第12話

 放課後、凛に手を引かれて連れてこられたのは、学内のカフェだった。私たちの学部がある場所とは離れているから、こんな施設があることすら知らなかった。


 この周辺は、芸術学部の研究室が多くあったような気がする。普段は無縁なこの場所に、私は恐る恐る足を踏み入れた。


 凛も私と同じ学部で、授業でこの辺りに来ることはほとんどないはずなのに、すいすいと店の中を歩いていく。普段学部で浮いている凛の格好は周りに馴染んでいて、むしろ私の方が浮いていた。


 ふと、凛はどうして芸術学部に入らなかったのだろうと疑問が浮かんだ。私と凛は経済学部だ。私は高校のときの先生に勧められて何となく入ったけれど、彼女は音楽の道に進む手だってあっただろう。


 どうしてと聞こうかどうか悩んでいるうちに、凛があるテーブルの前で立ち止まった。そこには、1人の男子学生が座っている。テーブルの上でノートパソコンを開き、耳にはワイヤレスイヤホンをつけていて、私たちに気が付いていないようだった。凛が彼の座るテーブルを軽く蹴る。


 青年がハッと顔を上げた。明るく染められた短髪と、両耳につけられたシルバーのピアスが特徴的だった。



「ああ、ごめん気づかなかった」



 爽やかな笑顔を浮かべた彼は、私たちに目の前に座るよう促す。凛が黙って席に着き、私も後に続いた。その間に彼はイヤホンを外して、ノートパソコンをたたむ。



「はじめまして、高橋蒼介です。凛の曲の動画を作ってます。君が、凛の言ってたイラスト描いてくれる子?」



 スムーズに自己紹介をされて、私は慌てて頭を下げた。



「は、はじめまして。和泉、だいやです。今回の曲のイラストを、描かせてもらいました」



 私たちの自己紹介を見ていた凛が、高橋さんに画面を差し出した。昼休みの間に送ったイラストだ。



「これ、いいでしょ」



「ああ、いいね。曲のイメージにも合ってるじゃん」



 そうか、この人もすでに彼女の新曲を聞いているのだ。当たり前のことなのに、一瞬もやついた自分を恥じる。



「これで動画作るの楽しみ」



 そう言って微笑まれたけれど、彼のフレンドリーさに対して、私は一歩線を引きたくなった。なぜかはわからない、けれど、上手く笑えない。



「……高橋さんって、本名で活動してるんですね」



 彼女の曲の説明欄にいつもある『動画:Sousuke』の表記を思い出していた。



「うん、そう。凛とは幼なじみだし、こいつの活動手伝うってなって、なんかハンドルネームつけるのも恥ずかしいなって」



「なにそれ、私が恥ずかしい人間だって言ってんの?」



「言ってない。凛は歌ってんだから別に普通だろ。ただの動画担当だしって思っただけ」



 会話の端々に2人の歴史が垣間見えて、自分が蚊帳の外に置かれた気持ちになる。ReLiの曲の概要欄には、常に『Sousuke』の名前があった。まさか、彼女のリアルの知り合いで、幼なじみだったとは。



「ね、同い年だし別に敬語使わなくていいし、さん付けもしなくていいから」



 高橋くんの言葉に頷く。2人の世界に突然入れられてなんだか気まずい。別学部の子ばかりがいるカフェなのもあって肩身も狭い。はやく帰りたい。



「高橋くんは、どうして凛の動画を?」



 また2人の会話に戻られるのが嫌で、ふと浮かんだ疑問をそのまま口に出す。高橋くんはもう3年前のことだからなあ、と頭をかいた。3年も前からずっと彼女の製作に携わっていて、それより前から凛の知り合いだったのか、羨ましい。



「なんか、凛がネットで曲を出したいって言いだして、でも編集とかわかんないから俺にやれって言いだしたんだよ。でも俺も動画編集とか興味あったし、なんとなくやってみて、それがずっと続いてるって感じ」



 まるで面倒ごとにでも巻き込まれたような言い草だったが、その言葉の端々には隠し切れない誇らしさのようなものが滲んでいた。凛ほどの人材が、自分を頼ってきたら誇らしくもなる。その感覚は、私も知っている。


 それきり、私は黙り込んでしまった。動画を担当している人にも、会ったら聞いてみたいことがたくさんあったはずなのに。その人が同い年で、凛の幼なじみの男だと知って、なぜだか気持ちがしぼんでしまった。名前の分からない感情が、もやもやと私の心に渦巻いている。



「だいや、疲れてる?」



 そう言って、凛が私の顔を覗き込む。隈は朝より入念に隠したけれど、きっと顔色は今の方が悪い。



「そう、かも。イラスト完成させようと思って徹夜だったし」



 私はこの場から立ち去りたい一心でそう話す。原因が違うと自分でわかっていたけれど、それを口にはできなかった。



「そうだよね、ごめん。早くだいやのイラスト見てもらいたかったの、ごめんね。帰ろ」



 凛は私の手を握ると、そのまま立ち上がった。てっきり高橋くんと残るのだと思っていた私は純粋に驚く。



「ごめんね、だいやちゃん。動画、頑張って作るから」



 高橋くんはそう言って私達に笑顔を向ける。私の心にほんの少し罪悪感が募った。凛がずっと動画をお願いしているくらいだから良い人なんだろうに、もっと友好的に接したかった。


 私と凛はカフェを出る。外はいつの間にか暗くなっていた。

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