第12話 誰が死ぬか。
「進め、恐れるな、進め!」
カディオは兵たちの先頭に立ち、敵軍に向かって真一文字に駆けた。
自軍から放たれた矢が、敵軍に降り注ぐ。
走りながら、それでもカディオは敵軍を観察することを忘れていなかった。
矢の雨に、敵の前衛がはっきりと乱れた。
戦場では、目を閉じている暇などない。たとえそれが恐怖のためであろうと狂気のためであろうとだ。
目に見える全ての事象が、戦の勝敗に直結する。だから、将は目を閉じるな。耳を塞ぐな。
それはカディオが六年間の戦いの中でアシュトンの狼人将軍セナンから学び取ったことだった。
自軍の勢いを、背中から感じる。
今、俺たちは機先を制した。
戦というのは、角笛や戦歌で散々敵をびびらせた後で自分たちの突撃で一方的に踏みつぶすものだ。
モーグ軍の連中はそう考えていたことだろう。
だが、そんな敵の固定観念に付き合ってやる義理などない。
前方に迫るモーグ軍の兵士たちの戸惑いが、カディオの肌に伝わってくる。
せいぜい驚け。
お前らが蹂躙してきたこの国の人間の底力を目の当たりにしてな。
降り注ぐ矢を、敵兵士たちはモーグ伝統の長方形の木の盾をかざして防いでいる。だがその動きは、やはりカディオの記憶に残るモーグの戦士のそれではない。
動きがぎこちない。
メッキが剥げたな、似非モーグどもが。
まだ自軍の矢が射終わらないうちに、もうカディオは敵の前衛に達していた。
まず、ひとり。
カディオの突貫を受けた、ごてごてとした骨飾りをぶら下げた大男は、一合も斬り結ぶことなく鮮血の中に倒れた。
次。
カディオはその後ろの男の頭を横殴りの剣で叩き割った。
カディオのこじ開けた隙間に、ファズメリア軍が殺到してきた。
たちまち乱戦となった。
だが、勢いは明らかにファズメリア軍が上だった。
「行け、このまま揉み潰せ!」
叫びながら、カディオは自らも五人を斬った。
倒れた敵兵の脱げかけた兜の合間から覗く素顔は、やはりモーグではなかった。
アシュトン人やルク人。ファズメリア人までもが混ざっていた。
蛮族に与して己の欲を満たそうとした連中の末路だ。
モーグのお株を奪うかのようなファズメリア軍の突撃に、敵の兵たちが腰砕けになっているのが分かる。
おかしいぞ。俺たちは敵の主力をあんなに簡単に粉砕したのに。あとはもう残りかすみたいな敵ばかりのはずだろう。王都で好き放題に略奪ができるんじゃねえのか。それがどうしてこんなに敵の士気が高いんだ。
そんなことを考えているのが、手に取るように分かった。
初戦の勝利に気が緩んで覚悟も定まらない連中など、何人いようがものの数ではない。
勝てる。
このまま行けば、完膚なきまでに叩き潰せる。
だがカディオがそう思ったとき、敵陣の奥から聞き覚えのある不吉な叫び声が聞こえてきた。
「エ・シャ・ドラ・ブラーナ!」
その声は一つではなかった。いくつもの野太い声が、その言葉を繰り返し連呼した。
「エ・シャ・ドラ・ブラーナ!」
「エ・シャ・ドラ・ブラーナ!」
「エ・シャ・ドラ・ブラーナ!」
途端に蘇る、戦場の記憶。カディオの背筋が凍った。
エ・シャ・ドラ・ブラーナ。
戦場で何度この叫びを耳にしたことか。
モーグたちの言葉で、『神々の王エ・シャの名に懸けて』。
彼らが口癖のようにあらゆる言葉の前に発する決まり文句。だが、戦場でそれを発するのは鍛え抜かれた本物のモーグの戦士たちだけだ。
本物のモーグが来る。
戦うために生まれた男たちが。
ファズメリア軍がモーグ軍をずたずたに切り裂こうとしていたまさにその時、突如右翼が崩壊した。
恐怖の悲鳴を上げながら、ファズメリア兵が後退してくる。
彼らの絶叫すら圧するように響いてくるのは、モーグの戦士の叫び。
「エ・シャ・ドラ・ブラーナ!」
「エ・シャ・ドラ・ブラーナ!」
地を揺るがす、猛り狂った咆哮。
そちらから来る一団は、それまで戦っていた敵とは明らかに違った。
紫の顔料を顔中に塗りたくった姿は、ほかの兵と変わらない。だがその奥の目が違う。
人というよりも、獣。言葉など要らない、とその全身が語っている。
