第15話

「絵が、描けない?」



 翌日、授業で顔を合わせた凛に絵が描けなくなってしまったことを告げると、彼女はきょとんとした顔で私の言葉を繰り返した。


 昨日は一晩中、なんとか描こうとタブレットにかじりついた。けれどいくら待てども、ペンをやみくもに動かせど、納得のいく絵は描けない。ぐちゃぐちゃの絵らしき何かが出来上がるだけで、何度も削除を繰り返しているうちに朝が来た。


 今日はもうサボってしまおうと思い、徹夜明けの重たい頭を持ち上げてベッドに入ったのに眠ることができず、そのまま大学に向かった。


 このまま描けなかったらどうしようかと不安で、凛に相談したかったのだ。けれど凛はこてんと首をかしげるだけで、何も言ってはくれない。インナーカラーが緑色に変わった髪が揺れる。


 もしかして、もう私のイラストは必要ないのだろうか。あんなコメントもあったことだし、もう私の絵はいいやと捨てられてしまうのだろうか。そう思うと体中の血が下に落ちたような感覚がして、ぐらりと視界が揺れた。



「まあ、新曲はしばらくあげないし。私も曲書いてたらそういう時期あるし、そのうち描けるようになるよ」



 凛は軽くそう声をかけて、私の背中を安心させるように撫でた。彼女の手は相変わらずあたたかい。昨日の夜から固まっていたらしい体が、ゆっくりとほどける。揺れていた視界が、いつの間にかはっきりしたものに変わっていた。



「……でも、カバーのイラストどうしようかな」



 凛がそうつぶやいて、私の背を撫でていた手が止まった。


 ReLiは少し前から、ファンの要望に応えてカバー曲をあげるようになっていた。イラストも私が担当していて、オリジナル曲のときよりも簡素なものとはいえ、動画を投稿する頻度が上がった分、やはり大変ではあった。


 けれど、新しい挑戦をする彼女の手助けになれて嬉しかったのだ。今までは、イラストを描いてくれる人を探すのが億劫でカバー動画を作る気にはなれなかったらしい。


 けれど今の私には、動画に使えるようなイラストなんて描けない。この状態がいつまで続くのかわからないけれど、カバー動画用のイラストの締め切りは1週間後だった。



「でも別に他の人探すし、だいやは気にしなくていいから」



 凛の気遣いの言葉が、これほど残酷に思えたことはない。嫌だと言いたかったけれど、彼女の役に立てない状態の自分が、そんなことを言えなかった。


 凛の動画の絵は私が描きたい。けれど、描けない。描けない私は、いらないかもしれない。そんな考えが頭の中をぐるぐると回る。指先が冷えて、爪がまっしろだった。


 それに気づいたのか、それともただ暗い顔色の私を気にしてか、凛は私の手を握る。冷え切って、感覚がない。手袋の外側から触れられているようだった。



「だいやが待っててほしいなら、いくらでも待つよ。私はずっとだいやにイラストを描いていてほしいけど、でも、だいやの負担にはなりたくないから」



 負担になりたくないなんて、こちらのセリフだ。いつ描けるようになるかもわからない私のイラストを待ってReLiの動画が上がらないなんて、彼女のファンにも申し訳ない。



「ううん、いいの。カバー曲のイラストは誰かほかの人探して。ごめんね、迷惑かけて。次の曲までには、描けるようにするから」



 強がって、笑顔を浮かべる。笑えているだろうか、笑えていないんだろうな。それは、彼女の不安そうな瞳を見ればすぐにわかった。


 私のことなんて気にしなくていいのにという気持ちと、彼女がそんなに気にしてくれて嬉しいという感情が沸く。それと同時に、そんなことを考える自分が醜いと思った。


 凛は私の手を両手でぎゅっと包んでいる。彼女は指が長いけれど、私の手の方が大きいから指先がはみ出ていた。白い指の隙間から、持ち方が変なせいでペンだこのある私の手が見える。なぜだかそれがどうしようもなく苦しかった。



「ねえだいや」



 凛が俯いている私の顔を覗き込んだ。真っ黒い目に私が映っている。



「今日の放課後って暇?」



 なんだか、デジャヴだなと思った。ちょうど1年くらい前にも、そんなことを聞かれた気がする。その頃から、私の人生が変わったのだ。もうそんなに時が経ったのかと、一瞬感慨にふける。


 私が曖昧に頷くと、彼女は赤いリップの塗られた唇をにっと持ち上げる。目じりが下がって、目を細めた猫のような顔になった。



「私の家おいで。お泊り会しよ」

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