ボーナストラック バリエルフローの廃墟にて

 今は誰一人住む者とていない、死に絶えた街。


 バリエルフロー。

 かつて、この街はそう呼ばれていた。

 南の海に面する大きな港町。

 ここはアシュトン帝国でも有数の貿易港だったのだ。

 けれど、今からおよそ五十年前、海を越えてやってきた異民族の大船団が、この街の全てを破壊し、略奪しつくしてしまった。

 アシュトン帝国は広大な領地を誇るが、それゆえに中央からやって来る軍隊の到着も遅い。

 アシュトン軍の精鋭がこの街に着いた時には、異民族は目ぼしいもの全てを船に満載して去った後だった。

 なんとか生き延びたバリエルフローの住民たちは、悲惨な記憶の残るこの地を放棄して新しく街を建設することを決めた。

 この廃墟から東に半日歩いたところにあるそこが、今現在、バリエルフローと呼ばれている街だ。

 だから、ここは今では旧バリエルフロー、などと呼ばれている。

 すっかり荒れ果てた廃墟には、夜になると異民族の襲撃で命を落とした多くの住人たちの亡霊が現れるというまことしやかな噂もあって、訪れる者もいない。

 ごくわずかな、この街に残された財宝目当ての人間を除いては。



「広場から神殿に通じる二番目の路地を入って、女神像がある門の家を右に曲がって……」

 テディスは自分の口の中で、バリエルフローの古老からどうにか聞き出すことのできたその家への道順を繰り返した。

 風の音と時折聞こえる鳥の声以外に物音もない街並みには、もう五十年も前のことだというのにまだそこかしこに異民族の破壊と略奪の痕跡が残っていた。

 乱暴に打ち破られた扉や、引き倒されて砕け散った彫像。凝った装飾でもされていたからか、道を舗装する石までもがあちこちで剥がされている。

 本当に洗いざらい持っていったのだ、異民族どもは。

 改めてそう実感する。

 そんな街路に立ち、テディスはどうにかして頭の中にかつてのこの街の賑わいを蘇らせようと必死だった。

 この日のために何度も古老のもとに通い詰め、ようやくその重い口を開かせたのだ。

 彼の狙いは、ケルヴァン金貨と呼ばれる大ぶりの金貨だった。

 この廃墟の目ぼしい場所は、この五十年の間にとっくに盗掘され尽くしていて、テディスのような遅れてきた者に分け前などあるはずもなかったが、そこはまだ知られていない場所のはずだった。

 アシュトン帝国だけでなく、ルク王国やシャーバード王国、さらにその周辺の小国まで旅してまわるテディスの職業は、時には行商人、時には旅芸人、時には用心棒や傭兵、といった具合で、必要に応じて何にでもなったが、結局のところ彼の本質は、旅人、ということだった。

 一つのところにじっとしていられない性分の彼にとって、あらゆる仕事は旅費を稼ぐための手段に過ぎない。

 だから、たまには今回のように探検家の真似事もしてみる。


 帝都カイの近郊の街で、日雇いの労務を通じて親しくなった男が、ある日大怪我をした。

 これも何かの縁と親切心を出して何くれとなく面倒を見てやると、男はテディスにひどく感謝して、昔聞き込んだというとっておきの話をしてくれた。

 それが、かつて異民族の略奪で滅びた街に残された財宝の話だったのだ。とある高利貸しの老人が、自宅の庭にケルヴァン金貨を詰めた壺を埋めた、というのだ。

 男の話は又聞きだけあって曖昧模糊としていたが、テディスは放浪しながら多くの話を聞いてきた旅人の勘で、これがかなり真実に近い話だと当たりを付けた。

 テディスは現在のバリエルフローの街へ赴き、異民族襲撃以前の旧バリエルフローの状況を知る古老を探し当て、高利貸しの老人についての心当たりを尋ねた。

 古老は最初、テディスを相手にもしてくれなかったが、酒を持って毎日のように訪ねてくる彼に、次第に心を許すようになった。孤独な老人には、カネよりも話し相手のほうが貴重なのだ。

