第13話 あかりを。

「モーグがモーグらしく誇りを胸に戦って死ねる世ヲ、ラスコットが作ル」

 デオハンは、今もアシュトン帝国と戦っているであろうモーグの若き新王の名を口にした。

神々の王エ・シャの名に懸けてエ・シャ・ドラ・ブラーナ、裏切り者のマースードなどではなくナ」

「勝手に作れ」

 カディオは答えた。

「この国ではなく、自分たちの土地にな」

「忘れたのカ、先に攻め込んできたのはお前らダ」

 デオハンは笑った。紫の顔料に染められた顔の奥の目が、ギラギラと肉食獣の輝きを放っていた。

「血は血で贖ウ。少なくとモ、我らモーグはナ」

 話はそれで終わりだ、と言わんばかりにデオハンが突っ込んできた。

 凶悪なメイスの一撃。

 剣で受け止めようとすれば、そのまま身体ごと真っ二つに折られかねない威力だった。

 食らうわけにはいかない。

 転がるようにして、カディオはそれをかわす。

 左腕が、きしむように痛んでいた。

 間違いなく折れている。

 右腕一本で、この戦士と相対できるのか。

「将軍を守れ」

 カディオを庇うようにデオハンの前に立ちはだかった兵士たちが、たちまち暴風にでも巻き込まれたかのように吹き飛ばされる。

「邪魔ダ」

 デオハンは舌なめずりして、肉食獣の笑みを浮かべた。

「逃げるナ、死にたがリ」

 デオハンは左腕を上げて、カディオを指差した。

「知っているゾ。お前は俺たちと同じ目をしていタ。ルビト・バ・ゼッパ」

 モーグ語でそう言い、メイスを振り下ろす。

 カディオは必死によけた。

 地面が抉れ、まるで水しぶきのように土が舞い上がる。

死地を求める者ルビト・バ・ゼッパ。俺とお前のことダ」

 土煙の向こうで、デオハンはもう一度言った。

「ファズメリアの死にたがりヨ、ここは死ぬにはいい場所だゾ」

 見抜かれていた。

 戦場で会っただけのモーグにまで、俺の心の奥の願望を。

 だがカディオには答える余裕はなかった。

 彼が振る剣よりも、デオハンのメイスは遥かに速い。威力に至っては、もはや比較する意味すらない。相打ちも狙えない実力差だった。

 だが、策はあった。

 デオハンのメイスをかろうじてかわしながら、カディオはこの戦士をほかのモーグたちから徐々に引き離していた。

 それと呼応するように、カディオの背後に三人の古参兵が回り込んでいた。

 よし、いいぞ。作戦通りだ。

「デオハン!」

 カディオは叫んだ。

「死ぬのはお前ひとりだ!」

 言葉と同時に、カディオは横っ飛びに身体を投げ出した。背後の三人が一斉に槍を突き出す。

 完璧なタイミングだった。

 三本の槍がデオハンの鎧を貫く。

「やった」

 だが次の瞬間、デオハンが振るったメイスの一撃で三本の槍は全てへし折れた。

 デオハンは槍の穂先を自分の胸に残したまま、何事もなかったかのように踏み込むと三人をなぎ倒す。

 ばかな。

 とっさに跳び起きたが、間に合わなかった。

 デオハンの一振りで、カディオの鎧の胸当てが弾け飛ぶ。

 胸に、灼けるような痛みが走った。

「ぐうっ」

 それでもカディオは無事な右腕に握った剣を突き出した。

 剣はデオハンの胸を貫いた。だが、モーグの戦士は意に介することなくメイスを振るう。

 カディオの剣がまるでつららのように砕け、吹き飛ばされたカディオは地面に転がった。

 こいつ、不死身か。

 もう何度目かも分からない激痛。

 全身に痺れるような痛みが走り、うまく身体が動かない。

 そこに、デオハンが立ちはだかった。

「エ・シャ・ドラ・ブラーナ!」

 デオハンは叫んだ。メイスを大きく振り上げると、胸から血が溢れ出した。

 敵の血に塗れ、地面に倒れたまま、カディオはどうすることもできなかった。

 くそ。

 絶望とともに、敵を見上げる。

 デオハンの胸からは真っ赤な血がとめどなく噴き出していた。

