第8話

 その翌日、凛は大学に来なかったが、次の日からは先週見かけなかった講義にも彼女の姿を見つけた。私が声をかけて隣に座ると、嬉しそうな笑顔を浮かべる。


 凛はどの授業も気だるげに、机に上半身をくっつけながら聞いていた。時折、私が書いているノートの端っこに落書きを残す。私が消せないのを分かっていて、反応を見ながら遊んでいた。


 2限の授業の後、私たちはそのまま食堂へ向かった。霞でも食べて生きているのかと思うくらい細い凛は、定食の食券を買っている。食べ盛りの学生向けに量が多くされているそれを、彼女はぺろりと平らげた。



「その体のどこにその量が入ってるの?」



「えー、入るよ、普通に」



 入った分のカロリーがどこに行っているのか聞きたかったけれど、何もしていないと返ってくるのが怖くてやめた。きっと作詞作曲にはカロリーが要るのだ。そう思うことにしよう。



「ねえ、そういえばだいやさ」



 食後にいじっていたスマホから顔を上げて、凛は突然切り出した。



「SNSのアカウント教えてよ」



「やだ」



 頭で考える前に答えていた。SNSのアカウントを複数持っている人もいるだろうが、私は1つしかない。しかもそれは、ReLiの曲への感想を投稿しているアカウントだ。推し本人に見せられるわけがない。匿名の状態でReLiに見られるのはいいのだけれど、自分だとバレるのは嫌だ。


 それからもう1つ教えられない理由はあったのだけれど、その理由すら、彼女に伝えたくない。



「なんで! いいじゃん」



 凛は拗ねたように頬を膨らませている。推しの頼み事は聞いてあげたいところだけれど、こればっかりは無理だった。



「連絡先はこの前交換したし、SNSは知らなくてもいいでしょ」



「だって、私だけ知られてるのずるくない?」



 それはReLiがアーティストだからで、ただのオタクアカウントしかない私とは話が違う。頑なに首を縦に振らない私に、凛はむすっとした表情を向ける。



「別にいいじゃん、私の曲が好きっていっぱいつぶやいてるだけでしょ」



「それがわかってるなら知らなくてもいいでしょ」



 凛はテーブルの下でじたじたと足をばたつかせている。そんなに駄々をこねても、教えられない。いくらそんな顔で推しに頼まれても。



「ねえー、お願い。好きな人がこんなにお願いしてるんだからいいじゃんか」



「好きな人だから教えられないの! わかって」



 口を尖らせる凛に、なんだか徐々に罪悪感が押し寄せる。けれど自分のツイートの数々を思い出すとやっぱり彼女にアカウントを知られるのは無理だった。



「……わかった」



 凛はそう言うと、席を立った。私は一瞬怒らせてしまったかと動揺したが、彼女はそのまま私の隣の席に腰かける。何をしているのかと凛を見つめていたら、彼女はテーブルに置いていた私のスマホを手に取り、見事な手際で顔認証を突破してスマホを開いた。


 突拍子もない行動のせいで反応が遅れた。私がスマホを取り返そうと手を伸ばしたときには、彼女はもう目の前の席に戻っていた。



「大丈夫だよ、SNSのアカウントしか見ないから」



 それが1番困るのだ。凛はあっさりと私のSNSアプリを開いて、画面をじっと見ている。羞恥心で死にそうだった。これが友人だったら怒っているところなのだけれど、相手が相手だけに怒れない。



「ねえ、アイコン、だいやが描いたの?」



 私は咄嗟に否定したい気持ちに駆られる。けれど無駄だ、メディア欄には自分で描いたと表記して投稿したイラストがある。これが、凛にアカウントを知られたくないもう1つの理由だった。



「うん……そうだよ、もうご自由に見て……」



 私は脱力してテーブルに突っ伏した。凛のことだから、馬鹿にしたりからかったりすることはないだろうけれど、ただ単純に恥ずかしい。おまけにそのイラストは、ReLiの曲をイメージして描いたものなのだ。


 せめて何か言ってくれればいいのに、凛はじっと画面を見つめている。それから、今度は突拍子もないことを言いだした。



「ねえ、私の動画の絵、描かない?」

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