 古老が名前を挙げてくれた数人の高利貸しの中で、その当時すでに老人だったのは三人だけだった。そして、労務で知り合った男の話と家の状況が一致したのは一人だけだった。

 これはひょっとすると、ひょっとするぞ。

 その高利貸しの家の場所を訊くと、古老はまるで今でもそこに人々の暮らす街があるかのようにはっきりと答えてくれた。

 興奮を抑えて、テディスは旧バリエルフローへとやってきたのだった。



「ここか」

 本当にあった。

 何度か行ったり来たりの試行錯誤をした末に、ついにたどり着いた。

 古老の言ったとおりの場所に、言ったとおりの家が建っていた。

 周りと比べてもそれなりに大きな家で、崩れかけた門の向こうには、すっかり荒れ果てた庭が広がっている。

 屋敷の中はとっくに盗掘に遭っているだろうが、庭に埋めたという壺までは持ち去られていない可能性が高い。

 壺いっぱいの金貨、それも大ぶりなことで知られるケルヴァン金貨だ。首尾よく手に入れれば、向こう十年は贅沢な旅ができそうだ。

 そんな期待に胸を躍らせながら、テディスが門をくぐろうとした時だった。

 すっかり風雨に晒された崩れかけの門は、テディスが扉の残骸を足で蹴ったそのわずかな衝撃で、まさにその瞬間に門としての五十年間の役目を終えた。

 いきなりの轟音とともに自分に向かって崩れかかってきた門は、もはやただの石と煉瓦の濁流にすぎなかった。

「うわあっ」

 とっさに逃げようとしたが遅かった。

 何とか生き埋めになることは避けたものの、テディスの腰から下は煉瓦と石に埋まってしまった。

 地面に這いつくばった惨めな姿で、脱出しようと力を振り絞ったが、強烈な痛みが襲ってくるばかりで脚はぴくりとも動かない。

 なんてこった。

 お宝を目の前にして、このざまとは。

 自分の迂闊さを呪ったが、もう後の祭りだった。

 無人の廃墟で、仲間もいない中でこの状況。絶体絶命だった。

 俺は、このままここで死ぬのか。

「誰か」

 無駄だと思いながら、それでもテディスは叫んだ。

「誰か、助けてくれ」

 もちろん、それに応える人間などいない。

 テディスが必死に振り絞った声は、荒れ果てた街路の先へと虚しく消えていった。

「誰かいないか」

 それでもテディスは叫んだ。

「助けてくれ」

 どれくらい叫んだだろうか。

 一向に人の来る気配はなかったが、代わりに来たものがあった。

 崩れた門の残骸の上でテディスをじっと観察しているのは、死肉を食らう灰鴉だった。

 くすんだような灰色の羽を時々揺らして、三羽の灰鴉は門の残骸の上をちょこちょこと歩き回った。

 俺が死ぬのを待ってやがるのか。

「くそ」

 腹立ち紛れに手近の石を掴み、テディスは上体を捻って灰鴉目がけて投げた。

 だが、石は途中の煉瓦に当たって力なく跳ね返り、乾いた音を立てて路上に転がった。

 三羽の灰鴉は平然として、飛び立つ素振りさえ見せなかった。

「くそ……くそ」

 旅の途中で何度も目にしてきた、行き倒れた旅人の死骸。それらが脳裏に蘇る。

 とうとう俺も、あいつらの仲間入りをするのか。

 こんなところで、宝を目の前にして。

 何を成すこともなく。

 そのとき突然、ばさばさ、という羽音がした。

 灰鴉たちが飛び去って行く。

「え」

 顔を上げると、道の向こうからゆっくりと歩いてくる人影が見えた。

「おお」

 テディスは残った力を振り絞って、声を張り上げた。

「おーい、ここだ。ここにいるぞ、助けてくれ」

 人影は速度も変えずに、彼の方に近付いてくる。

「おーい、ここだ、ここ……」

 叫んでいたテディスは、不意に声を詰まらせた。その人影の正体に気付いたからだ。

 幸い、廃墟に出るという亡霊の類いではなかった。

 だが、考えようによっては、もっと危険なものかもしれなかった。


 モーグ。


 帝国の北の国境を流れる猛き大河リエント。それを越えた北の地に住む人々は、そう呼ばれていた。

 死をも恐れぬ勇猛さと恐るべき身体能力で、アシュトン帝国の大軍を幾度も破った狂戦士の蛮族、モーグ。

 一年前にアシュトンの狼人将軍セナンに大敗を喫して以来、その勢力はすっかり鳴りを潜めたと聞いているが、それでも個人としての彼らは文句なく優秀な戦士であり、アシュトン帝国内でも傭兵や用心棒として活躍している者は少なくなかった。

