第6話

 4限の授業終わりを待って、凛と私は彼女のマンションへと向かった。大学から徒歩10分の場所にあるそれは、小綺麗でオートロックなんかもついている。凛の部屋がある6階まで、エレベーターの昇る時間がやけにゆっくりと感じた。


 ここ、と指さしたドアに彼女が鍵を差し込んでがちゃりと回す。凛が玄関に足を踏み入れると、センサーライトがパッとついた。



「お邪魔します……」



 彼女の後ろを恐る恐るついていき、靴を揃えて部屋に上がる。凛の部屋は1LDKで、大学生の1人暮らしにしては広い部屋だった。廊下を通り抜けて、リビングに入る。ほとんど家具の置かれていない部屋が目に入った。


 ベランダに続く窓を黒いカーテンが覆っている。右側の壁に向けて白いデスクが置かれていて、モニターが2枚つながったパソコンが置かれている。その隣には背の高い本棚が置いてあって、家具と呼べるものはそれだけだった。


 電気がついているのに、カーテンのせいかなぜか暗く感じる。家具がほとんどないせいで部屋の中はなんだか寒々しい。あまり生活感のない部屋だった。


 けれど、私にははっきりと見える。この薄暗い部屋で、パソコンにかじりついて曲を作っている凛の姿が。


 凛は立ち尽くす私を置いて、パソコンの電源を入れた。近寄ったら画面を盗み見ることになってしまいそうで、私は入口から動けなくなる。慣れたようにキーボードをタイプする彼女の指先を眺めていると、凛はこちらに振り返ってちょいちょいと手招きをした。


 何も敷かれていないフローリングを踏んで彼女の隣に立つと、凛は私の耳にひょいとヘッドフォンを被せた。周りの音が聞こえなくなって、怖いくらいの静寂が訪れる。


 凛は何かを言おうとして、けれど私がヘッドフォンをしているから聞こえないと思ったのか、口を私の耳元へ近づけた。



「新曲、ちゃんと感想聞かせてね」



 そう言って微笑むと、またパソコンを操作して、つけられたヘッドフォンからイントロが流れ出す。本当に、聞いたことのない曲だ。


 凛は立ったままの私を椅子に座らせて、他に椅子がないために自分は冷たい床に座った。申し訳ないと椅子を譲ろうとしたのだが、黙って聞けと言わんばかりに制止される。椅子に座った私を凛が床から見上げていた。緊張で、新曲どころではない。


 けれど、イントロが終わってReLiの声が聞こえると、私の意識はあっという間に持って行かれた。聞いたことのない歌詞、知らないメロディー。けれど、確かにReLiの歌だ。私は本当に、彼女の新曲を公開される前に聞いている。


 緊張と興奮とで涙がでそうだった。いつもReLiの曲を初めて聞く時は正気でなんて聞けないけれど、今日は輪をかけて正気じゃない。気が付けばサビも終わって、2番のBメロに入っていた。


 曲が終わり、ヘッドフォンの中にはまた静寂が訪れる。ちらりと画面を見ると、4分弱の曲だったのがわかった。なんだかもっと長く感じていた。私が聞いている間中ずっとこちらを見上げていた凛が、聞き終えたのを察してヘッドフォンを外す。



「どうだった?」



 立ち上がった彼女が、キラキラした目で私を見下ろしている。



「あ、あの、あのね」



 そんな表情をしてくれた彼女には申し訳ない言葉を、私は喉からひねり出した。



「全然集中して聞けなかったからもう1回聞いてもいい……?」



 凛は私の言葉を聞くと、大きな笑い声をあげた。彼女の歌声からは想像できない、けれどReLiの活動からくる肺活量に見合った声量だった。



「いいよ、何回でも聞いて」



 凛はまたヘッドフォンを私の頭に戻し、もう1度曲をかけてくれる。やっぱり高ぶってしょうがなかったけれど、最初から最後まで、きちんと曲の流れを追うことができた。今度は自分からヘッドフォンを外して、彼女の方へ視線を落とす。



「どうだった?」



 凛はフローリングの上で三角座りをして、私の言葉を待っている。私は逸る心臓を押さえるように深呼吸をしたけれど、これっぽっちも落ち着きやしなかった。



「えっとね、サビの入りが特に好きだなって思った。サビに入る前に、一旦落ち着く感じが、好きだなって。それから言葉選びもすごく好きで……あ、もちろんReLiの声も好き」



「だいや、好きしか言ってない」



 凛は嬉しそうに、けれどほんの少し照れているのを感じさせる笑顔でそう言った。



「ご、ごめん。発表される前の新曲聞けるとか、それだけでいっぱいいっぱいで……本当に好きだなって、それしか言えない。いや、いつもそうなんだけど」



 SNSに彼女の曲の感想をつぶやく時も、大した語彙力を持ち合わせていないため、陳腐な言葉しか出てこない。他のファンがReLiの曲の考察や、知識があるのだと感じられる言葉で褒めているのを見ると、この程度しか表現できない自分が嫌になる。


 けれど凛は私の小学生程度の誉め言葉を、大事そうに受け止めてくれていた。

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