第9話
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出た。凛は変わらず私のスマホをすいすいと操作している。
「だってこれ、私の曲イメージして描いたんでしょ?」
そう言って、凛はスマホの画面を私に見せる。ワンルームの部屋のベランダから星空が見える風景画。それは、彼女の最初の曲をイメージして描いたものだった。私がReLiのファンになるきっかけの曲のファンアートは、もう何度も描いている。
「そう、だけど。でも、それがなんで私が動画の絵を描くって話になるの」
凛は口元に笑みを浮かべながら、愛おしそうにスマホの画面を見つめている。その表情は、私が彼女の曲の感想を述べているときのものと重なった。
「綺麗な絵。これデジタル?」
凛は私の質問に答えてくれない。黙って頷くと、またスマホに視線を落とす。
彼女に絵を褒めてもらえたことは嬉しい。けれど、独学だし全然上手くもないその絵が彼女の曲に使われることを考えると、恐ろしさが勝った。
「こういう絵好きだよ。私の曲のイメージにも合うと思う。だいやに描いてほしいんだけどな」
私は首を横に振る。凛は満足したのか、スマホを私の方へ返した。それから今度は自分のスマホを手に取って何かを打ち込む。私は彼女が、自分のアカウントで私のアカウントを調べているのだとすぐにわかった。スマホに彼女からのフォロー通知が映ったから。
フォロー数の少ないReLiのアカウントのフォロー欄に自分がいる。優越感と同時に、他のファンから気づかれたらどうしようと不安になった。どうか、彼女の誤フォローだと思っていてほしい。
「この間聞いてもらった曲さ、イラスト頼んでた人がアカウント消しちゃって困ってるんだ。また新しい人探さなきゃだし、探すのも結構大変だし」
凛はテーブルに肘をついて、ぐいとこちらに顔を寄せる。黒くて丸い瞳が、長いまつ毛の隙間からこちらを見上げている。離れたいのに、目を離せなかった。
「せっかくだからだいやに描いてほしいな。私の曲が好きな人に」
彼女は、私がその声に弱いのを知っている。食堂はまだ人が多くてざわついているはずなのに、私の耳には凛の声しか入ってこなかった。
「ねえ、ダメ?」
こてんと小首をかしげて、瞳をうるうるさせている。本当に困っているんです、と言いたげな顔に、私はダメと言えなくなってしまった。それでもまだ頷けないでいると、凛は私の手に細い指を重ねる。
「だいや、お願い」
推しに名前を呼んでもらう、それだけでコンテンツになりうる行為を何度もやられて、私の頭はすっかりおかしくなっていた。パンクしそうな心臓を落ち着けるために、彼女の手を剥がしてそっと離れる。凛は悲し気な表情をするでもなく、勝ちを確信したような笑みを浮かべている。そうです、私はあなたに負けました。
「わかった、わかったから離れて……」
「ほんと? だいや、ありがとう!」
凛はパッと笑顔を浮かべて、さっき剥がしたばかりの私の手を今度は両手で強く握った。目に痛いくらい白い手は、子供のように体温が高い。あーあ、とため息をつきたくなった。
「じゃあ、後で音源送るね。あ、ちゃんとイラスト代は払うから! 相場未だにわかんないんだけど……どれくらい?」
「私自分のイラストでお金もらったことないから、私もわかんないよ。ていうか、ReLiにイラスト使ってもらうのに、お金とかいらないけど……」
「ダメだよ、そういうのはちゃんとしないと。それに、だいやにはこれからずっとイラスト描いてもらわなきゃだし」
ずっと、と聞こえた気がする。気のせいだろうか。私が、彼女の動画のイラストをずっと描くということ?そんなまさか。
冗談だよね、というような視線を送ると、彼女はそれがわかったのかわかっていないのか、ただにっこりと微笑む。
「継続的に曲のイラスト描いてくれる人探してたんだよね。動画は同じ人に頼んでるけど、イラストは中々ずっと、とはいかなくて」
確かにReLiの曲は、いつも違う人がイラストを描いている。それが彼女のスタンスなのだと思っていた。曲に合わせて、頼む人を変えているのだと。
「だいやの絵はきっと私の曲にぴったりだし、イメージとか事細かに送らなくても伝わりそうだし!」
凛は、私のことを過大評価しすぎている。そもそも技術が足りないし、彼女とはフォロワーの数が2桁ほど違う。そんな私のイラストが、彼女の動画の絵をずっと担当し続けていいはずがない。
「今回のは描くけど、それ以降は考えさせて。だって、私そんなに上手じゃないし、他のファンから評判悪かったらあれだし」
「私のイメージに合ってるんだから、他のファンとかどうでもいいんだけどなあ」
私は首をぶんぶんと横に振る。私のイラストのせいで彼女の曲を聴く人が減ったら、私はどうすればいいかわからない。
「ふうん。まあいいや、とりあえず今回のイラストはよろしくね。いつ頃できそうかわかったらまた教えて?」
そう言って笑う彼女を見ながら、とんでもないことになってしまったと冷や汗が背中を伝う。午後の授業は、何一つ手につかなかった。
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