 だが、モーグは彼らにしか理解できないような理屈で動く。

 突然に、雇い主を血祭りに上げたりすることもあるという。

 テディスにとっては、できれば関わり合いになりたくない人々だった。

 こんな廃墟に一人でいるモーグが、まともな人間のわけがない。

 とはいえ、差し当たってテディスには彼に縋る以外に道はなかった。

 だがほとんどのモーグは、モーグ語しか喋れないはずだ。

「ええと、助けてくれ。助けてほしい。共通語は分かるか」

 テディスは自分の挟まれた足を指差しながら、そう言った。

「助けてくれたら、お礼はする。だから」

 近付いてきたのは、モーグらしい色素の薄い肌と金色のちぢれ髪を持つ、だが妙に小柄な青年だった。モーグといえば見上げるような大男ばかりのはずだが、この男はテディスとさほど変わらない身長しかなさそうだった。

 くたびれた革の鎧をまとったそのモーグは、門の残骸を一瞥すると、無言でテディスを見下ろした。

「助けてくれ。分かるか、俺の言葉が」

 テディスは必死に喋った。

「助けてくれれば、お礼ははずむ」

 モーグが微かに首をかしげたのを見て、テディスは叫んだ。

「宝。分かるか、財宝。俺は宝のありかを知ってるんだ。助けたら、そこを教えてやる。分け前をはずむ。だから、助けてくれ」

 何を考えているのかまるで読み取れない表情でテディスの訴えを聞くともなく聞いていたモーグは、不意に腰をかがめてテディスの足の上の岩に手を掛けた。

 ぼこり、と腕の筋肉が膨れ上がった。

 モーグの喉の奥で獣のような唸り声が上がると、岩がわずかに持ち上がった。

 テディスの足を押さえつけていた重さが消える。

「さっさと出ろ」

 流暢な共通語で、モーグは言った。

「詳しい分け前の話は、それからだ」

 そう言って、モーグはにやりと人懐っこい笑顔を見せた。



 左足は擦り傷と打撲程度で済んだが、やはり右足は折れていた。

 持ち合わせの荷物で応急の処置をしたテディスに、モーグは枯れ木で即席の杖を作ってくれた。

「ありがとうよ」

「かまわん」

 モーグは気さくに頷くと、

「で?」

 と言った。

 モーグへの警戒心が消えたわけではないが、にこにこと笑っているその顔を見ていると、不思議と話してやってもいい気になった。まだ二十代前半だろうか。このモーグの若者には、なぜか人を引き付ける魅力のようなものがあった。

