第20話

 それで?と言いたかった。笠井さんが描いたイラストでも見せられるのだろうか。けれど凛が差し出したのはイヤホンだった。



「聞いて」



 まだReLiの曲を真っ先に聞ける特権を与えてくれるなんてありがたい。そう思いながら、差し出されたイヤホンを素直に手に取る。


 耳に入れて、彼女の方に視線を向けると、曲が流れ込んできた。アップテンポなイントロ、いつもより低いReLiの声、サビに入ると、頭の中に彼女の曲のイメージが絵になって浮き上がった。


 違う、私はもう描かない。技術的にも、もう描けなくなっているだろう。それなのに、彼女の曲を見える形にしたくてしょうがなかった。


 曲を聴き終え、凛にイヤホンを返す。



「どう?」



 得意げな顔をして、凛がそう聞いてくる。



「いい曲。今回も最高」



「描いてくれるでしょ?」



 凛の言葉に、私は何も返せなかった。頬杖をついてこちらを見つめる凛の顔を、ただ茫然と見つめ返すことしかできない。



「……もう、描けないよ」



 かろうじて絞り出したのはそんな言葉だった。凛は悲しむでもなく、怒るでもなく、ただ真剣な目で私を見つめている。視線が痛くて、思わず目を逸らした。



「だいやが描いてくれなきゃ嫌」



 凛の言葉が、大好きなReLiの声が、まっすぐに胸を刺す。そう言われてしまっては断れないのを、彼女は知っている。



「……ずるい」



 そうつぶやくと、視界の端で彼女が笑ったのが見えた。赤いリップが満足げに歪んでいる。黒い爪が、私の頬へとのびてきた。



「描いてくれる?」



 否定の言葉は許されない。そう思った。彼女の頼みを、私が断れるはずがない。死んでも描かなければならない。彼女の指先が、そっと私の頬を撫でる。それでいい、と言うように。


 家に帰って、数カ月立ち上げていなかったタブレットを開いた。充電がなかったからコードを刺したまま、いつものアプリを開こうとする。けれどアップデートを待たなければならず、じれったい思いをした。


 ようやく開いたアプリはアップデートの影響もあってか使い方がおぼろげで、ペンの設定もうまくいかないまま、ただがむしゃらにペンを走らせる。


 凛が曲のデータを送ってくれていたけれど、最初に聞いたイメージのまま描きたかった。心に浮かんだそれを薄れさせたくなくて、寝る間も惜しんで絵を描いた。


 大学に行く元気はなかった。限界ギリギリでベッドに倒れ込むまで絵を描いて、起きたらまた描く。そんな生活を3日ほどして、ようやく絵が完成した。


 直接彼女に見せるのは怖くて、データをメッセージに送る。時計を確認しておらず、朝の4時に送ったのにすぐに既読が付いた。



『最高』



 返ってきたのはその一言だけだった。けれどそれだけでほっとして、途端に寝不足の頭がガンガンと痛む。ここまではアドレナリンが出っぱなしで、ずっと興奮状態だったのだろう。ベッドに寝転がり、右手をかざすと指先が震えていた。


 まだ、描ける。目を瞑りながらそう思う。まだ私は、ReLiの絵を表現できる。


 技術は未熟かもしれない。笠井さんにも劣っているし、ReLiの曲の絵を描きたがっている私よりも絵が上手い人はもっとたくさんいるだろう。


 今さっき完成した絵だって、線は荒かったし色選びもセンスがない。


 でも、納得できるものだった。これがReLiの曲を表現したものだと、私の中の、彼女の曲の解釈だと、胸を張って言える絵だった。


 凛がチャンスをくれるならこれからも描き続けたい。一度は捨てた立場に縋るなんてみっともないけれど、どんどん先を進んでいく凛の背中にもう劣等感を抱きたくない。彼女と、並びたい。


 朝日が昇ってカーテンの隙間からは光が差し込んでいる。疲れ切った私は、スイッチが切れたように眠りに落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る