第36話

 正式に告知が出て、ライブは2か月後の7月に決まった。長く活動をしていながらもそういう表立ったことはしていなかったから、SNSで話題になっている。ライブの情報を投稿したその日にはトレンドにも入っていた。


 私の当面の目標は、ReLiのライブまでになんとか内定をもらうことだった。というか、その頃に内定が一社もないのは正直ちょっと焦る。早い子は3年生から動いているのだ。


 ライブのためとボイトレにも通いだした凛に背中を押されるように、私もとにかく必死になった。働きたい職種も、自分に向いている職業もわかっていないけれど、とりあえずちょっとでも良さそうな会社に履歴書を送る。けれど大概は面接にもたどり着けず、なんとか面接にはこぎつけても、二次には進めなかった。


 よくネットで就活で病む人を見かけるけれど、ようやくその気持ちが理解できた。これはちょっと、メンタルにくる。自分が社会に必要とされていない気がして落ち込む。


 今日もまたお祈りメールが届いて、スマホを放り投げた。何もない部屋でデスクに向かってESやら履歴書を書いていると本当に病みそうだ。机の上に置いた時計をちらりと見る。5時半を回ったところだ。夕飯の準備でもして、気を紛らわそう。


 何にしようかな、と冷蔵庫を覗いていると、その音を聞きつけた凛がキッチンに顔を出す。



「今日の晩御飯、なに?」



「何にしようかなーって考えてるとこ」



 卵と鶏肉が残ってるし、親子丼にでもしようかな。そうつぶやいてまな板の準備をする。視線を感じて隣を見ると、凛がじっと私の方を見つめていた。



「なに? 親子丼いや?」



「そうじゃなくて……なんか、手伝う」



 いつもはソファでテレビを見ながら夕飯を待っている凛の口から、手伝うなんて言葉が出てきてぎょっとする。でも正直彼女に包丁を持たせるのも危なっかしくて嫌なので、ありがたく思いつつも遠慮した。



「手伝うなんて、どうしたの急に」



 私にキッチンを追い出された凛は、カウンターの向こうから私が鶏肉を切るのをのぞいている。



「いや、なんか、だいや疲れてるみたいだったから。……でも、邪魔したみたいでごめんね」



 子供のように凛は口を尖らせる。私はその気遣いが嬉しくて、思わず笑ってしまった。



「大丈夫。むしろごめんね、気使わせて」



「……ライブ、来れる?」



 突拍子もない質問に、うっかり手がすべりそうになった。



「行くよ。なんで?」



「最近忙しそうだから、来れなかったらどうしようと思って」



「行くために頑張ってるのに。絶対行くよ」



 そう言うと、凛はよかった、と笑った。何よりReLiのファンの私がライブに行かないなんて選択肢ないのに、凛がそんなことを思うなんて、そんなに疲れた顔をしていただろうか。



「……そういえば、高橋くんたちは呼ぶの?」



 凛が落ち着いてからも、高橋くんと笠井さんとは連絡を取っていない。凛がどうかは知らないけれど、私の言葉に目を伏せたところを見ると、彼女も何も連絡していないのだろう。



「来て、くれるかなあ。もう顔を見るのも嫌なんじゃない?」



 諦めたような口調の割に、唇を噛みしめている凛に胸が痛む。理由があったとはいえ、彼女にとってつらい態度をとられたのは事実だ。



「来てくれるよ。あのときのことも、凛のことを思ってだし。きっと喜ぶよ」



「……そうかなあ」



 凛はしばらく、ぼんやりと私の手元を見ながら悩んでいた。静かなリビングに、私の包丁の音だけが響く。



「誘ってみようかな」



 鶏肉を火にかけたところで、彼女はひとりごとのようにそうつぶやいた。私はホッとしてため息をつく。あんな別れ方のまま4人が疎遠になってしまったら、それこそ一生後悔しそうだった。



「うん。高橋くんも笠井さんも来てくれるよ」



「来てくれるといいなあ」



「笠井さんなんか、自力でチケット取ろうとしてるかも」



「じゃあ、はやく連絡してあげなきゃ」



 凛の笑い声に安心する。彼女の前であの2人の話をするのはタブーな気がしていたが、思い切って聞いてみてよかった。ますます頑張らなくては。



「凛―、お皿とか出してくれる?」



「はーい」



 軽やかな返事をして、凛は私の背後にある棚を開く。キッチンに入ってくるその足取りが、心なしか軽やかな気がした。

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