「三割でいいか」

 テディスは言った。

「出てきた金貨の、三割」

「そんなにくれるのか。すまんな」

 モーグは疑う素振りもなく頷いた。

 さっきは共通語が分からないような顔をしてテディスが謝礼のことを口にするまで待っていたくせに。

 食えない男だ、とテディスは思ったが、それでもどこか憎めなかった。

 テディスはモーグの助けを借りながら、その家の庭に足を踏み入れた。

「あの木だ」

 西側の壁に沿って、一本だけで立った木。

 もうその木自体は朽ちて倒れてしまっていたが、それでもまだ根は地面に残っていた。

 男の話通りだ。

 あそこに、金貨を満載した壺が埋まっているはずだ。

 テディスの胸は躍った。

「あの木の根元に、壺があるはずだ」

「ふうん」

 モーグは無造作に折れた木に歩み寄ると、その後ろを覗き込み、それから低い声で言った。

「これのことか」

「なに?」

 慌てて杖をつきつつ近付くと、モーグの指差す地面に穴が開いていた。

 その脇に、空っぽの壺が無造作に投げ出されている。

 ひび割れた壺は、もうずいぶん前に掘り出されたもののように見えた。

「そんな」

 思わず全身の力が抜けて、テディスは膝から地面に崩れ落ちた。

「もう掘り出されちまってたのかよ」

 壺の中には金貨一枚すら残っていなかった。

 これまでの苦労は、いったい何だったんだ。俺は何のために、足を折ってまでこんな廃墟に。

 呆然としたテディスの顔を一瞥し、モーグの青年は地面に膝をつくと、穴に身体を突っ込んだ。

 素手で、まるでもぐらのように穴の底をさらに掘り返し始めた彼に、テディスは驚いて尋ねる。

「おい、おまえ何して――」

「俺たちモーグは大事なものを地中に隠すとき、その上のもっと浅い場所に別のつまらないものを埋める」

 手を休めることなく、モーグは答えた。

「掘り起こした人間が、それを見付けて満足するからだ」

「えっ」

 固い地面が、まるで柔らかい雪のように掘り出されていく。テディスとさして変わらない体格だというのに、凄まじい剛力だった。

 そして。

「ほらな」

 モーグが穴から顔を出し、人懐っこい笑顔を見せた。

 穴の底に、厳重に封をされた金属の箱があった。




 夜。

 廃墟には、テディスとモーグの青年とが囲む焚火以外には灯はなかった。

「あーあ。お前があの箱を見付けてくれた時は、本当に大逆転だと思ったのによ」

 テディスがぼやく。

 彼の傍らには、開け放たれた金属の箱。

 その中にぎっしりと詰まっていたのは、全て貸し付けの証文だった。

 街の権力者から一般市民に至るまで、たくさんの人々に大金を貸していたその証となる書類。

 それは、確かに高利貸しの老人にとっては、壺いっぱいの金貨などよりも遥かに価値のあるものだったに違いない。

 だが、その五十年後の未来を生きるテディスたちにとっては、もはや金貨一枚の値打ちもないものだった。

「約束通り、三割はお前のもんだけど」

 テディスはモーグの青年を見た。

「要るか?」

 モーグは笑って首を振る。

「何が書いてあるのか、俺には読めん」

「ま、そりゃそうだよな」

 テディスだって要らなかった。

 金を借りた人々はもう生きてはいないだろうし、よしんばどこか生きていたところで、貸した本人でもないテディスにはそれを取りたてる権利もない。

 本当に、紙クズでしかなかった。

 そう落胆した時、彼の腹が、ぐう、と鳴った。

 こんなときでも、腹だけは減る。

 自分の身体の健全さに苦笑する。

 それが旅人として生きていく上での、彼の唯一の財産と言えるかもしれなかった。

「メシにするか」

 モーグがそう言って、立ち上がった。

「俺が作ってやる」

「えっ」

 テディスは慌てて首を振る。

「いい、いい。俺の荷物の中にパンとチーズが」

 モーグの人々は、獣の生肉をそのままで食らうと聞いたことがあった。そんなものを食わされたら、腹を壊すどころでは済まない。

 だが、モーグはすでに自分の荷物を探り始めていた。

「それは明日の朝メシにでもしろ。今夜は俺が作ってやる」

 そう言いながら出してきたのは、干し肉の塊だった。

 よかった、生じゃなかった。

 ほっとしたテディスの前で、モーグは短剣を器用に扱って肉を薄く切ると、今度は一掴みの野草を持ち出した。

「ちょうどうまい具合に、ルリケルとジュニックが生えていたんだ」

 そう言いながら、慣れた手つきでみじん切りにする。

「ルリケルとジュニックだって」