怯えて退いてきた自軍の兵もろともにファズメリア軍を叩き潰しながら、モーグの一団は前進してくる。
「エ・シャ・ドラ・ブラーナ!」
「エ・シャ・ドラ・ブラーナ!」
その桁違いの迫力に、ファズメリア軍の攻勢が止まる。兵士たちが恐怖から道を開ける。
わずか数十人だ。
たったそれだけの数のモーグが、一万人近い男たちの集う戦場の空気を一変させてしまった。
「モーグだ、やっぱり本物の悪鬼だ」
国境から集められた兵の一人が、怯えた声で叫んで武器を放り出し、逃げ出していく。それに続く兵の数も一人や二人ではない。
まずい。
この恐怖は、全軍に伝播する。
だが、ここだということがカディオには分かった。
この会戦の勝敗の分かれ目は、今ここだ。
下がるな。
恐れるな。
今ここで下がったら、軍はもう立て直せない。
ユエナ。俺を守ってくれ。
「俺が当たる」
カディオは叫んだ。
「モーグを知る者は、俺に続け」
彼の声に呼応して、数十人の古参兵が彼を囲むように付き従った。
六年もの間、戦場で鍛えられた彼らは、やはりモーグの戦士の出現にも動揺していなかった。
「行くぞ!」
一丸となって突っ込むカディオたちを、耳をつんざくような「エ・シャ・ドラ・ブラーナ」の大合唱が迎えた。
堅い岩と岩がぶつかり合ったような衝撃。
たちまち幾人ものファズメリア兵がなぎ倒される。
「怯むな」
カディオは叫んだ。
「敵の数は少ないぞ」
おう、という唸るような叫び。古参兵たちはカディオの勇気に応えた。
さながら、北の戦場の再現。
モーグの戦士とカディオ率いる古参兵との戦いは、熾烈を極めた。
一人ひとりの戦士としての力量は、モーグの方が圧倒的に上だった。
まるで大人と子供の戦いのように、モーグは古参兵たちをなぎ倒していく。
だが数の利はファズメリア側にあった。
倒されても倒されても、後続が駆け付けてきたからだ。
古参兵たちはモーグを恐れてはいなかった。仲間が倒される間に、別の兵がモーグを討つ。
そしてモーグの主力をカディオたちが食い止めている間に、ほかのモーグ軍をファズメリア兵が駆逐し始めていた。
「続け」
軍の中心でそう声を張り上げているのは、レイン王子だった。
「モーグどもはカディオ将軍に任せよ。それ以外は雑魚に過ぎぬ。私のもとに結集せよ、敵の首を刈り取れ、ファズメリアの勇者たちよ」
王子自らがその姿を前線に晒したことで、兵たちの動揺が収まっていた。
王子を中心として、ファズメリア兵がまだ浮足立ったままの敵兵を掃討していく。
さすがレイン王子。やるときはやるお人ではないか。
カディオは思った。
王子のおかげで、勝利はこちらにぐっと手繰り寄せられた。
だが、激しい戦のさなかに戦況を気にしたことが隙に繋がった。
不意に横から叩きつけられたメイスをかわし切れず、カディオは地面になぎ倒された。
まともに食らった左腕が、まずい音を立てた。
「おウ、これは見覚えのある顔ゾ」
血に濡れたメイスの主が、ひどいモーグ訛りの共通語でそう言った。
「お前の顔は知っていル。野良犬セナンとともにモーグに攻めてきた男ダ」
その相手の顔は、カディオも知っていた。
激しい痛みをこらえて、素早く立ち上がる。
「共通語を覚えたのか、“牙”の氏族の戦士デオハン」
努めて冷静に、カディオはそう呼びかけた。
「フィレン野の会戦から、お前もずいぶん苦労したと見える」
デオハンはそれに答えず、メイスを自分の前で一振りした。
まるで巨大な岩でも転がってきたかのような轟音に、カディオを援護しようとした兵たちの足が止まる。
「なるほどなるほド、お前がこの軍の背骨というわけカ」
デオハンはそう言いながら、胸に付けた獣の頭骨の飾り物を叩く。
乱戦の中で、モーグ軍の首魁は、恐ろしい程に落ち着き払っていた。
「モーグがモーグらしク、誇り高く戦って死ねる世を作ル」
デオハンは言った。
「だかラ、お前は死ネ」
誰が死ぬか。
カディオは剣を握る手に力を込めた。
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