第5話

 それから1週間、凛を学校で見かけることはなかった。たまたま授業が被っていないだけなのかとも思ったが、学科の必修にも彼女はいない。凛とは出席番号が近いはずだから、分かれている必修も同じ時間のはずだ。


 体調でも崩しているのだろうか。何かの手掛かりにならないかとReLiのSNSを覗いてみたけれど、元々更新頻度の少ない彼女のSNSは2週間前から動いていない。いいね欄にすら何もなかった。


 もしかしたら避けられているのだろうか。こんな身近に熱狂的なファンがいるのは、彼女の立場からしたら恐ろしいだろう。でも、自分の正体を明かしたのは凛の方だ。


 そういってもやもやと考えているうちに、彼女のことを知ったときの授業の時間が来た。前に座ったあたりの席にいても、やはり凛はいない。何もなければいいなと思いながら授業の始まりを待っていると、後ろの階段から駆け下りてくる音が聞こえた。


 ギリギリに着いて焦っているんだろうなとぼんやり思っていたのも束の間、黒いトートバッグが私の隣の席にどさりと置かれた。



「おはよ、だいや」



 駆け込んできたのは凛だった。薄い肩を上下させて、ぜえぜえと息をしている。前髪が汗でおでこに張り付いていた。どうしたの、と言う前に先生が前方の扉から入ってきて、開きかけた口を噤んだ。



「歩いてたら先生見えたの。先生がきたあとに教室入るの気まずいじゃん。だから走っちゃった」



 凛は私に肩を寄せて、ひそひそと小さな声で話しかける。私はその状況にどぎまぎして、凛の話す内容が頭に入ってこなかった。まだ荒い彼女の呼吸が耳元で聞こえる。



「ていうか、この1週間見かけなかったけどどうしたの」



 彼女が体をこちらに寄せたままだったので、先生にバレないようにそう聞いた。凛は軽く肩をすくめる。走ったせいで体温の高い腕があたる。



「曲作ってたの。さすがに1週間丸々来ないでおこうって思ったわけじゃないんだけどさ。なんか、気づいたら経ってたよね」


 ReLiの曲。思わず前のめりにどんなものか聞きたいのをぐっとこらえた。彼女から発表されない限りは、聞かないのがファンの礼儀かと考えた。それに、ReLiの曲のファンはたくさんいる。そんな情報を私だけが知るのさえ、なんだか後ろめたい。


 ReLiの曲はいつも急に公開される。曲を作っている、とも、何日に公開する、とも言わず、彼女はSNSに突然動画サイトのURLを載せる。心の準備をさせてくれ!と何度部屋の中で叫んだことだろう。


 私が何も言わないことに違和感でも覚えたのか、凛は私に肩をくっつけたままこちらを見上げる。身長は大して変わらないはずなのに、彼女の座高の方が低いことに若干の悔しさを覚えた。



「どんな曲って聞かないの?」



「だって……ReLiの曲待ってる人はいっぱいいるし、私だけ先に知るのは、なんか、ずるいでしょ」



「だいやに聞いてほしくてこの授業に走ってきたのに」



 思わず目を見開いて彼女を見下ろす。こちらを見る大きな瞳の下には、濃い隈ができていた。肌が白いせいで、余計に目立って見える。


 どう答えていいのかわからずに、私は黙り込んだ。肩を寄せ合っている私たちを先生はどう思っているのだろう。周りの目が気になるのに、彼女から目が離せない。



「ね、このあとうちに聞きにおいでよ」



 凛の誘いは魅力的で、けれど首を縦には振れなかった。推しの家に行くなんてただの厄介オタクすぎるし、しかも公開されていない新曲を聞くなんて、他のファンから袋叩きにされてもおかしくない。


 問題は、その誘いを推し本人がしてきていることだった。ReLiからの誘いを、そんな簡単に断れるわけがない。



「嫌? 聞きたくない?」



 凛は私の腕を黒い爪をそっとひっかく。それがとどめだった。



「……行ってもいいの?」



「うん、何のために徹夜明けに大学来たと思ってんの」



 それなら寝てほしい、と推しを心配するファン心は理解してもらえなかった。凛は私が誘いを了承したことに満足したのか、体を離して机に突っ伏す。電池が切れたロボットのように、すぐに寝息を立て始めた。


 ReLiの家に行く。そして、誰も知らない新曲を聞く。予想もしていなかったイベントが舞い込んで、今日もこの授業は頭に入ってこなかった。

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