第21話

 その翌日は泥のように眠り、さらにその次の日は休日だったので眠ったり起きたりを繰り返す。曜日感覚がなくなりかけた月曜日の朝に、高橋くんからグループにメッセージが届いた。


 新曲の動画の構成と、取っ散らかっているスケジュールのすり合わせのために今日の放課後暇だったらいつものカフェに集まってほしいとのことだった。


 高橋くんは、メッセージで済むような内容でも顔を突き合わせて相談するのが好きだ。実際に顔を見て話すのが好きなんだという。動画や曲についてああでもないこうでもないと話し合っている時間は、私も結構好きだ。


 OKと描かれた猫のスタンプだけ送り、もうひと眠りしようと布団を被る。音を消すのを忘れていたらしく、通知音が2つ耳に入った。凛と笠井さんだろう。何かやり取りをしているのかもう2、3回通知音が鳴って、確認しなければと思っているうちに眠りに落ちた。


 ぱっと目を覚ますと、5限の始まる時間だった。今から身支度をして、大学に向かったらちょうどいい頃だろう。先週はほとんど大学に行かなかったから、今週は出ようと思ったのに月曜日からこのざまだ。


 明日から頑張る。そんな都合のいい言葉をつぶやいて、まだ眠いとのたまう体を布団から引きずり下ろす。


 休み休み準備をして、大学の門をくぐるとちょうど5限終わりのチャイムが鳴った。カフェに向かって歩きながら、そういえばメッセージを見ていなかったことを思い出す。ポケットからスマホを取り出して確認すると、凛から放課後に先生のところに行くから少し遅れるかもと送られてきていた。


 じゃあしばらくは高橋くんと笠井さんと3人か。高橋くんにはだいぶ慣れたとはいえ、笠井さんもいるとなるとほんの少し気まずさを感じる。やや気が沈むのを感じながらカフェの扉に手をかけたと同時に、高橋くんからもメッセージが届いた。



『ごめん、先輩につかまってちょっと遅れる』



 え、と思わず口からこぼれたときにはカフェの扉が開いていた。せめて私が1番乗りでありますように。そんな願いも虚しく、いつもの席に座っている笠井さんと目が合った。


 笠井さんは無邪気に、私に向かって手を振る。私も手を軽くあげて、彼女の対面の席に座った。



「私今日4限終わりで、1時間1人でここにいたから暇だったんですよ」



「そっか。ごめんね、待たせちゃって」


 私がそう言うと、笠井さんは首を横に振る。彼女の手元に広げられていたタブレットに映っていたイラストに目を向けると、笠井さんは落書きなのでと恥ずかしそうに肩をすくめた。けれど、隠そうとはしない。



「飲み物、何か追加で買ってこようか。奢るし」



 タブレットの隣に置かれているグラスがほとんど空なのに気が付いて、私はそうたずねる。できるだけ、2人きりの時間を減らしたいだけだったのだけれど、笠井さんが嬉しそうに笑うから、罪悪感で胸がチクリと痛んだ。



「いいんですか? じゃあ、カフェオレをお願いします」



 彼女は甘え上手だと思う。そうやって素直に好意を受け取れるところは羨ましい。荷物をお願いし、財布だけ持ってレジに向かう。笠井さんのカフェオレと、私のアイスティーを持って席に戻ると、彼女は先ほどの落書きの続きに着手していた。


 どこに何を描くべきかわかっているように、彼女のペンは迷いなく動く。軽やかに、踊るように。迷いのない線は綺麗で、私もそんな風に描けたら、と嫉妬心がうずく。


 笠井さんの前にグラスを置くと、彼女はパッと顔を上げて、ありがとうございますと笑った。



「……笠井さんは、いつから絵を描いてるの?」



 アイスティーに刺さったストローをくるくると回しながらそう聞く。笠井さんは首をかしげて考え込んだ。



「覚えてないです。小学生の頃にはもうだいぶ描いてた気がしますけど……ずっと描いてたんで、わからないですね」



 じゃあ、経験の差か。そう言って自分を納得させようとする。年下にこうまで劣等感を抱いている自分は、醜い。



「高校生にあがるちょっと前にデジタルで描くようになって、そのときに作業用BGMで曲流したりするんですけど、気に入った曲をプレイリストに入れてたらReLiの曲ばっかりが入ってるのに気が付いて! それからはReLiの曲ばっかり聞くようになって……。あれ、いつの間にかReLiの話してますね私」



 元気に話す彼女の話の脱線具合に思わず声を出して笑った。自分の話をしていたはずがいつの間にか推しの話になっている経験は私にもあるから、思いがけず共感する。



「大丈夫、聞きたいから続けて」



 笠井さんは本当に大丈夫かどうか一瞬私の方を窺って、それからまた口を開いた。



「それで、ずっと流し聞きしてたんですけど、動画もちゃんと見るようになって、ルピナスさんが描いている曲のイラストが特に好きで」



「お世辞はいいって」



 突然私のイラストの話をされて、思わず苦笑いをする。



「本当ですよ、本当じゃなかったら、私、ReLiの曲の絵描く権利譲ってもらってます」



 今まで見たことのないような真剣な顔をして笠井さんがそんなことを言うから、私は何も言えなくなった。



「ルピナスさんの、和泉先輩のReLiの曲の解釈が好きなんです。私には、あんな絵描けません」



 それは、私が笠井さんの絵に思っていることだった。きゅっと結ばれた口元と、言い知れぬ感情を浮かべた目を見てしまっては、それを嘘だとは言えなかった。



「……私も、笠井さんの絵が羨ましいよ。私は描くの遅いし、笠井さんみたいに綺麗に描けないし、笠井さんみたいな色選びもできない」



 素直にそう言うと、笠井さんは目を丸くする。否定も肯定もせず、ちょっと眉を下げて笑う。



「それじゃあ私達、お互いにないものねだりですね」



 思ってもいないような言葉が返ってきて今度は私が目を丸くする番だった。一方的に羨ましく思って、勝手に劣等感を抱いていた相手と、お互いにないものねだりをしているとは。


 丸くした目を見合わせて、私たちは笑った。ようやく、彼女と一緒にやっていけるような気がした。

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