゃぎたいからって」



 笠井さんらしい、と笑う。もしかしたら見えるかも、と1階席を覗き込んだが、人が多すぎて見つけられなかった。


 ひとまずは、あんなことがあっても凛の晴れ舞台を2人が見に来てくれたことにホッとした。



「それで、だいやちゃんは何悩んでんの?」



 人が増えてざわつきが大きくなった中で、高橋くんの鋭い言葉はまっすぐ耳に届いた。凛にも高橋くんにも悩んでいることがすぐばれるなんて、よっぽどわかりやすい顔をしてしまっていたのだろうか。



「悩んでるっていうか、就活がね、うまくいってなくて」



 相談できる友人もいなかった私は、素直に悩みを吐露した。今日は何も考えずに楽しもうと思っていたのに、また気分が落ち込む。いや、彼に気付かれてしまう時点でちゃんと切り替えられていないのかもしれないけれど。



「ああー、就活かあ。しんどいよなあ」



「高橋くん、内定決まった?」



「まあ、一応」



 高橋くんくら要領のいい人が内定をもらっていないわけがないとは思っていたけれど、実際自分の近くにいる人が私より先に進んでいると落ち込む。押し隠していた焦りが顔を出して、頭の中を埋めて行ってしまう。



「でも、案外普通に決まるから。大丈夫だよ、だいやちゃんなら」



 優しい言葉なのに、その場しのぎの気休めの言葉としか思えなくて、そんな自分が嫌だった。でも、暗い空気にはしたくなくて、ありがとうと返す。


 晴れやかな気持ちでこの日を迎えたかった。どうしてもっと早くから努力しなかったのだろう。ここ最近止まないくらい考えが、ぐるぐると頭を回る。きっとここが雑音だらけのライブ会場じゃなかったら、もっと落ち込んで動けなくなっていたかもしれない。


 すうっと照明が落ちる。さっきまでそこら中から聞こえていた話し声が静かにやんで、全員の視線がステージに注がれた。

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