第25話

 おでんなんて買って来た自分の呑気さに腹が立つ。テーブルの前に座って大根を頬張っている凛の姿を見ながら、何でもないような態度を取られているのが居心地悪かった。


 もしかしたら、私に何か会いたくない事情があったのだろうか。私が知らぬ間に、彼女に何かしてしまっただろうか。何か、嫌な思いをさせていただろうか。


 そんなマイナスな感情がぐるぐると頭をめぐる。勝手に考え込んで、勝手に絶望していた。きっと私はこれから、彼女を傷つけていた事実か何かを知らされるんだ。そして、もう凛とは関われなくなる。


 最悪な事態ばかりが浮かんで、血の気が引いていく。部屋は静かで、気を紛らわせるものすらなかった。気が散るから、とこの部屋には時計すらない。


 ソファの右側が沈む。いつの間にか、凛は私の隣に腰かけていた。


 ただ彼女の言葉を待つ。凛はじっとどこかを見つめて、言うことを悩んでいるようだった。



「……あのね」



 鈴の音のような声にびくりと肩がはねる。心臓がバクバクと音を立てた。凛は私に少し近づいて、内緒話のように顔を耳元に寄せる。



「ドラマの、タイアップ曲の依頼が来て」



 続けられたのは、少しも予想していなかった言葉だった。私がきょとんとしているのとは正反対に、凛は言ってしまった、と後悔しているような表情を浮かべている。



「どうしようか、悩んでたの。そんな大きな仕事やらせてもらって、失敗したらどうしようって……。ファンのみんなに、ReLiっぽくないって思われたらどうしようって」



「そんなの、思うわけないでしょ」



 語尾が段々と小さくなり、遠くを見つめる彼女の顔を私に向ける。今度は、凛が目を丸くする番だった。



「推しが、そんな大きい仕事をもらったら嬉しいに決まってるでしょ。それに、凛なら絶対大丈夫だよ。凛の歌が見つけられて、いろんな人に聞いてもらえるなんて、そんな嬉しいことないよ」



 私が彼女の肩をぎゅっと掴んでそう説得すると、凛の体が小さく震えたのがわかった。きっと、人には言いづらかったのだろう。私も笠井さんも、制作を手伝う仲間である前にReLiのファンだから。


 じゃあ、高橋くんには、と一瞬思い浮かんでやめた。近すぎて、なんとなく言いづらい相手だっているだろう。


 凛がぎゅっと私に抱き着いてくる。変わっていないと思っていたけれど、私にかけられた体重がほんの少し軽くなっている気がした。



「ありがと、だいや」



 それからしばらく無言で私の肩に顔をうずめている凛の背を撫でる。服の下にある骨の感触が、少し力を入れたら折れてしまいそうで怖かった。



 「私、あの仕事受ける」



 凛はパッと顔を上げて、決心したようにそう言う。ここを訪ねたときの、どこか不安を覚える表情は消えていた。



「どうなるかわかんないし、上手くいくかも不安だけど、でも、やってみる」



 そう言って微笑む凛の手を両手で握る。



「凛なら、大丈夫だよ」



 ずっとインターネットで活動していたReLiが、ドラマなんて表舞台に出るのは確かに不安だろう。けれど私はそれ以上に、彼女にそんな大きな仕事がきたのが嬉しかった。


 今まで応援していた期間と、曲の手伝いをさせてもらっている今がふっと頭によぎって、なぜだか涙が出そうになる。



「もー、なんでだいやが泣くの」



「だって、嬉しかったから……」



 涙が出ないように上を向く私を見て凛が笑っている。1週間ぶりに彼女の笑顔が見れて安心したのもあるかもしれない。



「……だいやたちに、絵を描いてもらえないのは残念なんだけどね」



 ぽつりとこぼすように凛が言う。そんなのは当たり前のことでわかっていたはずなのに、寂しさで胸がきゅっとなった。



「今、制作結構詰まってるしさ、ちょっとお休みって感じでちょうどいいと思うよ」



 私はそう言ったけれど、寂しいと思っているのが顔に出てしまっていたのだろう。凛はごめんね、と小さな声でつぶやく。



「凛は本当に気にしなくていいから。仕事に集中して」



「……うん、ありがとう」



 仕事を受けると決めたものの、やっぱり彼女はまだ不安そうだった。きっとその不安は、私では払拭しきれないのだろう。彼女を支えきれない自分の力不足が情けなかった。

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