 モーグとて不死身ではない。おそらくこれが、この戦士の最期の一撃。

 だがカディオももう身体が動かなかった。

 デオハンさえ死ねば、この軍は瓦解する。後はレイン王子がやってくれる。

 ユエナを、ユエナのいる王都を守ることができる。

 目を血走らせたデオハンの背後に、空が見えた。

 抜けるような青空。

 それは幼い頃に見た、あの空だった。

 あの日、路地裏に寝転がって、ユエナを守りきれたという誇らしさとともに見上げた空。

 そのとき、カディオはまたあの日の予感を思い出した。


 俺はきっといつか、こういう風に死ぬのだろう。


 そうか。

 やはり俺はこういう風に死ぬのか。

 ごめん、ユエナ。

 約束は守れなかった。

 どうか、幸せに。

 デオハンがメイスを振り下ろす。

 その瞬間、小さな光が弾けた。

『生きなさい、カディオ!』

 耳元で、ユエナにそう叫ばれた気がした。

 ずどん、という衝撃。舞い上がった土で何も見えなくなった。

 俺の頭は潰されたのか。だが、痛みがない。

「将軍!」

 古参兵の一人に肩を担がれて、カディオは身体を起こした。

「ご無事ですか!」

「デオハンは」

 喘ぎながら、カディオはデオハンを見た。

 モーグの戦士は、地面にメイスを振り下ろしたまま息絶えていた。

 メイスが抉った場所はカディオの頭のあった位置からわずかにそれていた。

 カディオは震える手で懐を探った。

 ユエナのくれた手鏡がない。

 手鏡は、振り下ろされたメイスの下だった。粉々に砕け散っていた。

 胸当てが壊されたせいで地面に零れ落ちた手鏡。それが太陽の光を反射し、最後にデオハンの目をくらませたのだ。

 だから、メイスがそれた。カディオは生き残ることができた。

 ユエナ。

 ユエナ、お前が救ってくれたのか。

 生きろと言ってくれたのか。

 こみ上げてくる何かを、カディオは必死に飲み込んだ。

 今は感情に身をゆだねるわけにはいかない。まだ、やらなければならないことがある。

「モーグのデオハンは死んだぞ!」

 古参兵に肩を抱かれたまま、カディオは声を限りに叫んだ。

「モーグの戦士デオハンは、ファズメリアの戦士カディオ・リオットが討ち取ったぞ!」

 それが、最後の決め手となった。

 モーグ軍を構成していた多国籍のならず者たちは、頼みの綱のモーグの敗北に悲鳴を上げて潰走し始めた。勇ましい蛮族の恰好をしている分、その姿は惨めだった。

 もはや残り数人となっていたモーグの戦士たちもまた、次の死地を求めて戦場を離脱していった。

「レイン王子、追撃を」

 カディオは叫んだ。

「ファズメリアを荒らした連中を、このまま生かして帰してはなりません」

「うむ」

 レイン王子は頷いた。

「続け、決して逃がすな」

 走り出したレインに、兵たちが付き従う。

 勝利を確信した兵の士気は高かった。

 ならず者たちの最期は凄惨なものとなるだろう。

 それを見届けると、カディオはずるずると地面に崩れ落ちた。もう支えがあってさえ立っていることができなかった。

「将軍!」

「大丈夫だ」

 カディオは答えた。

 俺は大丈夫。

 大丈夫だから、王都に帰らなければ。

「カディオ将軍!」

 だから、大丈夫だと言っている。

 それにしても、やけに暗いじゃないか。もう夜になったのか。

 さっきまで青空だったというのに。

 まるで何も見えないぞ。

「あかりを」

 これでは、ユエナの顔も見えない。

 それじゃ困るんだ。

 ユエナがどんな顔で俺を迎えてくれるのか。それを楽しみにしているんだから。

「将軍……将軍」

 兵士がずいぶん遠くで俺を呼んでいる。

 ユエナ。

 もうすぐ帰るよ。

 ユエナ。

 ……愛している。




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