 どちらも香草として料理に使われる草だ。モーグが調理にそんなものを使うとは。

 刻まれた香草から、青臭いにおいが立ち上る。

「プジュルケは、この辺では手に入らないから乾燥させたものを使う」

 聞き慣れない植物の名前を口にしたモーグは、乾いた細い草を取り出すと手で乱暴にちぎった。

 肉の上にそれらをたっぷり載せると、火で炙る。

 火の熱で、野草の青臭いにおいが徐々に香ばしい香りに変わり始めた。

「な、何だかうまそうだな」

 食欲が刺激されて、テディスはモーグの手元を覗き込む。

 熱された干し肉に脂が浮いてくると、モーグは今度は小さな壜を取り出し、黄色い粉を振った。

「それは?」

「塩だ」

 モーグは答える。

「だが、ただの塩じゃない。ほかにも色々なものが混ざっている。俺たちモーグは、力の塩と呼んでいる」

「力の塩」

「これをひと舐めすれば、それだけで力が湧くからだ」

 その塩を振っただけで、香ばしい肉の匂いに複雑な香りが加わった。

 モーグに、こんな調味料があるとは。

 テディスはその塩を舐めさせてもらい、舌を刺す強烈な味に目を丸くする。

「アシュトン人には、そのまま舐めるのはきついだろう」

 テディスの表情に、モーグはにやりと笑った。

「肉に少し振るくらいでちょうどいい」

 やがて、肉は焼き上がった。

「食え」

 テディスが差し出された肉にかぶりつくと、肉のうまみと香草の香ばしさが口いっぱいに広がった。時折、ぴりっと舌を刺激する辛さは、さっきちぎっていた見たことのない草だろう。

 あんなに強烈だった“力の塩”の味が、塩気以外は肉と野草の後ろに隠れて、なんとも重層的な味を生んでいる。

「うまい」

 テディスは素直に称賛した。

「そうだろう」

 モーグは嬉しそうに笑い、自らも肉を齧る。

「肉は、これで食うのが一番うまい」


 予想外に贅沢な食事を終えたテディスは、そこでようやくこのモーグの名を聞いていなかったことに気付いた。

「ラスコットだ」

 モーグはそう名乗った。

「今はアシュトン中を旅してまわっている」

 この廃墟にも、旅の途中でたまたま立ち寄ったところだったのだという。

「そうか。お前に出会えて、俺は本当に幸運だった。おかげで命拾いした」

 テディスはそう言って、改めてこのモーグの青年を見た。

「どうだ、アシュトン帝国は。何もかもが、進んでいるだろう」

 その問いにラスコットはまたあの人懐っこい笑顔を見せると、

「アシュトン人は、モーグを知らなすぎる」

 と言った。

「なんだって?」

「だが、それでいい」

 ラスコットは、焚火の脇にこぼれた香草の欠片に目をやる。

「お前もさっき、モーグにも料理ができるのかと驚いていただろう。モーグは血の滴る生肉しか喰らわないんじゃないのか、と」

「あ、いや」

 図星をさされてテディスが気まずい顔をすると、ラスコットは笑顔のまま言った。

「だから、そのままでいい。モーグは文明を持たない蛮族だと、そう思わせておけばそれに越したことはない」

「何が、越したことはないんだ」

 その問いに、ラスコットは笑っただけで答えなかった。

 ただ、まるで答えの代わりのようにラスコットは言った。

「俺の母は、アシュトン人だ」

「え」

 意外な言葉に、テディスは目を見開く。

「じゃあ、純粋なモーグじゃないのか」

 そうだとすれば、この青年がモーグにしては小柄な体躯である理由も理解できた。

「モーグとは人種のことではない。その誇り高き生き方こそを、モーグと呼ぶ」

 そう言うと、ラスコットはまた笑う。

「死んだ父の言葉だ」

 焚火に照らされたその横顔に、テディスは何か名状しがたい厳かな雰囲気を感じ取った。

 この男は、何者だ。

「お前、ただのモーグじゃないのか」

「どこで生きようとも、モーグはモーグ」

 ラスコットは詩を詠じるかのように言った。

「それなら、俺がどこに国を建てようとも、それはモーグの国と呼べるんじゃないか」

 その言葉に込められたあまりに不穏な響きに、テディスは言葉を呑み込んだ。

 国を建てる、だって?

 だが、不思議な魅力を持つ青年から目を離せなかった。

 この男には、何かがある。

 きっと、旅よりも自分の人生に面白さをもたらしてくれるような、何かが。

 なぜか、そう確信した。

 手に入らなかった壺いっぱいのケルヴァン金貨が、急に色褪せた気がした。




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