第33話

 4年生になって授業がほとんどないのを良いことに、私は凛の家に入り浸った。彼女から離れるのが怖かったのだ。これまでの数カ月と、私の中の罪悪感を誤魔化すために、私は凛の世話を焼いた。


 次の日来たら凛がいなかったらどうしよう、という不安に駆られて、夜も彼女の家にいた。目を覚まさなかったらどうしようと思って夜中に目が覚めた。彼女はベッドの上で私にくっついて眠り、毎晩規則正しい寝息を立てて、朝に目を覚ました。


 凛は、最初は食事もあまり取らず、少し起きてはまた眠る生活をしていた。けれど1か月もしないうちにきちんとご飯を食べるようになったし、やつれていた表情も随分マシになった。


 とても都合のいい妄想だけれど、凛を支えられているような気がした。その一方で、私が作った朝ごはんを食べながらおいしいと笑う凛に、安心感を与えてもらっている。結局、凛に必要とされて喜んでいる浅ましい心があった。


 どんなことがきっかけでも、凛の孤独を少しでも和らげていられるならそれでよかった。彼女の負担を、少しでも軽くしたかった。


 時折ゼミには顔を出しながら、ほとんど凛の家に帰ってくるという日々を送った。親には1度どこにいるのかと聞かれたけれど、友達の家と言うとそれ以上何も聞いてこなかった。こどもに対してあまり興味のない親でよかった。そもそも成人しているし、そこまで心配されることもないけれど。


 5限のゼミが終わり、買い物をして凛の家へ帰る。荷物で両手がふさがっていて鍵を出すのにもたついていると、玄関の扉が開いて凛が顔を出した。



「おかえり、だいや」



 そのまま私の買い物袋を手に取って、リビングへ向かう。おかえり、と言われることに慣れてしまった。



「今日の晩御飯なにー?」



「カレー。多めに作っていくから、明日もそれ食べて」



 じゃがいもやら人参の入った袋をキッチンに転がす。手のひらにビニールの跡がくっきりとついていた。



「明日、帰ってこないの?」



「うん、服とか一旦持って帰る。暑くなってきたし」



 凛の部屋には私の服が溜まっている。時折彼女の服を借りることもあったけれど、毎回は申し訳なくて持ってきていた。けれど持って帰るタイミングをつかめないまま、そろそろ衣替えをする季節になってしまった。



「……もう、ここに住んじゃえばいいのに」



 袋の中に入っていたアイスを見つけていた凛が、それをくわえながらそうつぶやく。私は苦笑いをして、半分住んでいるようなものだけど、という言葉を飲み込んだ。



「ね、だいやは一緒に住むの嫌?」



 ここに通うようになってから、何度か一緒に住む話は持ち掛けられていた。けれど、冗談だと思っていたし、凛自身が弱っているから人恋しいのだと、なんとなく聞き流していた。



「部屋、1つ余ってるしさ、そこだいやの部屋にしたらいいじゃん」



「あそこ、ほぼ物置でしょ」



 凛の家にはリビングと寝室と、その向かいにもう1つ部屋があるが、彼女は持て余しているのか物置状態になっていた。買ったものの気に食わなかったらしいインテリアや、古い機材が置かれている。



「片づけるから! いいでしょ、お願い。一緒に住んでよ」



 凛が私の手を握って、潤んだ瞳でこちらを見上げる。私がその仕草に弱いことを、彼女はわかっている。



「だいやがいないと、私、もう無理だよ」



 私が迷っているのを見て、とどめを刺すようにそう言う。いつもそうだ、彼女の言葉に、負けてばっかりだ。自分の意志は、と思うけれど、凛が望むならそれが私の意志だ。



「……わかった。でも、明日は1回帰るよ。親にも相談しなきゃいけないし」



「うん、わかった、行ってらっしゃい。夜は帰ってくる?」



 私が肯定した瞬間に凛はにこりと笑ってそんなことを言ってのける。悪魔だ。けれどそんな悪魔に魅了された私が悪い。もう彼女のそばを離れられない。



「帰ってきてほしい?」



 やすやすと彼女の口車に乗せられたのが少しだけ悔しくてそう聞く。アイスをかじりながらソファに腰かけた彼女は、こちらを向いて満面の笑みを浮かべた。



「帰ってきてよ。2日目のカレーは人と一緒に食べた方がおいしいでしょ」



「何それ、意味わかんない」



 凛の笑顔にすっかり負けて、私も自分のアイスを持って彼女の隣に腰かける。夕方のどうでもいい情報番組を見ながら、無意識のうちに私にもたれかかっている凛の重みを右半身に感じていた。

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